(番外編)ネーストのバレンタイン
ネーストはすでに夜遅く、町の中心となったギルドでも見目麗しい姫君がすやすやと寝息を立てている。
しかし、従者五人は神妙な面持ちでホールに集い、円卓をかこっている。
「諸君よくぞ集まってくれた」
雰囲気にのまれて厳かな声を上げるのは虎のハンテル。そんな彼をヴァルデックが冷静にぶった切る。
「呼んだのはお前ではないし主役もお前ではない。ひげを引っこ抜くぞ駄猫」
「まあまあそう言うなって。こういうのは雰囲気が大事なんだしさ」
この馬鹿猫の頭に紅茶をぶっかけてやろうかなどと物騒なことを考えながら、ヴァルは全員分のカップを用意する。ブレズがやると申し出たのだが、万が一こけられでもしたら彼らの姫君が起きてしまうかもしれないと遠慮してもらった。
これは重要な秘密会議。彼女に知られてはいけないのだ。
「ではでは張り切っていきましょう」
結局ハンテルが司会を務めるようだ。ヴァルの溜息などどこ吹く風で、猫は高らかに宣言する。
「我らが姫様へのバレンタインプレゼントをどうするか会議! 意見がある奴から手を上げてくれ」
「はいはーい」
「んじゃあレートビィ!」
兎のレートビィがまず真っ先に手を上げた。彼は小柄故、机に乗り出す形になっている。
「まずさ、バレンタインって何?」
「そこからかよ!」
ハンテルのつっこみがきれいに決まると、兎は照れくさそうにえへへと頬を掻いた。
「だって、初耳だったんだもん」
「しょうがねえな。あと、バレンタインを知らないやつってどのくらいいるんだ?」
その問いかけに応えるのが二本の手。兎と竜の二人は、そもそもなぜ呼ばれたのかすらわかっていなかったようだ。
それでも招集に応えるあたり純粋な二人だが、話が分かっていないと進めようがない。まずは最初から説明すべきなのだろう。ハンテルは結論に至り、口火を切る。
「バレンタインってのは、親しい人に贈り物をする日だ。日頃の感謝を贈り物に込めて、互いの気持ちを確認しあう。恋人同士で最も盛んにおこなわれているが、別に普段お世話になっていれば誰であろうと参加可能な素晴らしい日なんだぞ」
「へーそうなんだ。なんでそんな日ができたの?」
「え? それは、だな……ホリーク頼んだ」
子供特有の踏み込みにハンテルはたじたじとなってしまう。記念日とは知っていても、その由来などは知るわけがないのだ。そういうのは知識の専門家に任せるべきだ、ハンテルはホリークに助けを求めた。
唐突に話を振られたホリークがうっとおしそうな目でハンテルをにらみ、渋々口を開く。
「特に明確な由来はない、というのが定説だ。ある時いつの間にか流行っていたそうだ。流行なんてそんなもんだろうが、あまりに突拍子もなさ過ぎて学者からは不信感を持たれているな。神話を紐解いてもそんなイベントはないし、できたのが新しいというのはわかっているが、まあそれだけだ」
「はいありがとさん。というわけで、おれらは来るバレンタインに向けて、姫様を喜ばせる贈り物を考えないといけないんだ」
最後にハンテルが締めくくると、ホリークが読みかけの本に目を戻す。協調性がないようにしか見えないが、あれはあれで真面目に参加しているつもりなのだ。
そこで、びしっと挙手された赤い手。逐一しっかりと手を伸ばす生真面目な性格が長所であるブレグリズが、次に口を開く。
「質問をいいだろうか」
「ほいほいなんだ?」
「それは我ら従者全員での贈り物ということでいいのか。個別に送るなどではなく」
「そうそう、おれら全員で姫様に日頃の気持ちを送るんだ。そっちの方が喜んでくれると思うぜ」
「なるほど、了解した。それなら私に異論はない」
ブレズが引き下がるとわずかな沈黙が場を支配した。
どうやら議論は先に進んでくれたようだ。ハンテルは満足そうにあたりを見回して、次の議題を口にする。
「んで、おれら全員分として姫様に何を送るか、って話なんだけどさ。おれは前みたいに宴会がいいと思うんだ。姫様も喜んでくれたし、今の姫様に必要なのは団らんだろうしさ」
そう提案されては反論するものなどいやしない。かの主が精神をすり減らしていることなど、全員が承知していることだからだ。
「今度はお菓子主体にしてさ。花とかたくさん添えて、姫様のためにお茶会を開くんだ。どうだ、いい案だろう?」
「いいと思うよ。それならホリークも全部食べられるだろうしね」
「おれの偏食なんて今はどうでもいいんだよ。ほっといてくれ」
レートビィの浮足立った声にげんなりと返答するホリーク。実を言うと菓子類にも苦手なものがあるのだが。黙っておいた方が賢明だと判断してくちばしを噤むことにした。
みんなハンテルの案でいいのではないかと口々にささやき、議論はあっさりと収束に向かっている。このままいけば、すぐさま行動が開始されるだろう。
ヴァルの一言さえなかったなら。
「なるほど、それで自分だけ株を上げようという作戦かこのくそ猫」
「……なーんのことかなあ。おれ様ちっともわかんにゃーい」
ふざけて流そうとしていたハンテルだったが、一瞬だけ尻尾の毛が逆立ったのを執事は見逃さなかった。毛皮に出やすい種族の癖にポーカーフェイスがうまいことだ。ヴァルは忌々しい感情を隠すことなく叩きつけてやることにした。
「我らに会場を準備させ、本命の贈り物を送って好感度を上げる腹積もりだろう? 他の奴らは騙せても、この私を出し抜けると思わないことだ」
「にゃ、にゃーんのことかにゃー」
「焦ると変な言葉遣いになる設定をいきなりつけるな気持ち悪い。……さて、ここに取り出すのはお前の部屋で見つけたものだ。何かいいわけはあるか?」
手袋に包まれた手が置いたのは小さな箱。開けるときれいな魔石がきらきらと輝いていた。純度の高い魔石は、ハンテルが作ったものだろうか。だが、この虎に錬成スキルなどはなかったはずだ。
動かぬ証拠を出されてはもうお手上げで、ハンテルはがっくりと肩を落として観念したようだ。
「人の部屋を勝手にあさるなよなー」
「部屋の掃除は私の仕事だ。さて、これはなんだハンテル。お前にそんなスキルはなかったはずだが?」
「……イグサに手伝ってもらいました」
「確かにあのエンチャント使いなら作れるだろうな。まったく、手の込んだことをする」
しょぼくれたひげを揺らし、机に顎を乗せる駄猫。いきなりのことに驚いて、他のメンバーはその理由を問う。
彼らは姫様のためにあり、主の命令こそ絶対だと思っている。そのための仲間意識であり、共通の価値観で結びついている猛者だ。その結びつきは生半可なものでは決してなく、故に、まさか出し抜こうとする輩がいるなんて思ってもいなかったに違いない。
四対の猜疑的視線に貫かれては、さしもの守備隊長も分が悪い。ハンテルはしゅんとしながら今回のネタ晴らしをするしかなくなった。
「いや、姫様に喜んでほしいのは本当だぞ。だけど、みんな同じだけ好感度を稼いだって、おれが姫様に撫でてもらえないだろ? 最後にそっとこれを差し出して、おれはこう言うのさ。『これはおれの結界魔法を封じ込めた魔石。いついかなる時でも姫様をお守りするおれの気持ちです』ってな! そんで感極まった姫様がおれをわしわしと撫でてくれる……ああ、さいっこうなシチュエーションだと思わねえか!」
