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美女?と野獣の異世界建国戦記  作者: とりあえず
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(番外編)後日談:ビストマルト

 ビストマルトの将軍は全部で十五人とされている。上位軍とされている将軍が五人、それぞれが二人の将軍を監督し、三人が組として扱われることも多い。

 ネーストとの戦争が終わりあわただしくなる宮中とは無縁の庭園で、幼い声が響いた。


「このくそ馬鹿! 危なくなったら撤退しろって、僕あれほど口を酸っぱくして言ったよね! お情けで蘇生させてもらったからよかったものの、勝てないと分かった時点で降参か撤退でしょうが! 天級モンスター三体が出てきた時点で、退路の確保ぐらいしとけ!」


 花が咲き誇る庭園の中心で、声を荒げているのは猫の青年だ。しかし、青年というには背丈などがいろいろ足りていないし、どう見ても子供にしか見えない。それでも彼はれっきとしたビストマルト上位軍の一人。

 ビストマルト第3軍将軍シルク=スピネリタスが自分より大きな将軍相手に叱責をしているところだった。


 そんな彼に怒られているのは正座で並んでいるサイと熊とトカゲ、先の戦争に出ていた三人は体も本調子となったところでシルクに呼ばれここにいたる。報告会をしよう、などと言われてやってきて開口一番に叱責だ。体格差から言って大人と子供にしか見えないが、立場はシルクの方が上。逃げるなんて到底許されず、彼らは目の前のシルクから叱責されるしかない。


「君らあとでお尻ぺんぺんだからね! オルワルトはどうせネーストにいるとかいう実力者と戦いたかったんでしょ。戦闘狂もいいけど、戦況は見てってそれも何度も言ってるよね」


 シルクは手に持った短い鞭をヒュンヒュンうならせて牙をむいている。この猫は自他ともに認める加虐趣味の持ち主で、何かあるとこうやって鞭で尻を打つ。キャスケットが似合うかわいい少年ではあるのだが、ビストマルトで五本の指に入るほどの実力者だ。

 そんな彼の鞭打ちとはどれほどのものなのか。シルクの叱責を初めて経験するヒベクリフだが、どうせすぐ回復するし、と思い諦めの境地で聞いている。


「ほんっとにもう! 生きて帰ってきたからよかったものの、普通に考えたら全滅だったんだからね。君らに何かあったら、監督者として僕の評価も下がるの。いい?」

「申し訳ありませんでした、スピネリタス。以後気を付けます」

「心がこもってない! あと、僕のことは敬愛を込めてシルク様と呼べっていつも言ってるでしょ!」


 しゃーと一喝して鞭を叩きつけるスピネリタス。きれいな音が鳴ったがオルワルトは顔色一つ変えない。岩の皮膚を持つと言われるオルワルトにダメージはないが、それも小さな猫が意図してやっているからだろう。彼が本気を出せば、肉をえぐるくらいはできるのだ。


 次にシルクはヒベクリフのほうを向き、同じように鞭で打つ。またもきれいな音が鳴り、トカゲの顔が驚きに見開かれる。


「いっでえぇ! シルクちゃん、思ったよりずっと痛いよ!」

「慣れろ。オルワルトはこれよりもっと痛くしてるんだし」

「まじで!」


 これより痛いって肉が裂けてもおかしくないはずだ。オルワルトの防御力を加味して威力を調整しているのだろう。


「ヒベクリフに言うことは特にない。捨て身の特攻ができるのは自己回復スキルを持つ自分だけという判断と、その間に兵の撤退と陣形の再形成。まあ悪くない選択だと思う」

「じゃあなんでおれは打たれたの!」

「ノリ」

「ノリかあ!」


 ほんとに人を打つのが好きな子だなと、ヒベクリフはやけくそになって尻尾を振った。でも、きちんと評価と反省点を上げてくれるだけ第5席よりは全然ましで。それにシルクが怒っているのも、自分が危険な目にあっても生きている安堵の裏返しだとうすうすわかっている。

