第64話 離れる心
朝、部屋の扉をノックする音で1日は始まる。まだ重たい瞼をこすりながら、どうぞ、と扉の向こうにいる人物に声をかける。入ってきたのは1人のメイドであった。
「おはようございます。ゆっくりと眠れたでしょうか。朝早くから申し訳ないのですが、ヒロナ様があなた様方と共に朝食をとりたいと申しておいででしたので、お呼びいたしました」
急なヒロナからの申し出に驚くものの、昨日から会っていない颯とシュリィは即座にその申し出を受けた。失礼のないように、とメイドから釘を刺された2人は広々とした部屋に案内される。部屋には縦に長い机が置かれており、朝食とは思えない豪勢な食事が用意されていた。今までに見たことのないような食事に、颯とシュリィは密かに興奮してしまう。
「ヒロナ様が入室されます」
使用人が部屋に響く声で言う。さらにどうやらこの国で最も高い地位にいるヒロナが席に着席するまで、それ以外の者は席に座ってはいけないらしい。颯とシュリィも例外ではない。権力と権威を尊重し、それを見せるやり方に朝から付き合わされたのだ。そして、ヒロナは既に手の届かない場所にいるということも、認めなければならない。
荘厳な空気に包まれ、ヒロナが部屋へと入ってくる。氷のように透き通った美しいドレスに身を包んでいる。それはごく限られた者にしか似合うことのない、着る者を選ぶドレスでもある。もしこのドレスに相応しければ、それはこの世で最も美しいことを意味する。そしてヒロナは美しかった。
ヒロナの姿を見た颯は、彼女のその姿に目と心を奪われた。
複数の使用人に囲まれたヒロナが、ようやく席に座る。それに続くようにして、颯とシュリィも着席した。ヒロナは一番奥の席へ。颯とシュリィの2人はヒロナから見て左の席、彼女の斜め前に座った。食事が始まったものの、中々会話は始まらない。シュリィが隣に座っている颯の腕を肘で突き、「何か話しなさいよ」と催促をかける。しかし何を話せばいいのか分からず、2人は結局黙ったままになってしまう。
「昨日はゆっくりされましたか?」
「あ、うん。いや、はい」
あまりにも会話が始まらなかったからか、ヒロナから話題を切り出してきた。ここで颯とシュリィはヒロナに気を使わせてしまったかもしれないことに多少の罪悪感を感じる。せっかく3人で集まったのにも関わらず、楽しい話ひとつ出来ずにこのまま終わってしまうところであった。
「ヒロナは、いや、王女は、仕事とかどうでしたか?」
「えぇ、順調ですよ。差し障りなく進んでいます」
「あ、そうなんですね。良かったです・・・・・・」
会話が終わる。ここからどうやって話を続ければいいのか、颯には分からなかった。隣でシュリィが小声で「何で仕事の話なんか振るのよ! 空気が重くなるじゃない!」と言ってくるが、「じゃあ何話せばいいんだよ」と颯が聞き返すと、シュリィはそのまま何も答えなかった。彼女にも分からなかったのだろう。そしてそれはヒロナも同じだった。
そして静かなまま、朝食の時間は過ぎ去ってしまった。颯とシュリィは客室へと重い足取りで戻る。いつもなら話せていたかもしれないが、変わってしまったせいで何も話すことが出来なかった。
「綺麗だったわね、ヒロナ」
「うん、そうだね」
溜息だけが部屋にはあった。
3人で朝食を採った後、ヒロナは昨日に引き続き会議に出席していた。貴族達による討論は、変わらず帝国につくか神皇国につくかということだ。ヒロナはその会議で、ただ顔を俯かせているだけだった。自分が何を言ったところで何も変わらないのは、既に目に見えている。
この会議に身を置いている間、ヒロナは兄を思い出していた。彼もここにいる貴族のような考えを持っていて、ヒロナと2人で亡命をしている時も、身分を隠しながら帝国の恩恵を受けていた。そんな兄をヒロナは許せなかったのだ。だから1人で飛び出し、その先で颯に出会う。今思えば、初めから既にヨトンヘイムの女王に相応しくなかったのかもしれない。
ヒロナを置き去りにして、議論は白熱し続ける。
部屋に戻った颯とシュリィは、あまりの暇に耐えかねて、使用人に外出の許可を貰い城の外を歩いていた。綺羅びやかな城とは違い、牧歌的な風景が広がっている。舗装されていない道に、勝手気ままに歩く家畜。それを気にすることのない飼い主達。疎らに並ぶ木製の家屋。いいかげん、といってしまえばそれまでだが、ここにしかない良さというものがあるような気がした。
颯とシュリィは都合良く、外を歩いているこの国の人を見つける。初老にさしかかった男性で、髭を生やしている。そしてこの国の人々の例に漏れず背が高い。このちっぽけな国では、皆が顔見知りなせいか颯とシュリィという見慣れない客は目立つ。2人は男性に声をかけられた。
「君達はヒロナ様と一緒にいた子達だね。散歩でもしているのかい?」
「えぇ、そんなとこです。いい国ですね、ここは」
「ハハハッ! そうか、いい国か! なら私の家に来るといい! もっと良い国だと思えるようにしてやりますよ!」
挨拶代わりに褒めたら男性は気を良くしたのか、家へ招いてくれた。2人はその好意に甘え、邪魔になった。とくに語ることもない平凡な家。寒い外に比べれば暖かい空気が包んでいるといった程度だ。
「客人なんて滅多にもてなさないからなぁ。何か足りないことがあれば言ってください」
「いえ、そんな、歓迎してくれたんですから、これ以上のことはありませんよ」
「では妻を呼んできますので、少し待っててください」
そう言うと男性は家の奥に向かい、その後奥さんを連れてやってきた。
「あら、よく我が家にいらっしゃってくださいました。今お茶を出しますから」
「すいません」
気のいい女性だ。男性と同じか少し若いぐらいの年齢で、しっかりとした雰囲気がある。
居間に置いてある席に座り、出してもらったお茶を颯とシュリィはいただいた。
「息子は今、城の方で働いておりまして、顔を見せることが出来ずに申し訳ない。もしかしたらもう会っておられるかもしれませんね」
「あの、どうしてそんなにもてなしてくれるんですか?」
「客人に失礼なことはしませんよ。でも一番は、ヒロナ様をこの国に再び連れてきてくれたことですかね。この国の他の奴らもあなた達に礼を言いたいはずですよ。ところでお二人は、ヒロナ様とはどういったご関係で?」
颯とシュリィは言葉に詰まる。何と表せばいいのかが分からなかった。少し間を空けてから、颯が答える。
「仲間です。よくある普通の」
「仲間、ですか。そうですか」
颯がそう答えた時、この家の夫婦は少し顔を微笑ませた。何か変なことを言ってしまっただろうかと、颯とシュリィは不安になる。
「この国からいなくなった時はどうなるかと思っていましたが、杞憂だったみたいですね。あなた達のような良い仲間を持てたのですから。ヒロナ様はヨトンヘイムの民にとって、小さい頃から見てきた大事な存在なのです。どうかこれからも、ヒロナ様の支えになってください」
そう言うと夫婦は頭を下げた。
「あ、頭を上げてください! 別に自分達はそんな大層な存在なんかじゃありませんよ」
この国の人達のヒロナを思う気持ちは本物だ。ずっとそうしてきたのだ。しかし、そのことはより颯の心を迷わせる。




