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美女?と野獣の異世界建国戦記  作者: とりあえず
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彼女の決意と勝負の行方と暗雲と

 侍が攻め、姫君が回復するという完全な二対一の構図。しかし、オルワルトは上等だとばかりにそれを受け入れて笑うのだ。これ以上ない猛者とこれ以上ない条件で戦える。それが何より嬉しくてたまらない。


 ゴウランの猛攻は止まらない。一撃が軽く防御力がないのなら、死ぬ前提で猛攻を仕掛ければいい。

 気が狂っているとしか思えない作戦ができるのは、侍の精神力のおかげだ。普通であれば、死への恐怖を前に攻撃の手が鈍ってしまうだろう。


 だが、ゴウランはそうであっても彼女は、死に不慣れな地球人にはつらいことだ。それでも彼女はゴウランの死を前に血の気を無くしながらも、死にものぐらいで食らいつく。


(バフをやめたから蘇生はまだ何回か使える。おれが倒れたらゴウランが死ぬ、絶対、倒れられない……)


 周りのビストマルト兵はハウゼンが連れてきた兵と混戦を描き出している。

 しかし、侍とサイの周りには誰も寄ってこない。彼らの醸す研いだ刃のような雰囲気が、本能で忌避させている。ハウゼンらが助けてくれなかったなら、今この場で二人とも数の暴力でやられていたことだろう。


 彼女の視界に映るのは兵たちの怒号と血しぶき。ハウゼンの兵が倒れても彼女にはそれを治す余裕はない。それがとても苦しくて、とても悲しい。

 せめてゴウランだけは助けたいと、杖を握る手に力を込める。


 槌が振り下ろされ、目の前でゴウランの首があり得ない方向に曲がった。彼女はすかさず蘇生する。

 侍は今自分が死んだことなど全く感じさせない気迫をもってサイに向かい、刀で腕を切りつける。返り血なのか自分の血なのか、もはや判断がつかなくなった彼らの死闘は終わらない。


 漂う濃密な死の気配に気をやられてしまい、また彼女が嘔吐する。


 死ぬたびに蘇生して、侍を死地へと向かわせる。これでは自分が殺しているようなものではないのだろうか。自分がゴウランに、死ねと言っているのと同じなのではないだろうか。


 そんな猜疑がぬぐい切れない。でも、彼女が手を止めれば確実にゴウランは死ぬのだ。その恐怖が、気弱な精神を支えている。


 ヴァルたちとは違うこの世界の住人は、みんなひどく弱い。これが彼女の精鋭であったなら、ここまで憔悴しなくてもすんだはずだ。

 逃げたいと、王様になってから彼女は思い続けてきた。自分のために誰かが死ぬことに耐えきれなくて、ヴァルの行動を受け入れられなかった。それが最善だとわかっていても、重みに耐えきれなかった。


 侍の腕が飛んだ。すかさず回復する。


 彼女のためにと殺したのなら、自分が殺したのも同じことだと彼女はずっと苦悩してきた。

 すでに侍は後自分が何回死ねるかわからない。次に死んだら蘇生されないかもしれない。それでも刀を振るい、道を切り開こうとするのだ。


 発破をかけておきながら、彼女は不思議で仕方ない。どうしてそこまで自分を信じられるのかと。絶対蘇生してくれると、彼は信じている。

 それは今までにない感情だった。彼女の子たちとは違う、作られた故の妄信でもない信頼。それが彼女の心に立ち込めた暗雲を晴らしていく。悩んでいたことへ、一筋の光がさしていくのだ。


 嘔吐しながらも、涙しながらも、彼女は食らいつく。その感情はずっと純粋で、わかりやすいものだと、だんだんと彼女自身も理解し始めてきた。ゴウランを守りたいという決死の思いが、普段守られてばかりだった彼女の目を澄み渡らせる。


(おれがなんでここに立ちたいって言ったと思ってるんだ!)