 後輩を手ごまか何かだとしか思ってない第5席に比べたら、この叱責もなんのその。この報告会に呼ばれたことで、ヒベクリフは自分が仲間の一員に成れた気がして喜びすら感じているのだ。


 それが顔に出ていたのだろう。シルクが顔をしかめてトカゲを見ていた。


「……なんで打たれてもうれしそうなんだこいつ」

「おれにそんな趣味はないんだけどねシルクちゃん。でも、人を打っておいて喜ばれたらドン引きするってちょっとそれもどうなの?」

「僕は人を打つ趣味は合っても、打たれて喜ぶ趣味はないから」

「そういうすがすがしいところがシルクちゃんのいいところだとおれは思うよ」

「きもい」


 すっかり第三席組になじんだヒベクリフがなれなれしく口をきく。それでもシルクはたしなめることはなく、次にツキガスのほうを向いた。なんだかんだで仲は良くなっているのだろうと、シルクから威圧されながら逃避のようにツキガスは考える。


「さて、ツキガス。君には言いたいことがたくさんある」

「……はい」

「真っ先に本陣について結界を壊そうとするところまではいい。でも、だ。降参しようと思ったのにヒベクリフの死亡を聞かされて突撃した。……これはもう悪手。最悪。死にに行くようなもの。殺してくださいと言っている。そして実際死んだ」


 肩に一発鞭が来る。ツキガスは痛みに耐えながらシルクの言葉を聞いて、これ以上ないほど反省していた。


「君のその仲間思いの精神を改めろと言っているわけじゃない。それでもお前は将軍だ。自分の責務を半ば放棄した行動をとったことに対して、許されるほど甘い立場にいるわけじゃないでしょう。その結果死ぬなんて、ただの馬鹿としか言いようがない」

「おっしゃる通りです……」


 青く未熟。その言葉がツキガスに重くのしかかっており、泣き出してもおかしくないほどに落ち込んでいく。

 勝てることなどないと分かっていながら、がむしゃらに突っ込んだ。それを叱られることなど、百も承知と言っていい。


 だが、鞭を振るうことが趣味でも友人を落ち込ませるのが得意ではないシルクだ。生真面目で自分を責め立てているツキガスを前に、ぐっと言葉が詰まってしまった。


「ま、まあ、それでも生きて帰ってきたし、その最上級スキルまで獲得してきた。おかげで君の出世は結構近くなったんだから、結果オーライと言うことにしておこう」

「……ねえねえオルワルトさん、シルクちゃんってツキガスちゃんに甘くないですか?」

「あれはな、身内に弱いのだ。ツキガスのかわいい後輩属性だと効果抜群ともいえる」

「へー、やっぱり素直じゃないだけじゃないですか」

「そこ、うるさい!」


 サイとトカゲに鞭を一発ずつ食らわせて、シルクはぶぜんとした顔で口をとがらせる。


 そこで怒りつかれたのか、猫は嘆息していったん言葉を切る。それでも怒りは冷めやらないらしく、にらみつけたまま鞭をヒュンヒュンと鳴らして威嚇する。

 どうやらまだ何かシルクの気に入らないことがあったらしい。


「あーもう、むかつくなあ。あのくそホモ獅子、僕の邪魔をして。おかげでイゾラに一泡吹かせる作戦がぱあだよ」


 どうやらツキガスたちが戦争に行っている間に、ヒベクリフ移籍作戦を邪魔されていたようだ。確かにツキガスが戦争に行くときにオレナは邪魔をするとは言っていた。

 あいつならやるなとツキガスはうんざりしながらため息をついて、性格がひねくれ曲がった幼馴染を持ったことに申し訳なく思う。


「ツキガス、君のところのくそホモ何とかしてよ」

「いや、おれに言われても困るんですけど……」

「君はあのビーグロウ家に縁深い、というか、あのホモの息がかかった走狗でしょうが。なんでもいいからおねだりして時間を稼いでおいてよ」

「ちょーっと待ったシルクちゃん! おれのかわいいツキガスちゃんをあんなド外道に引き渡すのは断固反対だ! おれのかわいいツキガスちゃんが穢れる!」

「お前らおれに何させるつもりだ!」


 ツキガスは背中に寒気が走りながらも果敢につっこみを果たす。ヒベクリフが移籍できないのは残念だが、あのオレナ相手に下手に出ると絶対ろくなことにならない。ツキガスはいやというほど理解している。