「思わない。首をはねるぞ貴様」
ヴァルが絶対零度の声音で一刀両断し、ついでにナイフを一閃する。ハンテルはすんでのところで首をすくめ、頭の毛が二、三本落ちるだけで済んだ。
と、そこで大きなため息が虎の耳に届いた。ホリークだ。
彼は心底つまらないものを見る目でハンテルを見ており、読んでいた本を下ろしてくちばしを開く。
「何か勘違いしているようだから言っておくが、おれは別に好感度を稼ぐためにこんな話し合いに参加しているわけじゃない。おれが姫様のことを考え、尽くし、行動するのは当然のことで、見返りなんて全く求めていない。おれという道具は、姫様のためだけに振るわれる。姫様の笑顔のために、そのためだけに動くということを忘れるなよ」
「まあまあそう言うなって。でもさ、姫様からお礼を言われたらうれしいだろ? 喜んじゃうだろ?」
「……まあ、おれはそういう風に作られているからな」
「じゃあいいじゃねえか。姫様の言葉のために、誰よりも好感度を稼ぐ! 姫様のペット一番になりたい! それがこのハンテルの欲求なんだ!」
「おれは別にペットなんて狙ってねえんだけどな……」
狙ってはいないが、主に言われればすぐさまやるだろう。それこそ、犬でも猫でもなんであれ。それがホリークという従者なのだから。
だが、彼女はそういうことを求めるような悪趣味な人格をしていない。ハンテルの欲求が通ると、あの美しい純白が困惑してしまうのは火を見るより明らかだ。今でさえ、撫でるときに遠慮しているというのに。
なれば、自分が立ち上がるしかない。ホリークは自然の結論として、ここに至る。ハンテルが好感度を稼いで願望を通そうとするのなら、自分がそれを防がなければならないと。
「わかった、ならばおれも贈り物を用意しよう。このホリーク、姫様のために行動するのは道理」
ここでハンテルを罰してのけ者にするとかいう案が出ないあたり、根本的には仲がいいのだろう。平和的な解決法を自然と選ぶのは、主が喜ぶから。
彼らはみな、それを知っている。
すでに二人も贈り物を個別に用意すると宣言した以上、乗らないわけにはいかなくなった。レートビィはそう判断して、楽しそうに声を弾ませる。
「つまり、みんなで姫様に贈り物をしようってことだよね! うん、僕頑張っちゃうよ!」
幼子が嬉々として声を上げる中、狼と竜は決断をしかねていた。
彼らはどちらかというとホリークに近く、主のために行動することが根幹をなしている。そばに仕えていられるだけで幸せを噛み締められる人種だ。個別に喜ばせるなどという発想自体、持ち合わせていなかった堅物たち。
それに、執事二人も加わってしまったら、誰がお茶会の準備をするというのか。姫様を喜ばせるお茶会に手を抜くなど、考えられない所業だ。
(ハンテルの妨害はホリークに任せるとして、私はお茶会の準備に心血を注いだ方がよさそうだ)
などと思っていたのだが、隣で竜が頷くのを見て、考えを改めざるをえなかった。
同じ心持ちだと思っていたかの竜騎士が、なぜか参加を表明するではないか。
「……どういうことか、聞いてもいいか?」
竜は自分よりずっと感情に敏い。ならば、自分は何かを見逃していたのかもしれない。
そう思えるほどに、ヴァルはブレズを信頼していた。仕事ではまだまだ未熟だが、竜の機微に敏い部分はきちんと評価しているのだ。
そして、帰ってきたのは竜とは思えないほど柔らかな微笑と、少しだけ、近くで見ないと分からないほどの朱を散らした感情だった。
「いや、深い意味があるわけではないのだが。私はただ、姫様を喜ばせることができるなら、手段が多いに越したことはないと思ったに過ぎない。私の贈り物で姫様が喜ぶのなら、やらない手はないだろう?」
「……確かに」
だとすると、自分はお茶会の準備をして、通常の仕事をこなして、その上で贈り物を吟味しなければならないということになる。
できるのかと自問自答すると、当然と返事が返ってくる。完璧な執事を自負する彼にとって、ここでしり込みすること自体あり得ない。
「ならば私も参加しよう。感情に疎い私だが、きっと姫様を喜ばせて見せる」
狼が凛と宣言すると、全員が乗ったことになる。ハンテルは眉を困ったように寄せて、だけどとても楽しそうに尻尾をくねらせてこう言った。
「ありゃー、全員参加か。なら、おれも贈り物を変えたほうがいいかもな」
「私はお茶会の準備があるものの、生半可なものになならないように善処する」
「あ? お茶会の準備はおれら全員でするだろ。なにせ姫様のためだぞ、当然じゃねえか」
ハンテルに言い切られ、わずかにヴァルの毛が驚きで逆立つ。
あたりを見ると、ブレズもレートビィもホリークも、当たり前のように頷いているではないか。
「あれ、前の晩さん会も僕ら全員で準備したよね。食料を調達したり、飾りつけしたり、イグサたちを呼びに行ったりさ」
「だが、今はレートビィも北方の監視もあるはずだが」
「ん、別に監視しながらでも参加はできるよ。そのくらいの性能はちゃんとあるよ、僕」
レートビィがあっさり言い切ると、ヴァルとしては何も言い返せない。
贈り物を用意するなら、お茶会の準備に人手は割けないものだとばかり思っていたのだが。どうやら彼らは全員、準備をしながら贈り物を見繕うつもりらしい。
「これで、条件は五分」
ハンテルがにやりと笑う。そして、全員がやる気に満ちた目で各々に目線を注いでいる。
「決行はバレンタイン。お茶会の席で、姫様に喜んでもらえる贈り物を持って挑もう」
甘く優しいお茶会でくつろぐ彼らの主にふさわしい贈り物。それぞれがセンスを磨き、主を喜ばせるための祭典が。
まもなく開催される。
****
「バレンタインはあるのかよ!」
おれの口から出た第一声はおよそ美少女らしからぬつっこみだった。
いやだって、お正月はないのにバレンタインはあるって意味わからないじゃん。おれ何も準備してないよ。
でも、ここで準備すると本当に女の子になったみたいで嫌だな。ううん、それでも普段お世話になってるし、友チョコぐらいの意味ならありなのかな。悩ましい。本当にめんどくさい体だなあ。
おれは豪華に整えられたホールで座りながら頭を悩ませる。きれいな花とフリルで飾り付けられたホールはとても華美であり、いかにも女の子である自分に向けて作られていると分かる。
ご丁寧におれが座る椅子だけ真っ白に塗装されているし、いつの間にか意匠まで凝っている。建国で忙しいこの時期のどこにそんな時間があったのか問いたい。ハイスペック極まってチートすぎる。戦闘だけじゃねえのかよ。
クロスをかけられたテーブルには甘い匂いのするお菓子がたくさん並んでいる。クッキーからケーキからプリンから饅頭まで。おれが~~っぽいとつい口を滑らせて爆誕した地球風デザートの山は、懐かしい匂いを伴っておれの気持ちをはやし立ててくれる。
いやー夢だったんだよバケツプリンって。この世界ではリリメンタとかいう茶碗蒸しに近いお菓子だったんだけど、ヴァルさんの手際によってあっというまにプリンよ。器から出してもプルプル震えるこの雄姿を見よ!
