もっと早く
「『疾く、風に狂え』! んでさらに、『鬼神剛腕』!」
素早さを上げるスキルに加えて力も高め、今度こそ貫かんとツキガスは跳ぶ。
ハウゼンは爆風でわずかに視界を防がれたが、すぐに体勢を立て直していた。愚直な熊を真正面から見据えるその表情に、さきほどまでの緩い面影はない。
「真面目一直線って感じだね。嫌いじゃないよ。でも、僕もそう簡単に負けてあげないから!」
ハウゼンは近距離も遠距離もまんべんなく戦える万能タイプの戦士だ。スキルによって環境を整え、自分が戦いやすいところで勝負する。演舞によってあつらえられた環境において、彼は大人数相手にすら立ちまわることが可能である。
よく誤解されがちなのだが、ハウゼンは思われているよりずっと熱い性格だ。ノレイムリアのために単身でギルドに潜入をし、独断でネーストに迫るなど、行動力の高さは目を見張るものがある。よいと思ったことに対してためらいが少ない。それが彼の抱える性質だ。
だからこそ、彼はツキガスのことを高く評価している。泥くさく暑苦しく、惚れた女性のためにがむしゃらに駆け抜ける。余計なお世話なのかもしれない、などと考えている余裕はないのだろう。その愚直さが、ハウゼンにはとても好ましい。
(うちにもああいう子がほしいなあ。ラップスもガングリラも、ちょーっとひねくれてるから)
一直線に向かってくるツキガスを見据えて、ハウゼンは剣を構える。泥とマグマによる封殺が失敗した以上、あの突進を対処しなければ勝ちはない。
「なんとかしてみせましょうかね。これでも僕は、近衛兵の副隊長だからさ」
そして、ツキガスの心を折ってみせよう。ハウゼンは糸目を開き、鋭い視線を正面に注いだ。
次に、持っていた片手剣を掲げると、剣が分離する。二振りで一つの剣として作られたハウゼンの愛刀が本気を出す時が来たようだ。
双剣を構え、ハウゼンは腰を落とす。分離したせいで耐久度が下がり、一手間違えれば折れてしまう。それでも勝つために、リスクをとることにした。
「あんな力相手に耐久度を落としたくはなかったんだけどねえ。そうも言ってられないか。『泥舞“沼沢”』、『炎舞“灼熱”』。舞台を整えて、いざ尋常に!」
双剣の一本が泥にまみれ、一本に赤く火がともる。重ね掛けできないのなら剣を二本にすればいい。そんな単純な考えの下、彼は双剣を扱う。
そうこうしているうちにツキガスがハウゼンに迫りつつあった。足場は泥に、眼前は炎の壁に。突撃を阻もうと幾重もの手を使うハウゼンは、肩書に恥じないだけの強さがある。
「くそっ!」
さすがのツキガスも突進の勢いをわずかに殺される。まさか剣が二本に増えるとは思っていなかったようで、対応が遅れてしまった。
だが、瞬時に思考を切り替えてスキルを展開。備えてさえいれば、泥の沼など恐れるに足りない。
「『中天闊歩』!」
地面わずか上の空気を踏めるようになるスキルで地形の影響をなしにする。足場に左右される戦い方だ。対処ぐらいは当然持っている。
それでも炎の壁には対処する時間がない。自身が早すぎて詠唱が間に合わないため、生身で突撃するしかなかった。
多少熱くてもそれがどうしたというのか。たとえこの身が燃え尽きても、死ぬまで止まらないともう決めた。
炎を抜けた先にいるハウゼンめがけて槍を突き出し、一撃で屠ろうと気迫を込める。
「うおおおおおおおっ!」
手数は増やしたがこの威力を止められやしないはずだ。ツキガスは冷静な部分でそう判断している。いくらスキルを増やしても、単純な威力はこちらが圧倒的。ならば、押し切れる。
もちろんそれは正しい。純粋なぶつかり合いではハウゼンに勝ち目などあるわけない。
それでも、その悪条件を覆せるだけの経験をハウゼンは積んでいるのだ。
槍がハウゼンをとらえるかと思った瞬間、彼の体は思いっきり飛んでいた。
「何っ!」
槍を空振りながら、ツキガスは驚愕を隠せなかった。
飛び上がるモーションなんてなかった。まるで引っ張られるようにハウゼンは跳び、瞬間的に眼前から姿を消したのだ。
詠唱していないのは凝視していたツキガスは知っている。では、なせ?
