第57話 運命
突如として現れた謎の男に話しかけられた颯。颯がヒロナを助けるために魔人達の拠点へ連れて帰ろうとしたところを止められてしまった。男は颯に触れることなく、言葉だけで彼に痛みを与え、動けなくした。
「お前の中にいる私の半身を返してもらいたい」
「なんのことだ」
男の言っている意味を颯は全く理解出来なかった。今、目の前に五体満足で立っている男の、半身。しかもそれが自分の中にいるらしい。どういうことなのか、痛みもあって考えることすら出来ない。
「知らないはずはない。既に出会っているのだ。お前の魂に巣食う、もう1人の私に」
息も途切れ途切れになってきた。痛みで立つことすら出来ない颯は、地面を這いずりながらも、何とかして倒れているヒロナの方へ向かう。しかし、目の前の男から放たれる異様な感覚は、そうしたことも許さない。
「まだ答えていない。全ては答えてからにしてもらおう」
「だから、分からないって言ってるだろ」
颯のその声には、若干の怒りが込められていた。自分の思い通りにいかない焦りと不安から、そうした感情が表に出てきてしまっているのだ。しかしそれでも、男は顔色一つ変えることなく、淡々と話続ける。
「まぁ、よい。何をしようと因果が変わるわけではない。このままお前は自らの運命に則り、その魂を消滅させることになるのだから」
その男の言葉に、颯が振り向く。無視すればいいのに、何故だか出来なかった。自分が消滅すると言われ、急に怖くなったのか、それともこれも運命に則ったということなのか。ただ、颯が振り向いたことに男も反応を示す。
「どういうことだ?」
「なんだ? 話す気にでもなったか? そうでなくとも、それがお前の既定された運命というだけだが」
男は颯に近づき、同じ目線になる。そして話を続けた。
「お前の運命は、この世界が誕生した瞬間から予め決められていたものにしかすぎない。何故そこで倒れている女を助けたいと思った? それはそうするよう、定められていたからだ。お前の感情などではない」
「違う! そんなことはない!」
「何も違ってなどいない。先程から私と話しているのも、予定されていたことをただ単になぞっている。違うのならお前は、とっくのとうにそこの女を助け出していたはずだ。本当にそうしたいのなら」
いつのまにか、颯を支配していた痛みは消えていた。今なら動けるはずだ。しかし体は動かない。
「お前が自分で考えて行動したことなど一度もない。何者でもないお前が自分から何かをすることなど有りえないのだ」
自分の存在を根底から否定されるような言葉を吐かれる。そしてそれが自分の中に、自然に入ってくる。何故言い返せないのだろう。何故黙って聞いているだけなのだろう。これも男の言う、運命というやつなのだろうか。
「何故こんな場所にいるのか、何故こんなことになっているのか、もう分かるだろう? 自分で考えて行動したなら言えるはずだ。そうじゃないと。しかしお前は言えない、言わない。お前が何者かであれば、今までのことも覚えているはずだ。親の名前、自分の名前、大切な者の名前、出会った者の名前、訪れた場所も、どんなことをしてきたのかも、覚えているはずだ。だがお前はそうじゃない」
否定しようとして、言葉がつまる。何も分からなかった。親の名前が分からない。自分が一体、どこからやってきたのかが分からない。今まで訪れた場所も、出会った人も、何もかも分からなくなってきた。自分の名前はなんていうんだったか。目の前で倒れている女の子は誰だろう?自分は何をしようとしていたんだろう? 何も、何も分からない。
「少し不自然だったか。だが決められた通り、自分を失くしたようだな。意味など何もない。ただお前は、存在しているだけでいい」
そう言って男は、動かなくなった颯に手を伸ばす。彼を掴もうとしたその時、邪竜となったファヴニールが横から男を攻撃した。遠い場所で戦っていたファヴニールだったが、男の気配を察知して、急いで飛んできたのだ。彼は巨大な竜の状態のまま、男を叩き潰そうとした。しかし、その攻撃は男には当たらなかった。男は避けてはおらず、その場からも動いていない。ファヴニールも、攻撃を外したわけではない。攻撃が男の体をすり抜けたのだ。
「フハハハ! 邪竜よ、お前がそんな顔をするとは、よほどこいつが大切なようだな!」
邪竜であるファヴニールの目は、恐ろしいほど強く、男を睨みつけている。歯を食いしばり、唸り声を上げ、怒りを露わにしていた。そのようなファヴニールを見て、男は面白おかしく笑う。
「珍しいものが見れた。今はこれくらいにしておこう」
男は笑った顔を崩さないまま、その場から煙のように消えた。一瞬のうちにして見えなくなり、もうどこにいったのかさえ分からない。
燃え盛る戦場の中心には、倒れ伏したヒロナと意識を失った颯、そして邪竜だけが残った。
意識を失った颯は、再び夢を見ていた。以前に来たことのある、覚えている場所。優しい空に囲まれた、大樹だけが静かに存在しているそこで、また、少女と出会った。
颯は少女を見て、何も言わずに俯く。少女はそっと、そんな颯に歩み寄る。
「また会えたね」
「あぁ、そうみたいだね」
「そんなに暗い顔してどうしたの」
「分からない。何も分からないよ」
「ふーん。でも、何も無かったわけじゃないんだね」
「え?」
「君は分からない、分からないと言うけど、起こったことや、存在していることを否定しているわけじゃない。なら僕はそれで良いと思うな」
颯は、自分が何者なのかが分からなくなっていた。今まで、それを考えてこなかったからかもしれないが、彼にとって自分とは、急に現れた名も知らない男に崩されてしまうような、貧弱なものでしかなかったのだ。自分が何者なのかが分からなくなった彼は、今まで自分を構成してきたあらゆるものも、同時に分からなくなった。今まで一体どのようなことを自分はしてきたのか、今まで一体どのような人と自分は出会ってきたのか。その全てが分からなくなってしまった。意味があると妄信してきたものが、実は無かったと言われた時のような、よりにもよってそれを自覚してしまった時のような、そんな感覚だ。
だから彼は暗い顔で俯いた。しかし少女はそのことを否定しなかった。君が分からないだけで、それは確かに存在していたのだと、そう言ってくれた。価値観は崩れ去ったかもしれない。けれども、存在そのものが否定されたわけではない。過去は確実に存在していた。彼がしてきたことは無くならないし、出会った人はその時そこにいたのだ。そして自分も、今ここにしっかりと存在している。そのことだけは、確かだった。
「君が分からないと言ったものは、分かろうとして分かるものではないよ。だからこそ、確かに存在しているものを受け入れ、認めていかなきゃいけない」
颯の暗く俯いた顔に、少しばかり光が宿る。彼はもう一度、彼女に向き合い、目を合わせた。
「君のその顔が見れてよかった。これからも、分からないことばかりかもしれない。だけど、だからこそ、君が君であることを忘れないでね」
やがて、この場所が徐々に光に包まれていく。遠のいていく彼女が、こちらを見て微笑んでいた。
「さぁ、目覚めて。運命はまだ終わっていないのだから」




