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美女?と野獣の異世界建国戦記  作者: とりあえず
63/77

美味しいところは主人公補正で

「ツキガス……」

「お久しぶりです、姫様。まさか片手の指で事足りそうな人数に負けることになるとは思いませんでしたよ」


 大きな熊の偉丈夫でありビストマルト第15軍将軍、サウステン=ツキガス。彼は手に身の丈以上の大きな槍を持っており、獣人ならではの剛腕が健在であることを知らしめる。彼女なら持つことすらできない槍と片手でやすやすと扱い、すでに体の一部を思わせる。

 おそらく結界を破ろうとしていたのか、入口の膜にはひびが入っておりあと少し遅ければ侵入を許していたはずだ。


『やっぱ即席で作った結界だし自動修復機能は無理かあ。悪いな姫様、ちょっとこっちは今動けそうにねえ。結界を組みなおして補強するほうがいいだろうし、機能も追加する。それに、おれが動くとステラがやばい』

『いやそれはいい、イグサたちを頼む』

『あいあいさー。でも、姫様が危なくなったら何を差し置いてもおれはそっちを優先する。それだけは忘れないでくれよ』


 警告のような言葉を受けて、彼女にますますプレッシャーがかかる。自分の肩に乗っているのは自分の命だけではないのだ。

 だけど、そんなことはもうわかっている。


「ああ、こんな場所で言うべきことではないのは百も承知。しかし、ますます奇麗になられた」


 土にまみれた彼女の相貌を見て、ツキガスは心酔するように顔をほころばせる。

 一体何がそうさせるのか彼女にはわからない。血の気は引いているし、嘔吐した形跡だってある。着飾った時と比べ、見劣りすることは間違いないはずなのに。


「いえ、前よりも目の輝きが違います。決意を固めた凛々しいお姿に、このサウステン=ツキガス、一層の愛を誓いましょう」

「相変わらず情熱の国だなビストマルト。こんなところで言われてもおれも困るんだが」

「そうでしょうとも。……まさか自分がこんな歯の浮いたセリフを吐くとは全く、ええ、自分でも想定していなかったもので。……はぁ、オレナの奴を馬鹿にできないんだよなあ」


 オレナとはオレナ=ビーグロウのことをいうのだろうか。確かに言葉遣いはあの獅子に近いものを感じる。ひょっとして、あの二人は知り合いなのかもしれない。

 するともうそれは一種の国民性なのか。だとするなら絶対ビストマルトにはいかない。彼女はそう心に決めた。


 今の二人は完全な敵同士、なら、いい機会だから言いたいことを言ってしまおうと彼女は口を開いた。


「前から言いたかったんだが、その言葉遣いはビーグロウに近くてちょっと生理的に無理なんだ。もっと普通にしてくれていいぞ……いや、敵同士に普通もくそもないんだけどさ」

「……!」

「あ、予想以上にダメージでかいな。ごめん」

「いや、うん、確かにおれもあのセリフで迫られると寒気がするからな。わからなくもない……わからなくも……ない……」

「ごめんって……」


 彼女は申し訳なさそうに言うが、そのそばでゴウランはどうしたものかと手を出せずにいた。今のツキガスは隙だらけで、この世のすべてに絶望したような顔をしている。懸想している人から生理的に無理とか言われたらまあそれはそうなるだろうなと、一児の父は憐憫を思うほど。