そこで回答にすぐ思い至るのはさすがと言えるだろう。ツキガスはトリックを理解して、忌々しそうに吐き捨てた。
「泥か!」
そう、この泥はツキガスを足止めするためのものではなかった。ハウゼンを強制的に動かすための足場として起動されたものだった。耐性があるため自身は泥に沈まない。だから、泥を操ることで自分を移動させることができたのだ。
しかも、足場が悪く槍を突き立てての方向転換もできなくされた。ハウゼンはツキガスの戦いからをよく観察して、そのうえで対策を立ててきた。
「くそ!」
足さばきだけで切り返したのだが、やはり速度は落ちてしまった。ツキガスはスキルを重ね掛けして、もう一度突撃をかけようとした。
しかし、どうしても時間がロスしてしまう。その隙にハウゼンは泥をばねにしてとびかかっており、加速がつく前に切りかかってくる。
「とおっ!」
さらに炎による属性攻撃も加わっているため、剣戟を防いでも炎によって削られる。
槍ではじくが次にはもう片方の剣で切りかかってくる。
遠距離では泥を、近距離では炎を。巧みに操る手腕によって、ツキガスは加速を殺されてしまう。加速さえつけばツキガスの独壇場なのだが、相手が悪い。環境を操られてしまっているため、本来の力が出せていない。
ツキガスの槍さばきもなかなかのものだ。ビストマルトでも有数の使い手は伊達ではない。
それでも、剣を振るうたびに炎が舞い泥が襲ってくるのでは分が悪いとしか言いようがない。距離をあけようにもそのたびに泥で跳躍して追いつかれてしまう。ハウゼンはすでに、ツキガスの戦闘方を見切っているといえるだろう。
(『中天闊歩』の効果時間はまだ余裕がある。だが、この状況だとジリ貧だ。くそ、くそっ! おれがもっと強ければ)
大槍を操って距離をあけようとしているのに、そのたびにのらりくらりとかわしながら切り込んでくる。そもそも長いせいで懐に入られると弱い武器だ。加速する戦法と相まって、距離を詰められるとどうしようもない。
もちろんそんなことはツキガスも理解していて、ヒベクリフたちに何度も指摘されてきた。ダメージ覚悟で切り込んでくるヒベクリフと、圧倒的防御力を盾に殴りかかるオルワルト。両者ともツキガスが苦手とする戦法で、その対抗策だって何度も議論してきたはずだ。
それなのに、全くうまくいかない。
(焦ったらだめなのに、落ち着く暇がねえ!)
双剣による連撃は隙というものを与えない。空いた場所はすぐに泥か炎が埋め、行動を制限しながら刃の雨を降らせ続けている。
槍でしのいだとしても、このままだと確実に負ける。あれだけ啖呵を切ったにも関わらず、姫君のところへも行けない。
(オルワルト先輩、シルク先輩、ヒベクリフ……おれは、おれは……!)
やはり自分はまだ弱い。その事実が、こんなにも重くのしかかってくる。ツキガスはきつく歯を食いしばりながら、食らいつこうと精神を研ぎ澄ませていく。
だが、押しているようにも見えて、ハウゼンもギリギリのところでしのぎを削っていた。
距離をあけられるとまた加速されてしまう上に、槍の一撃が重すぎる。ゴウランとオルワルトでもそうであったが、彼らは基本的な膂力が違うのだ。
(これだけ打ち込んでも有効打はなしか。ほんっと、強くて嫌になっちゃうよね。これで末席だっていうんだから笑えない。これ以上成長されたらどうなっちゃうんだろ。っま、僕も成長しますけど!)
