*その黒色を受け入れよう
おれが急いでヴァルのところについたとき、すでにすべては終わっていた。ゴウランとオルワルトに無理を言って道を整えてもらっても、間に合わなかった。
死ぬ直前に見たツキガスの顔はとても優しくて、思わず泣いてしまいそうだった。おれを見て安心するように顔をほころばせ、そのまま死んでいったツキガス。
涙をぐっとこらえてヴァルに視線を戻す。泣くのはまだ早い。おれにはすべきことがあるんだ。
ヴァルの周りだけ隔絶されたかのように音がなく、誰も近寄らないだろうことがわかる。いや、近寄れないのだろう。死そのものを体現する邪神にして、生き物すべての害悪者。
好んで近づく奴なんておれらくらいのものだろう。
「おお、姫様! ご無事で何よりでございます! どこかお怪我はありませんか! 痛むところなど!」
本心から心配の顔を作るヴァルと、傍で死んでいるツキガス。汚れた鎧姿はこれまで必死に生きてきた証であるが、もう動くことのない肉塊と化していた。ついこの前まで笑顔でおれに求婚していた熊の顔を思い出して、おれは胃袋からせりあがってくる感情を止められなかった。
わかっている。これは戦争だから。ヴァルは何も悪くない。
でも、おれはついさっき決めたのだ。
「ささ、こんなところからすぐにでも離れましょう。さきほど、この熊に『病状酌量の余地はない』をかけました。私の即死魔法が病のように広がってしまいます。姫様の状態異常耐性なら問題ないと思いますが、念のために。それにこのようなところにいては姫様が汚れてしまいます」
「ヴァル」
狼の言葉を押しとどめるように、おれはきっぱりと名前を呼ぶ。ヴァルは呼ばれたことに反応して、恭しくおれの言葉を待ってくれた。
話をして、わがままを言うんだと決めた。おれがきちんと受け入れるためにも、自分の考えを話さなければならないと、先ほどの戦いで痛感したんだ。
だから、話を聞いてほしい。
おれはヴァルの目をじっと見て、慟哭する感情を何とか整えて口から放つ。突拍子もないなんて事は理解しているけれど、それでも、聞いてほしかった。
「ツキガスを蘇生したいんだ」
「……そのお心を聞いてもよろしいでしょうか」
ヴァルは凛とおれを見返し、心を探るように赤い目を光らせる。
それでも、ヴァルが否定しないなんてこと最初からわかっていた。何を言ってもおれの発言が受け入れられてしまうがために、おれはおびえて口を閉ざしていたから。
間違ってしまったらどうしよう。おれのせいでみんなが危険な目に合ったらどうしよう。
なんて、ずっと、この世界に来てからずっと。おれはみんなの役に立ちたかったから、わがままを言えずに我慢していた。
その結果、ハンテルに泣きついて、ヴァルを勝手に遠ざけてしまった。おれがみんなの役に立ちたがっていたように、みんなも同じだったのに。
おれは、もっとみんなと仲良くなりたい。おそらくは長い付き合いになるこいつらに対して、ずっと閉じこもったままではおれが疲れるだけなのだ。
ゲーム上での交流とは違うことをようやく理解した。もっと自分を出して、きちんと受け入れて、おれは進みたい。
だからおれはヴァルの赤い目をしっかりと見返すんだ。
「おれな、ツキガスのこと、嫌いじゃないんだ。敵だってのはわかってるんだけど、できれば殺したくない」
自分で口に出しておいて、なんて甘っちょろいんだと我ながらびっくりする。
ああ認めよう。おれは本当に甘くてお人よしだ。優しいだけでは何も解決しないなんてわかっているのに、それでもおれは甘いんだ。
「おれの作ったお前らはみんな強い。強すぎてこんな戦争なんかものともしない。だから、殺さないようにだってできると思うんだ」
これが、おれのわがまま。異世界に慣れようと思って背伸びをしていたけど、結局は疲れてしまうだけだった弱いおれの言い分。
「もちろん、全部を助けるなんて無理なことはわかってる。でも、救えるものだけでいいから、何とかしたいんだ」
おれのわがままがとても愚かな選択だというのは理解している。だからこれまで口を閉ざしてきた。
でも、さっきオルワルトを回復させて、胸が晴れていく自分を自覚した。やはりおれは、人の死が怖いんだ。最初からずっと、こうしたかったんだ。
「これは命令なんかじゃない、お願いだ。おれは自分の周りだけでも平和にしたいと思ってるわがままだ。それでもどうしようもない時は、おれを説得してくれ。その時は、おれもきちんと受け入れるから。だから、今は、蘇生させてほしい」
人の死がいやなくせに、それを扱えるだけの力を持つことがとても重くのしかかってくる。生かすも殺すも、おれの采配次第でできてしまう。死によってもたらされる最善を、おれは口にする気にはなれなかった。建国のプレッシャーより、屍の頂が怖かった。