「そんな大したことをしたわけではありません。私はただ、カラメルという姫様のご要望にお応えしただけでございます」
「でもリリメンタって甘さとか口どけとか足りてない気がしたんだけど」
「そもそも砂糖自体値が張る調味料です。それに、こし器を使うという調理方法がまだ浸透していないためかと考えられます」
「あーそっか。便利なんだけどなあ」
料理の知識が全くないおれのつたない言葉を的確に理解してここまで再現してくれるのは本当に助かる。大まかな味を伝えただけで似せられるんだから、本当にヴァルさんには頭が上がらない。
クッキーだってこの世界のはギガーとかいう硬くて食べにくいお菓子だし。どうやらバターとか入れないらしいね。こんなにおいしいのに。
「そりゃおれらの町は姫様の調教スキルで酪農にも事欠かないからな」
バスケットいっぱいのクッキーを持ちながらハンテルがやってきた。おれの前にどさりと置いて、カップにミルクを注いでくれる。
この世界における牛乳はモダイドンとかいう牛っぽいモンスターからとれるらしい。いや、牛獣人とかいるんだから普通に牛じゃないのかよ、とつっこんだのも懐かしい話だ。どうやらこの世界はまだそこまで酪農も発展していないらしい。
まあそりゃそうか。おれの世界って交配に交配を重ねて、適した固体にしてるだろうし。そこまで行くにはまだ時間が足りてないのかな。
んで、その問題を解決するのがおれの調教スキルだ。モンスターを手懐けることができるこのスキルで、野生の牛系モンスターを乱獲よ。条約に引っかかりそうなレベルでな。
それを町の人に渡して、こうしてミルクを手配してもらっているというわけ。おかげで紅茶がおいしい! 渡したモンスターの中に二足歩行するタイプもいたけど、深くは考えない! 牛は牛ということで!
「ビニール栽培に酪農技術の向上。姫様のおかげで、この町もだいぶよくなってきたよな」
「よくなってきたというか、すでに他に差をつけ始めてるように見えるんだけど……」
「それは姫様の恩恵ということでいいじゃねえか。ビストマルトの騒動がなかったら、今頃は町の舗装を始められてたんだけどな。ホリーク開発の灯とか、おれの結界ガラスとか。面白そうなもんたくさん作ったんだけどなあ」
……ううん、案外ビストマルトっていいタイミングで攻めてきたんじゃないのかな。このままこの町が発展すると、確実に独立してそう。遅かれ早かれって感じある。
おれの生活を豊かにするという名目で、だいぶ環境を改造してしまった気がする。今更ながら、まじでうちの子たちチートすぎ。
いやいやいや、感慨深くするのもいいけど、今はバレンタインだ。目の前にあるお菓子の山に思いをはせるべきだろう。
……そういえば、チョコレートが見えないな。
本当に何気なくつぶやいた言葉だったのだが、狼の耳はすかさずキャッチしてしまったようだ。きれいな三角の耳がピクリと動き、目の奥に闘志が宿る。
「姫様、つかぬことをお聞きしますが、チョコレートとは何でしょうか?」
「えーっと……」
改めて聞かれると困るなあ。チョコレートってなんだろう。
カカオをなんやかんやして、なんやかんやするとできる甘いお菓子だ。おれの知ってるバレンタインではそれを渡すのが一般的だったんだけど。ごめん全く説明になってない。
そういえばチョコを今まで見たことないな。おれの世界ではカカオって南米のものだし、中世ファンタジーでは扱っていないのかもしれない。
説明というにはおぼろげすぎるそれを聞いて、ヴァルが指をパチンと鳴らす。
するとどこからともなく現れたホリークが本をばばっと開き、対応する料理を探し始めたではないか。その連携なんなの、お前ら仲良すぎない?
「……ここより南にある国で、ボンボリジュという物が該当しそうだ。豆をひいた粉にミルクを加え、冷やして固めるそうだ」
「お、なんかそれっぽい」
「その国では水に溶かして飲むそうだが、固体のまま食べることもできるとのこと。おそらくはこれに手を加えれば姫様御所望の一品になるのではないだろうか、ヴァル?」
「承知した。原料の調達はできそうか?」
「さすがに遠すぎる。だが、ブレズのドラゴンならすぐ着くはずだ」
待ってスケールが大きくなってきた。君らどこ目指してるの。
「この町での栽培は可能か?」
「ハンテルのビニール栽培ならおそらくは」
「ならばさっそくブレズを向かわせよう。異論はないな?」
とヴァルが後ろを振り向くと、そこにはきりりとした顔のブレグリズが鎧姿で立っていた。だからお前らのその連携なんなの。
「任せてほしい。姫様の望みは我らの望み。必ずや期待に沿える結果を持ち帰ろう」
竜騎士は重々しく頷くと、マントを翻してさっそうと部屋を出ていってしまった。待って、君の天級ドラゴンで駆け付けると絶対戦争になるんだけど。ねえちょっと。
おれのつっこみが届くより早く、ブレズは竜に乗って飛んで行ってしまった。視界の端では爆速で飛んでいくドラゴンが見える。あれ、ジェット機くらいあるのかな……。
帰りは『一足飛び』があるからいいけどさ。言語とかお金とかどうするつもりなんだろうか。統一されてたっけ。
……まあ、そこらへんは考えても仕方がない。吉報を待つことにしよう。
おれはいつものチート規模の展開につっこむきにもならなかったので、おとなしくお茶会を楽しむことにした。
準備は着々と進み、今やホールは花とお菓子の楽園だ。以前執事大会の時に作った執事服を全員が着こみ、おれという主役をもてなそうとする気概が見える。
うわあ、乙女ゲーの主人公みたい。絵面だけ見たら完璧にそれじゃん。
真ん中に腰かける絶世の美少女おれと、執事服を着た獣人たち。そして咲き乱れる花と甘いお菓子の山。
……ん、んー。どうしよう。意識するとむず痒くなってくる。イケメンであろう獣人たちにかしずかれる超絶美少女おれという絵面に耐えられなくなってきた。
五感すべてで乙女ゲームの世界に没頭しているおれは、ハンテルの声に過剰なまでに驚いてしまった。いつも通りの明るい声なんだけど、今はちょっと意識してしまう。
「というわけでだ、姫様!」
「ひゃい!」
「……どした?」
「い、いや、なんでもないから。それより何?」
少しだけ疑問符を浮かべていたハンテルだったが、促すとそのまま流してくれた。
あぶないあぶない。美少女としてきちんとスマイルを浮かべておかないと。
「おれら全員からの贈り物はこのお茶会なんだけどさ、それとは別に個別の贈り物も用意してあるんだ」
「……まじかよ。おれなんにも準備してないぞ」
「いいのいいの、姫様はありがたく受け取ってくれれば。そんで、ブレズが戻ってくるまでの間に、おれらのプレゼントを渡してしまおうと思ってさ」
そうは言われても、罪悪感が半端ないんですけど。バレンタインがあるって言ってくれればさあ……おれだってさあ……。
自分のふがいなさに落ち込んでいたおれの前に、ハンテルが小さな箱を置いてくれる。どう見てもそれは指輪などを入れておくための小箱で、中を開けると案の定、ダイヤを思わせる輝石がまばゆく光を照り返していた。
おれはそれを二度見して。ふたを閉めて、開けて。もう一度見て。
「…………指輪?」
「おう、おれから姫様に」
「待って、それ重い。めっちゃ重い」
「なにがだ? これは結界魔法を封じ込めた実用品でな。万が一の時におれの結界が発動して姫様を……いや待った。違う、そうじゃない」
いつものノリで説明していたハンテルだったのだが、急に黙っておれの前にひざまずいた。普段のおちゃらけた雰囲気からは想像できないほど凛々しい気配をまとい、執事服を着た虎がおれに指輪を差し出した。
「これはおれの結界魔法を封じ込めた魔石。いついかなる時でも姫様をお守りするおれの気持ちです。いつもおそばに、そして、おれに姫様を守らせてください」
うおおおおーーーーーっ! がちだーーーー! これはガチの乙女ゲーだーー!!
うわああ、恥ずかしいよおお! 照れるんですけど! こんないい雰囲気出されると照れちゃうんですけど!
向こうの世界でもてた記憶がないおれは、さぞかし微妙な顔をしていることだろう。
だって無理でしょう。なんだこのキャライベント並みの破壊力。これがバレンタインの魔力だとでもいうのか。
どうやらおれはMMOの世界に来たと思ったら、乙女ゲームの世界に迷い込んでしまったようだな。こいつはやべえぜ。具体的にはおれの男心がな!