 あの時、結界が破られたとき、当たり前のように出てきた言葉。その言葉のせいで彼女は今ここにいる。


 彼女はただ、自分にできることをしたかった。王都の晩さん会に乗り込んだのだって、建国をしようとしたのだって。

 役に立ちたくて、自分の場所が欲しかった。この世界に来てから、彼女を突き動かしてきたのはこの感情だった。


(自分で言ってたじゃないか。みんなのことが好きだって)


 こんな引きこもりで無能な自分を、彼らは慕ってくれた。向こうの世界で手に入らなかった親愛を、彼らは惜しみなく与えてくれた。

 ゲームからは手に入らないと思っていたものを、こんなにもたくさん。


 だから彼女は、役に立ちたかった。王様になるのも、こんなところに来たのもすべてはそのため。


 NPCを作り始めたのだって、きっかけは感謝の言葉だった。彼女は、友達の役に立ちたかっただけだ。


(なんて他人本位な奴なんだよ。でも、それは、きっと……)


 今だってこうして憔悴しながらも魔法を唱え続けている。足先が灰に近づいていくのを本能で感じながらも、緩めることなく。


 その理由を、すでに彼女は理解した。この世界に飛ばされてから、いや、生まれてからずっと、彼女を動かしてきた原動力。


(おれは、ただ、あいつらが好きなんだ)


 精魂込めて作ったNPC。彼女が心血を注いで生み出した友達の形。


 だから、彼らの望むままに振舞おうとし、彼らの望む結果をもたらしたかった。

 自分には分不相応な行動だってしたし、今だって死にかけている。


(すっごい馬鹿だよなあおれ。こんな単純なことに、こんな遠回りで気づくんだから)


 無理を通してようやく気付いた感情に、彼女は苦笑する。


 彼らと一緒にこの世界を生きていきたい。たとえ元の世界に帰るまでのわずかな時間であっても、彼女にとっては大事な友人だ。


 安穏と惰性的に過ごしすぎたのだと、彼女は申し訳ない気持ちになる。流されるまま自己主張せずに、ただ傷ついて逃げていた。役に立てればそれでいいのだと、ずっと思っていたんだ。


 でも、彼女は杖を握りしめ地面を打つ。固い音を響かせて、ヒールに力を込めて。


(それをおれがやられたら、理不尽すぎて悲しくなるよな!)


 彼女が彼らのことを大事に思っているように、彼らだって彼女のことを大事に思っている。事実、何度も言われていたことだ、彼女の意見を尊重すると。


 それでも何も言わなかったのは彼女の方だ。嫌なことを嫌と言わず、殻に閉じこもってしまっていた。挙句にヴァルの行動に文句も言えず、距離を遠ざけるだけのコミュ障。


(言わないといけないんだ。おれが、きちんと!)


 この世界では何も間違っていない、だけどおれはそれが悲しい。

 そう言えていればよかったのだ。代案がないからと胸中で嫌悪をくすぶらせているだけの、なんと質の悪いことか。


 わがままだと思われたくなくて、濁してしまっていた。別に彼女がそれを嫌っていたところで、どうでもいいことだろうに。もっと他に穏便な手はなかったのかと、聞いてやればよかったのだ。そうすれば、まだ彼女だって納得できたはずだ


 もっと話すべきだと、彼女は悔やむ。彼女のためを思い行動したヴァルが、あれではかわいそうじゃないか。


(……向き合わないとなあ。コミュ障にはつらいけどさ)


 王様になるのなんて嫌だ。目の前で人が死ぬのも嫌だ。


 でも、もうやると決めた。


「『神への一歩(フェルブレス)』!」


 また侍を蘇生して、彼女は足に力を込める。吐き出した呪文は、さっきより力強い響きに満ちていた。


 つらくて怖い、だけど。


「それがおれの決めたことだからっ!」


 涙で真っ赤に晴れた目に決意を込めて、彼女は吠える。


 慣れたいだなんて消極的なことばかり考えてきた。受け身で日々を過ごしていけば、きっと大丈夫だろうと。それはただの楽観視であり、そんなことではいつまでたっても苛まれていくだけなのに。


 慣れたいなんてもう言わない。受け入れると、彼女はかかとをひときわ大きく鳴らして決意する。


 女になったことも、王様になったことも。そのせいで人がたくさん死ぬことも。


 大事なのは、きちんと話して、理解して、納得すること。そうでなければ、何をしても意味がない。たとえ無血で行えても、納得しなければ同じことが起こる。


(おれは王様になって、みんなと一緒に生きて、そして帰る!)


