今後の方針を決めよう
この世界に来て初めて口にする料理は、おれの世界によく似た味がした。おそらく味覚に対する感じ方がおれの世界、ひいては日本と似ているせいだろう。材料こそファンタジー溢れるものだったけど、それさえ目をつむれば美味しいものになっていた。
食材なんて聞かないとわからないし、今後は聞かないようにしたい。普通に考えたらモンスターがいるんだから食べない道理はないよなぁ。
「いかがでございましょう? お口に合えば幸いなのですが」
「うん、美味しいよヴァル」
表情筋がわずかに緩み、オオカミがほっと息を吐く。普段微動だにしない尻尾が一回だけ揺れたのを見るに、相当嬉しかったみたい。
ハンテルはうまいうまいと言いながら遠慮なく食べ、ホリークは黙々と平らげている。
……レートビィとブレズは食器すら手に持たず、沈鬱とした表情のまま料理を凝視しているだけ。そこまで気にやまなくていいと何度も言ったけど、真面目な二人は自分を責めたてているようだ。
「う、うぅ……なんたる不覚。もはや切腹すらいとわぬほど情けない結果に、このブレグリズ、いかなる罰をも受ける所存……」
う、うん、食卓を囲んでる時にそんな声出さないでほしいかな。鎧を脱いで部屋着に着替えたブレズは艶やかな鱗を輝かせながらも、悲壮に満ちた声でその風格を破り捨てていく。鎧に見合う逞しい体も、悲哀に飲まれて小さく見えてしまう。
しょうがないことだろう。結局気絶させることもなく、殺すこともなく、最低限の証拠品だけもって逃げてきたのは。
おれは殺してもいいと許可を出したのに、この騎士はそれをしなかったんだ。
「命令違反……になっちゃうよねえ……」
レートビィも大きなため息を一つ。もはや何か罰を与えたほうが踏ん切りがつくのではないかと思うほど、この二人はさっきから暗い。兎の耳はペタンとへ垂れ、叱られるのを待つ子供のようだ。
なんでそんなことをしたのか。それは聞いたし理解した。そこに分があるのなら、おれはそれをとがめることなんてしない。
「ブレグリズ」
そんな意思を代弁するかのようにヴァルが言う。毅然とした声は、広いホールを明瞭とした響きで満たす。
気が付くと、虎と鷲も食事の手を止め、ヴァルの宣告を真面目な顔で聞いていた。
「お前のしたことは命令違反かもしれないが、我らが主のためと心得ている。現場の判断はお前らに一任されており、お前らがその行動こそを主の利になると踏んだのならそれを誇って帰還せよ。結果としてお前らは許された。故に、すべきことはそれに謝意を表すことであり、反省点を引きずることではないはずだ。違うか?」
「その通りだヴァルデック。しかし、私は主の剣であり盾である。意にそぐわぬ武具などになんの価値がある。私は、お前が思っている以上に自我を認めていないのだよ」
命令に忠実であり、つねに忠義を向ける。これがブレズの考える騎士というやつなのか。
だが――
「それはおれが認めない」
自分が思った以上に凛とした声が喉を震わせ、呼応するようにブレズの肩がびくりと震えた。女性の声は前よりずっと響きが良く、高らかにしみわたっていく。
「ブレグリズ。おれは個人としてのお前を求めている。一個ではない、一人だ。お前が考えて行動したというのなら、それを叱る必要がどこにある。おれのためにありがとう。だから、しっかりと自分をねぎらってくれ」
「ありがたい……お言葉、しかと受け止めました」
せっかくNPCからPCになったのに、思考を排除しようなんてやめてほしい。感極まって目がうるんでいるこのドラゴンに、それが少しでも理解されればいい。
おれが言ったことを必死に噛み砕く竜をしり目に、食事の時間が再開された。虎も鷲も、先ほどの雰囲気が嘘のように通常通りの表情で食器を鳴らす。オンとオフの切り替え激しすぎだろ。