 似た者同士故か、相性の悪さが露骨にわかる。ツキガスはそれを思いながら地雷を踏まないように話題転換を図った。これ以上シルクの機嫌を損ねるとまた鞭が飛んでくる。


「落ち着いてください、シルク先輩。ほら、早くみんなの生存記念会を始めましょうよ。料理、冷めちゃいますよ」

「それもそうか、あのホモのことを考えるのはもうやめだ。ほら食えお前たち。わざわざこの僕が用意したんだ、ありがたく頂戴しろ」

「いでっ! 結局ぶつのかよ!」


 だけど鞭からは逃れられなかったようで、ツキガスの太ももにきれいに入れられてしまった。高らかになる音が心地よく猫の耳に届き、それでいくらか溜飲を下げたようだ。


 報告会と称してスピネリタスが彼らを呼んだのは、彼らの生存を祝うためでもある。あの悪夢のような戦争から少しして、後処理に奔走する彼の暇を縫って開かれている。

 当初は敗走将ということで風当たりは強かったが、兵の損失が少なかったという事実と正直相手が悪かったというのもあって降格されることはなかった。もっとも、それはスピネリタスがきちんと交渉したからというのはツキガスにとって自明のことだが。


 スピネリタスご自慢の庭園には色とりどりの料理が並べられており、鼻孔をくすぐる香りが空腹を刺激する。鞭使いであるが美食家でもある彼が選んだ品々はどれも垂涎ものだろうというのは想像に難くない。この猫は飴と鞭を使い分けるのがとても上手なのだ。