 目の前の侍は命をとして戦っている。自分には、その覚悟がなかったのだと思い知らされた。役に立ちたいと背伸びばかりして、大事なことが分かっていなかった。

 高ぶった感情に任せて、彼女は口を開く。


「ゴウラン!」

「あいよ、なんだ姫さん!」

「大好きだ!」

「うえ!? ……ゴフェッ」


 唐突な告白があまりに衝撃すぎて、隙だらけになってしまったゴウランに槌がきれいに決まってしまった。侍の体が理不尽に曲がる。

 それを蘇生すると、ゴウランは驚いたようにまくし立ててくる。残念ながら対人関係に不慣れな彼女は、何が悪かったのかわかっていない。


「ひ、めさま、何言ってんだ!?」

「おれな、気づいたんだ。ゴウランのことも、ヴァル達のことも。やっぱり大好きだなって。だから、絶対に蘇生する。絶対に、勝とうな!」

「あ、あー……そういうことね。さすが魔性の女、天然なのがたち悪いぜ。危うく離婚の危機に立たされるところだった」


 安どのため息を吐いて、ゴウランは刀を構えなおす。侍が見た彼女は吹っ切れた顔をしており、何か踏ん切りがついたのだろうと察しがついた。

 彼が悩んでいたように、彼女も悩んでいたことをゴウランは気づいていたのだ。


 侍は一層魅力的になった彼女を守ろうと腰を落とし、目の前のサイに鋭い眼光を注ぐ。


「わりいな。こりゃますます負けるわけにはいかなくなってきたわ」

「よいよい。やはり戦場で生まれる絆はかくも美しい。敵ながらあっぱれだとほめておこう」

「なんつうか、同じ戦闘狂なんだが向こうの方が良識あるよなあ。なんか悔しいぜ」


 ゴウランは軽口を飛ばして、ついでに地面をかけて距離を詰める。


 その速度はビストマルトでも屈指の速さだと、オルワルトは分析している。屈強な身体能力を持つ獣人を見慣れているオルワルトでさえ舌を巻く速度。この侍ならば、確実に将軍職につけていたことだろう。


 それほどまでの力を持つ強者と戦えることが楽しくて仕方がないと、サイは槌を振り上げる。侍を見据え、迎え撃とうとする気概はまさに百戦錬磨の威圧感を誇る。


 もしここでオルワルトが少しでもカウンターを恐れてくれていれば、槌の速度が鈍りカウンター発動の時間があっただろう。だが、ビストマルトの第8将軍まで上り詰めた彼にそのような不覚があるはずもなく、彼は一撃で頭蓋を吹き飛ばすつもりで振り下ろしていた。


 スキルを使わなくとも凶器となりえる一撃。避けることは不可能と判断したゴウランにできることは、風を切る大槌を迎え撃つことだけである。


「『俊抜刀“一鳥一夕”しゅんばっとういっちょういっせき』!」


 また抜刀系のスキルを繰り出し、槌を迎撃する。この技は自分の周囲に風と斬撃を吹かせる技であり、自身の周りを攻撃する範囲技だ。一撃の威力は低いが、手数の多さを特徴としている。

 刀を鞘にしまう音を合図としてゴウランを中心に強い風が吹き、無数の斬撃がオルワルトを襲う。これにはさすがのオルワルトも体勢を崩し、槌の軌道がわずかにそれた。

 おかげでゴウランが体を傾けるだけで槌をよけることができ、さらに追撃しようと柄に力を込める。しかし、槌が地面をえぐる振動がすさまじく、ゴウランも体勢を崩してしまった。


 まるで小規模な地震である。遠くで見ている姫君にも感じられる振動。中心点にいるゴウランはさぞバランスがとりにくいことだろう。


「『土豪錨起噴陣どごうびょうきふんじん』」


 そしてオルワルトの攻撃はまだ終わらない。槌をぶつけた地面から杭が盛り上がり、ゴウランへと襲い掛かってきた。

 崩れた体勢ではさすがの赤鬼も技を出せず、身をひねって回避に専念するのがやっとだ。それでも完全に回避するに至らず、わき腹をえぐられてしまった。


 ここからさらに猛攻されてはかなわないと、いったんゴウランは後ろへ飛ぶ。結果として互いの腹部にダメージを負わせ、痛み分けといったところだろう。

 そう考えていたゴウランだが、後ろへ飛んだ瞬間にオルワルトが槌を振りかぶったのを目撃した。鬼がいない空間への攻撃。それは盛り上がった杭に向けられていた。


「ふんぬっ!」


 地面の塊である杭は十分な硬さを持っているはずなのに、それでもサイは難なく打ち砕いて飛ばす。飛ばされた岩石は寸分たがわずゴウランに向かい、着地直後の隙をきれいに狙い撃つ。