「ありがとう姫様。僕もうおなかペコペコだし、遠慮なく食べちゃうね」
やはり子供は立ち直りが早い。赤くなった目でにこりと笑ったレートビィはさっさと食事を口に運ぶ。そもそもブレズより責任感を感じていない、というか、ブレズが感じすぎなだけなので、おれの許可を待ってましたとばかりに手を動かしてく。
「んじゃあ姫様。明日には僕らの持ってきたボス格のミンチをだして依頼終了だよ。お金も入るし、一緒に遊びに行こうよ」
「いいねいいね。おれもこの町を観光しとかないとなって思ってたんだ。一緒にいい店探そうぜ」
虎と兎はやかましいくらいの盛り上がりを見せ、明日へ思いをはせていく。何か言いたことがあるのだろう、ヴァルがそれに眉をひそめてしまった。
「ハンテル。お前、あの盗賊アジトに行って戦利品を漁ろうという考えはないのか。ただでさえブレズの取り分はあのごみどもに横取りされてしまったんだぞ」
「でもさ、ブレズのところにそいつらが行ったのなら、実際無傷ってことだろ? ならそのままおれらが潰した方にいく可能性もあるじゃん。だからいかない方がいいと思うぞ」
「本音は?」
「かなりめんどくさい。行くならヴァルが行ってくれ」
「どうやら貴様の料理に毒を盛る時が来たようだな」
「はっはぁ、防御特化で状態異常耐性最大を誇るおれにそんなものが効くかな?」
「この包丁にまんべんなく毒を塗り、減らず口が飛び出すその喉を掻っ切れば少しは効果があるだろうな」
どこからともなく包丁を散りだしたヴァルと、どこからともなく盾を浮かばせたハンテル。なんだかんだでこいつらも仲がいいなあ。
「ううううぅ、申し訳ない。私が主の命令を無視したばっかりに。ならば私が行こう。いや、ぜひ私を行かせてくれ。馬車馬のようにこき使い、私の愚かさをこの体に刻み込んでくれ」
だからそのことについてはもういいって言ってんだろうが。そろそろ怒るぞ。
大体、もしおれの命令を実行し、なおかつ手加減に失敗した場合、ブレズの言うとおりめんどくさいことが起きる確率が高かったんだ。
机につっぷして懊悩するでかぶつを横目に、おれは食後の紅茶を流し込む。そして、ブレズの言い分からこの世界のことについて考えをめぐらせていく。
この世界では、上級魔法を使える人材は宝石以上に価値がある貴重なものだ。だからこそ、もし殺してしまったらおれが蘇生しに行くと聞いて、ブレズは撤退を決意した。おれの命令そのものが、ブレズに危機感を抱かせるものだったのだ。
対象を蘇生する魔法、『神への一歩』は天級魔法だ。蘇生だけならもっとランクの低い魔法があるのだが、一定の確率で失敗するし体力もあまり回復しないのでおれはあまり使わない。まあ、蘇生系は最低ランクで上級だし、使える人自体が少ないだろう。
そして、おれが蘇生するといえば当然『神への一歩』一択。他の魔法を使うなんて考えもしなかった。
考えてみてほしい。上級魔法ですら崇拝される世界で、天級魔法を使う人がいたらどうなるか。それも蘇生魔法というだれもが喉から手が出るほど欲しがるであろう魔法を。
きっとおれを取り合って戦争が起きるな。わりかしまじで。あとでヤクモに確認したら、天級魔法なんておとぎ話の中でしか語られてないそうだ。すげえおれらって神話の存在じゃん、帰りたい。それに、蘇生魔法を使えるのは世界中でも片手で数えられるくらいしかいないんだってさ。上級でごまかしてもいろんなところから目を付けられるのは確実じゃねえか。どうやら儀式による蘇生魔法は聖教とよばれる宗教が独占しているらしく、多額の金が必要とのこと。それでも使える人が少ないことから、めったに行われるものではないようだ。
おれを出すわけにはいかない。だから、ブレズは戦闘を放棄した。
責められるわけがないよなあ。ここまで考えておれらに害が及ばないようにしてくれた騎士に対し、罰とか与える道理がねえよ。