しかもこれが後四回続くんでしょう? 正気を保っていられる気がしない。
おれが内心でもだえ苦しんでいる間も、ハンテルは無言で指輪を差し出し続けている。受け取ってほしいと、そういうことだろう。
……プロポーズかよ!
だが受け取らないことにはイベントが進まない。おれはからからに乾いた喉から声を引きはがし、なんとか音を発することができた。
「ありがたく、うけとるよ」
普段であれば、だ。ハンテルはぱあっと嬉しそうな顔をするだろう。そして、服の前をばっと開けて、撫でてほしいと訴えるはずだ。
だが、だが! おれの希望的観測は無残にも打ち砕かれ、あろうことはこの虎はそのまま立ち上がり。
なんと、おれの指にリングを通そうとしてきやがった!
はい無理ー! 無理ー! 死ぬほど恥ずかしいんですけど! 待ってやめて! 死んじゃう!
心臓がやかましすぎてそのまま死ぬんじゃなかろうか。なんて不安になるほど鼓動音が耳につく。
ハンテルの太く毛むくじゃらの指が、おれの指に優しくリングをはめてくれる。肉球が手を撫でるとそこから熱が出てくるようだ。指輪はしっかりとおれにフィットして、きらめきでおれを引き立ててくれる。透き通る色彩は、真っ白のおれにとても似合っていた。
「姫様の安全は、必ずやこのハンテルが守ります。貴方様の忠実な騎士として、盾として、常に前を歩きましょう」
すでにオーバーキルなんですよ勘弁してください死ぬ。
白く澄んだ肌のせいで真っ赤な顔がわかりやすい。おれの顔、今相当やばいことになってそうだぞ。
口からふひ、とか奇怪な吐息しか漏れないコミュ障ひきオタには過剰なほどの好感度。おれが男じゃなかったら、まじでイチコロだったわ。怖すぎる……。
指輪を渡し終えたハンテルが立ち上がると、雰囲気はいつものはしゃいだ虎に戻っていた。にっと口角を上げて、楽しそうにおれを見る。
「どうだ姫様。おれの騎士としてのふるまいも様になってるだろう。喜んでもらえておれもうれしいぞ」
にかっと笑うと人懐っこさが前面に出て、温かい空気が流れ込んでくる。おれはほっと一息ついて、落ち着こうと必死になった。
普段は駄犬みたいな性格のくせに、本当に決めるところは決めるんだからさあ。こいつもてるんだろうなあ、うらやましい。
ハンテルの笑みでおれにも調子が戻ってきた。まだ心臓はバクバク言っているけれど、平静を装えるだけのメンタルは回復したぞ。だから、あとの四人はなしにして。お願い。
だが、そうも言っていられない。彼らはおれのためにプレゼントを持ってきてくれたのだ。断るなんてできるわけがない。お次にはレートビィが前に出て、丁寧に包装された箱を渡してきた。
箱はとても大きく、レートビィ自身すらすっぽりと入ってしまいそうなほど。いったい中に何が入っているのかと思い、少し身構えてしまう。
兎はにこやかだがどこか緊張を匂わせるように口を閉めており、上目遣いでこちらをうかがっている。そんな顔を見せられて、受け取らないなんて選択肢がそもそも出ない。
「一生懸命選んだんだ。姫様に喜んでもらいたくて」
退路は見えず開けるしかない。おれは包装を解いて中を確認した。
中に入っていたのは装備品の数々。兜から宝石から様々なものが雑多に詰められていた。
男心へのダメージを思い身構えていたおれはハンテルからの落差で拍子抜けしてしまった。しかしよく見ると結構な値打ち物なのではないだろうか。盗賊職のレートビィが選んだのだから間違いはないはずだ。
「えっとね、北方の国境付近にダンジョンがあってね。そこに潜って見つけてきたんだ」
「潜ったって、一人でか?」
「うん。あの程度のレベル帯なら一人でも行けちゃうからさ。僕が見つけたお宝全部、姫様にあげようと思って」
なんとも盗賊らしい発想だ。よくよく見ると、箱の底には金貨が結構入っている。実用品という意味で、これに勝るものはないだろう。なにせ建国した身だ。お金が多いに越したことはないのだから。
乙女ゲーイベントではなさそうなので、おれは安心してお礼を言うことができる。可愛い兎に微笑むと、えへへと照れた笑いが返ってきた。
「あ、でもでも、まだ終わりじゃないんだよ。せっかくのプレゼントなんだもん。実用品だけじゃ味気ないよね」
思いのほか情緒というものを理解している発言にびっくりだぞ。予想以上にませてるな。
だが、これ以上何があるというのだろうか。箱の中をじっと見つめても、これ以上驚くものは見つけられない。
「さあ姫様。僕があのダンジョンで見つけたとびきりのお宝をプレゼントするよ!」
レートビィが宣言したとたん、あたりで黒い蝶が一斉に飛び立った。『第三の瞳』の使い魔は妖艶な魅力を持つ黒蝶で、大挙して飛び立つさまは心をざわつかせる魅力に満ちていた。
羽ばたきでふわりとおれの純白の髪が浮き、白が黒に覆いつくされてしまう。目の前で笑っている白い兎も、この黒の津波に飲まれていった。
だが、それも一瞬のこと。そのまま空に溶けるように蝶々が消えていくと、残ったのは金色の蝶々のみ。
細い金で編まれた細工品が、いつの間にか置かれていた。
明らかに職人技で作られたであろう精巧な作りと、羽の部分にいくつもの宝石がちりばめられている。まるですぐにでも飛び立ってしまいそうなほど作りこまれた装飾品は、レートビィの使い魔と瓜二つであった。黒色を金に変えたなら、これと全く同じ模様になるだろう。
「レートビィ、これは?」
「姫様へのプレゼント、僕の使い魔をかたどった髪飾りだよ。あのダンジョンで見つけた金を使って、作ってもらったんだ」
「へー、わざわざありがとうな」
「ねえねえ、さっそくつけてみて。ちゃんと鏡も準備したよ」
眼前に置かれた鏡をのぞき込んで、おれは髪飾りをつけてみることにした。きれいな蝶はひんやりとした金属の温度を持っていて、おれの手になじむようにすぐにぬるくなっていく。
そして、白い髪に金色の蝶が止まると、おれの華やかさが数段アップする。元がいいんだからもっと着飾ったほうがいいんだろうけど、おれにそんな趣味ないんだよなあ。
おれはレートビィのほうを向いて、照れくさそうに笑う。まるで女の子みたいだな、なんて思ってしまうけど、せっかくもらったものだから。少しでも気持ちに報いたかったんだ。
「似合ってるかな?」
「うん! とっても!」
まっすぐな笑顔で言われると、おれもつられて微笑んでしまう。和やかな雰囲気が二人の間に満ちて、心が温かくなる。
そして、これはよくよく考えなくても乙女ゲーイベントじゃねえかな。デートのワンシーンみたいになってるぞおい。
「ありがとう、レートビィ。大事にするよ」
恥ずかしくなってきたので、話を次に進ませたい。何子供相手に照れてるんだと、経験不足なおれを笑ってくれて構わない。
それほどまでに、今のレートビィは大人びて見えるんだ。
「姫様、もらってくれてありがとう。僕も頑張ってダンジョンに潜ったかいがあったよ」
「でも、これからはなるべく一人で行くんじゃないぞ。何があるかわからないんだから」
「そうだね。……だけどさ、とっても楽しかったんだ。だから――」
そこで、最後の一言。レートビィがおれの耳元で小さな声を。
「僕の冒険譚、期待しててね」
カーッと頬が熱くなって、おれは幼子の本当のプレゼントを理解した。
寝物語が得意だというレートビィが、おれにだけ聞かせてくれる冒険譚。それこそが兎の本当のプレゼントだったんだ。
寝る前に聞く幼子の話はきれいな音をもっておれを安眠させてくれる。毎日じゃないけれど、たまに聞くと安らかに眠れる気がするんだ。
レートビィはそれを理解したうえで、ダンジョンでの冒険譚を聞かせてくれるという。宝なんていらなかった。その経験こそ、兎が欲してたものだったのか。
……うわぁ今のは不意打ちすぎでしょ。子供だと思って舐めてると痛い目見そう。
みんなにはお宝こそがプレゼントだとカモフラージュして、おれと兎だけの秘密をくれた。その特別感が、何よりのお宝なのだろう。
にっこりと笑う兎はとてもかわいらしく、口の前に人差し指を当てている。そのあざとさすら、魅力に変えてしまう才能があった。おれは気恥ずかしくなって、幼子を直視することが今はできない。
なんでコミュ障引きこもりのおれが作った子たちなのにこんなにイケメンなんだよ。意味不明すぎでしょ。ずるい。
戦利品と細工品と物語と。三段重ねのプレゼント攻撃はおれに大打撃を与えた。おれはすでに男としての敗北感に打ちひしがれ、このまま女の子でいたほうがいいのではないだろうかなんて思うほど。
いや無理でしょ。男に戻れてもこうなれねえもん。もてもての極意をおれにくれ。
すべて渡し終えたレートビィは満足そうに踵を返し、弾むように歩いて行った。
こういう言葉少なめなところもまた憎らしい。あとは夜で、ってか。あいつ大きくなったら絶対もてもてだぞ。確約された勝利の男か。ずるい。
ハンテルから落ち着いたと思ったのに、また頬が熱くなってきた。白いから真っ赤になるとすぐわかるんだよなあ。恥ずかしい。
2連続で来る乙女ゲーイベントに、おれの心は衰弱しきってる。やばい。思わずコロッと行きそう。中身男なのに。
いや、よく考えろ。残されたのはヴァルとホリークとブレズだぞ。
間違っても乙女ゲーにはならなさそうなタイプしかいないぞ。
勝った。これはおれの男心の大勝利ですわ。ハンテルレートビィ以上のときめき作戦なんて、あいつらには無理だろ。無理であってくれ頼む。
さあ次はどいつだ! かかってこいや!