だから、おれはなるべく殺さないようにしたい。おれはヴァルほど賢くないのはわかっていて、願望だけを吐き出している。負担を押し付けて、結果だけを求めている。
それでも、言わなければならないと、もう理解したんだ。
情けない主ですまない。無様な王様ですまない。
おれのわがままをヴァルに受け入れてほしいなんて無理は言わない。ただ、聞いてほしかった。
おれが、こんな風に考えているんだって。
言いたいことを言って、おれはようやく言葉を区切ることができた。ヴァルは表情を変えることなくじっと視線を合わせている。見ようによっては立ちすくんでいるともとれるのだが、そんなに衝撃が大きかったのだろうか。
「……それでは」
ややあって、狼の口が開いていく。
こぼれてくる言葉は震えていて、耳に届いた瞬間、おれは自分の浅はかさを呪うんだ。
「それでは、私は、何のために生み出されたのでしょうか……」
今にも泣きださんとするヴァルの声が、おれの心に突き刺さる。苦しそうで、切ない顔をしたヴァルの顔。まさかヴァルにこんな対応をされるなんて思ってもおらず、おれは茫然としてしまう。
「私は邪神のかけらを取り込んだ者。邪悪なる遺志を受け継いだ、貴方様だけの黒色。その私に人を殺すなと、なぜ、そんなことをおっしゃるのですか。でしたらなぜ、こんな体を与えてくださったのですか……」
ああ、本当におれは大馬鹿だ。ヴァルの目から透明な雫がこぼれるのを見て、ようやくそれに気づくんだから。
ヴァルは最初から、汚れ仕事こそ自分の役割だと思っていたんだ。そのアイデンティティを作り主であるおれに否定されて、悲しくないはずがない。生まれたときから邪悪をため込んだ体を与えられ、その役割すらおれに拒まれたかわいそうな狼。
その慟哭が、おれの心に突き刺さる。
「私はずっと、それだけが、自分の役目だと思っておりました。姫様が汚れないようにすべての穢れを引き受ける存在として、あまねく害悪を請け負う執行者の自分を誇っていました。それなのに、姫様は私に殺すなとおっしゃる。私の意義を、奪おうとおっしゃる。でしたら私は、何をもって貴方様に尽くせばいいのでしょうか。どのようにして、貴方様のお役に立てばよろしいのでしょうか」
ヴァルの声は震えていた。自分はいらないのではないかという不安が、彼の尻尾をしおれさせている。これだけはと守ってきた根底がおれによって揺らがされているから。
おれによって作られ、意義を与えられ、そしてその意義を奪われようとしている。わがままを言うつもりだったのに、そのわがままがどんな影響を及ぼすのかなんて考えもしなかった。
おれは、やっぱり、自分のことしか考えていなかった。
「私にできることは、邪悪をばらまき、他者を害することだけでございます。邪神ヴァーデルにとってかわる存在として、私の邪悪はすでに機能しております。他にできることなど……私には……なにも……」
「ごめんな、ヴァル……」
「いいえ、いいえ、姫様が謝ることではございません。すべては姫様の意を図り損ねた暗愚たる私こそ罰せられるべきなのでしょう。自らの間違った役割を愚直に信じ、姫様に負担を背負わせるなど、なんと愚かで救いようがない……」
「違う、そうじゃないんだ……」
本当に、おれは大馬鹿だ。自分がわがままだと思われたくないばっかりに殻に閉じこもって、今までヴァルの勘違いを正せずに来たのだから。
ああ、おれは何度でも言おう。
おれは本当に、情けなくて愚かな王様だ。
気が付いたらぼろぼろと泣いていた。自分の愚かさに嫌気がさして、ヴァルに申し訳なく思って。こんなに苦しませることになるだなんて、全く知らなかったんだ。
泣かないようにしようなんて思っても、おれは弱くて、ヴァルが受けた痛みはこれよりずっときつかったはずなのに。
ヴァルは自らの存在意義が否定されても、変わらずにおれを立ててくれている。その優しさが胸に痛い。優しい狼はつらそうな顔をしていても、涙を流したのは最初の一滴だけだった。
きっとヴァルは涙を見せることを恥じている。弱い自分をおれに見せることを徹底的に避けているようだ。
「姫様の意を図り損ねた大馬鹿者ではございますが、なにとぞ、どうかお願いでございます。これからも私をお傍に置いてください。いえ、いえ、私などお傍に置かなくても構いません。ですので、後生です。どうか去らないでください。我らの前からその姿を消さないでください。それだけで、いいのです……」