 しかし、ここは戦場だ。そんな悲劇は本の中だけにしてほしい。


「悲劇してるとこわりいけどさ。とっとと戦闘しねえ? いや、時間稼ぎできてるからいいんだろうけどよ」

「そ、そうだな……え、おれに女を殴る趣味はないのだが」

「落ち着けよ。あくまで戦うのはおれだ。お前はおれを倒した後、姫様をお持ち帰りすればいいじゃねえか」

「ろくでもないこと言うのやめろ!」

「お持ち帰り……? いや、それは……いやいやいや! いやいやいやいやいやっ!」

「ほら、鼻血出しながら頭ショートしてるじゃねえか!」

「やったな、今なら楽に倒せるぞ!」

「くそ野郎だな!」


 ならとっとと首をいただいてしまおうと、ゴウランは駆けた。あっという間に彼我の距離を詰め刀を振るう。白銀の閃光が瞬いたらすぐに、この熊の首は落ちるだろう。


 だが、熊はこれでもビストマルトの最高武力に数えられる一人。短いが太くたくましい腕を駆使し、鬼の体に槍で切り込んでいく。

 あいにくきれいに決まったとはいいがたい槍であったが、威嚇には十分すぎるほどで、ゴウランの刀は虚空を切るだけに終わってしまった。


「ちぃ、腐っても将軍か」

「おれがやられたら誰が姫様をお持ち帰りするんだ!」

「少なくともお前じゃねえな!」


 鼻血を出しながらもさすがの身のこなし。手に持った槍を見るに、手の短さはあまり関係なさそうだ。

 彼女は一連の流れを聞かなかったことにして、解析に努めた。これだから女の体は嫌なんだと、身の危険を感じながら。


 片方が鼻血を流しているせいでしまらないが、ここは完全な分水嶺だ。


 彼女が負ければ結界が破られてしまうだろうし、ここを乗り切れば防衛はなったも同然だろう。両者それを感じてはいるが、ツキガスはそれどころではない。


 奥手で不器用で生まれてこの方恋などとは無縁の生活を貫いてきた彼にとって、この衝動は大きすぎる。持て余しながらも、何とか体裁を整えようと必死なのだ。


「今の身のこなし、さぞかし名のある武人とお見受けした。このサウステン=ツキガス、全身全霊を持ってお相手しよう!」

「……その心意気はおれもうれしいんだがなあ、せめて鼻血拭いてから言ってくれねえか」


 ここまでうぶな奴がいる物なのか、ゴウランはなんだかおもしろくなってきたので、姫君のスカートをつまみあげてちょっとだけ上にあげる。


 ピラッ。


「ごふっ!」

「ゴウラン、何してんだ!」

「よし、姫さんはスカート捲し上げて待機しててくれ。この勝負、楽に勝てる!」

「このくそ野郎!」


 そうしてまたも侍は飛び出した。虚無に支配された彼にとって、楽に勝てるならそれに越したことはないのだ。

 同じ手を二度も食わないと、ツキガスは腰を落として構えて侍を迎え撃つ。さすがに回復が早い。ゴウランはしょうがないと内心舌打ちをするだけにしておいた。


「『剛槍突き・衝波ごうそうづきしょうは』!」


 拳から衝撃が飛び出し、ゴウランは身をよじってかわす。その過程で刀を振りかぶり、お返しにとばかりに斬撃を飛ばす。


「『進刀“蝶々”(しんとうちょうちょう)』!」


 鋭い斬撃がツキガスに向かって突き進むが、槍で突かれただけで霧散して消えていく。幾多の兵を切り刻んだ技も、ツキガスにとっては児戯に等しい。


「これで終わりってわけじゃねえだろ?」

「まあな……鼻血出してなきゃ決まってたんだけどなあ」

「それは言わないでくれ。というか、お前のせいだろうが!」

「そうだな――ほれもう一回」

「ふぐぅ!」


 ツキガスの巨体がよろめき鼻血の勢いが増した。このままだと失血死しそうだなあと、またもスカートをめくられた彼女はもうどうにでもなれとあきらめの境地でそう考える。それと、あとでヴァルに告げ口して、この鬼を成敗してもらおう。

