熊と優男
時間を少し巻き戻し、姫君とツキガスが袂を分かった少し後。
ビストマルトとノレイムリアを代表する武人同士の一騎打ちは過酷を極めていた。
細く長い片手剣を操るハウゼンの太刀筋は乱れもぶれもないきれいなもので、的確に急所を狙い打とうと斬撃を繰り返す。
片やツキガスは大槍を振り回し剛腕で押し切ろうと攻め立てる。勢いよく飛び出して鎧を貫くほど鋭く。しかし、紙一重でどれもかわされてしまう。
「くそ、ちょこまかしやがって」
「だって、一撃食らったら死にかねないし。そりゃ必死によけるよー」
へらへらした言葉とひらひらした立ち振る舞い。食えないやつだと、ツキガスは忌々しそうに吐き捨てる。
膂力ではツキガスが上だ。獣人と人間の差は大きく、単純な力比べならツキガスが勝つだろう。
だが、少しでも無理を通そうとすると突きがやってくる。体勢が崩れたところを正確無比に狙い打つ。至近距離で銃撃されたかのような速度では、ツキガスもぎりぎりかわすので精一杯。
熊の短い脚で踏み込んで槍を振り回す。ハウゼンは長い手で斬撃を縫うように剣先を向ける。
「そこかなっ!」
剣先はわずかツキガスの鼻先をかすめ、あわやというところで命を脅かす。ツキガスの長い前髪がわずかに持っていかれ、あと少し身をよじるのが遅かったら脳天を貫かれていただろう。
ツキガスは思いっきり後ろに飛んで、彼我の距離を開ける。暖簾に腕押しを体現しているような戦い方で、ツキガスは消耗を強いられていた。
(やりづれぇ……やっぱ焦ってんのかなあ)
熊はギリリと歯を噛み締めて、戦況を判断しようと槍を構えながら思う。
そもそもビストマルトは圧倒的不利。しかしそれでも進むしかないのは本陣を化け物どもに襲われているせいだ。
ブレグリズが召喚した天級モンスター三体のせいで、帰るべき本陣がそもそもない。それを遠目で見た兵たちを鼓舞し、何とかここまで来たのだ。本陣さえ叩ければ勝機はある。逆に言えば、それができなければ負けは確定するともいえる。
(降参すればよかったか……いや、いかに強くても所詮は少人数。数で押し切れば隙ができるはずだ)
ヴァルやホリークと相対したことのないゆえに仕方がないのだが、それがどれだけ無謀かツキガスは知らない。召喚者さえ倒せばドラゴンたちも消える。そうしなければ、帰る場所もない。
(ああもう、ヒベクリフは何してんだ。まさか、ドラゴンどもに巻き込まれてるんじゃねえよな)
本陣を落とすという目的はおそらく共通認識のはず。それでツキガスはオルワルトと出会えているのだ。それなら、あと二人の将軍はどうして来ないのか。
(ノレイムリアの軍も合流した今、手数が足りねえ。早く本陣を制圧しないと、被害が増すばかりだ)
そこで、自分が焦っていることに気づいたツキガスは大きく深呼吸をする。砂埃と鉄臭い空気は決しておいしくはなかったが、それでも頭は冷えた。
(焦るな。まずは目の前の敵を倒すことのみ考えるんだ。ヒベクリフも後で来るだろう。おれは、おれにできることをする!)
