二日目01
話が全く進まん
まいったな
7月24日 喫茶店“茶々丸”
零時過ぎでとっくに営業時間を終了してるのにマスターは店の掃除をしていた
水で絞った綺麗な雑巾でニスで艶やかな茶色に塗られた木製の円板に四本の丸い木材が支えとして取り付けられた質素なデザインながら堅実な造りをしているテーブルを拭く
このテーブルは彼の“本業”が無い暇な時間にわざわざ材料を買い込んでマスター自らの手で製作されたものだ
雑巾は毎日洗った物を十枚以上用意してから、拭く度に取り替えながら使用する
マスターは客が来ないときは自ら進んでそうしていた
別に彼は極度の綺麗好きであるとか、埃を異常な程不快に感じるなどといった潔癖症も持ち合わせていない
ただし、喫茶店は客を呼び込む場所である以上最低限の手入れは行っておかなければならない
ここはあまり人が来ず、静かな逢瀬の時を過ごしたい今時珍しく慎ましさ溢れる一組の大学生らしきカップルと神城空がバイトの昼休みに訪れる以外には殆ど客足は訪れない所だ
ただし、近頃は“任務”の為とは言え彼等の為に店を続けていくのも悪くないと彼は感じていた
それは、仮にこのまま何事も起きなければ。の話ではあるが静粛な時を好む彼にとって魅力的な過ごし方だと思えた
それに元々彼は争い事は好きでは無い温厚な性格をしていた
だが、今の“政府”が国民に黙って密かに行っている事を見過ごすほど世間でいわれる『腫れ物に触らず強者に媚びる賢い生き方』は選択出来なかっただけだ
いや、そんな卑屈な生き方を良識で愛すべき人間が賢いと思うのだろうか?
少なくとも彼自身はそう思えなかった
今の日本は昔のように他人の事情を汲み取れる人情ある人物は大分減ってしまったようだが、良識的な価値観をもって居るものも決していないとは限らないし、事実彼はそのような人情味溢れた者達に心当たりはある
例えば、神城空
例えば、彼の悪友らしい甲田宗
例えば…彼の“本業”の同朋達
act…
『ぶるるるるる』
マスターの胸ポケットに収まってある携帯が振動した
バイブレーション機能に設定したのは客に気を使っての事だった
彼はテーブルを拭く手を止めて携帯を取る
携帯はストラップの付いた銀色のシンプルなデザインの物だった
ちなみにストラップは空が旅行の土産に彼にプレゼントした物である
マスターは携帯を操作した
そしてたった今送られてきたメールを見て嘆息する
――ああ。やっぱり来たかと
それは仮初めの日常への諦めであり、彼自身の“本業”への命を賭けた覚悟と闘争へ逃れられない定めを悟ったマスター自身への自嘲によるものかもしれない
机を拭く手が早くなる
少しくらい雑になっても店の整理整頓位は終わらせてから“準備”に入りたかった
もしかしたら捨てたはずの日常への執着心が残っているのかもしれない
テーブルを拭き終わり、雑巾をカウンター奥の台所の水で軽く洗い、絞ってから干す
何度も繰り返した作業
夏場の夜とはいえ水はやけに冷たく感じる
心の中に恐怖があるのかもしれない
巨大で未だに得体の知れない“敵”に対しての畏怖を捨てきれないのかもしれない
濡れた手を備え付けのタオルで拭いながら自問する
そして彼はまだ水気の残る手でタオルをシンクの台に立てかけてから、ある場所に向かった
ドアを静かに開け、明かりを告ける
掃除すらロクに行ってない室内で充満した埃が意外と鼻につくのを彼は感じた
そこはマスター以外は誰も他人を入れたことの無い部屋だった
それもその筈だ
ここにある物を見たら一般人はマスターに対してある種の警戒心を抱かずには居られないだろうから
部屋の中には大人が持つにしてもかなり埃まみれの大きいアタッシュケースが二つほど置いてある
旅行者やよく海外に出張するビジネスマンのプラスチックと布製で製作された安物ではない、オール金属製の特性ケースだ
それの一つを手に取り重たそうに床にそっと置く
そして取っ手の両脇に付いている一対の簡易ロックを外した
すぐにもう一つのケースロックも解除する
『ガチャ』
その中に有るのはマスターの道具だ
しかしそれはとても喫茶店業務の範疇で使用出来るものではなかった
黒光りするソレは死を振り撒く鋼鉄の塊
アタッシュケースの中で規則的にズラリと並べられた多種多様な銃器は蛍光灯の明かりを反射してまがまがしい鈍い光を放っていた
標準的なハンドガン、カービン銃、サブマシンガン、手溜弾
名前を挙げるならばイングラム、M4A1、グロック、コルトガバメント、エトセトラ、エトセトラ……
さながら他国のガンショップさながらの大量の火器が二つのケース内にぎっしり詰まっている
比較的銃の規制が緩いアメリカ合衆国のガンショップでもここまでの品揃えはないだろう
それこそこの量の銃器携帯は個人が猟銃一本所持するのが精一杯の日本では認められていない
その狩猟用猟銃ですら申請をした上で大量の書類にサインする必要があるのにここにある銃器の数は明らかに異常過ぎた
これは言うまでもなく非合法
発覚したならば十中八九マスターは警察に任意同行をされるだろう
では、其処までの銃器を収集して、彼は何をするつもりなのだろうか?
確かにこれだけの火器があるならばハイジャック、銀行強盗、テレビ局占拠などといった一連の犯罪行為も苦もなく実行出来る
だが、彼はそのような利己的かつ愚かななテロリズムを実行するために武器を用意したのではなかった
それは人ならざる怪物と相対するための準備
(これだけの装備
確かに人ならば充分過ぎる量だ
しかし、人の枠を超えた怪物共を相手取るとなるとどこまで通用するかだが)
不意に昔の記憶が蘇る
異形と化したとは言え、子供を撃ったあの時の事が鮮明に
マスターは自嘲する
人間の大人は躊躇いなく殺してきたくせに化け物一匹殺すのに今更罪悪感を覚えるのか
都合の良すぎる解釈を推奨してくる良心に吐き気を覚える
しかし、どうしても銃弾を打ち込んだ子供の顔と空の顔がダブってしまう
あんな事が二度とあってはならない
だから行動を起こすべきだ
マスターは独り密かに決意した
過ちを繰り返さない為に