 場面的には実力者同士の一騎打ち、しかし、絵面だけだとただのギャグパートだ。


 このバカげたじゃれあいはいつまで続くのだろうか。彼女がそれに頭を悩ませ始めたとき、それは唐突に打ち砕かれた。

 現れたのはツキガスよりも大きな灰色の男。ブレズよりはさすがに小さいがそれでも十分すぎるほどの巨体だ。


「ツキガス、何を遊んでいる?」

「オルワルト先輩、失礼しました。少し気が緩んでいたようです」


 なるほど、将というものはああいう手合いをさすのだろう。彼女は内心で感嘆した。

 体つきが他の者より大きいことはもちろんだが、なにより気迫が違う。眼光は研いだ剣のごとく、佇まいは不動の岩のごとく。灰色の表皮が醸す雰囲気はゴウランを前にしても揺らぐことなどない。ツキガスが先輩と呼ぶ彼のほうが格上であることは一目で明らかだ。

 大きなサイの獣人。絢爛な鎧に大槌を持ち、こちらを見下ろす圧倒的強者の気配。


 サイの将軍は油断なくこちらを見、そして吠えた。


「我こそはビストマルト第8軍将軍、オルワルト=デグリエリ。小さな勇者よ。その戦績を称え、我が槌で幕を引こうではないか」


 大きな足でのしりと歩み寄る。一歩近寄るだけで壁が迫るような迫力だ。

 対する赤鬼は刀を鞘にしまい、抜刀の構えを取った。本気で行かねばやられると、彼らは互いに嗅ぎ取った。戦場で培った嗅覚を信じる彼らには、ここが正念場だと肌で感じられるのだろう。


「第8軍の将軍様とは、これまた大物が来たもんだ。上位軍一歩手前か。姫さんよ、こいつはちっとばかし厄介だぜ」

「……そうか」


 いや、なにが厄介なのかよくわからないし、上位軍というのも聞いたことないんですけどね。と、彼女はまじめな顔をしながらも内心つっこみを入れていた。どれだけ雰囲気が切羽詰まっていても、彼女のつっこみはすでに身にしみこんでいるものだ。

 だが、空気の読める彼女はそんなことおくびにも出さず、真剣に構えた。どんな立場の者か知らないけれど、強いというのは分かる。それだけで十分だ。


 そんなつっこみをいれられるくらいには、彼女も慣れてきたのだろう。張り詰めた精神が息抜きを求めるように、オルワルトを見ながら息を吐く。その顔はもう、毅然とした戦士の顔だ。


 相手が名乗りを上げたのなら、自分も名乗らねばならない。彼女は澄んだ声を上げた。


「ネースト国王、オルヴィリア。お会いできて光栄です、第8軍将軍様」

(戦場でのあいさつってなんだ。絶対ごきげんようじゃねえよな……)


 日本生まれ日本育ちの彼女が気の利いた口上を述べられるはずもなく、しどろもどろになってなんとかそれだけを紡ぐ。

 オルワルトはさらに歩みを進めながら視線を注いでおり、失敗したかと白い王は冷や汗をかく。だが、そうではなかったらしく、サイの将軍は槌を構えて続いた。


「なるほど、貴公が。噂に違わぬ美貌、戦場でなければさぞ絵になっただろうに。だが、ここであったからには同じオル仲間とはいえ容赦はせぬ。我が槌の餌食となり、肉片を散らすがいい!」

「オル仲間って何!?」

「すまない姫様。オルワルト先輩は少しばかり、その、天然なんだ」

「またギャグキャラ枠かよ!」


 せっかくいい感じに張り詰めた空気がこれでぱあだよ! 彼女は目の前の巨漢二人に臆することなく突っ込みを入れて吠える。今のところ出会ったビストマルトの将軍すべてがギャグキャラ枠なんだけど、どうなっているのだろうか。


 だが、サイの武人は少女の突っ込みなど無視してひと一人ならそのまま押しつぶせそうなほど大きなハンマーを振りかぶった。そんな彼女とオルワルトの間に赤鬼が滑り込み、槌を振り下ろされる前に刀で威嚇する。


