第70話 迷い、苦しみの在処
シュリィが家に連れ戻されていた頃。
「いやぁ、ちょうど空いてる部屋が見つかって本当に良かった」
高級ホテルにて。颯とヒロナは、豪華な内装の施された2人用の部屋にいた。しかしヒロナは不満気な表情をしている。
「私は節約するって言ったはずですよ」
「仕方ないよ、ここしか空いてなかったんだし」
「だとしても! 普通の宿の10倍以上の値段もするような部屋を取っちゃって、せっかくのお金を使い切ってしまったらどうするんですか!?」
2人のいる部屋は、この街でも有数の超高級ホテルである。各界の著名人達が御用達の特別な宿だ。もちろんその分、値段は高くつく。節約すると言ったそばからこの散財っぷりにヒロナは業を煮やしていた。ただこの状況にも理由はあり、颯も初めからここに泊まろうとしていたわけではない。この時期は街を挙げて行われる魔導祭があり、各地から人が集まる。既に予約で埋まっている場所ばかりであり、必然的に残っているのは、こうした簡単には手が出せないような所ぐらいしかないのだ。
「ま、しょうがないよ。でもお金ならまだいくらかあるし、本当に高く売れてたっぽいね、あの宝石」
「当然です!」
「それに、ちゃんと値段に見合うぐらいサービスとかいいらしいよ?」
「そうですか」
「・・・・・・こういうのって、普通嬉しいものじゃないの?」
「慣れてますから、こういう場所」
「あ、なるほど」
ヒロナは王族であり、高くて豪華なものには慣れている。慣れていなければならない。ただの高級ホテルでは、彼女の心を簡単に満たすことなど出来はしないだろう。彼女は、故郷で自分の城を持っていたのだから、むしろ不満にすら思っているのかもしれない。また、過去には貧民窟にいたこともあるのだから、底辺というものも知っている。ヒロナにとっては、多くの人々が羨む場所であっても、「こんな場所」でしかない。それは、颯が本当の価値があるものをヒロナに示さなければならなくなってしまったことを意味する。そんなものが存在するのかは定かではないが。
「まぁ、でも他が空いてなかったのは事実だよ。ヒロナだって一緒に探したから分かるだろ?」
「それは、そうですけど」
「俺達が来るのが遅かったんだ。仕方ないし、ここに泊まらなかったら寝るとこなかったし」
きっとヒロナは、自分の想定通りにいかなかったことが悔しくて仕方がないのだ。それは時間が忘れさせてくれるのを待つしかない。
颯がベッドに寝転ぶ。ここまでの疲れを癒すと同時に、シュリィの心配をした。
「大丈夫かな、シュリィ。悪いことになってなきゃいいんだけど」
「きっと大丈夫ですよ。それに、何かあっても彼女なら自分の力でなんとか出来ます。そういう子です」
「ならいいけど」
颯にとって意外だったのは、ヒロナがシュリィの心配をさほどしていないように見えたことだ。シュリィのことを信頼しきっているのだろうが、それでも少しは心配しているかと思っていた。むしろ、颯の方がシュリィのことを考えている。
以前、べンガーの家に泊まっていた時に、シュリィから悩みを打ち明けられたことがあった。自らの魔法の才能の無さに嘆いていたことを覚えている。彼女の強気は、弱さの裏返しでもあった。だから1人にして、その強がりを保っていられるのか、颯の主な心配はおそらくそこにある。
「それにしても疲れたね」
「城を抜け出して、そこからここまで休みなしでしたからね」
「明日、どうしよっか」
いつも先のことで迷っているように思う。どこを目指すべきか、どこへ行くべきか、何をするべきか。分からないままに進むことが出来ていない。だが遠く彼方のことまで分かるはずもない。少し先のことを考えて、少し先へ進む。少し先へ行けたら、そこでまた少し先のことを考える。その繰り返し。
「うーん、シュリィさん次第ですかねぇ」
今もまた他人任せになってしまっている。良いことか悪いことか、というのは分からない。ただ何故こうなってしまっているのかと問えば、答えとして考えられることは、おそらく自分というものを持っていないからである、と言える。
では自分とは? と問われても、それに答えることは難しい。しかし、自分を持っている、と颯が思っている人物、例えばヒロナやシュリィは、目的を持っていて、それを目指そうとしていた。今まで出会った多くの人もそうであった。
「明日、探しに行くか」
「えぇ、そうしましょう」
自分で決められただろうか。少し先のことではなく、より先のことを。決められた、と自分では思っていないからこそ悩んでいるのだろうが、誰かから言われなければ気付けないこともある。
夜が近づくにつれ、寒くなってくる。疲れているのだろう。だから小難しいことを考えてしまう。暖かくなって疲れを取るために、2人は部屋に2つあるベッドを1つしか使わなかった。日が沈んでもないうちから、お互いの温もりを感じて眠りにつく。
心地よい暖かさが身体を包む。目を開ければ、そこは何度か訪れたことのある、大樹の下。そして、銀色の髪の少女もいる。既に颯の心が乱れることはなく、慣れのようなものがあった。しかし、そこにもまた変化は訪れた。
「お前は・・・・・・」
燃える戦場の中で颯の前に現れた金色の髪の男。この現実離れした夢の中に、さも当然かのように、少女とは対局の場所にいた。
「また、会えたな」
「何故お前がここにいる」
「簡単なことだ。それが分からないほど愚かではないだろう?」
その言葉を聞いて、ごく自然に、なんとなく、分かってくる。
「しかし何故、僕はここにいるんだ?」
「理由なんかないよ。強いて言えば、それが因果であり運命だからさ」
金色の男と銀色の少女は、双方の位置から颯に話しかけてくる。理由のある理由のなさの全てを、受け入れることはまだ出来ていない。
「理由がないのに、納得なんか出来ない」
「では探すか? ここで、今すぐに」
「いや、それは・・・・・・」
「まだ悩んでいるんだね。分かるよ、ずっと見てきたもの。仕方ないよ」
「しかし、いずれはやらねばならぬ。それは、もうまもなく訪れるだろう」
「せめて、何に苦悩しているのかぐらいは言ってあげようかな。君、他人と比べすぎだよ」
「他者と比較することで、世界における自らの位置を見出すことは出来るかもしれない。しかしお前はそのことによって自らを失ってしまったのだ」
「君はヒロナという子と一緒にいるね。じゃあヒロナと一緒にいるのは誰だい? 君しかいないだろう。世界で唯一、ヒロナと一緒にいるのは君なんだ。君しかいないんだよ。その時点で、既に君という存在は確立するには十分なのさ」
「だが、お前の苦しみも私達には分かる。自分という存在が確立しても、その先を求めてしまっているのだ。求めて、お前は何に辿り着く?」
「それは既に、俺だって考えたさ。考えて、分からなかったんだ」
「そうか。しかし、お前は既にその苦悩を持ってしまった。それゆえに、いずれはその苦悩を手放す時がくる。始まったものはすべからく終わりが来るのだ」
「待っているよ。君にその時が来ることを」
やがて、男と少女は颯の前から姿を消していく。これは颯が夢から覚めつつあるということでもある。
目を覚ます。夜だった。隣には眠ったままのヒロナがいる。それ以上でもなければそれ以下でもない。そのことを受け入れた時、心には安らぎが満ちた。再び、眠りにつく。