泣き出したおれを見てさらにヴァルが顔をゆがめていく。それは自分を殺したくなるほどの後悔に苛まれているようで、懇願を形にするためよろよろとその場で平伏する。戦場として荒らされた地面の上を、何のためらいもなく。
違うと、おれは言いたかった。お前にそんな顔をさせるつもりなんてなかった。けど、出たのは涙でゆがんだ音だけ。
「姫様がこの世界かいなくなったのなら、我らすべては意義を見失います。至らぬところがあったなら何に変えても成し遂げましょう。殺すなと言うのでしたら手足をなげうってでも和睦の道を探しましょう。すべては姫様の意のままに、我らすべては姫様のために」
きれいな毛皮を土で汚しながら、ヴァルは額を押し付けていく。その体は震えていて、おれには想像もできないほどの恐怖が、彼を突き動かしているのだということがわかる。
おれに見捨てられるということがそんなに怖いのだろうか。その感情はおれにはわからない。おれはただゲームのキャラとして作っただけで、敬うようになんて作った覚えはない。
狂信ともいえる感情にさらされて、おれは自分が恐れていたものを改めて思い知る。
おれのために命をも投げうつことを厭わない猛者たち。おれの選択が間違いだろうがお構いなしに突き進み、否な顔一つしない従順すぎる下僕。おれの選択一つで世界を変えてしまう、不相当な重すぎる力。
違うんだ。おれは、そんなものがほしかったんじゃない。
でも、それを恐れて遠ざけていても、何一つ解決なんてしない。
だから話そうと決めた。だからおれはヴァルをおびえさせている。
「姫様が私を遠ざけていたことに、うすうすと勘づいておりました。にもかかわらず、私は当然のように貴方様の隣に陣取っていました。ああ、なんと厚かましい。愚かなのは私。罰せられるべきは私。それで姫様の気が晴れるのなら、この首を差し出しましょう。ですので、どうか、どうか……我らに愛想をつかさないでください……」
「――違う!」
懇願するヴァルがあまりに弱々しくて、おれは自分が思った以上に大きな声を出してしまった。ヴァルの肩がびくりと震え、とがった耳がぺたんと伏せる。
おれは形にならない感情のまま、なりふり構わず口から飛ばしていく。そんな感情がほしくて建国したんじゃない! そんな懇願がほしくてわがままを言ったんじゃない!
「違う、違うんだ! おれがお前らを見捨てるなんてありえない! おれが、ヴァルの死を願うなんてあるはずがない!」
この世界に来て、最初から一緒だった。右も左もわからないおれを支えてくれて、おれに尽くしてくれた。
「嫌うわけがない! むしろ、嫌われるのはおれの方だ!」
おれは回復しかできなくて、なんの役にも立たなくて。
嫌われるのが怖くて、ずっと、ずっと、役に立とうと背伸びしてきた。
みんなの笑顔を裏切ってしまうのが怖かったから、主だってした。ハウゼンの死がいやだったから、突発的にわがままも言った。
今までため込んできた感情が爆発して、滂沱と涙をあふれさせてしまう。ハンテルの毛皮でぬぐい切れなかった感情が、雫となってこぼれていく。
「おれは、お前らに嫌われたくなかったんだ! お前らのことが、大好きだなんだ!」
ヴァルの態度が、おれはとても悲しかった。だって、まるでおれが嫌々こいつらといるみたいじゃないか。頼まれたから、仕方なくやっているようにしか見えないじゃないか。
そんなわけはない。おれは好きでやっている。おれがみんなに好かれたくて、背伸びしてまでやっていることなんだ。
だから、そんなにおびえないでほしい。
ヴァルはおれの言葉をかみ砕けず、茫然と顔を上げている。額には土がついており、せっかくのきれいな毛皮が台無しだ。
意義が否定されてもなお、おれにかしずくという。でもそれは、おれと同じだ。わがままを封じ込めていたおれと同じなんだ。
おれはヴァルに理解してほしくて、でも、どうしていいのかわからなくて。
――――思わずぎゅっと抱きしめていた。
ヴァルの尻尾の毛がぶわっと逆立ち、驚愕に目を見開く。だけど、おれはそんなことも気づかず、ただただ感情を押し付けていた。
平伏していたヴァルに抱き着いたせいで、おれの服にも土がつく。
だけどそんなもの、なんだっていうんだ。
「いけません姫様、お召し物が汚れてしまいます。それにこのような邪悪に触れるなど……。ましてや今の私は殺りくを終えたばかり、決して気分のいいものでは……」
おれに触れられるとヴァルが慌てて引き離そうとする。だが、その手は弱々しく、力が入らないように感じた。
おれはここにきてさらに理解した。ヴァルの潔癖症は、自分を邪悪だと思っているせいで来ていたのかと。
だとしたら、そんなくだらないものに縛られる必要なんてない。
「ヴァル」
聞いてほしい、おれがお前をどう思っているのか。