 迫りくる岩石を前にゴウランの思考は研ぎ澄まされていた。何種もあるスキルのうち、確実に敗北へと至る組み合わせがあるのを理解している。

 故に彼が選んだのは抜刀系のスキルではなく、連撃系のスキル。間に合わなければ死ぬという恐怖心を押さえつけ、赤鬼が刀を振りかぶる。


「『一刀“熊手”(いちのたちくまで)』」


 静かな言葉とともに刀が振られ、岩石を一刀のもとに切り捨てる。このような大岩を切ることができるのは彼の練度の高さを表しており、鍛錬の積み重ねを思わせる。


 切られた岩石が広げた視界で、灰色のサイが迫っているのが目に入った。目くらましも兼ねていたのだと、ゴウランの読みが当たる。


 だからこその連撃スキル。岩石を切った刀はそのまま灰色の体躯へと踊り出す。


「『二刀“蜂懐”(にのたちほうかい)』」


 思考を読まれていたサイによける暇はない。そして、先ほどの抜刀スキルより攻撃力が高いこのスキルを食らっては、さすがのサイもまずいかもしれない。

 この連撃スキルは続くたびに攻撃力が加算されていくスキルだ。長く続けるには熟練度が必要になるが、この侍なら上級相当の四まで行けるに違いないとオルワルトは予測した。


 四までいくと、攻撃力はオルワルトの最大と同じ程度。なんとかして崩さなければとサイは思考する。


 だが、だが、彼は防御力と攻撃力でゴリ押すタイプの戦士だ。回避などもとから考えてはいない。どんな攻撃であれ弾き飛ばして吹き飛ばす。これで彼は今日まで生き残ってきた。


 二刀目が迫ってくる中で、サイもまた冷静だ。達人同士の勝負において、一秒は体感において何倍にもなっている。ここで読みを外せば死ぬという勝負を、彼らは何度もしてきたのだ。


 考えに考えて、オルワルトは答えを選ぶ。


「『金剛岩健皮(こんごうがんけんぴ)』!」


 オルワルトが選んだのは防御力の向上スキル。彼は侍の刀を受け、そのうえで殴り殺すことに決めた。硬化時間は短いがその分上昇率が高いこのスキルで命をつなぎ、その間に状況を打開するつもりだ。


 二刀目は予測通り先ほどの抜刀よりも高威力で、しかしオルワルトのスキルのおかげで深いダメージにならなかった。それでも切り付けられた上腕筋からは血が噴き出しており、鎧は役に立たずにぱくりと口を開けている。


 返り血にまみれた赤鬼はそれでも殺気を緩めずに、鬼神もかくやといった表情で迫る。一撃で致命傷を負うゴウランにとって、手を休めることはそのまま死につながる。彼は、この機を逃すことなどないと猛攻を仕掛ける。


「『三刀“獅道撃”(さんのたちしどうげき)』」

「『風砕撃重闘ふうさいげきじゅうとう』!」


 ゴウランにとってこれは必然的な攻撃だ。よって、オルワルトはそれを見据えて行動できる。

 迫りくる刀は銀光を強め、さらに切れ味を増している。しかしここまできてもオルワルトに回避の文字はない。彼は先ほどの技で刀を迎え撃ち、刀と槌が火花を飛ばしてぶつかり合う。


 細い刀には見た目にそぐわない力が込められており、大槌とぶつかり合っても刃こぼれ一つない。それどころか、オルワルト自慢の大槌を弾き飛ばしていくほど。

 これはサイの予想外であり、このままでは四刀目を受けられない。


 両者視線を交錯させ、決意を込める。次で殺す。言わずともわかる殺気が彼らの底力をくみ上げる。


 ゴウランはまるで別人のような気迫を醸しており、牙をむき血で汚れる姿はまさに鬼。それこそが戦闘狂として生死のやり取りにのめりこんでいた彼であり、血に飢えたケダモノのような男なのだ。

