(番外編)後日談:ノレイムリア
「なんだかすごいことになっちゃったねー」
のんびりした声が青空に消えていく。窓枠に座って空を見ていたハウゼンは部屋に視線を戻して問いかける形をとった。
その部屋は本に埋もれていた。いたるところに本が散らばっており、棚に入らない本が床を埋め尽くしている。掃除など全くされていないようで、こうしてハウゼンが換気をしなければならないほど。
これが近衛兵団隊長室とは、言われても理解できないだろう。そして、部屋の主が可憐な乙女だということも。
「想定の範囲外だな。ボクの思っていたシナリオではない」
「君が描いたシナリオって当たったためしがないじゃん」
透き通る声は自分の思い通りにいかなかったことに対して不機嫌になったと言わんばかりの響きを持っていて、利己的な彼女の性格を思わせる。ハウゼンがちゃかして返すとむっとした視線が遠慮なく突き刺さった。切るのがめんどくさいからと伸ばしている髪の毛はつややかに黒く、紫色の瞳が底深い知性を醸し出している。
ノレイムリア近衛兵団団長、ガングリラ=オトファス。名前を聞けばだれもが男性と信じる名前を持つ彼女は、その実麗しの乙女であった。漆黒の髪を翻し、戦場を駆ける乙女。彼女こそこの国で最も武勇に優れた誉れ高い武人なのだ。
長すぎる黒髪に、黒を基調としたワンピースのような衣装、本好きの性として眼鏡をかけた彼女は一見してとてもかわいらしい。
しかし、性格はわがままにして怠惰。自分の仕事を減らすためなら部下をしごき倒す。だけどどこか抜けている。
そんな彼女はノレイムリアの属国騒動がようやくひと段落ついて、こうして読書に明け暮れる日々を勝ち取った。ようやく帰ってきたハウゼンにすべての雑務を押し付け、ただひたすら本を読みふける。おかげで城の一部ではハウゼンこそ隊長だと思われているしまつ。
もっとも、そんなことを気にする彼女ではないので、ハウゼンは好き勝手に仕切らせてもらっている。ネーストから帰ってきた兵たちを組み込んで、新たな編成を整えるのに忙しいのだ。
「超天級モンスター、『焔天覇竜ブレイグヴォルガリズ』。太陽としての地位争いに負けた竜族の王。地底深くに幽閉されている話だったが、戻ってきたのか」
ガングリラはつややかな唇を動かして脳内から知識を引っ張り出していく。確かあの覇竜は、太陽神との争いに負け太陽としての権限を奪われたはず。翼をもがれて地底に落とされ、二度と日の目をあびることはないと記されていた。
だが、あの竜が現れたとき空が赤く染まったのは事実。それすなわち、権限の復刻を意味しているのだろうか。
「しかし、なんでそんな竜があの姫君に固執する。契約によって力を与える必要がある」
あの竜が一言声を上げれば、世界中の竜が首を垂れるだろう。わざわざただの人に力を与えてまで庇護を与える理由がわからない。
「なんでだろうねー。あの姫様すごくかわいいから、あの竜が惚れちゃってたりして」
「うむ、それはとてもロマンチックでいいな。それなら夢もある」
「提案した本人がいうのもなんだけど、それだったら僕はやけを起こすよ。世界を巻き込んだ恋愛ごっこなんていい迷惑だ」
「何を言う。壮大なラブロマンスは乙女のたしなみだぞ。お前にはロマンスが足りんな」
「仕事人間にロマンスを求めるのは間違ってるよ。それに僕は乙女じゃないしね」
ハウゼンは床に落ちていた本を拾い上げ、きれいに整頓していく。少し目を離すとすぐこれだ。彼女はハウゼンが見ていないと部屋をごみ溜めにしてしまうのだ。
黒髪の乙女は聡明で、物事を見通す目をきちんと持っている。凡夫な国王に進言することも多く、信頼は厚い。唯一の欠点があるとするならば、普段は引きこもりなので後手に回りやすいということか。それを踏まえて行動したアーフィムに対して、行動を封殺されたのがいい例だ。もっとも、彼女はそれに対し何も関心がなかったのだが。
彼女からすれば、あんな策ともいえない策は失敗して当然だと思っていた。属国になどなっても、難癖をつけて国力を奪われ吸収される未来しか見えない。アーフィムのカリスマでごまかしていたが、未来は真っ暗だ。誰かが阻止しようと動いたところで、なにも不思議じゃない。