ツキガスはにらみを強くして、思いっきり飛び出した。その速度はとても早く、ハウゼンでさえわずかに対処が遅れるほど。
「獣槍メルバラン『疾く、風に狂え』!」
そこからスキルの力を借りてさらに加速。速さだけならビストマルトでも屈指のツキガスだ。相対者に構えを許さないまま貫くことすら可能とする速度こそ彼の自慢。
しかし、ハウゼンほどの実力者なら焦ることなく対処できてしまう。彼は剣を優雅に振るい、お返しとばかりにスキルで返す。
「炎の力をここに、『炎舞“灼熱”』」
ハウゼンの構える剣が真っ赤に染まり、一振りすると炎の道が伸びていく。魔法剣士としても一流の力を持つ彼は、時と場合に応じた魔法で相手をほんろうすることにたけている。
弾丸のような速度で駆けるツキガスに炎の壁が襲う。だが、そこで止まる彼ではない。槍を一振りするだけで風が生み出され、炎を蹴散らしていく。
「そのていどで! 止まると思うな!」
吠えるツキガスが槍を構えなおそうとするより先に、剣先が飛んできた。わずかな隙も見逃さないハウゼンが、ここぞとばかりに切り込んできたのだ。
「さすがに思ってないよ。ビストマルト15将軍様相手に気を抜けるほど、僕は強くないんだ」
演舞スキル中はその属性の耐性を獲得できる。ゆえにハウゼンは炎の中でも悠々と切り込んでいくことが可能で、常に自分の得意フィールドで戦うことを心掛けている。
疾風のごとき速度で駆けるツキガスはまだ体勢が不十分だ。このままいけば、切合いで負ける未来しか見えない。
だから、ツキガスは速度を保ったまま進行方向を変える。短くて太い足で大地を踏みしめ、横に飛ぶのだ。
「え、ちょっと!」
ハウゼンもまさかこの速度のままずれるとは思わなかっただろう。途中で止まれる速度でもなく、切り返しできる勢いでもなかったはずだ。
意外性を突かれ、ハウゼンの対応がわずかに遅れた。もともと目で追いきれない早さだ。残像からわずかに遅れて構えなおすぐらいしかできない。
それこそがツキガスの特徴であり、彼の武勇を高める一因だ。
熊族の中でも目立つ太く短い脚は強靭なばねであり、小回りを利かせることを可能としている。手足の長いハウゼンには想像もつかないほどのエネルギーが込められた脚で、彼は自由に戦場を飛び回ることができるのだ。
戦うには不利と思われた体をここまで仕立て上げたその才能こそ、ビストマルトの将軍にふさわしい。手の短さは長槍でカバーし、脚の短さを武器に変え、彼はこの地位まで上り詰めている。肉体自慢の獣人たちの中でも異質な存在にして、ぬいぐるみと言われる体を持ってしてもなお、彼は強い。
急に回り込んだためハウゼンの構えが乱れたことをツキガスは当然見逃さない。どんな猛者であれ、速さでまけば絶対に隙を見せる。それが、ツキガスの戦闘方だから。
「さあ行くぞ! うなれおれの槍、『豪槍激天昇』!」
ツキガスの槍が輝きスキルの力をまとう。防御自慢のオルワルトですらこたえる一撃。ハウゼンなら一撃必殺でもおかしくはない。
無防備なハウゼンの側面めがけてツキガスは飛び込んでいく。対応できる速さではないはずだ。このまま貫いて見せると、槍を握る手に力がこもる。
「さすがにまずいかな! 『風舞“疾風”』!」
向かう打つことは不可能だと判断し、ハウゼンが剣から風を生み出した。風の勢いは強く、ハウゼンの体が吹き飛ばされるほど。
彼は自分を飛ばすことでツキガスの槍をかわすことにしたのだ。
すんでのところで間に合って、ツキガスの穂先はむなしく空を切るだけに終わった。ツキガスは舌打ちをしながらも足を止めず、そのまま踏ん張り急回転。地面に突き立てた槍を軸にくるりと回って、標的に再度狙いを定めてみせた。
空中に投げ出されたハウゼンも目を見張る足さばき。正面衝突でも勝ち目が薄い人間は、打開策の必要に迫られてしまう。
「猪突猛進かな! これじゃあきりがないよ!」
「んな言葉言われ慣れてるよ! ぬいぐるみよりよっぽどいいじゃねえか!」
なるほど、あの速度と長槍は確かに相性がいい。小回りの利く足さばきと合わさって、止まるということを放棄できている。
獲物を貫くまで止まることを知らない暴走列車。彼は単騎であれば誰よりも早く駆けることができるのだ。
もう一度ツキガスはハウゼンに突進をかける。体勢を崩されたら方向を変え、逃げても方向を変え。標的とぶつかるまで、彼は走り続けるだろう。