「あっぶねえ、あれを振り下ろされるとおれじゃ防ぎきれねえな。頑張ってよけてくれ」

「言われなくてもそうするって。あんなの食らったら防御力とか関係なくぺちゃんこだろうし」

「ビストマルトの将軍二人って絶体絶命じゃねえか。下手しなくても押し負けるな」

「だけど回復はこっちの方が上だろ」

「そりゃ確かに。なあ姫さん。おれはあと何回死ねる?」

「……魔力量からいって、二回が限度だ。三回目だとバフをかけてやれない」


 いかに彼女の魔力が膨大でも、毎回天級の蘇生魔法に数々のバフ、それにバフを継続する『女神は常にほほ笑む(ディ・アイフロリス)』によってじわじわと削られていてはしかたのないことだろう。それでも同じことがあと二回できるといえるのは、まさに彼女だけにしかなしえない奇跡レベルの御業だ。


「了解。なら三回目はいい。自分を回復して逃げな」

「できるわけないだろう」

「バフのねえおれなんか雑魚同然だろうが。そんなの二人で共倒れするより、姫さん一人逃げたほうがまだ有意義じゃねえか」

「断るって言ってんだろ。負ける前提で話してんじゃねえよ!」


 激昂して荒々しい言葉がつい口から出てしまったようだ。ゴウランは虚を突かれるが、すぐさまにやりと笑う。


「おーおー、そりゃそうだ。おれだって負けるつもりなんか毛頭ねえ。それに姫さんは猫かぶって微笑んでるより、そうしてる方がおれ好みだ」

「お前の奥さんに今のセリフ聞かせてやろうか?」

「まじでやめろ。血の雨が降る」


 夫婦喧嘩は犬も食わないと言うし、この辺にしておこうと彼女は切り上げる。改めてサイに目線を戻し、勝てるかどうか見極める。

 ここにいるのが彼女ご自慢の精鋭ならば造作もなく勝てるだろう。だが、ゴウランはただの人であり、その実力はせいぜいが十人力程度に違いない。いくらバフをかけたところで、ボス戦で二人は心もとない。それが彼女の素直な感想だ。


 だが、それでもやらねばならぬ。一呼吸置いたゴウランがとびかかり、戦闘の火ぶたが切って落とされた。どうやらほかの兵は将軍二人に巻き込まれるのを防ぐため少し離れており、今が連絡を取る好機。


『ブレズ、まだか?!』

『お待ちを……いま、上半身が終わりましたので……。あとはもうすぐかと』

『そんな地味な変化なのかよ! 絵面シュールだな!』

『もっとかっこよくできればよかったのですけど……しかし、そうなると周りが……』

『被害は少ないか?』

『そのように勤めておりますが、その、私の周りはもう使い物にならないかと……。マグマが噴き出し始めております』

『……町から離れたのは正解だったか。設定ではもっとひどかったからな、しょうがない』

『しかし、慎重にしておりますが、一番は姫様でございます。危なくなれば、すぐさま断行いたします』


 その結果、たぶん周りは壊滅するな。彼女はそう判断した。

 今でさえ、ブレズが慎重にしていてもマグマであたりの土地が滅んでいるんだ。断行されでもしたら、町がどうなるか。結界の管理をハンテルがしてくれてるからそれでも行けるだろうけど、農業などに打撃をもらっては今後が立ち行かなくなるにきまってる。


 刀と槌が奏でる剣戟を聞きながら、彼女はため息を吐く。これが終わったら絶対練習させよう。彼女はさらに決意を固めた。


 しかし、設定では現れるだけで地平線までの土地が炎に包まれ、三日三晩世界を焼き尽くしたともいわれている。歩くだけで足跡からマグマが踊り、一息で国を燃やし尽くすとも。

 そんなおとぎ話のようなことをやろうとしているのだ。彼女が慎重になるのも仕方ないこと。


 どうやらオルワルトとゴウランが戦っている間、ツキガスは参加することはないようだ。鼻血付きではあるが鋭い目を両者に注いでおり、いつの間にか彼女のそばまで来ているではないか。