「次はおれだな」
ずいっと前に出てくるのは鷲の巨体。ホリークは手に持っていたぬいぐるみをおれに渡してきた。
なんか、えらくかわいいな。デザインはミニホリークって感じか。鷲をモチーフにマスコット的な仕上がりになっている。
「おれからのプレゼントだ。気に入ってもらえると嬉しいのだが」
抱き心地のよさそうなぬいぐるみをもらい、触ってみる。どうやら普通のぬいぐるみのようだ。ぷにぷにとした手触りと本物みたいな羽毛がリアリティを出している。
確かにかわいいが、おれの男心にダメージを与えるほどではないな。プレゼントっぽいが、おれの鋼のハートをなめないでもらいたい。
そんな過信を持って手渡されたぬいぐるみをためつすがめつしていたところ、突然ぬいぐるみがしゃべりだした。
「ままー!」
「んん!」
今なんつった?!
驚きすぎて腕の中を二度見すると、ミニホリークがおれに羽を伸ばしてキャッキャッと笑みを浮かべていた。ぬいぐるみらしさは鳴りを潜め、ただの赤ん坊にしか見えなくなっている。
いやちょっと。なにこれ。この子しゃべるんですけど。
「姫様の癒しになればと思って、おれも魔法生物を作ってみたんだ。ただ、おれのスキルレベルだとあんまり大したものはできなくてな」
「ってことは、ホリークと同じか」
「そうだな。おれの子供みたいなもんとも言える。あんまり精巧には作れなかったんで、知能などが赤ん坊そのものなんだがな」
「つまりおれはお前の子供にママって言われたことになるのか!」
このままだと家庭が築けちゃうんですけど! 既成事実から作っていく作戦ですか!
今までの流れとは違って変化球すぎる。これはこれでけっこう心に来るものがあるな。
腕の中のミニホリークは楽しそうに笑い声をあげており、おれの体をよじ登ろうと短い手足で頑張っていた。
……かわいいぞこれ。ホリークを100倍かわいくしたような容姿に、無邪気の塊みたいな性格。いやこれ、かわいいぞ。
「ままー!」
ただ残念ながらおれは君のママじゃないんですよ! だからそんなキラキラした目で見ないで!
そんな葛藤なんかまったく知らずに、ミニホリークは本家ホリークを指さして「ぱぱ! ぱぱ!」と呼んでいる。
もうこれ完璧に幸せな家庭じゃねえか! 乙女心に訴える作戦じゃなくて、母性に訴える作戦かよ! ちくしょう! 効果抜群だよ!
あーでもかわいい! ちっちゃいホリークかわいい! 短いあんよとかさ! 顔は似てるからホリークが笑えばこんな感じになるんだろうなあ。
つまりおれがホリークとの子供を産んだらこんな感じに……いやいやいやいやおれは男。おれは男。おれは男だから。
危なく帰ってこれなくなるところだった。落ち着け。落ち着けおれ。まだ傷は浅いぞ。おれの男心は健在。心身ともに立派な日本男児。……体は違うか。
おれの葛藤を見て、ホリークはどう思ったのか。鷲は申し訳なさそうにくちばしを開く。
「すまない。役に立たない道具をもらっても困るだけだったな。これはおれが処分しておこう」
「処分って! 捨てるのか!?」
「使えない道具に価値はないだろう。それに、どうせ一日で体が崩れる。もともと使い捨てのつもりで作ったものだからな」
「崩れる!」
不穏単語のオンパレードで何を言ってるんだこいつ! そりゃ、ホリークの制作スキルで考えたら魔法生物が長持ちしないのはわかるけど、言い方が悪い。ちょっとそこに正座しなさい!
「いくら自分が作った魔法生物だからってぞんざいに扱いすぎ。せっかく産んだんだからもっと大事にしなさい」
「でも、これはただの道具だぞ。姫様の気分転換のために、おれが作ったんだ」
「作ったんなら責任を持てって言ってんの。おれだってホリークのことそんな簡単に手放す気はないからな。そもそも道具じゃないだろうが」
「……やっぱり姫様は、おれのことも生き物として扱ってくれるんだな」
何当然のことを言っているんだと、眉を吊り上げる。おれはホリークのことを一度たりとも道具だと思ったことはないぞ。そりゃ、出自は他のみんなと違っておれの手によるものじゃないけどさ。素体を用意したのはおれだぞ。
するとなぜか、ホリークがうっすらと笑う。安心しているような、喜んでいるような。そんな柔らかい笑みで。
「ん、ん? 何か変なこと言ったかおれ?」
「いや何も。それが姫様ってことなんだろうさ」
そこでホリークはおれのひざ上からミニホリークをひょいっと抱き上げ、腕に収めてしまう。ミニホリークは父親に抱かれて安心したのか、そのまま寝息を立ててしまう。
このまま処分されてしまうのだろうかと、おれは心配になってつい聞いてしまった。
「どうするつもりだ?」
「寝かせてくる。すまない姫様、今回のプレゼントはなしにしてくれ。きちんと保管しておけば崩れることもないからな。おれの制作スキルが上達した時には、またこいつを抱いてほしい」
そう言いながらミニホリークを抱くホリークが、とても大人びた顔に見えるのは気のせいだろうか。まるで本当の親子みたいだ。
「道具であるおれからすれば、最後の瞬間まで主に思われたのならそれだけで幸せなんだが、姫様は延命を望むようだ。だとするならば、おれはそれに応えよう。そのときは、きちんと知能もついているはずだ」
「そしたらママーって呼ばれなくなるんだろうな」
それはそれで寂しいな、なんて思ってしまう。男心を強く持ちたいが、今だけはしょうがないと自分に甘くしよう。子供ってかわいいんだもん。
「なんだ、姫様は子供が欲しいのか? 言ってくれればおれがすぐ作ってやるのに」
「誤解しか招かない字面やめて!」
おれの進化スキルとホリークの制作スキルを合わせれば結構いいモンスターが産めそうだけどさ。まじで二人の結晶になるじゃん。それにママって呼ばれたらさすがに耐えられなさそう。
ホリークはミニホリークを小脇に抱きかかえながら話している。部分的にはいつもと変わらないのに、全体でみると雰囲気が柔らかくなった気がするのは子供効果なのだろう。
これはあれだな、小さい子に優しくすると父性が見えるとかいうあれ。しかも普段のめんどくさそうな顔からのギャップ。ちくしょう、これも乙女ゲーイベントかよ。
「それじゃあ姫様、おれからのプレゼントは終わりだ。何もなくて申し訳ないな」
そのままホリークは一度ホールから出て行ってしまった。
だが、最後の刹那、眠そうな目を開けたミニホリークがおれに向けて放った透明な笑みは、とてもお父さんによく似ていた。
なんかしんみりしてしまったなあ。あのミニホリーク、いつか元気になるといいんだけど。トンカチ君とかがいてくれればなあ。制作スキルで何とかなるんだけど。
いや、トンカチ君はホリークの生みの親だから、そしたらホリークの弟になるのか? おれの子供でホリークの弟、つまりはトンカチ君と夫婦?