(なんとかしないとなあ。さすがビストマルト15将軍。舐めてるつもりはなかったんだけど、甘かったなー)
ハウゼンは冷や汗をごまかすようににへらと笑い、どうしたものかと思考を研ぎ澄ます。
(正面衝突で勝てる気しないんだよね。やっぱり獣人の膂力は怖いや)
ハウゼンも近衛兵団副隊長としてそれなりのスペックは持っている。だが、獣人と比べるとあまりにお粗末なのは否めない。まっすぐ斬り合いに持ち込まれては不利と判断して、策を弄することにしている。
(しょうがない、だったら灼熱の舞台で僕とダンスだ)
突撃してくるツキガスを見据え、剣を地面に突き立てた。
「『地殻炎舞“溶岩候”』」
スキルを放つとハウゼンを中心に大地に亀裂が走る。まるで熱された鉄板のように地面が赤くなり、隙間からマグマが顔をのぞかせた。
ハウゼンの扱える上級スキルの中でも、特に足止めに特化したスキル。そのくせ自分は耐性を獲得しているので、何の問題もなく歩くことができる。
剣を抜くとそこにはマグマがまとわりついており、ぼとぼとと赤く光る溶岩を垂らしている。演舞系は重ね掛けができないため、ハウゼンはマグマをまとった剣で戦いを挑むほかない。この系統のスキルは範囲が広く強力な代わりに、普通の斬撃スキルも使えなくなるという欠点がある。よって、この状況で他のスキルが出ることはない。
これでツキガスの足はつぶしたはずだとハウゼンは考える。あの短さで速度を出そうと思ったなら、回転数を上げるしかなく、足が地面に触れる数は膨大になるだろうと。
しかし、ハウゼンは勘違いをしている。
ツキガスが早いのは足の回転数が多いからではない。短い脚をばねにして『跳んで』いるから早いのだ。
それゆえに、足の接地回数は驚くほど少なく、ツキガスが止まることはない。それどころか、直線距離でさらに加速している始末。
これにはハウゼンも自分の失態を悟るが、新しい演舞を使っている余裕はない。マグマの剣で立ち向かうために、さらに能力をブーストする。
「あーりゃりゃ、しまったなあ! でも、踊る相手は僕じゃなくてもいいんじゃないかな!」
剣先を動かすと地面からマグマが触手のように伸びてくる。動きの遅い触手でとらえられる気はしない。だから、何本も連ねて壁にするのが最善だとハウゼンは思考する。
赤く熱されたマグマの壁がツキガスに立ちはだかる。様々な属性に加え、上級スキルまで。つわものだと感じた自分の勘は間違っていなかったとツキガスは悟る。
だが、立ち止まる気など毛頭もない。自分にはやることがある。戦争を収め、武勲を――あの姫君をもらうために。
(おれはこんなところで、負けられねえんだよ!)
槍を突き出して突撃の姿勢をとるツキガス。胸のざわつきにせかされるように、彼は勝負を急ぐ。
これだけ時間がたっても、だれも勝利の雄たけびを上げない。戦況は今どうなっている。誰が生き残っている。それすらもツキガスはわからない。
(ここでこいつを仕留めればノレイムリアは瓦解する、そんで早く戻って指揮をとらねえと。本陣さえ落とせればそれで終わる)
それでもツキガスは目の前に集中する。自身を研ぎ澄ませ、全神経を穂先につめこんで。
思いっきり地面を蹴飛ばす。足の焼ける音がしたが、そんなことに構ってはいられない。
ツキガスは吠え、溶岩の壁に突っ込んだ。
「『豪槍激天昇』!」
槍は溶岩をやすやすと切り裂いて、ハウゼンへの道をつなげていく。飛び散ったマグマがツキガスの毛皮を焦がすが、臆することなく突き進む。
「うおおおおおおおおおぉっ!」
予想以上にマグマは分厚く、ツキガスが失速していく。槍の威力も落ちてきているが、マグマを切り裂くだけなら問題はない。
しかし、裂いても裂いてもマグマは終わらない。本来ならとっくにハウゼンに届いているはずだ。これはおかしいと、ツキガスの脳裏に警鐘が鳴る。
「……しまった!」
つまりこの直線状にハウゼンはいない。これはただの目くらましだったのだ。
焦りすぎたのだと、気づいたときにはもう遅かった。踵を返そうとした足がぬかるみに取られ、そのままツキガスが沈んでしまう。
ツキガスが切り裂いていたマグマから急速に熱が失われていき、どろどろと崩れていく。やがて視界が開けると、泥の上に浮かぶように立っているハウゼンが見えた。その剣は先ほどとは違い、濁った泥をこぼし続けていた。
「『泥舞“沼沢”』。ようやく捕まえた。これならいくら早くても問題ないね」