 白い肩がびくりと震えると、ツキガスは慌てて取り繕う。


「ああ、心配なさらなくとも……ゴホン、心配しなくていい。オルワルト先輩は一騎打ちを好む武人だ。それに横槍を入れる真似はしないさ」

「おれとお前で戦うとかでも一騎打ちだぞ」

「……勝てると思うか?」

「絶対無理」

「だよなあ……おれに女を殴る趣味はないんだ。なので困ってる。おとなしく降参してくれねえ?」

「一応聞くが無理やり捕まえるとかは?」

「触れたら鼻血出すぞ、おれが」


 だけど、そういいながらもツキガスの顔は険しい。剣劇の音と悲鳴だけがこだまするこの地獄で、そんなことを言ってられないのも両者わかっていることだからだ。


「……とも言ってられねえんだよなあ。おれらは軍職として勝利をつかみ取る責務がある。申し訳ないとは思うが、このままとらえさせてくれないか」

「おれに戦闘能力はない。だけど、全力で拒絶する」

「ああもう、損な役回りだ。つくづく嫌だ。なんでおれは惚れちまったんだ」


 ツキガスから立ち上る覇気が密度を増していく。圧倒的身体能力を前にして、彼女に逃げるすべはない。ゴウランはオルワルトで手一杯だろうし、レートビィも射るにはコンディションが最悪で誤射しないとも限らない。


「もう二度と触れないことを誓う。許してくれともいわない。だから、今だけおれは無体を働こう」

「ちぃ、おい姫さん! できるだけ逃げろ!」


 ゴウランが槌をよけながら叫ぶが、それが無理なことは誰もが分かっている。

 『思考伝達(チャット)』ではレートビィが騒いでおりハンテルが即座に動こうとしている。ああでも、ハンテルが動くとステラがやばいのではなかっただろうか。ヴァルもホリークも距離を詰めるには時間が足りない。


 彼女の脳裏に様々な要素が渦を巻いて、どうしようもないと結論付けている。二人目の将軍と邂逅したとき、直ちに応援を呼べばよかったのだ。

 完全な詰み。彼女ではツキガスから逃れられない。


 どうしたらいい、どうしたら。


「あれー、これってひょっとして最高のタイミングってやつかな?」


 美女と野獣の合間を縫うように、間延びした声がする。いついかなる時でも漂々としたこの声を、彼女はよく知っていた。


 目線を向けると想像通りの人物が立っていた。豪華な鎧に似合わないのんびりした糸目がちぐはぐな印象を与えるその男は、かぶっていたフードを脱ぎ捨ててその相貌をさらけ出す。

 そう――――


 ノレイムリア近衛兵団副将軍ハウゼン=ミューレットがそこにいた。


 まるで突如として現れたとしか言いようがなく、脳裏に幼子が慌てた声音を震わせた。


『え、なんで! いくら探知がおざなりになってたからって僕が見逃すはず……!』


 レートビィの驚愕が聞こえるが、おれにはすぐに分かった。確認するように、助けを求めるように、おれは喉を震わせる。


「確かそのフード、匂いや気配を隠してくれるんだったな」

「そうそうよく覚えてたね。おかげでここまで楽にこれたよ」


 いつも通りの締まりのない笑みを受けながら、なんで来たのだろうかと彼女は疑問を隠せない。確かにハウゼンらはビストマルトとは反対に軍を構えていた。ビストマルトを追い払うために攻め込むのなら今この時が最善なのもわかる。


 だが、それならばフードで隠す必要がないはずだ。正々堂々と軍を率いてここまでくればいい。


「いやいや、せっかく君らが注目を集めてくれているんだから不意打ちしなきゃ向こうに失礼じゃないか。僕が敵陣の真ん中で名乗りを上げることが、どれだけ相手の動揺を誘えると思ってるんだい」

「相変わらずいい性格してやがるなあ……」

「それに一番乗りしたかったんだ。せっかくの美味しい舞台だからね。というわけで、君らの素敵な隣国、ノレイムリアを今後ともよろしくね!」


 気負いなど到底見られぬ締まりのない顔つきで、ハウゼンはへらへらと笑う。彼女はそれに毒気を抜かれてしまって、怒るのもめんどそうに溜息を吐くだけ。持っていた剣を構えツキガスに向き直るときでさえ、彼の笑みはへらへらとしたもの。