……ややこしいから考えるを止めよう。それにおれは男だ。
「そうですね。トンカチがいてくれたなら、魔法生物兵を大量に生産できて国力を増やせます」
こういう情緒ないことを言うのはヴァルしかいないよなあ。感情って意味ではホリークより疎いからな。
案の定顔を上げると黒い執事が立っており、やはり手には何かを持っている。
ヴァルはホリークが消えていったドアを少し眺めて、一言付け加えた。
「……感情の起伏のなさでは、私と同じくらいだと思っていたのですが」
「ん、何か言ったか?」
「ああ、いえ、別に姫様が気にすることではございません。それでは、私からのプレゼントはこちらになります」
渡されたそれは、冊子に――レストランであるメニューに見える。
中を開けば案の定、びっしりと料理の名前が書き連ねてあるではないか。
「えっと、これはどういう意味なのかな?」
「こちらは私ができる仕事一覧でございます。作れる料理レシピから、暗殺などの仕事まで。姫様が命令しやすいように、こうしてまとめておきました。喜んでいただければ幸いです」
おっと、急にギャグ展開だぞ。こういうのでいいんだよ。おれの心をどきどきさせるのはもうやめてくれ。
ほっと人心地つくことができて、通常美少女スマイルを浮かべてヴァルを見る。狼は冷静な顔にみじんの揺らぎも見せず、すぐさま退場しようと踵を返す。どうやら渡しただけで終わりのようだ。相変わらずのクールっぷりだな。
しかし、ヴァルの退路を阻む猫が一匹。ハンテルがにやにやしながらおれのそばまでやってくるではないか。
「なあなあ姫様、聞いてくれよ。この不器用、こんなものを渡すのに結構悩んでたんだぜ」
「無知を垂れ流す口を今すぐ閉じろハンテル。さもなくば、その毛皮をすべて剥ぐぞ」
「この前の仕返しだと思ってくれよ。にっしし」
こ憎たらしい顔で笑いつつハンテルは机に何かを広げた。それは、指輪だったりネックレスだったり宝石だったり。ありとあらゆる贈り物にできそうなものがテーブルの上に転がった。
え、まって、ひょっとしてこれ全部……?
「その通りさ姫様。これ全部、ヴァルが用意したんだ。姫様に喜んでもらうために、思いつくもの片っ端から集めてたんだぜ」
「貴様、いつの間にそれを……」
「お前の部屋で無造作に転がってたぞ。というか、どれが姫様に似合うかっておれにも聞いてきたじゃねえか」
どこにそんな時間があったのか、なんて野暮なことを聞くのはやめておこう。
それにしても、それならなんでこのメニュー表にしたんだ?
おれが問うてみると、ヴァルは困ったように、あの一刀両断をためらわない冷静沈着の権化が目を泳がせてしまっている。
よほど言いづらいことがあるのだろうか。それでも口唇をもごもごと動かして、言葉を探して紡ぎだす。
「せん越ながら申し上げますと、あまねくきらびやかな装飾品も、姫様の前ではかすんでしまいます。その麗しい御姿に似つかわしい装飾品を、私では見繕うことができませんでした」
ヴァルは恭しく頭を垂れて、そして上げる。燃えるように真っ赤な瞳でおれを射抜き、その言葉が真実だと訴える。
思ったことを率直に言ってるだけなんだろうけどさ、ただの口説き文句にしかなってなくない? おれが超絶美少女だっていうのは事実ではあるんだけど。
「ゆえに、そのような装飾品は引き下げ、私はこの身をささげることにしたのです。私が姫様にできることは、勤労を置いて他にはありませんから」
だからメニュー表。おれに似合う物がないと判断し、働きで埋めようと。
そ、そんな真面目に考えなくても。散らばっている物どれか一つでもくれたら、それで満足できるよ。おれにふさわしいプレゼントを考えてくれたんだろうけど、ちょっとドツボにはまりすぎてる感は否めない。
まあそれでこそヴァルという気はするのだけど。こいつはまじめに考えすぎて頭が固いから。
「私は姫様の犬でございます。いついかなる時も命令に忠実であり、絶対の忠誠を誓っている身。遠慮せずお声がけくださいませ。私が姫様の命令に忌避を抱くなど、それこそありえないことですので」
……なるほど、つまり「もっと使ってね」という意思表示でもあったのね。おれは確かに簡単なことは自分でしちゃうからなあ。ヴァルからすれば歯がゆい思いをしているんだろう。
なにせ一般大学生だ。執事にかしずかれるとかまだ慣れてない。
そこらへんはおいおい妥協していくとして、ヴァルからのプレゼントはこんなもんかな。やはりおれの男心は強靭だったか。この程度では揺らぎもせぬわ!
「ひーめさま」
おれが自分の勝ちを誇っていると、ハンテルが横から手を伸ばしてきた。
「ここ見て、こーこ」
にやにやとしているハンテルの指を目で追うと、なにやら一つだけ違った筆跡が紛れ込んでいるではないか。
思わずそれを口に出して、おれは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「『おなかモフモフ』……って、はいぃ!」
え、え、え、ヴァルさんどうしたの? 働きすぎて気でも狂いましたか?
驚愕の視線をヴァルに注ぐと、本人は何のことだかわかっていないように首をかしげて問い返す。
だが、ハンテルの指を追うと、途端に憤怒の表情で虎に向かって吠え出した。
「ハンテルっ! 私はそのようなものを書いた覚えはない!」
「にゃーっはっはっは! ひっかかったなヴァル! そこに書いてある命令は絶対なんだろ? なら、姫様におなかを差し出さないとなあ!」
「そのようなもの、無効に決まっているだろう!」
「いいのかなあ、書いてあるのに守れないなんて、君の信頼に響くんじゃねえの?」
「っぐ……貴様、あとで絶対に殺す」
とか言いながら執事服を脱いでいくんですけど。待って、おれまだ何も言ってないよ!