それを全員がわかっているからこそ、誰も彼を責めないんだ。……自分で自分を責めまくりだけど。
魔法を使う時は絶対にばれない環境で。でなければ、どうなるかわからない。
力を持ちすぎたせいで不幸な目に遭うなんて、昨今の漫画とかでめちゃくちゃよく見るしな。やっぱりラノベは人生のバイブル。
未だ喧々ごうごうとじゃれ合っている虎と狼を眺めながら、空になったカップを置く。
今後の方針としては、ばれずに暗躍し、そして元の世界に帰る。面倒事は少ない方がいいのは当然。あまり派手な魔法を使うのは控えよう。
「さて」
夕食がひと段落し心地よい満腹感に浸っていたころ、もういいだろうとおれは話を切り出した。ヴァルは話し合いの気配を察知して全員の前にいれたての紅茶を置き、それを確認しておれの後ろに戻っていく。
湯気がくゆり芳香を漂わせる中、これからのことを話し合おう。
弛緩していた空気が一気に張りつめ、全員が引き締まった面持ちで耳をそばだてた。平時は個性豊かな面々も、ひとたび口を閉じれば精悍な獣の顔だ。その威圧感を一身に受けて喋らなきゃいけないことに胃が痛くなるが、言わないといけないことだからしょうがない。
おれとしては誰かが仕切ってくれないかなと期待したのだけど、ヴァルから「今後の方針をどうぞ」などと言われてしまっては退路をふさがれたも同義だろう。みんなおれが先達だと思っているし、口を開かないと何度でも同じ選択肢を繰り返すRPGのような状況だ。
無限ループって嫌だよね!
「えと、その、まずは、全員お疲れ様。初めての依頼ということもあって、慣れない人もいたはずなのに、すごいなと、思いました」
おれは校長先生かなにかか。なんでこんな堅苦しい前口上から始めてるんだ。それにどもりすぎて普段の倍きもい。コミュ障おたくは人前で話すことに慣れていないんだよ!
立場が人を作るとはよく言うが、なるほど、この雰囲気の中で普段通りにはしゃべれないな。自然と背筋が伸びてしまう。頼むからみんなもっと楽にしてほしい。
「上位依頼のAランクがどんなものかと危惧していたけど、そこまで大したことが無い、よな。これでゴウランに報告すれば、この町での信頼も稼げるし、だいぶ過ごしやすくなるはずだ」
頼むだれかつっこんでくれ。お前は何もしてねえだろってつっこんで雰囲気を和らげてくれ。頼む。
「えっと……あとは、誰か、何かないか? 感想とか」
「では、せん越ながらこのブレグリズが。この世界の冒険者、盗賊と相手取った感想を言わせていただきますと、恐れるに足らないというのが正直なところです。あの程度の戦力では、我らの足元にも及ばないでしょう」
なんでお前あの落ち込みからもう復帰してるの。きちんとTPOをわきまえられるのはすごいなと、頭の片隅で感心する。
ブレズの意見に全員が同じであったようで、これ以上の意見が出ることはない。
ならば、次。もっとも大事なことに移るとしよう。……誰かおれの代わりに口を開いてくれないかなあ。
「なら、当面はギルド所属の冒険者として暮らすことにしたいんだけど、いいかな。右も左もわからないし、現状を把握するためにも拠点として使い、資金を蓄えられたらって……ほら、この町って治癒術師もいないみたいだしさ」
「私どもに異論はございません、主」
間髪入れずにヴァルが言ってくれるのはいいけどさ、なんでもう総意がまとまってるんだ。お前の意見は全員の意見でいいのか、と思い考えるふりをして周りを窺ってみたけどこれといった反応はない。意思の疎通能力半端ない。
もう無理。顔色をうかがいながらつたない言葉で王様気取るの本当無理。吐きそう。
ゲームだとチャット越しに指示を飛ばすのだってなれたものなのに、どうして対面に変わった途端、こんなにきょどるんですかねえおれ!
