第56話 黒き神
「ヒ、ヒロナ・・・・・・?」
ヒロナが、颯の方を向く。たった今、敵を倒した剣を持ったまま。颯は、その場から動けなかった。分からなかったか、怯えていたか、あるいはその両方か。目の前に立つヒロナは炎に身を包んだ姿で、普段の姿とは似ても似つかない姿だった。
声をかけても、何も返っては来ない。彼女が颯に対し、大剣を振り上げたその時、周囲に突如小型の魔法陣が展開され、中から鎖が飛び出した。鎖は暴走しているヒロナを縛り、その場から動けないようにする。
その後すぐ、颯の背後から何者かの足音がした。颯は振り向き、その正体に驚く。
「あなたは・・・・・・」
神皇国で出会ったシグルだった。片手に剣を持ち、1人でこの戦場にいたのだ。
「なんでここに」
彼は何の言葉も発することなく、すぐにこの場を立ち去ろうとした。それを颯が止める。
「待て! ・・・・・・今、確信したよ。あなたは勇者なんだろう?」
シグルは立ち止まるものの、何も言い返そうとはしない。振り向きすらせず、ただ颯の言葉を聞いていた。
「勇者なら! 勇者なら、ヒロナを助けてよ。僕にはどうすることも出来ないんだ。だから! だから勇者が助けてよ。なぁ! 世界だって救ったんだろ!? ならヒロナだって助けられるんじゃないのかよ! このままじゃヒロナが危ないんだよ! だから助けてよ!」
颯は背を向けて立ち止まるシグルの服を掴み、泣きながら叫ぶ。ヒロナがヒロナでなくなっていく様を颯は見ていることが出来なかった。しかし自分に出来ることなどない。そのため、偶然かやってきたシグルに縋り付いた。今、ヒロナの動きを止めているのも彼だ。このままどうにか出来るんじゃないかと一筋の希望を颯はシグルに求めた。
しかしシグルは、その願いに応えはしなかった。服を掴む颯の手を払い、そのままどこかへと立ち去る。後ろからは、颯の叫びが聞こえた。
「見捨てるのか! 勇者がこのまま救えるもんも救おうとせず見捨てるってのかよ! なぁ! おい! ・・・・・・うっ、うぅぅぅ、うぅぅぅぅぅ」
シグルは戦場を駆け抜けながら、辺りを見渡した。帝国の兵と神皇国の兵、そして魔人の死体があちらこちらに転がっている。遠くでは、漆黒の竜が巨大なゴーレムやドラゴンなどとの戦いを繰り広げながら、この戦場に圧倒的な殺戮をもたらしていた。
それらを尻目にシグルは、目的の場所へ向かう。予感が正しければ、グンナルがいるはずである。かつて仲間だった彼に会う。会わなければならない。そんな気がしていた。ただ、そこから先のことはまだ考えてはいなかった。
戦場の中心に、巨大な魔法陣がある。シグルがそこへたどり着くと、グンナルは退屈そうにその場に座っていた。
「あぁ、やっと来てくれたんだね。待っていたよ」
グンナルはそう言うと、その場で立ち上がりかつて仲間だった者に語り始めた。
「君なら来るとは思っていた。こうして会うのなんてあの時以来で、色々聞きたいこととか話したいことがあったんだが・・・・・・君の顔を見て、何を言おうとしていたのか忘れてしまったよ」
シグルはそれを黙って聞いていて、一方でグンナルは笑っていた。かつて魔王を倒した仲間同士、お互いに知らないことはないと言い合える関係だったが、心の距離感はもうあまり近くはなかった。
「・・・・・・魔王を倒した後、どこに行っていたんだ? あの日、彼女と君がいなくなってから、ずっと探していたんだ。らしくないだろ? 勇者は死んだと言っていた奴らの考えは、ふふっ、外れたわけだ」
「何を、しようとしているんだ?」
「分からないかい? もう一度、3人で旅をしようと思って。目的は別に、何だっていいさ。英雄になろうが、あてもなく歩くだけでもいい。また3人で旅をしよう。あれ以上の時間なんてなかったんだ。君もそう思うだろう?」