「おれは、お前を邪悪だなんて思ったことはない」
「――――!」
狼は動きを止め、驚きとともに言葉を咀しゃくする。
こいつは賢いから、これだけですぐに自分とおれとの認識の祖語に気づくだろう。
だけど、だからといって言わなくてもいいなんてことは絶対にない。
「確かに邪神のかけらを入れたのはおれだ。だけど、それは邪悪になってほしいからそんなものを入れたんじゃない。ただ、強くなってほしいから入れただけなんだ」
ゲームをしながらおれは、ヴァルを強くしたいと思っていた。状態異常付加率向上のためにかけらをいれたのだって、ただそれだけのため。
ヴァル自身を汚そうなんて考え、みじんも持ってなかった。
「お前は強くあってくれさえすればいい。昔はそう思ってた。でも、今は元気でいてくれさえすればいいと思ってる」
戦争という命のやり取りを行う場所において、無事でいてくれたことがこんなにもうれしいんだ。
おれはみんなのことが大好きで、無事でいてくれてとてもうれしい。強くあれさえすれば、死ぬことはない。昔のおれが今のおれにくれたものを、きちんと受け止めていこう。
「かけらのせいで邪悪になったかもしれない。けど、そんな邪悪がなんだっていうんだ。おれはお前を汚れているなんて思わない。お前はきれいだ。今までだって、これからだって」
光を鮮やかに照り返すきれいな黒色。それを疎まないでほしい。
邪悪の象徴なんかじゃない。おれが、お前に似合うと思ってつけた色なんだ。
「ですが、私はすでに幾度もの殺りくを行っている身。そのようなお言葉をいただけるほどきれいではありません」
「そんなこと、おれは受け入れる。確かにお前は邪悪を持って生まれているし、人を殺してもいる。だけど、おれは、おれだけは、お前のことをきれいだと言おう」
きちんと抱きしめて、汚くないと態度で語って。
ヴァルの相貌はとてもきれいで、澄んだ赤い目が柔らかい光を持っている。
「おれのために汚れてくれてありがとう。そんなお前は、とてもきれいだ」
ヴァルの潔癖症が邪悪からきているなんて想像すらしなかった。だとしたらそれはおれのせいだ。おれが、ヴァルをそういう風に作ったのだから。
これで少しでも自分を受け入れてくれればいい。おれは素直にそう思う。
「だから、これからもそばにいてくれ。邪悪を振りまかなくたって、おれにはお前が必要だ」
邪悪に寄った存在意義なんかなくたって、おれにとってヴァルは大事な存在だ。それだけはわかってほしい。おれはヴァルを邪悪だから必要としているわけじゃないし、汚れ仕事のために必要としているわけでもない。
純粋に、ヴァルだからほしいんだ。
おれがほしかったものは従順な下僕でも、世界を変える力でもない。
ただ、友達が欲しかった。喜んでほしかっただけなんだ。
「ヴァル、大好きだ」
さっきゴウランには驚かれたけど、これが素直な気持ちだから。みんなと一緒に、この世界を生きていきたい。
この戦争で強く持つことができた気持ち。これをもって、おれは歩いていく。
「たとえお前が自分を邪悪だと遠ざけても、おれはお前を嫌わない。何度だって、何度だって言う! おれは、ヴァルが好きだ!」
初めからこうしていればよかった。長い長い回り道をして、おれはようやくこいつと向き合うことができた。
もっと早ければ、ヴァルがこんなに孤独になることなんてなかっただろう。だけど、もう理解した。
だから、自分を嫌わないでくれ。わがままくらい言ってもいいんだからさ。
少し間があって、ヴァルの手がためらいがちに肩に手が回される。できるだけ触らないようにしながらも、おれの体がヴァルに包まれた。
その動作はぎこちなく、まだ自分を受け入れるのに時間がかかっているようだ。
だけど、これは確実な進歩。ヴァルが自分を受け入れた、確かな証でもあった。
「私も、お慕い申し上げております。私の邪悪を受け入れてくださって、本当に感謝しております。私の方からもお願いさせてください。ぜひ、貴方様のお傍に」
おれのわがままはきっとこれからも困難を生むだろう。なにせ、世界最強の力を持ちながら縛りプレイをしようというのだから。
でも、きっと何とかなるはずだ。こいつらと一緒だから。
戦争でハイになってるだけかもしれない、やけくそになってるだけかもしれない。
それでも今は、前向きに考えられるから。
こいつらと一緒に、この世界を生きていこうって思えるから。
「これからもよろしくな」
体を離して手を伸ばすと、手袋に包まれた黒狼が握ってくれる。
こいつらがいる限り、おれはまだ立っていける。
そう信じてる。
いよいよ完結に近づいてきたので、次の土日は本編を投稿させていただきます。