「あと、気になっているのは。ここにいるのはお前たちだけなのかって」
おれが作り上げた数多くいるNPCの内、追従しているのがたったの五人。もういないかもしれないが、いたとしたらぜがひにでも合流したい。心血注いで作り上げたおれの子たちがこんな世界をさまよっているというのなら、保護するのが作り手としての義務だ。
生きるということは戦闘スキルだけでは立ち行かないことだ。仮に鍛冶スキルを極めたトンカチや、道具制作に特化したキュラバなどがいればもっと楽になる。そういう意味でも、合流は急ぎたい。
「なので、今後の方針としてまとめると、ここを拠点にして、いろいろ調べようってことでいいかな?」
「……一つだけ、よろしいでしょうか?」
似合わないくらいかしこまった口調で切り出したのはホリークだ。普段の気だるそうな顔はどこにもなく、毅然とした魔法使いがそこにいる。
「世界を調べることに異論はありません。我々はあまりにも無知であり、羽ばたきを覚えたひな鳥のように、寄る辺無くさまよっている状況です。しかし、広い世界には天敵がおり、また、餌をとるために雛といえど戦わなければならないのは世の常でございます」
んん、なんだお前のその口調。唐突にキャラ変わってない?
「姫様にお願いしたいのは、他でもありません、戦闘の許可をいただきたいのです。先のブレグリズの件でつまびらかにされたように、この世界は我らにとって生きづらい世界に他なりませぬ。もし、戦闘になった際、相手を滅するかどうかを我々の判断で行ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、そんなこと……ごほん、それは先ほどのブレグリズに言った通りだ。衝突した場合、それはやむを得ないこと。確かにおれはあまり誰かを殺したくはないけど、しょうがないよなあ、危ないと思ったら、遠慮せずにやっていい。どうせここはそういう世界だろうし」
「かしこまりました。私からは以上でございます」
別におれの許可なんていらないと思うんだけどね。大事なのは自分の命だ。それが危険にさらされても、おれの命令を守るなんてやめてほしい。
おれも、決断すべきなんだろう。世界の違いを。命の重みの違いを。
他に意見があるやつもいないので、当面の目標はこれで決まった。世界のことを知り、仲間を探す。
本当のことを言うならば、元の世界に帰る方法や、男になる方法も探したかったんだけど、それは完全におれ自身の問題なのでこいつらに頼むのがちょっと気後れしてしまう。めぼしいものが見つかったらそれとなく探りに行こう。
ややあってようやく雰囲気がたわみ、おれは一息つくことができた。レートビィが気張りすぎた反動か、机の上に頭をへなへなと乗せるのが目に入った。気持ちはわかる。
はぁー、どっと疲れた。慣れてないんだよこういうの。もっと和気あいあいとやりたい。
「やっぱ姫様は違うなー。さっきはもう凛とした気迫に満ちてて、思わず見入っちまった」
お前の目は節穴かハンテル。どう見ても緊張で潰れかけてるコミュ障そのものだっただろうが。雰囲気が許すならだらだらと進めたかったんだよ本当は。
「さすがは我らが主。私、どこまでもお供いたします」
後ろでヴァルがめちゃくちゃ頷いてる。だからお前らの目は節穴か。
あーこれからずっとこんな感じで付き合ってかなきゃいけないのか。なんでこいつらこんなおれを敬ってんだろ。やっぱ美少女だからか。それはしょうがないな。
「敬うもなにも、おれらは姫様に作られた駒だからな。作り主にかしずくのはとうぜんだろうが」
さも当然のように言いながらお茶をすするホリークだが、おれにとってそれは爆弾発言でしかないぞ。
え、なに、こいつら全員おれによって作られたNPCだって自覚あったの。
あまりにおれが驚きすくんでいたせいで、全員が疑問符を浮かべて首をかしげていく。自分が作られたものであると受け入れ、おれを敬う。んん、つまり、おれはこいつらに親だと思われてるってところなのか。
「親、というよりかは創造主といったほうが近いかと思います。我らは姫様によって作られ、姫様はこの世界に顕現なされた。その姫様に仕えるのは至極まっとうなことかと存じております」
あーなるほどなるほど。そりゃ敬いますわ、かしずきますわ。
もともと決めた性格設定に加え、出自を受け入れてるなら自然なことか。だとすると、余計におれは情けない真似をできないんだろうなあ。胃が荒れそう。
まあ、目標にめどは立ったんだ、これからのんびり行動すればいいだろ。他の奴らもこんな感じでおれのことを崇拝してそうだなあ。
気が付くと口内がカラカラになっていて、緊張から解放された本能が喉の渇きを訴えていた。目の前の紅茶を手に取り、一気にあおる。口に付けた紅茶は冷め切っていたが、なんだか希望の味がする気がした。