だが、その任が自分に回ってこなかったことだけは、彼女に理解できないところ。国王に命令されれば、命と引き換えにでもあの王子の首を取ってきたというのに。危機感はあるが行動が伴わない、だからあれは凡夫だとガングリラは鼻で笑う。
「あの凡夫がこれからどう動くのか、楽しみだな」
「だから国王を凡夫っていうのいい加減やめようよ。そろそろ不敬罪で罰せられるよ」
「そんな度胸などないから凡夫なのだよ。息子のほうがまだ見どころがある」
歯にもの着せぬ物言いが、宮廷内で不興を買っているのは百も承知。それでも彼女はそう言い続けるのだ。それが事実なのだから。
そもそも、近衛兵団の団長を本の虫にさせておくこと自体無能のあかしなのだ。仕事をしろという命令に対し難癖をつけて断り続けた彼女に対し、有効な手を打つことができない。あんな凡夫あくび一つで論破できる。それが彼女の評価だ。
『書物を食らう獅子』の異名を持つ彼女は、めんどくさそうにあくびを一つ。普段はぐーたらしている蔑称としての獅子を冠していながらも、それを改めるつもりなどない。
「町はどうなっている、ハウゼン。大方ネーストに対していい印象を持ってはいないだろうが、一応聞いておいてやる」
「君の言う通りだね。みんなあの町――もう国か、あの国を警戒してる」
「ふん、そりゃそうだろうとも。馬鹿がようやく自分らのした馬鹿に気づいたのか。遅すぎるけどな、これだから馬鹿は」
吐き捨てるように言葉を放り投げ、読み終えた本もついでに投げる。ハウゼンがきれいに受け取った本は、このまま城の図書館に寄贈されるだろう。
「何が獣人差別だ。その結果があのネーストではないか。警戒などおこがましい。あいつらはただおびえているだけだよ。迫害したネーストが圧倒的武力を持ったことで、自分らに復讐されるのではないかとね」
事実なのでハウゼンは何も言わない。ただもくもくと掃除を続けている。
「だから、差別など改めるようにとあの凡夫にボクが何度進言した。このボクがだぞ。一回でも奇跡なのに二度も三度も言わせおって。あーもう知らんとも。それで属国だなんだのと言われても知るものか。馬鹿に国は背負えないのだから、とっとと滅べ」
「まあまあ落ち着いて。なんとかうまくまとまったのだから、よかったじゃないか」
「よくないだろうが。その結果が上部の土地の損失だぞ。もっとうまく交渉しろ、あの凡夫。『知識は努力したものにこそやってくる』という格言を知らんのか」
「君、歴史ある格言に適当な意味突っ込むのやめようよ。教育機関とかに怒られるでしょ」
ハウゼンが本をどかし続け、ようやく床が見えてきた。属国騒ぎの間中ずっと、不機嫌をこじらせた彼女はこの部屋に引きこもっていたせいで、見たこともないくらいに部屋が汚れてしまっている。廊下には、本の塔がすでに何本も出来上がっている。
そこで、ふと気づいたハウゼンが問いかける。それは、ずっと猜疑として胸にくすぶり続けたもので、今まで聞く機会がなかったものだ。
「あとさ君、ヨルドシュテインとビストマルトのたくらみに気づいてたでしょ」
「当然だろうが。そもそも差別騒動の発端からしてこの王宮なのだから気づかぬわけない。もともとヨルドシュテインとつながっている阿呆どもには目をつけていたんだ。おかげで行動は筒抜けだったよ」
「もーーそれなら早く言ってよ。無駄な心労を重ねちゃったじゃないか」
「言うわけないだろう。ボクはそもそもアーフィムについてたのだから」
「まあ、だよねえ。さすがにそれは気づいてたよ」
「進言が無下にされた時点で、ボクはあの凡夫を見限っていたよ。まあ、首の皮一枚といったところか。ボクにアーフィムを討てと命じていたのなら、少しは見直していたのだがねえ」
さらりと言っているが、これは重大な裏切り行為なのではないだろうか。ハウゼンは掃除の手を止めてガングリラを見つめた。
すんだ紫色の瞳が意地悪く弧を描き、たなびく黒髪がさらりと流れていく。彼女がこうしているということは、すでに何らかの手は打ってあるということだろう。