ハウゼンは自身に若干の焦りが浮かんできたことを悟り、それをにへらと笑ってごまかした。メンタル面の恒常性において、なかなかのものだと自負しているハウゼンだ。つねに自分の最善を尽くすことを意識して、いつも通りに相手を追い詰めようと剣を振るう。
本人は気づいていないのだが、ツキガスの足さばきは実に的確で小回りが利いている。間合いをわずかにずらすその調整力に関して言うのなら、オルワルトやヒベクリフよりも上だと断言できる。
短い脚すべてに神経を張り巡らせ、わずかばかりの間隙に足を寄せる。
刀の雨が降り注いだとしても、最低限の動きで急所を外しているのだ。
(困ったなあ。そろそろ演舞の魔力切れを心配しなくちゃいけなくなってきたぞ。さすがに二つを同時展開してると消耗が早いな。さて、どうしたものか)
今ハウゼンが有利に進められているのは演舞系スキルによる手数の多さによるものだ。魔力切れにでもなってしまったら、その瞬間勝敗が決まってしまう。
(ああでも、彼を進ませたくないなあ。恩人を死地に向かわせるほど薄情じゃないんだよね、僕)
死ぬ気でネーストに軍を進ませた犯罪者であるハウゼンを将軍扱いしてくれたツキガス。そのまっすぐな気概でハウゼンの兵がどれだけ救われたか。本人は知らないだろうが、その扱いで彼らは国のために死ぬ決心がついたのだ。
そんなツキガスがこのまま進めばまず間違いなく死ぬ。ハウゼンはそれをここで止めたかった。
ノレイムリアの軍が来たおかげで、戦況はすでに覆らないほど優劣がついている。その事実を前にしても、ツキガスは一縷の望みで槍を振るう。このままでは、ツキガスはあの化け物たちと邂逅してしまう。
(困った。ああ困った。これで僕の隠された才能が開花して勝利する流れとかにならないかなあ)
思考こそひょうひょうとしているが、双剣を操る手は過激を極めている。
油断も隙もなく、双剣で隙間なく。ハウゼンはツキガスを追い詰める。
ツキガスが思いっきり踏み込んで槍を突き出した。ハウゼンは顔をわずかにずらして穂先を交わし、お返しにと踏み込んで突きを入れる。
剣先は寸分たがわずツキガスの心臓へ。しかしそれも体を逸らしてかわされる。
だが、剣先から出る炎の余波で、ツキガスの鎧がわずかに焦げる。すでにかなりの体力を消耗しているはずだ。ツキガスの毛皮が汗で湿り、口の中が渇いていくのが止められない。
拮抗している打ち合いの中、手を変えたのはハウゼンのほうだった。
「『雷舞“閃光”』!」
泥にまみれていた剣がきらめきを放ち始めていく。雷の力をまとった剣にとって変え、ハウゼンは攻撃の手を緩めない。
距離を詰めている間なら泥は必要ないと判断したのだろう。足場は普通の地面に戻ったが、距離さえ詰めておけば大丈夫なはずだ。魔力の底が見え始めてきた今、勝負を決めにかからねばならない。
雷をまとった剣が槍に触れるたびに電流を流し込む。ツキガスは手がしびれてくる感覚に危機感を抱きながらも、手はぶれもなく剣をはじいていた。
「くそ、くそぉ!」
悪態をつきながら槍を振り回すツキガス。このまま負けてたまるかと、自分を鼓舞するのも限界が見えてきた。
ここでもし、ツキガスがスキルを無駄打ちするような若輩者だったのなら、このままハウゼンの勝ちが決まっていただろう。
しかし、当たらないと踏んでスキル使用を抑えて魔力を温存できるくらいには、彼は武人であった。焦りながらも状況を見失わない。だから、ハウゼンよりずっと余力が残っている。
そんなツキガスの脳裏に、一つだけ挽回の策がある。無謀な賭けにも等しいそれを、彼はずっと迷っていた。
だけどハウゼンは泥を解除してしまった。やるなら今しかない。そう判断して、彼は槍を――――思いっきり下に向けた。
穂先が地面をえぐった瞬間、そこから光が漏れていく。
それはツキガスが沼から脱出するときにつかった技であり、この至近距離で使うには自爆ともいえるスキル。
ツキガスは、その技を高らかに叫ぶ。
「『穂提赤紅爆』ーー!」
詠唱は起爆剤となり、二人の間を爆風が走りぬける。その勢いに飲まれ、二人は体を吹き飛ばされてしまう。
そう、ここにしてようやく『距離があいた』のだ。
「――――しまった!」
ハウゼンは爆風のダメージを炎で防いだものの、自分の失態に気づいてしまった。
このまま突っ込まれてしまったら、先ほどのように泥で逃げることができない。また泥の演舞を詠唱するか、別の策でかからねばならなくなった。
すでにツキガスは身をかがめ、足に力を込めている。すぐ後には弾丸のような速度でとびかかってくるだろう。