「まどろっこしい! 真っ向から向かって来いよ!」
「無理無理ー。君の突撃を受けたら僕の剣が折れちゃうよ」
状況を冷静に判断するハウゼンはツキガスにとって戦いにくい相手だろう。単純な力勝負には乗ってくれず、あくまで自分の戦いやすいように工夫する。
ツキガスの足は沼に取られ、抜け出そうともがいても沈んでいくだけに終わる。こういう時に足が短いと不利だよなあと、ツキガスは辟易した感情を眼光で飛ばす。
相手の無力化に成功したハウゼンは剣を下げ、ツキガスを見据えている。攻撃するつもりなら泥を操って窒息でもなんなりすればいい。それをしないということは、何かあるのだろうか。
(普通に考えたら捕虜だよな。ビストマルトを相手できる札として持つのはありだ)
仮にも彼はビストマルト15将軍の一人。その地位を考慮すれば、さぞ有益な使い方ができるに違いない。
「さて」
ツキガスの考えを裏付けるかのように、ハウゼンが話しかけてくる。だんだんと沈んでいく体は緩やかな死に向かっているようで、拷問のようだとツキガスは眉をしかめた。
「おとなしく捕まってくれないかな。悪いようにはしないよ」
「断る。殺すなら殺せ」
「いやいや、そんなに命を粗末にするもんじゃないよ。君は若いんだから、まだ未来に希望はたくさんあるじゃないか。僕なんかそれで上司にいつも嫌味を言われてね。あの子のほうが若いのにさ。ちょっとひどいよね」
よく回る口だ。へらへらした顔が表す通りの言葉で、生真面目なツキガスと相いれないだろうというのがよくわかる。
「でも、降参しておいた方がいいよ。そうじゃないと無駄に死ぬだけになっちゃう」
「……無駄だと?」
「うん。見ての通り、奥には化け物みたいなモンスターが三匹、そして、こっちにも……うーん、こんなことを言うのはよくないんだけど、化け物じみた強さを持つ者が二人」
それはおそらくあの姫君の従者のことだろう。ツキガスはこれまで得てきた情報からそう確信する。
ハウゼンがこれほどの理解を示すということは、ノレイムリア北方の防衛から要人の暗殺。やはりネーストの手が加わっていたのか。
(そりゃ、オレナやシルク先輩が警戒するわけだ)
優秀な嗅覚を持っている二人の賢人の忠告が現実となってのしかかってくる圧迫感。ツキガスは最善を考え、脳を加速させる。
「なので、とっとと降参した方がいい。それが一番安全だ。僕の軍がネースト周辺を守っている以上、数の力も効果が薄い。勝ち目はないはずだ」
ハウゼンの言葉は正論のナイフとなってツキガスの心を切り裂いた。言いたいことはわかっていても、熊のプライドがそれを邪魔してしまう。
「処遇を決めるのはあの姫様だろうし、それなら悪いことには絶対ならない。僕も口添えするから、おとなしく投降してほしい」
ハウゼンの言葉を咀嚼している間も、ツキガスはずっと考えていた。
ここから勝つにはどうすればいいのか、降参した方が本当にいいのか。
(ここまでたってもヒベクリフが来ないってことは、あいつは降参したか撤退した可能性が高い。だけど、オルワルト先輩はすでに本陣に迫りすぎている。あの人は戦闘が絡むと血気盛んになりやすい戦闘狂。絶対にまだ本陣周辺にいるはずだ)
なら、ここで降参することはオルワルトを見捨てることになるのではないだろうか。あの武人はおそらく戦闘を止めない。だれか引っ張っていく人が必要なはずだ。
(つまり、ここでこいつを倒してオルワルト先輩を引っ張って帰る。敗北を前提として考えると、それが理想だ)
あくまで理想は理想ではあるのだが。沼に沈んでいくツキガスにこの状況を打破できる手段があるのかは別として、それなら被害は拡大しない。
(だが、その化け物がネースト周辺にいなかったということは、向かい来る軍の足止めに前へ出ている可能性が高い)
ハウゼンを倒してオルワルトに加勢し、そのまま勢いで姫君を無力化。それだけが唯一の勝利条件ではないのだろうか。
ネースト周辺にいる将軍はツキガスとオルワルトだけという状況で、勝つには姫君の無力化しかありえない。しかしそれを実行するためには、ここで勝つ必要がある。
おとなしく降参してもよかったはずだ。戦争の勝敗がもはや揺らがないのなら、あとは消耗をいかに避けるかと考えてもいい。一縷の望みというにはばくちすぎる勝利条件だ。つかむにはあまりにもはかない。
だけど、ツキガスはその道を選べない。
(おれが止めるんだ。あの時止めれなかったおれが!)