 しかしその笑みが一転して好戦的になった時、ツキガスに負けじとも劣らない威圧感が吹き荒れた。


「でも、助けてもらった恩ぐらいは返さないとね。さあみんな、戦闘開始だ!」


 フードを外したハウゼンはほとんど単騎に近い。だが、ハウゼンが剣を掲げると後ろから怒号が聞こえ、大軍が押し寄せてくる。にらみ合いでたまったうっ憤を晴らすように、血気盛んな兵たちがここまで攻めてきたのだ。

 これからビストマルトの兵は態勢が崩れてしまうことは避けられない。こうなると混戦は必須。彼女を見逃してしまうくらいならと、ツキガスはおもむろに飛び出した。


「ご無体、失礼いたします!」


 だが、白い彼女と熊の大男の間に銀色の切っ先が割って入り、熊の進路をふさぐ。


「残念だけど、それはさせないよ!」


 ハウゼンが即座にツキガスと対峙して、彼女が自由を取り戻す。

 混戦になってしまうというならば、ゴウランについていた方がいい。侍は彼女の補助がないとすでに息切れ状態だ。ここで別れてしまうと町に入りでもしない限り合流は不可能。それに、今のゴウランを一人にはしておけない。

 そう考えて、彼女は槌使いと戦っているゴウランの元へ駆け出して行った。


 幾多もの足音、兵士たちの怒号。そこに紛れるようにかすかな声が彼女の耳に届いたのはおそらく奇跡に近いものだろう。本人もきっと聞かせるつもりのなかった言葉。

 ツキガスはまるで痛みをこらえるかのような色を含ませて、ぼそりとこうこぼしたのだ。


「無礼を働いて申し訳ない。おれのことは、もう、忘れてくれ……」


 一瞬だけ悲痛な顔を浮かべたツキガスだったが、すぐさま毅然とした顔で号令をかける。

 その合図を受けて、兵たちが叫びだす。彼らは一気に浮足立ち、野獣の相貌をギラリと輝かせた。


「私はビストマルト第15軍将軍サウステン=ツキガス! これより武を持ってネーストの姫君を頂戴しにまいる!」

「ははあ、そういうことか。君も大変だねえ。でも、手加減はできないよ」


 こうして相対するのはネーストがビストマルトに移って以来の二度目だが、間近で見るとやはりどちらも有数の実力者だ。それは両者とも痛感している。

 あの時と違うのは、ハウゼンに死ぬつもりなどないことだろう。彼はこの戦に勝つつもりでおり、目の前の熊を倒す気でいる。


 二人が醸す雰囲気は明らかに他者を寄せ付けない気迫であり、混戦状態にあえぐ兵たちでさえ立ち入れない空間を作り出している。


 その隙間を縫うように彼女はゴウラン目指してかけていく。脳裏にツキガスの漏らした言葉が渦を巻いていて、どうにも素直に彼を憎めない。


(別に嫌いってわけじゃないんだよなあ。ああもう、今はそんなこと考えてる余裕はないのに)


 立場が違うだけで、ツキガスはいつでも彼女に対して真摯だった。その感情にはあいにく答えられないが、個人的には好ましいと思っている部類だ。

 それがこうして引き裂かれるのは納得がいかない。よき友になれたかもしれない隣人が、世界の流れでこうして袂を分かつのは。


(終わったら……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、歩み寄ってもいいかな)


 敵だからという理由だけで嫌えたら互いにどれだけ楽だっただろうか。それができないからこそ彼女と彼は葛藤しており、こうして胸にわだかまりを残すのだ。


(でも)


 そこまで決めて彼女は歩みを止める。目の前には赤い侍と灰色の武人が火花を散らしながら戦っている。ここからは覚悟を決めて勝利を勝ち取ることに専念しなければならない。

 だから、集中しよう。


「そういうのは全部終わってからだな!」


 彼女は雑念を吐き出すように、喉を震わせた。

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