「あの凡夫に密告するかいハウゼン」
「いやーしないね。どうも味方のふりをしてアーフィムを討ちやすい位置取りをしただけって感じだし」
討てという命令を待っていたということはそういうことなのだろう。もし言われなければ、このままアーフィムについていけばいいだけ。世渡り上手だとハウゼンは肩をすくめた。それができていれば、彼は無断でネーストまで進軍していなかったのに。
「これでも凡夫にはそれとなく情報を流していたのだけどね。まあ、それを活かせないからこその凡夫か。『賢王とは愚者である』」
「……ああ、それでいつもより怒ってたのね君」
だから不機嫌を加速させているというわけか。せっかく密偵のようなまねごとを率先してやったというのに、活かしてくれなかったから。
そうなると、彼女は国王を試していたのだろう。自分が裏切っていることに気づくか、そして、自分をうまく使うことができるか。
結果はこの激怒を見れば明らかで、ネーストが独立しなかったら彼女はあっさりとこの国を見限っていただろう。彼女が求めているのは安寧なので、泥船に乗るような忠誠心などがあるわけもない。
それに、とハウゼンは思い出した。アーフィムが討たれたときから、やたら彼女が動いていたことに。
それも告発させるまえにしてしまおうという魂胆だったのだろう。今となってはアーフィムに肩入れしたものに居場所はなく、彼女の過去をとやかく言う証拠もなくなった。これで彼女を告発することはできなくなった。
アーフィムに肩入れしていた連中の大半は黒狼によって消されている。どうあがいても、彼女を貶めるのは不可能だ。
「お前がネーストにいてくれてよかったよハウゼン。さすがのボクもお前をまくのは一苦労だったし」
「だからそんなに仕事が早かったんだね。ネースト周辺で結果を聞いたときは、ようやくガングリラが仕事した、と感動してたんだけど。ただの自己保身だったかー」
「じゃなけりゃするわけなかろう。あの凡夫には一度くらい痛い目を見てもらわないと困る」
まあ、ハウゼンからしたらガングリラに忠誠心がないことは自明なので、とやかく言うことはない。彼女は求められればきちんと仕事をするし、それだけで十分。彼女にない愛国心などは自分が受け持っていると考えており、それでバランスをとっているつもりだ。
これで本は片付いた。本さえ整えれば物がない部屋なので、あとは掃いて終わり。ハウゼンは楽しそうに笑う。こうして彼女の部屋を掃除していると、平和を実感できるのだ。
「さて、ここからは仕事するのかいガングリラ。ネーストの騒ぎでほかの国は騒然としているけれど」
「どうだろうなあ。聞いた話では、あの姫君は王に向いていないだろうし、遅かれ早かれ自滅するだろう。凡夫のいいところは感情が鈍いところだが、彼女はそこが弱い。いくら聡明でも、いや、聡明だからこそ見えてしまうものに耐えられない」
ハウゼンもそれには賛成だ。あんな細い肩に乗せていい重みではない。
「まあ、そこは他の連中が補佐するだろうがな。見たところ、なかなかえげつないことをする連中のようだし」
「ああ、あの暗殺ね。さすがに驚いたよ」
彼らが言っているのはアーフィム暗殺事件のこと。アーフィムだけでなく主要な武官を根絶やしにしたその思惑を、彼らはきれいにくみ取っている。
「くっくっく、あの凡夫より見どころがあるのは間違いないな。おかげでこちらはネーストに頼らざるを得なくなった」
そう、ヴァルはただ邪魔だったから殺したわけではない。ノレイムリアの兵力を合意の上でそぐことによって、ネーストに頼らざるを得ない状況を作り出した。これにより、あてにならない連合より、手を貸してくれるネーストという優先順位が活きてくる。あのオオカミはそこまで考えて、周囲一帯を根絶やしにしたのだ。
喉でひとしきり笑ったガングリラは一転、めんどくさそうに椅子の上で脱力した。根性が引きこもりな彼女にとって、仕事という現実はできれば見たくないものであった。
「はあ、仕事か……どうしたものか」
「いや、しようよ。僕もこれからみんなの訓練があるんだからさ」