 いつの間にか勝手に食べ始めていたオルワルトが今度は口を開く。あいかわらず空気に流されない自由人だなとツキガスはいつも感心させられる。真似したいとは思わないが。


「お代わりはないのかスピネリタス」

「そんな偉そうなやつに食わせるものはねえよ。あと、敬語消えてる。鞭で打てば思い出すかなあ」

「痛い。すみませんでしたスピネリタス。以後気を付けます」

「心がこもってない」


 何度も鞭で打たれ、オルワルトが料理を食べられないと抗議する。

 戦闘以外はどこか抜けている先輩を前に、ツキガスは頭を抱える。これがビストマルト軍の上層部などと誰が信じるだろうか。


 上司二人の漫才を見ながら食事を始めていたツキガスだったが、目が合ったシルクにものすごく嫌な顔をされた。何か変なことでもしていただろうかと、ツキガスは首をひねる。


「えっと……君らさ、何してるの……?」

「どうしたんですか、先輩。ものすごくどんびきした顔してますけど?」

「いや、するでしょ。むしろ僕に侮蔑されたいがためにそんなことしてる、って言われた方がまだましなレベル」


 はて、と思いツキガスは『後ろにいる』ヒベクリフと顔を見合わせた。そこで何が言いたいのか思い当たったらしく、苦笑して猫に向き直る。


「ああ、おれがヒベクリフのひざの上に乗ってることを言いたかったんですね」


 いつの間にかツキガスはヒベクリフのひざの上に乗っており、そのモフモフした毛を余すことなくもふられている最中だった。


「前まであんなに嫌がってたのに、どういう風の吹きまわし?」

「……いや、その、あの時、ヒベクリフが死んだって聞かされたときもっともふらせてやればよかったなって思ったので……今日くらいは許そうかと」

「あー……そっか。それは、わからなくもない。死んだと思ってた人に会えたのなら、僕だってそうする」


 ツキガスより長い軍人生活をしているシルクにも思うところがあったのだろう。嫌な顔が若干薄らいで、仕方ないと溜息を吐いて流してくれた。


 おかげで調子に乗ったヒベクリフが全力でもふりに来るのだが。


「あーーーーーーもっふもふーーーー! 一度死んでみるもんだなあ! こんな天国に行けるなんてさ!」

「……わからなくもないって言ったばかりで申し訳ないんだけどさ、本当に君大丈夫なの? あのトカゲの頭かち割りたくならないの? 精神死んでない?」

「すぐなれますよ。それに、オレナのほうがいやらしさでは断トツですから。あいつの手つきに比べたらうっとうしいだけで済むんでだいぶ楽です」

「君、耐性を獲得する前に、一度身の振り方を考え直した方がいいと思う」


 シルクが心底案じるような目を向けてくるので、ツキガスも苦笑して返すしかできない。言いたいことはわかるけど、次にいつ会えるかわからないし、死んでしまうかもしれない。

 それを理解してしまったので、今日くらいはとツキガスはヒベクリフを甘やかすことにしたのだ。


 もちろんその間もオルワルトは一人で皿を空にしていき、たまに気が向いたらツキガスの顎下をもふって去っていく。


(ひょっとして、おれってネコか何かみたいに扱われてないか……?)


 ビストマルト将軍の肩書を持ちながら愛玩動物みたいに扱われている事実に愕然としつつ、今日だけ、今日だけだ、と自分を納得させていく。食事とともに疑惑を胃に流し込み、早く出世したいと誓いを立てる。

 さすがにぬいぐるみも愛玩動物もうれしくないと思うだけのプライドはある。それに今の彼は恋に燃えており、かっこよくなろうと奮闘している最中なのだから。


 「さて」


 食欲旺盛な軍人三人もいては、食事などすぐになくなってしまうもの。満腹で幸せそうに眼を細める巨漢三人を見て、スピネリタスは口火を切った。


「これで僕以外がネーストの精鋭を間近で見たことになるね。それが全員生きているというのはありがたいことだけど、感想を聞かせてもらいたい。あのバケモノに関して流れている市井の噂は本当に正しいのかい」


 将軍たちから見て、彼らはどう評価されるべきか。それがスピネリタスの質問だ。


 超天級モンスターが来たということで、今やあの国は全世界から注目を浴びていると言っていい。神話に登場するモンスターの中でも最上に位置する存在であり、神と呼んで差し支えない力を誇るもの。そんなものが庇護すると公言したのだ。おいそれと手が出せるわけがない。


 今、ビストマルトだけでなく、世界中の国がかの竜を危惧している。厄介な爆弾を内包してしまったビストマルトの対応にも脚光があたり、もはやヨルドシュテインとの戦争とは言っていられない状況になってしまった。


 だが、逆に言えばこれはまたとない好機でもある。ここで手柄を立てることができたなら、一気に評価を上げることができる。


 故にスピネリタスはそれをもくろんで、実際に相対した彼らから情報を得ようという魂胆だ。この猫は抜け目ないうえに危機感に対するアンテナも強く、のらりくらりとこうして第三席を守っている。


 斜光のベールが照らす緑の庭園は風にそよぎざわめきを漏らす。そのさえずりの中で、オルワルトは少し考えをまとめて口を開く。


「あいにく、私が戦ったのは姫君の精鋭ではなく、あの町の前村長ゴウラン。しかし、そこにかの純白の姫君もいたので、力量の一端は垣間見ている」

「それで、どうだった?」

「一言でいうならば、天使――――だな」


 スパーンッと、スピネリタスの鞭がオルワルトの頬にクリーンヒットした。鞭の痕を残しながらも、オルワルトは涼しい顔。

 今真面目な話をしてるんじゃねえのかよ、とツキガスは危うくつっこみかけた。オレナの時もそうだが、彼らはなぜ真面目に話をできないのだろうか。


「そのうまいこと言ったぜみたいなどや顔が最高にむかついたから打った。あと、ちょっとは痛そうにしてくれないと燃えないんだけど」

「とても痛いです、スピネリタス」

「心がこもってない。次はトゲ付き鞭にしようか?」

「……『金剛岩健皮(こんごうがんけんぴ)』」

「さらっと防御力上げてんじゃねえよ!」


 ビシバシ鞭で打たれてもオルワルトにこたえた風はない。それを見ながら、防御力がないとここではやっていけないのではないかとツキガスとヒベクリフは首をすくめた。


 何発も入れながら息一つ切らさないスピネリタスは首をかしげて鞭をしげしげと眺める。いくらオルワルトが相手とはいえ、もうちょっと痛がってくれてもよさそうなのにと顔に書いてある。