「ブリュンヒルドは、もういない。あの日俺が、この手で・・・・・・」
「それなら問題ない。シグル、命というのは魔法なんだ。とても複雑で高度な、再現なんて無理に近い、そんな魔法なんだ。けれど、全てを可能にするのもまた魔法だ。・・・・・・今、この戦場には、どれほどの魔素があると思う? 準備ならもう出来ている。彼女が生き返るんだぞ! なのに、なのにどうして君は、そんなにも浮かない顔をしているんだ」
グンナルは、過去に幸福を見出していた。辛かったこともある。苦しかったこともある。だが、彼にとってはかけがえのない日々でもあったのだ。彼は、自らの魔法でその思い出をもう一度再現しようとしている。ただそれは、本来の時間の流れに逆らう逆行のようなものだ。
魔王との戦いで、シグルもグンナルも多くのものを失った。大切なものもそうでないものも、とにかく失った。シグルは魔王を倒してから、また何かを失うことを恐れていた。しかしその考えは、時が流れるにつれて少しばかり変わっていった。けれども、グンナルを前にして、再び以前と同じような気持ちになる。彼もまた、似たようなものだったんだろう。だからこそ、このままではいけないとシグルは強く感じた。グンナルがやろうとしていることは過去への執着だ。そして、それによって如何なるものであろうとも犠牲になるようなことがあってはならない。
シグルは剣を強く握る。彼はかつて仲間だったグンナルのもとへ近づき、心臓を貫いた。そのことに、グンナルは驚いたような顔も、怒ったような顔もしなかった。ただ、シグルの選択を受け入れたように、安らかに眠ったのだ。
どうしてグンナルは、これを受け入れたのか。シグルは言葉に出来ないまま、グンナルだったものを抱えて目の前の巨大な魔法陣の中へと飛び込んだ。
元々、膨大な量の魔素を吸収していた魔法陣に新たに強力な魔力が加わってきた。魔法陣は誰も知らない戦場の中心において、不自然な運動を見せる。本来ならば、魔法陣は許容出来る量の魔力を超えた時点で、大規模な爆発をするはずだった。しかし、そうはならなかった。そうはさせなかった存在がいたのだ。その存在は自らと魔法陣を融合させることによって、失われた形を取り戻した。現れたのは、黒い黄金の髪を持つ1人の男だった。身長はちょうど背丈の高い男性ほどの大きさで、威圧感がある。黒いローブのようなものを羽織っており、整った顔つきが恐ろしい。
一方、ヒロナの動きを封じていた鎖が消滅した。シグルが消えたからである。また、同じ瞬間に、風向きが変わった。未だ炎に包まれているヒロナは、颯のいる方とは逆に振り向く。彼女は何かを察知したように、その方角に向かって突き進む。いたのはあの黒い男だ。ヒロナはその男に向けて、目にも止まらぬ速さで大剣を振り下ろした。灼熱がその男を襲う、はずだった。男は手も触れずに、ヒロナの攻撃を受け止めた。そして跳ね返した。ヒロナは吹き飛び、地面に倒れ伏す。それと同時に大剣から放たれた炎は鎮まり、彼女の身体を包んでいた炎も消えた。
「ヒロナ!」
後から追いかけてきた颯がヒロナに近寄る。全身が火傷の上、傷だらけだった。僅かに息がある。早く助けなければ彼女が危ういのは、誰の目から見ても明らかだった。颯は、ヒロナを連れてこの場から出来るだけ早く撤退しようした。しかし、颯に男が声をかけた。
「待て」
颯は、見知らぬ男を無視して、ヒロナを何とか運ぼうとした。そこにもう一度声をかけられる。
「待てと言っている」
その言葉を聞いた瞬間、颯はまるで魂が締め付けれたような痛みを感じた。その場から動くことが出来ず、地面にうずくまる。
「お前に、話がある」