「いやだなあ。仕事したくないなあ」
「うわ、引きこもり生活ですっかり精神が堕落してる」
課題が山積みなのは理解している。反人外を掲げながら異人の国と同盟を組んだことで、不満が噴出し始めているのだ。その根源に恐怖があるのは理解しているが、国民にも精神の入れ替えを図ってもらわないと困る。すっかり毒された国民を、どのように導いていくか。それが大きすぎる課題だ。
「そういえば、国王が君に大臣をやってほしいって……」
「絶対断る」
「わかってたけど早いね。まあ、この申し出も何度目だって感じだけど」
「今ので十二回目だな。あんな過労死前提の職に誰がつくか。今の生活が最高すぎて変える気はないぞ」
「君が大臣だったら、今回の騒動も起こらなかったんだけどなあ」
一番の武力を持ちながら、頭脳も明晰。人材不足ではネーストといい勝負だと、ハウゼンはため息をついた。
それに、先の内乱で人材が枯渇しすぎている。ガングリラをこんなところで遊ばせておくのは実にもったいない。
なので、今回ばかりはハウゼンも本気だ。
「というわけで、はいこれ」
「……何かの書類に見えるのだが、一応聞いておこう。なんだこれは?」
「命令書。国王陛下が君を正式に大臣に任命するよって」
「あの凡夫がまさか! ハウゼン、貴様図ったな!」
「僕はただハイフィス様にお願いしただけだよー」
にへらとハウゼンが笑い、よけいに彼女の気を逆なでする。
そこでようやくガングリラは気づいたようだ。ハウゼンが片づけていたのは床の本だけではなく、本棚の本もすべてだということに。
「おい待てハウゼン。お前、その本をどうするつもりだ」
「あるべきところに届けるんだよ。君の部屋は、これから執務室だからね」
「……ちなみに聞くが、この部屋はどうなる」
「もちろん僕が使う」
後手に回りやすい彼女は眼をまん丸く見開いて驚愕をあらわにしている。ハウゼンはいつも通りの細目をのんびりと緩ませてにこやかに笑んでいた。
怒髪天もここに極まれり。ガングリラの長髪がわなわなと逆立っていく。
「貴様あああぁ! 下剋上だ! これは謀反か!」
「謀反じゃなくて正式な異動だよ。明日から頑張ってね」
「いやだ! あんな過労死する職場! 働きたくない! もう辞職する!」
「うんうん、いまお城はてんてこ舞いだからね。たくさんの書類が君を待ってるよ。よかったね、好きでしょ、読書」
「殺す! 絶対お前を殺すー!」
「はいはい、文句言わないの。ラップス、彼女を持って行って」
「かしこまりました」
どこからともなく表れた少女がガングリラを椅子ごとごろごろと押して消えていく。廊下にはガングリラの怨嗟の声が響きわたっており、呪われそうだなとハウゼンは内心ヒヤッとしている。
補佐として、近衛兵から何人か送ったほうがよさそうだ。初見に彼女を扱えるとは思えないし、慣れた人材が必要だろう。もちろん仕事をしているかの見張りもかねて。
一人になったハウゼンは静かになった部屋で物思いにふける。
ネーストにいる超天級モンスター、あの竜がなぜ彼女に力を与えたのか。ひょっとして、自分が知らない裏があるのではないか。それ次第では、まだまだ混乱は収まらないだろう。ひょっとすると、世界中を巻き込むことになるかもしれない。
「それだったら、まだロマンスあふれるほうがよかったんだけどねえ」
恐らくそうではないだろうことは何となく感じている。勘としか言えない違和感がぬぐいきれず、ハウゼンはどうにもしまりが悪い。
おそらく、今回の戦争はただの序章なのではないか。そう感じずにはいられない。
「僕ももっとしっかりしなくちゃな」
少なくとも、今より強くならなければならない。これからもっと訓練に熱を入れよう。きちんと役目を果たせるように。
不真面目に見えて誰よりも真面目な男、ハウゼン=ミューレット。彼は自分にできることを見据え、確実な一歩を踏み出した。
余談だが、近衛の訓練は結局、部屋掃除に費やされた。ガングリラの私物というかゴミが多すぎて彼一人の手に余ったのだ。
一歩目から困難かあ。と彼のボヤキは近衛兵全員と共有されることになる。