何か対策が必要だ。ハウゼンは瞬時に自分のスキルを確認し、詠唱を開始する。
それは、これまでまだ出たことのない、ハウゼンのとっておきだった。
「こうなったら仕方ない。出し惜しみしてる場合じゃないもんね。それでは、刮目あれって感じでいくよー。『氷雲舞“鋭金柱”』」
ハウゼンは双剣の両方から演舞を解除し、片方にのみスキルを付加した。上級スキルである演舞を宿した剣は、透明な氷をまとってあたりに冷気を靄として漂わせている。
冷たい剣を一振りすると、ハウゼンの周りを鋭い氷柱が取り囲む。道を空を、そのすべてに氷のとげができていく。
これならいかに浮いていても踏み込むのは難しいはずだ。それに、加速してくるというのなら自らとげにぶつかることでもあり、その力を利用させてもらおうとハウゼンは考えたのだ。
鋭利な氷柱はツキガスにまで伸びて、迎え撃とうと壁を作っていく。触れるだけで切れてしまいそうな氷柱に飛び込んでいくなんて、どうなるのか想像に難くない。
(それでも)と思いながらハウゼンは前を見る。
みじんも揺るがない熊の眼光は射貫くようにハウゼンを睨み、とげとげしい氷の道に臆することなく力を込めている。
必ず突破する。言わずとも感じられる覇気が、ツキガスから立ち上っていた。
(それでも君は、止まらないんだろう?)
ハウゼンはありったけの魔力を振りしぼり、いくつもの氷柱を用意しながら睨み返す。普段の糸目は鳴りを潜め、凛々しい相貌の騎士がそこにいた。
ツキガスはまさしく才能豊かな戦士であり、同時に、恋に溺れた馬鹿者だ。だけど、ハウゼンにツキガスを笑う権利はないし、その気もない。独断でネーストまで侵攻した彼にとって、その感情には覚えがあるものだ。
ハウゼンを止めてくれたのがオルヴィリアだったように、ツキガスを止める人が必要だ。ハウゼンはそう信じている。
ゆえに、これ以上ないほど本気で相手をする。いつもはへらへらした印象を持たれがちだが、根は誰よりも熱い男が。
おそらくこの一撃で決まる。両者ともそう感じている。
すでに戦場の剣戟など遠ざかり、二人の邪魔をする者はいない。演舞に巻き込まれるのを防ぐためなのか、二人の間に入れるだけの猛者がいないだけなのか。
そのような些事はともかくとして、今、両者は閉じた世界で全力をもって対峙していた。
(できれば死なないでよね! 後味悪いのは好きじゃないんだ)
ハウゼンが氷の剣を振るい、用意した氷柱を一斉に飛ばす。直線上だけではなくその周辺すべて。逃げられないように、たとえ優れた足さばきをもってしても進めないように。
ツキガスに襲い掛かる無数の氷柱。死の恐怖に体が焦る中でさえ、熊の思考は研ぎ澄まされたままだった。スローモーションで見える映像に惑わされることなく、彼は死力を振り絞る。
死へのカウントダウンに心臓がやかましい。しかし、鼓動の暴走はそれだけが原因ではなかった。
(やるしかない……だけど、成功するか? 練習でも駄目だったのに)
ヒベクリフとの最後の合同訓練でも失敗した技。その後の反省会でやらない方がいいとくぎまで刺されたそれに、手を出すしか道はない。
『最上級』の加速スキル。加速に才を持つツキガスが手を伸ばそうとしている無謀の象徴。
挽回の策にしてばくちであるこのスキルを使うことこそ、ツキガスが考えていたことだった。
成功するかどうかもわからないスキルに頼るしかない状況はツキガスにとって歯がゆいものだ。自分がもっと強ければこんな危ない真似をしなくて済んだのに、と。
「だけど、それでも!」
勝つと決めたのだ。勝って、あの姫君の下へ行く。
自分は弱い。だが、まだ負けていない。
ツキガスは持てるすべての力を使ってスキルを形作っていく。後のことなど考えない。この戦場で終わってもいい。終戦と同時に死んだってかまわない。
そんな決意を胸に、ツキガスは駆け出した。風を置いていく音がして、熊の体が飛び込んでいく。
向かい来る無数の氷柱はツキガスを貫かんと待ち構えている。もし触れてしまえば鎧など紙のように切り裂いて、体を血で染めるだろう。
「それが! どうした!」
防御力を向上させるスキルも使った。彼ができる最大限のステータスで武装して、氷柱にぶつかっていく。
ツキガスが誇る先輩たちはみんな言ってくれたのだ。『自分のことだけやればいい』と。危なっかしい彼の前には、頼れる先輩たちがいる。
だから彼は前しか見ない。立ち止まらない。迷わない。
すべてを力に変えて、もっと早く。
神の領域間近まで迫る最上級の技に手を伸ばし、高らかに吠えろ――!