「……まあいいや。それで、天使ってどういう意味。見た目の話だったらトゲ付き鞭で血肉えぐりとるからね」


 と、言いながらツキガスの頭に容赦なく一撃。


「いってえ! ちょっとシルク先輩、オルワルト先輩が痛がらないからってこっちをぶたないでください!」

「ああ、君はとてもいい反応をするなあ。うんうん、男の子はそうでなくっちゃ」

「天使というのは、見た目だけではなく彼女の魔法による印象もあり――」

「オルワルト先輩もおれのこと無視して話すのやめてくれま、いてえ!」

「ほら、いまオルワルトが話してるんだから、黙ってて」


 もう一度鞭でぴしゃりと打たれ、理不尽だとジト目でツキガスは黙ることにした。ビストマルトの中では有力者である彼も、ここでは一番の若輩者なのだ。


「彼女の魔法は、確実に世界有数のものだろう。死者蘇生を速やかに行い、重症で死にかけていた私を一瞬で回復させる魔法。あの魔法があれば、不死に近い軍勢を作ることも可能なはずだ」

「蘇生魔法、ねえ。話には聞いていたけど、まじなんだね」

「彼女がゴウランと組んでいたのはその魔法を活かした前衛が必要だったからだと推測できる。現に、ゴウランは先の戦争で何度も死んでいたが、そのたびに彼女から蘇生されているのを隊の者が見ている」

「……いくら蘇生できるからって何度も死にたくないけどね僕なら。ゴウランとかいうオルワルトを超える戦闘狂があの町にいたのも運がよかったってことか。普通なら、そもそも気をやられてる」


 その点についてはツキガスも同意だ。戦場という場所で精神が高揚していたからといって、何度も死ぬなんて絶対にごめんこうむる。ビストマルトの将軍であったなら耐えられるであろうが、一般兵にそれを求めるのは酷というもの。


 ツキガスの脳裏には気丈にふるまおうと無理をしている笑顔が浮かぶ。誰にも迷惑をかけないようにと無理を押し通している姿を思うと、どうにも気持ちが急いてしまう。

 自分は、彼女の敵だというのに。


「ふうん、味方を何度も何度も殺しながら使い捨てる感じのキャラなの? 僕でもさすがにひくんだけど」

「それはない、スピネリタス。お前の加虐趣味と比べるのは彼女がかわいそうだ。話によると、彼女は戦場で嘔吐していたらしく、私と相対したときも顔色は悪くて今にも倒れそうだった。おそらく精神的負担は相当だったはず。魔法は一流でも、戦争に慣れていない。私を回復して見逃したことからも明白だ」

「目の前で苦しむ人を見捨てられない偽善者タイプなら、勝手に自滅してくれそうだけどね。なーるほど」


 何か得心いったようにスピネリタスは笑い、影を強める。またろくでもないことだと全員が気づいてはいるが、鞭打ちが来るのでそれを口には出さない。


「やっぱ隙はそこだね。彼女の部下である狼と鷲は顔色一つ変えずに虐殺をしてたらしいし、他も一緒だと考えたほうがいい。だけど、その主はそんなことをできない。うーん、だとすると、それは僕の管轄外だなあ。どっちかというと、オレナの方が得意分野か」


 敵の弱点を見抜くことにかけて、ビストマルトでも屈指の性格の悪さを誇るスピネリタスだ。いろいろと話を総合して、ネーストの姫についての像を鮮明にしていく。

 あのオレナ=ビーグロウの方が得意ということは、攻め落とすには戦争ではないということ。あの超天級モンスターを見てはそれも仕方ないだろうが、ツキガスは内心いい気分ではいられない。


 なぜなら、あのオレナが本気で攻め落とすつもりなら、どんなえげつない攻撃が来るのか分かったものじゃないからだ。それをあの優しい姫君に押し付けるのは、惚れた弱みとして見逃せない。


