第26話 今となっては
今となっては昔のことだが、竹やぶを歩く男がいた。男は着物を着崩し、どこで飲んだのか酔っぱらっていて、空に輝く星などには目もくれない。さらには男の髪は整えられてはおらず、髭も無精髭のままだ。そんな奴が林の中で1本の光る竹を見つけた。竹は酔いが醒めるほどの眩い光を放っており、だから男は分かった。光を放っているのは竹ではなく、その下にいる1人の赤子であると。綺麗な子だ。
こんな夜を物好きに照らすのは月だけだと思っていたが、どうやら違ったようだと、男は今までの考えを改めることになった。
光る赤子に慎重に近づく。神秘に包まれる幼き命を起こしてしまわないように、足の神経を張り巡らせ、やっとのことで側まで来た。小さく震える手でそっと抱きかかえると、やがて光は赤子の中に消えていった。
「この子は一体・・・・・・?」
何故、この赤子はここにいたのだろうか。親が捨てたのか、神が遣わしたのか、それとも・・・・・・。考えても分かることではない。
それよりも男には問題があった。この赤子の名前は何なのだろうか、ということだ。赤子のままではさすがに駄目だろう。何て呼べばいいのか。少し考えて、今は無いのなら、自分が付けてしまおうと思った。何が良いだろうか。その時、思い出すように頭のなかに浮かんだ。その名前を男は呟いた。「かぐや」と。どうしてその名前が浮かんだのか、男には分からなかった。知っていても、もうすでに忘れてしまっていた。
「かぐや・・・・・・。お前の名前は、カグヤだ」
輝夜。輝く夜と書いてかぐや。まさに今、空に輝く月のようなこの子にはこれ以上の名前なんてない。男には赤子が優しく微笑んでいるようにも見えた。
さっそく男はカグヤと名付けた子を、自分の住む小屋へと連れて帰った。竹林に囲まれながらポツンと建つ一軒家。決して広いわけではないが、人が2人までは住める程度の広さだ。男は小屋の扉を横に引いた。
「ただいま」
男の声を聞いて、奧から女が1人出てきた。赤い長髪の美人だ。白い肌がより赤い髪を引きただせる。女物の着物を雑ながらもなんとか着こなしていた。
「あぁ、帰ってきたのか。随分と遅かったじゃないか。・・・・・・ん? お前、酒臭くないか? 飲んだのか? おい、飲んだんだな? どこで飲んだんだ!?」
女は男に付いた酒の匂いを熱心に嗅いでいる。自分も酒を飲みたかった女は、食い気味で男から事細かに聞こうとしていた。男は女の行動に少し戸惑いはしたものの、男にとって今はそれに構っている場合ではない。男の中で酔いは既に醒めており、なおかつそれ以上に大事なことがあった。
「そんなことよりだな」
「そんなこと!? 自分だけいい思いしておいて人には隠すつもりか!?」
酒に心を奪われたのか、確かに2人は最近は全く飲んでいなかったが、それにしてもこの執着はどうしたものか。男はなんとかして女に大事なことを伝えなければならない。
「・・・・・・酒のことは後で話す。それより今はこれを見てくれ」
そう言って男は手に抱えていた赤子を女に見せる。見慣れないものを見たような女は、何を言うわけでもなく、ただじっと見ているだけだった。
「これが酒よりも大事なものか?」
「そりゃそうだ! 子供だぞ! それもまだ生まれたばかりだ。捨てておくわけにもいかねぇから拾ってきたんだよ」
「子供・・・・・・。人間のか」
女にはその価値というものが分からなかった。男がそんなにまで大事そうにしている小さな赤子は女にはなんでもないものに見えて仕方がなかった。
「今まで碌でもなかった俺だが、これだけは分かる。この赤子はちゃんと育てなきゃ駄目だ」
そうか、とでも言いたげな表情で、ただ無関心に男が熱く語っている姿を女は見ていた。彼女は赤子に興味などこれっぽっちもなく、今は男がどこでどんな酒を飲んできたのかが気になってしょうがない。しかし男はそんな女の気持ちなど知らずに言う。
「ってことでだ。俺達でこの子を育てよう」
「うん・・・・・・うん?」
ただ頷いていればいいかと思って、それまでの話は全て聞き流していた女だったが、最後に男の口からでてきたのは、耳を疑う言葉だった。
「育てる?」
「あぁ、そうだ。子供にはいつだって親が必要だ。だから、これからは俺が父親で、お前が母親だ」
拾ってきた赤子を自分達が親代わりとなって育てると言い放った男だが、女にはその気持ちはとても理解できるものではなかった。そもそも子供を育てたことがない女にとって、いきなり知らない子供の母親になれと言われるのは無理がある。簡単に、はい、そうですかと受け入れられることではない。
「無理だ。無理だ、そんなことは」
必死に拒む女。それには母親になったことがない、ということ以外にも理由があった。
「もともと予定にもなかったことだ。準備などなにもできていないぞ。まぁ、何を用意すればいいのかも分からないが・・・・・・。それにだ、お前と私で暮らすことに既に精一杯なのだ。単純に1人増えるだけでもだな」
こんな周りには竹しかないような場所で、赤子を育てるのに必要な物が揃うとはとても思えなかった。そもそも男と女の2人で暮らすだけでも相当な厳しい環境だ。そう考えれば、赤子をこの小屋で育てるというのは、とてもじゃないが賢いとは言えない選択だった。
「大丈夫だ。俺とお前で協力すれば大丈夫だ」
男は何とかして女が納得するようにしようとするが、女は首を縦には振らない。そこで、男は最後の手段に出た。
「分かった! 何でもする! この赤子を育てる代わりに、俺はお前の言うことを1つ、どんな願いでも1つ聞いてやる! だから頼む!」
折れない男の態度に、女の方から折れた。そこまで言うのなら、と溜息まじりに重い首を振る。そして男は安堵した。さらに男は女に母親としての心構えというのを要求する。
「よし、それじゃあ、お前は色々変えていかなきゃな」
「は? 育てるだけじゃないのか?」
「何言ってんだ。「母親代わりとして」育てるってことだぞ? まぁまずはお前の名前からだな。「オロチ」なんて名前じゃ駄目だ。そうだな、その身体だし、「クシナダ」って名乗れ」
「そんなことしていいのか? この身体の本来の持ち主が怒るんじゃないのか」
大丈夫だ、と男は言う。その後、オロチという名からクシナダという名になった女が聞く。
「お前は「スサノオ」という名から変わらなくていいのか?」
あぁ、俺は大丈夫だ、と男は再び言う。そのことにクシナダはいまいち納得することが出来なかった。しかし話はそのまま進んでいく。
「あと今すぐ変えられることは、言葉遣いだな」
「は?」
「それだよ、それ。その言葉遣いを直せ。女、しかも母親なんだから、もっと綺麗な言葉遣いにしろ」
「はぁ、分かった」
「そうじゃねぇ。はい、分かりました。だろ」
「・・・・・・はい、分かりました」
クシナダは嫌々ながらにスサノオの言葉に従った。何故私がこんなことを、だとか、色々不満はあったが、拾われた赤子を育てることに協力することになった以上、彼女はそれを受け入れた。
この生活にも直に終わりは来る。今は失ってしまった力も、取り戻せればまた元通りになるだろう。
そう思うことが、スサノオの要求を受け入れても彼女のままでいられる術だった。
「それで、この赤子の名はなんと言うのだ・・・・・・言うんですか」
「あぁ、この子の名は、カグヤだ」
あてもなくやってきたこの場所で見つけた小さな命。大事にしようと男は決めた。