「『時間よ止まれ。おれはお前を置いていく』!」
ふっと、体が軽くなっていく。
いつもより視界が早く流れていく。
まるで世界の時間を止めてしまったような体感。
成功したのだろうか。ツキガスにそれを判断する余裕はない。ただただ前へ駆けていくだけだ。
しかし、この瞬間、彼は確かに神の領域に近づいた。はた目から見ていたならば、あり得ないほどの加速に姿のぶれがわかっただろう。
ツキガスはさらに加速して迫っていき、ハウゼンは氷柱の奥で待ち構える。
加速には成功したのかもしれない。だが、それはただの自殺行為なのではないだろうか。先端が鋭利な氷柱に自らぶつかっていくなんて、そうとしか言えないかもしれない。
しかし、否。そうではないのだ。
なぜならこのスキルは、『体の動作すべてを加速する』スキル。槍を振るったとしても、次の瞬間にはまた構えが戻っている。
襲い来る氷柱を神速で打ち砕きながらハウゼンへと迫る。目で追いきれない太刀筋で氷柱を払いのけ、一直線に距離を詰めていく。
「死ななきゃいいけど、なんて思い上がりだったね。訂正しよう、ごめんね! 僕死んじゃうかも!」
ハウゼンは高らかに訂正しながら剣を構えて迎撃の姿勢をとった。逃げ切れるわけがないのなら、ここで仕留めるしかない。演舞が宿っていないもう片方の剣に魔力をみなぎらせ、ハウゼンは立ち向かう。
氷柱を払いのけたと思ったら、ツキガスはもう目の前にいた。ハウゼンが今まで見てきた中でこれほどまでの加速の使い手はいなかった。
吠えるツキガスと焦るハウゼンがついに衝突を果たす。だが、ハウゼンとて有数の使い手。負けるつもりなど毛頭ないのだ。
「――なんてね!」
ハウゼンのスキルが演舞だけだと思ったら大間違いである。彼は瞬時に温存しておいた演舞を使っていない方の剣を突き出して、スキルを放つ。
「『返刀“黒山羊”』!」
それはゴウランと同じ侍のスキル。カウンター技であるそれを繰り出して、ツキガスの加速をとらえようと剣を振るった。
演舞による環境の支配と侍のスキルによる近距離での戦闘。これが、ハウゼンの主な戦い方だった。演舞を防ぐために近づいてきた敵をカウンターなどで仕留めていく、隙のない戦闘方法を駆使する使い手。
それがハウゼン=ミューレットという男なのだ。
カウンター技のタイミングは完ぺきであった。あの加速に追いつくのはさすがとしか言いようがなく、彼もまた才能ある戦士だという証左に他ならない。
剣はツキガスに狙いを定め、攻撃される前に止めようと動き出す。
だが、ハウゼンの剣がツキガスをとらえるよりも、ツキガスが槍を振るう方がずっと早かった。剣が切り込んだと思ったら、ツキガスの姿はふっとかき消える。
「…………え?」
ハウゼンの剣は空を切るだけで終わり、気づいたときにはツキガスが遠い。
そして、自分が切られていると気づいたのは、口から血を流して初めてだった。せき込むと口から大量の血が落ちていく。貫けば即死だったはずなのに、手心を加えられたのだろうか。
しかしこれで勝負は決着を見せた。ハウゼンに戦う力は無く、膝をついて血を流し続けるだけ。それでもにへらと笑うそのメンタルは、ある種の達観を匂わせていた。
「ありゃぁ……これは負けちゃったね。まさかカウンターより早いなんて、ちょっと予想外だよ……」
肩から斜めに切られており、槍のくせに器用なことをするなとハウゼンは思考を飛ばす。
ツキガスは最上級スキルを使った弊害なのか距離をあけたところで倒れており、荒い息を吐いて苦しそうな顔をしていた。