「ポータルがあろうが飛び地があろうが関係ない。その姫君は確実に王様に向いてないし、そこが絶対の隙だ。疫病か飢饉でも起こせば、勝手に自滅してくれる」

「しかし、あの国は魔法技術によって独特な文化を築いている様子。そう簡単に起こるかどうか怪しいぞ」

「いや、何言ってんの。ネーストで起きなくてもいいんだよ。僕らのところで起きればそれでいいんだ」


 鞭をうならせて猫は笑う。底冷えする笑みに、思わず二人の背筋が伸びる。


「そうなるとねえ、向こうは大変だよ。なにせ、神話のモンスターが守護する国なんだから。きっと、その威光目当てにビストマルトから大量に人が流れ込んじゃうだろうね。はたして、あの国にそれを支える力はあるかな?」


 おそらく、あの姫君は苦しむ民を見捨てられない。しかし、受け入れれば国は崩壊する。混乱さえしてくれれば、スパイを放って内部をさらにかく乱させられる。スピネリタスはそこまで考えて、その地獄を想像して楽しそうに笑うのだ。


「もちろん、従者が断行して入国を遮断してもいいよ? まあ、そうなると怨嗟の声は止まらないだろうね。戦場で嘔吐する姫君に、それを耐える気力はあるかなあ?」

「相変わらずのドクズ野郎でなによりだ、スピネリタス。しかし、それならば確かにあの国は勝手に崩壊し、超天級モンスターといえど何もできないまま終わる。十分に現実的な未来かと言える」

「そういうこと。確かに戦力では勝てる見込みがないけれど、国としてはまだ勝機はある。まあ、僕は軍職なんでそういうことには関与しないし、そういうのはもっと適任がやればいいと思うよ。あと、今日のお尻ぺんぺんは普段の倍行くからね、オルワルト。お前は鞭が効かないからって調子に乗りすぎ」


 堂々と上司に喧嘩を売るオルワルトを尊敬のまなざしで見るツキガス。確かにスピネリタスの言った案でネーストは倒せるが、自国の民にもかなりの被害が出るのだ。それを見過ごすのは軍属としていただけない。

 それが顔に出ていたのだろう、猫はため息をついて鞭を握る。


「はぁ……なんで僕のところにこんな甘ちゃんが二人も来たのかなあ。いや、いいけどね。その心意気は崇高でありがたいものだから。嫌いじゃないし。むしろ将軍職とかいう汚濁極まってる場所でその心意気を守れるのは僕が保護してるからだと感謝するがいい!」

「ははー」

「ははー」

「……ははー」


 とりあえず頭を下げるサイと熊、そして遅れて便乗するヒベクリフ。しかし、彼らの待遇といい、この猫が貢献しているのは確実なのだ。加虐趣味で性格がねじくれ曲がっていても、仲間想いであるのは間違いない。


 仕切り直しにとカップケーキをほおばるスピネリタスは、そのまま次の話題へと行くことにしたようだ。


「町一つ覆う結界を張れる術者と、ありえない威力の魔法を使う鷲、即死魔法で一帯を根こそぎ殺す狼、あとは炎を操る竜騎士。今のところ確認できてるのはそれくらいかな。情報ではあの姫様の従者は五人いるらしいし、あと一人隠し玉がいるってことか」


 彼らは裏方に特化したレートビィのことは知らず、ある情報だけをまとめていく。それだけまとめても、冗談かと言いたくなるような情報だが、あの超天級モンスターや戦争での活躍を見てしまえば一蹴するなど不可能だ。


 つまらなさそうに嚥下した猫は、眉をひそめて頬杖をついた。


「まずはっきり言って、勝てる見込みはないね。無理無理、死にに行くようなもの。なにあれ。戦争での映像を見せてもらったけどありえないでしょ。ビストマルト一の魔法使いでも到底不可能な技を間髪入れずに出してるんだよ。ばっかじゃねえの」