フォーマルな執事服が丁寧にはだけていくさまはどこか淫靡だ。しゅるりとタイを外すとヴァルのつややかな黒の面積が増えていき、すました顔の狼の毛皮が風になびいて照り返す。
ヴァルはおずおずとおれをうかがい、シャツのボタンをはずしていく。それがとても情緒的だったので、おれは思わず喉を鳴らしていた。
「この程度で、い、いいでしょうか? 脱げというのでしたら、下も脱ぎますが?」
「いやいい! そのままでいて!」
「かしこまりました。でしたら、その……せめて、手袋をはめていただけないでしょうか」
あ、そういえばヴァルは潔癖症だったんだっけ。それなのにこんな命令に従ってくれるなんて……無理しなくていいのに。
「いえ、ご命令なら何でもと言ったのは私でございます。ハンテルはあとで八つ裂きにするとして、姫様のご命令に背くなどありえないことです」
だから、おれは何も言ってないんだよなあ。と思っても、せっかくの機会だからと便乗してみたい欲求は否定できない。凛々しい顔を標準装備したヴァルがこんなに慎重になっていて、その毛皮を差し出してくれる。
普段はしっかりと着こなしている執事服。それが今では前面をはだけさせている。
ヴァルはシャツを握り、前を開け放っておれを待つ。黒くきれいな毛皮が、まるで早く撫でてほしいと言っているようだ。
おれは手袋をして、恐る恐る手を伸ばす。ハンテルよりも長い毛先に指が触れ、押し込むと沈むように飲み込まれていく。ハンテルより軽い気がするのは長さのせいだろうか。真っ黒な毛先を指に絡めると、ヴァルがくすぐったそうにちょっとだけ身をよじった。
「……んっ」
こうしてみると、毛皮のせいで着ぶくれしていたのがわかる。毛皮の下にあるのはしなやかな体幹で、しっかりと付いた筋肉が固い手触りをくれる。手袋越しであることが悔やまれる。素手で触ればきっと、気持ちいい肌ざわりだろうに。
ヴァルはハンテルみたいに茶化してはくれないから、どうしたって緊張してしまう。いけないことをしているんじゃないかと思ってしまうような。冷徹が崩れた相貌にそんな背徳感を抱かせる。
ふかふかな手触り。柔らかく沈むおれの手。そして、緊張しているヴァルの顔。
軽い気持ちで便乗したのに、まさかこんなにもどきどきするなんて思わなかった。ハンテルと同じだろうと高をくくっていたのに、黒から漂う色香におぼれてしまいそうだ。
結局おれは満足に撫でないまま、ヴァルから手を引いてしまった。撫でるたびにこらえる声が漏れてきていては、心臓に悪いというものだ。
あーくそ、結局こうなるのか。おれの男心に大打撃だよ。まさかヴァルにドキリとするなんてさあ。
ようやく解放されたヴァルはわずかに表情を緩め、いそいそと服を正していく。少しするときりりと着こなしたヴァルが戻ってくる。その顔は何事もなかったかのようで、だけど、尻尾が少しだけそわそわと動いていたことをおれは見逃さない。
「見苦しいものをお見せして申し訳ありませんでした。その項目についてはいずれ修正させていただきたいと思います。そしてハンテルは殺す」
怨嗟を隠そうともせずにヴァルは一礼し、乱れない足取りで引っ込んでいく。ハンテルはおれが撫でている間に結界を何重にも張っていたらしく、ヴァルがナイフを無言で何度も突き立てていた。
ハンテルの結界が破られるようなことになったら、あたりにいるおれらも被害をこうむるな。それをわかっていて、ここに結界を張りやがったなあいつ。
「……ふう」
ようやく今いる全員が終わったな。ああもう、心臓に悪い。こんなときめきイベントを目白押しされたら、男でも落ちかねないぞ。少なくともおれは何度かときめきましたー!
男である自信を無くしそうなほど胸が高鳴ってしまった。ぐうう、ちょろすぎる自分が恨めしい。
「そろそろブレズも帰ってくる頃だろう」
ミニホリークを寝かしつけたホリークがそう言いながら戻ってきた。鷲は部屋の隅で行われているハンテルとヴァルのやり取りを一瞬だけ見て、すぐに興味なさそうに視線を逸らす。すでに通常状態のホリークはすべてをめんどくさがっていそうな顔になっていた。
「そうだね、せっかくだからもうお茶会にしちゃう? 待ち続けてたらブレズも委縮しちゃいそうだし」
レートビィの言うことももっともだ。ブレズの性格を考えたら待たせたことに対して土下座をしかねない。
だが、ここまできて先に食べるのもなあ。と思っていた矢先のこと。
飛竜の羽ばたきが耳につき、ブレズの帰還を告げた。
さっそうと部屋に入ってきた竜騎士は小脇に箱を抱えており、あの中にカカオっぽい何かが入っているのだろうと察せられる。
「遅くなってしまい申し訳ありません。しかし、この通り任務は達成してまいりました」
さすがのハイスペック。南方の国とかこんな早く行けるものなのかよ。
おれの前にかしずいて箱を差し出す竜騎士。よどみない仕草を見て、ああそういえばこいつ騎士だったなと思い返す始末。普段がのほほんとしたドジっ子なもので、たまに忘れそうになるんだ。ハンテルもだけど。
ブレズが帰ってきたことを知ったヴァルが、つかつかと歩み寄って礼をする。奥ではハンテルが苦虫をかみつぶしたような顔をしているが、あれはおそらく結界から出れないせいでお茶会に参加できないと気づいた顔だな。自業自得だと思ってあきらめてほしい。
「よし、それならばさっそく取り掛かろう。姫様はお茶会をお楽しみください。必ずやご期待に沿う菓子に仕上げて見せましょう」
自信満々に言い切って、ヴァルが箱をもって厨房に向かおうとする。だが、おれはそれに待ったをかけ、少しだけ待ってもらう。
「何か?」
「あのさ、ヴァル。それ、おれにも手伝わせてくれない?」
「しかし、これから行われるのは試行錯誤の連続。姫様のお手を煩わせるわけにはいきません。それに、茶会の主役が消えてしまっては、みんなも悲しまれることでしょう」
そう言われてしまうと言い返せないな。チョコレートを作りたかったけど、このお茶会だってみんながおれのために用意してくれたものだ。抜け出したらせっかくの努力がふいになってしまう。
ヴァルに向けて伸ばした指先が、しおれた植物のごとくしゅんとしてしまう。そんなおれを見て、ヴァルが言葉を添えてくれた。
「でしたら、ある程度形になったらお呼びしてもよろしいでしょうか。姫様には味見もしてもらわなければなりませんし、その時にでもぜひ」
「ありがとうヴァル。そのくらいしかできないけど、おれにも手伝わせてほしいんだ」
「こちらこそ、心強いお言葉に感謝しかできません。それでは姫様、茶会をお楽しみください。ブレズからも心配りがございますので、ぜひ受け取ってやってくださいませ」
背筋を伸ばして歩いていくヴァルと入れ替わるようにして、かしずいたままのブレズが視界に入ってくる。おれらの中で一番の巨体は、立つだけで威圧感がある。それも、鎧姿ではなおのこと。おそらくは歩くだけで他を委縮させるだけの覇気があるのだろう。
竜騎士は固い空気をまとい、他を飲み込むほどの堂々たる風格を見せつける。隆々とした体躯はまさに剣を振るうためにあり、こうべを垂れる姿は威厳すら感じられる。
「最後となりましたが、私からの贈り物を。こちらが、姫様に送る私の気持ちでございます」
甲冑に包まれた手が差し出したのは一輪の花。白い花びらを付けた質素な花が、おれに向けられている。
「え?」
つい呆けた声が出てしまった。今までの奴らは形こそ違えど、かなり手の込んだものを送っていたんだ。肩透かしを食らったような気がして、それはなんて失礼なのだろうとすぐに思い直す。
ブレズがおれのことを思って選んでくれたのなら、どんなものであれ喜ばしいものだ。おれは、喜んで受け取ろう。