 そんな彼は自身が持つ最強の手で責め立てる。一撃が軽い彼が出せる最高の一撃。


「『四刀“鷲爪斬撃”よんのたちしゅうそうざんげき』!」


 迎え撃とう。鬼の気迫と銀閃を見据えて、オルワルトは体に力がこもる。岩のような体躯が隆起して、さらなる覇気を纏う。

 そちらが最高の一手をだすならば、こちらもそれに応じないと不公平だろう。オルワルトは武人として、全身全霊を次の一撃にかけることを決めた。


「『火炎獄道滅殺撃かえんごくどうめっさつげき』!」


 槌が炎に包まれ途方もない熱量を帯びる。剣であれば剣を溶かす。人であれば灰すら残さない。まさに彼が持つ最高の技をもって、侍を迎え撃つ。


 命を込めた互いの一撃は、ぶつかり合うことで光をはぜさせる。


 今度はじかれたのは両者ともだった。オルワルトの見立て通り、侍の四刀目は同程度。五刀目は最上級に当たるため、おそらくはここで打ち止め。

 ならば、ここからは早い方が勝つ。相手に早く一撃を入れたほうが戦況を支配できる。


 そして、オルワルトはそこまで読んでいた。読んだうえで、防御力を上げるスキル『金剛岩健皮(こんごうがんけんぴ)』を発動したのだ。

 一撃が軽い侍の方が速度で勝る。ならば、それをはじき返さなければ自分に勝機はない。彼はそこまで思考して、最善の手を尽くした。あの一秒に満たない打ち合いの中、自分にできるすべてを出した。


(私が振りかぶったところで一撃が来る。さあ、何を出す侍。私の皮膚を切れるものがでるのか!)


 オルワルトはこの状況でも、侍に期待している。自分が負ける可能性を見て、生存本能がだす警鐘に愉悦を抱いている。この警鐘こそ、彼の能力を上げてくれると信じて。命のやり取りで自らを高みへと押し上げることが、彼にとっての生きがいに等しいのだ。


 しかし、その愉悦も大槌を振りかぶるまでだった。


 サイを射貫くのは静かな殺意。血肉わき踊る熱量ではなく、ただ虚無のように凪いだ光。

 先ほどの鬼気迫る勇姿ではなく、刀にすべてをかけた侍がそこにいた。感情も魔力も、すべて刀に吸い取られてしまったような静謐に満ちた気配。


(これは――――!)


 瞠目せざるをえない。体は槌をきれいに振りかぶってはいるが、彼を満たしていたのは驚愕という感情。理解できてしまったのは、彼と侍が同類だからだろう。


 生存本能が実力を底上げしてくれると言うのなら、彼もまたそうなのだ。そして、ゴウランはオルワルトより先にそれを成し遂げた。


 赤鬼が口を開き、こぼれた言葉は小さくも澄んだもので。明瞭な勝利宣言が、きれいな音でまろび出る。


「――――『五刀“獣王無尽”ごのたちじゅうおうむじん』」


 刹那的に刀が光ったかと思うと、オルワルトの体に一閃が刻まれた。派手なエフェクトなどなかったが、質実な一刀に込められた攻撃力は桁外れであった。

 まるで紙を裂くようにたやすく、侍は岩皮を誇るサイを切り捨てた。ビストマルトでも屈指の防御力を誇る彼が、槌を振りかぶったまま次の行動を封殺されたのだ。


 大槌がごとりと地面に落ちる。彼にはもうそれを拾う力はない。刻まれた傷跡から噴き出す血とともに、力が抜けていくから。

 しかし、それでもなお、オルワルトに浮かぶのは満足げな笑み。口からも血を垂らしながら、彼は口角を上げていく。


「……見事。ああ、見事だ侍。私は誇らしく思うぞ」


 政敵からの暗殺でもなく、老衰での安らかな死でもない。戦場で華々しく散ることが、オルワルトにとって何よりも望んだ死であった。それもゴウランのようなつわものとしのぎを削った先とあっては、彼は本懐を遂げたつもりでいた。