「えーっと、ネーストからの声明によると、あの超天級モンスターが彼らに加護としてそれらの力を与えたそうです」


 ツキガスが思い出しながらしゃべっているそれが、まさに姫君らの描いたシナリオだ。


 チート級の力を持つことへの理由付けを行い、恐怖を緩和する。そのために、いやいやながらもブレグリズが象徴として顕現する必要があったのだ。超天級モンスターという絶対の看板が持つ説得力が、彼らへの理解を促してくれる。それが誘導されたものであれ、未知よりも親しみやすさは数段違う。姫君の禁忌の力に触れることなく、彼らの理由付けが可能となるのだ。

 そう、彼女らは自らが執政を行う上で民に受け入れられる土壌を作ることに成功した。超天級モンスターの加護を受けた彼女らが上部に君臨する。はた目から見ても、成り立ちとして不可思議なところはない。


 もっとも、それはあの超天級モンスターが姫君の従者だと知らなければの話であるのだが。


 そんなことを知らないビストマルトの将軍たちは、力量差を考えて辟易とするしかない。スピネリタスがいうように、勝ち目などないのだから。


「というわけで、今後あの国と武力で交渉することはまずないから、僕たちは暇ってわけだ。各自軍備は整えつつも、しばらくは様子見だから。あ、これ一応上からの伝達事項ね。問題はあの国が攻めてきたときの話だけど、まあ、ないだろうね。国土に対して人数が圧倒的に不足している。自らぼろを出すようなバカならむしろこっちとしてもやりやすいくらいだ」


 さて、これでいうべきことは全部言ったのではないだろうかと、スピネリタスが脳内で確認していると、オルワルトがふいにぼそりと何かをこぼした。


「そういえば、ツキガスはネーストの姫に懸想しているのだったな」

「はあ、まあ、そうですけど……」

「いや、否定しなよ。なに敵国の姫君に対して素直なんだよお前は。童話か」


 スピネリタスからの至極まっとうなつっこみがはいるが、あいにくツキガスはとっさに嘘を言えない人種なのだ。

 しかし、それが急にどうしたというのだろうか。ツキガスはその思惑を図りかねていると、オルワルトがなぜか自慢そうな顔になったではないか。表情の変化が乏しい人だけど、こういうのは存外わかりやすい。


「実はな、私と彼女はオル仲間なのだよ」

「……は? え、は? ああ、頭にオルがあるってだけじゃないですか」

「そうだオル」

「は?」


 唐突にどうしたのだこの先輩は。頭が沸いたのか。ツキガスは本気でそう思い始めた。

 助けを乞うようにスピネリタスを見ると、彼は顔を引きつらせて一歩下がっていた。

 そしてヒベクリフはツキガスをもふりすぎて自分の世界に行ってしまった。


「つまり、ツキガスが懸想している相手と名前がかぶってるんだぜ、どうだうらやましいだろ。って言いたい……の? え、ちょっと僕たたきすぎちゃったかなあ」

「絶対そうですって、シルク先輩何とかしてくださいよ」

「オルオル~」


 少し得意げに意味の分からないことをいうサイの武人。そうだった、この人は戦闘以外だったら思考回路が若干飛んでいるんだった。ツキガスは改めてそれを思い直した。


 サイの向かいでは猫が鞭をヒュンヒュンとうならせている。どうやらもう一度たたけば何とかなるといいたそうだ。絶対何とかならないとツキガスは確信しているが。


 きれいに整えられた庭園で、わけのわからない語尾をつけるサイと、鞭をうならせる猫。自分をもふりながら幸せそうにうめくトカゲ。

 これでビストマルトの最高戦力なんだよなあと、ツキガスは盛大な溜息を一つ。

 彼が配属される前に聞いた情報では、椅子を明け渡したくない上位将軍と下剋上を狙う下位将軍でぎすぎすした場所だと聞いていたのだけれど。なんでこんなに和気あいあいとしているんだろうか。


「他の組もこんな感じだったし……この国マジで大丈夫かと不安になるぞおれは」


 ツキガスの国を憂う嘆息は、サイに直撃した鞭の音にかき消されて誰にも届かなかった。

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