独立宣言のときにもっと力強く止めていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。ツキガスはずっとそれを後悔していた。
こんな小さな土地で、しかも大国に包まれた立地での建国など無謀以外の何物でもないだろう。いかに化け物を飼っていても、それだけで国はなりゆかない。
それは将軍として国政にかかわってきたツキガスならよく知っている。強いだけでは無理なのだ。いかに強くても、民の心はついていかない。
それに、いくら天才でもそれは一代限りの話。その子供が暗愚ゆえに滅びた国など、もはや幾多もの物語に乗っている。
あの姫君の従者はそれをまったく気にしていない。姫君の代が終われば国も終わっていいと思っている節がある。理解していても、まったく考慮に入れていない。
残された民のことなど考えてもいない。それが、ツキガスにとってひどく不快だ。
(王様というのは国とともに亡びる運命。そのときに、誰が彼女を守れるってんだ!)
沈みゆく船に残された思い人を救いたい一心が、彼をここまで駆り立てる。
武勲を立てて建国を止めさせ、彼女の身の安全を図る。
それはもう、今しかできないのだ。
すでに腰まで沼につかったツキガスは、一度大きく深呼吸をする。生への執着や懸念事を吐き出して、ただ前を見るために。
(すまん、ヒベクリフ。お前は先に帰っててくれ。生きてることを願っている。また逢えたらその時は、馬鹿なおれを叱ってほしい)
オルワルトに加勢して、一気に畳みかける。それしか道はない。
(オルワルト先輩、今行きます。それまでどうか、持ちこたえてください)
眼光を鋭く、屈する気などないと主張して。短い毛を逆立てて、挑むようにハウゼンを睨むのだ。
「交渉は決裂だ。おれはたとえ死ぬことになってもあがくことを止めない。馬鹿なおれをあざ笑い、そして、倒されてくれ」
「……いやはや、恋って怖いねえ。その気持ちを応援してあげたいけど、ごめんね、今は敵同士なんだ」
残念そうな顔をしたハウゼンが剣を振るうと、泥が波打ってツキガスに襲い掛かる。
動きを封じられたツキガスはこのままでは泥に溺れ、望みを果たすことなく生涯を終えるだろう。
それでも決意に満ちた目にみじんの揺らぎもなく、ツキガスは槍を思いっきり沼に突き立てる。
足が使えないのならこれしかない。ツキガスは賭けにでることに決めた。
「弾けろ! 『穂提赤紅爆』!」
槍で貫いたものを爆発させるスキルを起動し、沼が爆破した。自身の体を吹っ飛ばすために起動したスキルは何とか功を奏し、熊の体は爆風によって外に弾き飛ばされた。
「ふぐぅ!」
地面に叩きつけられたツキガスは何とか着地を決めて、突撃の構えをとる。
もちろんノーダメージとはいかなかったが、この程度ならまだ戦える。体はまだ動く。槍も振るえる。足だって――動く!
ツキガスは己のコンディションを把握して、休むことなく地面を蹴って飛び出した。