 勝てなかったのは正直に悔しい。だが、自分がつわものの糧になったのなら、同じ武人として誇らしさを抱くのだ。


 それが彼、ビストマルト第8軍将軍、オルワルト=デグリエリ。かの国で『岩強なる武人』として数多くの羨望を集める槌使いであった。


 崩れ落ちたサイの巨体は膝をつき、息も絶え絶えだ。あとはもう、死へ向かうだけ。


「……とどめはさしてくれないのか? まさか衰弱した私を眺めて悦に浸るほど悪趣味でもあるまい」


 ゴウランは険しい相貌を崩すことなく、サイへと近づいていく。サイは静かに目を閉じ、死への覚悟を固める。


 だが、刀がサイの首を落とすことはなく、代わりに思いがけない言葉が振ってきた。


「なあ姫さん、こいつ回復してくれねえかな」

「……なんの、つもりだ?」


 まさか情けをかけられるとは思っていなかった。そんなことをしても喜ばないことは、侍もよく知っているだろうに。


 ゴウランの提案は姫君にとっても予想外だったようで、困惑しながら理由を問うてきた。


「いいけど、なんでだ? むしろおれが回復しようとしたら侮辱だ、とか怒ってきそうだと思ってたんだが。そりゃ、おれとしてもそっちの方がすっきりするけど」

「んー、まあ、確かにそうなんだけどよ。やっぱ一言でいうなら『ここで殺すには惜しい』ってことだな。もったいねえだろ。こんなおいしそうな奴をここで殺すの」

「……そんな情けなど、いらぬっ! 首をはねよ侍!」


 血反吐を吐きながらも誇りを重んじるオルワルトは覇気を叩きつけて拒絶する。

 しかし、ゴウランはにやりと口角をゆがめて、それをのらりくらりとかわすのだ。


「昔のおれなら、まあ殺してたんだろうけど。これでも一児の父親になって、町長まで務めたんだ。だから、お前みたいなやつの必要性はいやってほど理解してる。それに、そっちの方が美談になるだろ? これからそっちの国ともいい関係を築かねえといけないしな」

「くだらぬ、戦場でそのような策事!」

「ああ、今言ったの全部建前だから。本音を言うならただ一つ」


 ゴウランが顔を近づけて牙をむく。鬼の顔の笑みとはこうもあくどいものなのかと、オルワルトはわずかに気圧された。


「また殺し合おうぜ戦友。お前との勝負はさいっこうに楽しかった」


 なんのことはない、つまるところこの侍はまた自分と試合をしたいといっているだけなのだ。そのことに気づいたとき、オルワルトは拒絶するのが馬鹿らしくなってしまった。戦場に理念を持ち込んでいる武人は自分だけであり、根っからの戦闘狂はこの侍の方だった。同じ戦闘狂でもその在り方はこんなに違うのかと、彼は気づいたのだ。


 だとすると、ここで彼がいかに首を振っても回復はされるだろう。それこそ、敗者に選択肢はないように。


「いいのかなあ。こいつ、ビストマルトの将軍だろ。見逃したら怒られそうな気がするんだけど」

「はっはっは、あの国で誰が姫さんに文句を言えるってんだ。回復したとたんに、姫さんもおれと共犯よ」

「うわぁ、確信犯かよ。まあいいけど。おれの方を狙ってたらかなり危なかったのに、手心加えてくれたし。そのおかげでおれは生きてるって考えたら痛み分けか」


 純白の姫君もそう納得して、オルワルトを回復していく。瀕死の傷にもかかわらず、見る見るうちに塞がっていくではないか。蘇生魔法を使えることから考えても、この姫君は世界有数の魔法使いだとサイは痛感した。


「やっぱ姫さんいいな。これでいくらでも殺し合いができる」

「さっき蘇生されると緊張感減るみたいなこと言ってなかったか?」

「気分的にはな。でも、同じ強者とまた殺し合えるっていうのはテンション上がるだろ」

「なんだこのめんどくさい戦闘狂」


 すでにサイからは痛みは引いている。それどころか、失った血液すら回復している。もし大国に身を寄せていたなら、老害どもがこぞって欲しがる才能であり、その意味では建国したのも道理だとオルワルトは嘆息した。この優しい性格では、老害どもの餌食になるのは目に見えている。

 ネーストとはノレイムリアのつまはじき者が身を寄せ合っている町だと聞いていた。なるほど、戦闘狂の侍に善意を持つ世界屈指の回復使い。こんな奴ばかりだとしたらそれこそ世界と相いれないだろう。


「一応聞きたいのだが、私が今からお前らに兵をけしかけるなど想定しなかったのか」

「ねえな。そんなプライドのない真似をするようなやつじゃねえ。打ち合いでわかるくらいには、似てるんだよ」


 侍に一蹴されてしまっては、オルワルトに言うべきことはもうない。自分は負けたのだと、そう改めて思い直し兵を引き上げることにしよう。後のことは他の将軍に任せるだけだ。


 ツキガスはともかく、まだヒベクリフがいる。あの死にぞこないならしぶとく生き残っているだろう。そうであるなら、あとを任せるのに何の問題もない。


 オルワルトは自らの敗北を認め、兵を引き上げる事に決めた。これにより戦況はかなりネースト有利に傾いた。


 緊張の連続で消耗している白い姫君がわずかながら胸をなでおろす。


 その時だった。


 ぞくりと粟立つ寒気。それはまるで邪悪を固めたような黒。


「……ヴァル?」


 姫君だけではない、ここにいる誰もがそばに邪悪が寄っていることに気づいてしまった。

 剣劇の音が遠くなるほど濃密な死の気配。百戦錬磨の戦士たちでさえ、本能的に死を見つめてしまうほどの。


 そして、ああ、その方角は。


 ――――ツキガスがいたのではなかったか。

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