ゴウランの時とは違い、最上級スキルをまとっての突進は体に負荷を与えたのだろう。それに、ツキガスはゴウランより若く、まだまだ発展途上だ。才能に任せた戦い方ができるほど、体は慣れていない。
そんなツキガスは槍に体重をかけて何とか立ち上がり、ハウゼンのほうを向く。
「わるい……手加減、できなかった……」
「ああ、いいよ別に……。どうせ僕はあの姫様が回復してくれるからさ」
潜入時に遠めでちらりと見た彼女の回復スキルを思うと、別にこの程度何でもないとハウゼンは笑う。あの優しい姫君なら見捨てることもなさそうだと踏んでおり、安心して戦うことができた。
それがハウゼンの元より太い精神をさらに強くしていた要因であり、同時に、ツキガスを向かわせられないと強く思っていたものでもある。
「だから、僕はいいんだけどさ……君は、治してもらえないかも、しれない……んだからさ、ちょっと……ご自愛したほうが、いいとおも、う、よ……」
「そんなことは承知の上だ。おれは、この戦争を勝利で終わらせる」
「そっかぁ……なら、僕の役目もこれまでかな……また会えたら、その時は、ぜひ……理由をさ……」
そこまで言って、ハウゼンは血の海に倒れてしまった。手加減した理由が知りたかったのだが、その時までにこの熊は生きているのだろうか。
ネーストの防衛と将軍の足止め。両方を成したノレイムリア近衛兵団副隊長、ハウゼン=ミューレットは一旦の死亡をもって戦争から離脱した。
すでに物言わぬ死体となったハウゼンを見ながら、ツキガスは歩き出す。まだオルワルトが残っている。すぐさま加勢に行って戦況を変えなければ。
「理由、か……」
おそらくは手加減した理由だろうとツキガスは把握している。彼にとってハウゼンが自分を案じていたことなどわかり切っていた。だから、殺す刃が鈍ってしまった。
それだけの話だ。
「別に、お互いさまってだけだろ」
「わかりました。ハウゼンにはそのようにお伝えしておきます」
透き通る声がして、ぎょっとなってツキガスは振り返った。
そこには短く髪を整えた女性が立っており、ハウゼンを抱えているところだった。
気配を感じ取れていなかった気のゆるみを叱咤して、ツキガスは槍を構えなおす。
しかし、彼女からは敵対する意思が見えず、それどころか、ツキガスのことさえ眼中にないようだった。
「私の名前はラップス。ハウゼンの付き人。このままでは蘇生時に差し障ると判断して、一旦回収させていただきます。別にあなたを止めるよう命令されてはおりませんのでご安心ください」
機械的な言葉だけ告げて、彼女は消えた。
あれはおそらく忍びの部類であろう。やりづらい相手だが邪魔する気はなかったようだと、ツキガスは内心で安堵する。これ以上戦闘を長引かせるわけにはいかない。ツキガスは早くオルワルトの下へ行かなくてはいけないのだから。
しかし、すでに体は満身創痍だ。最上級のスキルはツキガスの体をひどく消耗させた。このままでは足手まといだと言われかねない。
何度か深呼吸をして、コンディションを整える。たとえ足手まといだといわれても、ツキガスは戦場に戻るつもりでいる。
幸い彼は足が速い。その気になればすぐにでも合流できるだろう。
「あと少しだ……」
自分を鼓舞するように彼は言い、足を踏み出した。
戦争はおそらく最終局面。ここからの行動ですべてが決まる。
ツキガスは駆け出そうと足に力を入れて――
「おや、こんなところにウジ虫が」
邪悪に捕まってしまった。