白くてきれいな姫君と、花を送る騎士。絵面的にはなんと様になっていることだろう。おれはそれを客観的に思い、つい噴き出してしまう。ああ、おれは本当に姫君なんだな。
「ありがとうブレズ。きれいな花だな」
おれがそういうとブレズは竜の口で笑みを作ってくれる。一転して優しい笑み。おおらかな竜騎士の心根がうかがえる笑みをもって、彼はさらに言う。
「こちらはスワイトの花と申します。この花には特殊な性質がありまして……」
ブレズが花を上に放り投げる。
すると、花は一瞬だけ光り輝いてはじけてしまった。
「このように、熱を加えると光をまく性質があるのです」
ホールに光が舞う。みんなが準備してくれたお菓子をきれいに彩って。空間を幻想的に彩って。
今この瞬間に限って言えば、ここは異世界と言っていいだろう。夢のようなお菓子と花に満ちた場所で、雪のような光が舞い踊る。
盛り付けられた料理や花はこれをもって完全へと成ったようだ。ふわりと柔らかい芳香を振りまきながら、雪が降り積もる。落ちた雪はすぐに消えてしまうけれど、世界を鮮やかにしてくれるだけの美しさがあった。
「私は他のみんなのように何事も器用にこなせるわけではありません。制作スキルもなければ、探索スキルもないのです」
ですので、と竜は言う。鎧姿は荘厳に、けれども、誰よりも優しい笑顔で。
「私にできることは、この剣にかけて姫様に忠誠を誓うことと、今回のお茶会を楽しんでもらうことだけです。姫様にはこのお茶会をさらに楽しんでいただきたく、このような余興を用意しました」
愚直で真面目な、ブレズらしいプレゼント。この騎士は自分にできることを一生懸命考えて、それでこの結論に至ったのだろう。
肩透かしなんてとんでもない。おれの視界はきらびやかな光景へと変貌した。夜景をプレゼントされた恋人はこんな気持ちになるのだろう。ああ、それはなんて甘い。
「そういえば、先ほど南方の国で聞きかじったのですが、バレンタインには贈り物を渡すときに合言葉があるようですな」
そして、さっきと同じ花をもう一輪、懐から取り出した。赤い竜に質素な花はとてもよく似合っていて、優しい笑みが色を増していく。
そっと前に出された一輪を、おれは受け取ろう。どきどきなんてしないけど、ほんわか優しくなれる気持ちをもって。
最後の贈り物は、おれの中にある男心の危機感もなく素直に受け取れる。優しい竜の心配り。ありがたくちょうだいしよう。
「ハッピーバレンタインです、姫様」
****
お茶会もにぎやかに進みある程度たったころ、試作品が完成したとヴァルが持ってきた。一口食べてみると、それは確かにおれが知っているチョコレートに酷似していた。
「……わかってはいたけど、さすがだなヴァル」
「お褒めの言葉をいただき、それだけで報われた気持ちでございます。これもひとえに姫様のご指導の賜物です」
「おれはアバウトな作り方を教えたくらいだし……」
「いえ、現地の作り方を参考に、姫様のアドバイスを入れた結果です。素材も我らの土地でとれる良質なものを使っているため、味も格段に良くなっているかと思います」
これ以上おれが何を言っても蛇足にしかならないぞ。本当におれは何もしてないじゃないか!
そのうえでこの提案をするのは完全に心苦しいのだが、仕方がない。このままでは本当に何もしないままで終わってしまう。
さらっとハンテルにナイフを投げつけているヴァルに向けて、おれはこそっとお願いをしよう。
「あのさ、ヴァル――――」
おれのわがままを聞いて、ヴァルはなんてことないようにうなずいた。こいつは絶対否定しないだろう。だからこそ、余計に心苦しい。
「かしこまりました。それでは、厨房へまいりましょうか」
おれはヴァルと一緒に抜け出して、厨房へ向かうことにする。チョコの下見と言えば、誰も気にしないけどさ。
少しして、おれはホールに戻ってきた。両手にはバスケットを抱え、その中には――
目の前の光景は前と変わらず。ハンテルとホリークはチェスのような駒遊びをしているし、レートビィは大量のケーキを幸せそうに食べている。ブレズはみんなの給仕に動き回っており、全員が楽しそうに笑っている。
おれは勇気を出して……初めてすることに緊張しながらも、何とか声を出して注目を集めようと努力した。
「あ、あの!」
全員が、おれを見る。おれは顔を真っ赤にして、手に持ったバスケットをぎゅっと握る。
どうしたんだと、みんなの目が問うている。おれは恥ずかしさにちょっとだけうつむいて、すぐさま勇気を振り絞って前を向く。
本当はしたくなんてなかった。でも、みんながこんな素晴らしい贈り物をくれたのに、おれだけ何もしないなんて事ができなかった。
女の体になった反動で、女の子らしいことをするのに対して拒絶反応がある。だけど、そんなことを言ってはいられない。みんなの気持ちに報いるには、こうするしかないんだ。
みんなが集まって、バスケットの中をのぞいてくる。ヴァルに手伝ってもらって完成したチョコレート。ハートの形をした、感謝の気持ち。
「お、完成したのか」
チョコを見たハンテルが弾んだ声を出す。おれの世界とは違うから、チョコをもらうのがどんな意味かなんて知らないんだろう。友チョコだって割り切って渡せればいいんだけど、やっぱり気恥ずかしさは残る。ああもう、なんでハート型にしちゃったのかなあ。
レートビィがぴょんぴょん跳ねながらバスケットの中を見ようとしており、声もせわしなく揺れている。
「甘くていい匂いがするよ! 早く食べてみようよ!」
その気持ちはわかるけどもうちょっとだけ待ってほしい。
おれは深呼吸をして、自分の中の男心を押さえつけるのに忙しい。頭の中で何度も反芻して、ようやく言葉が形になる。
「おれの知ってるバレンタインってのはさ、こうしたチョコを送る日なんだ。……最近はそうでもないんだけど」
女の子の声だけが、ホールに響いている。おれは心臓をバクバク鳴らして、言葉がもつれないように必死だ。
「最初は、えっと、好きな人に……送る日だったんだ」
そこまで言って、おれがなんで緊張しているのかみんなわかってくれたようだ。あるものはきょとんとした顔をして、あるものはとてもうれしそうに笑って。
全員に共通しているのはおそらく、おれの続きを待っているということ。
「いや、でも、友達に送るとかの意味も増えてきたし、別に、そんなたいそうなものでもないし……いや、おれはほとんど作ってなくてヴァルがやってくれたんだけどさ。おれなんて形を作って固めたぐらいだし……」
違うだろ、そうじゃない。おれが言いたかったのは、こんなことじゃないんだ。
顔は赤いし目はうるんでるし、もじもじしちゃって告白前の女子かよと我ながらつっこみたい。
だけど、しっかり言わないといけない。みんながいつもの感謝を形にしたのなら、おれだってそうしたい。
大きく深呼吸。肺に決意を満たして。さあ、言うんだ。
「いつもありがとう! これ、感謝の気持ち!」
ぎゅっと目をつむりながらバスケットを差し出して、おれは叫んだ。バレンタインにチョコを送るなんて女々しいこと限りないけれど、これが一番この日に適した方法だと思ったんだ。
なんでお正月はないのにバレンタインはあるんだ。意味わかんないぞ。ゲームの世界もしっかりしてほしい。ああ恥ずかしい。
みんなおれのことを敬っているから、絶対に受け取ってはくれるだろう。そうわかっていても恥ずかしいんだ。だとしたら、普通には絶対渡せないな。そもそもおれは男だから渡さねえけど。
今回が特別。みんながおれのために動いてくれたから。おれだって素直に動けたんだ。
ありがとう。いつもいつも、迷惑をかけてばかりのおれについてきてくれて。
こんなことでしか返せないけれど、ぜひ、受け取ってほしい。
気持ちだけは、込めたつもりだから。




