姫と熊
ゴウランは無我夢中で刀を振るっていた。もはやどれだけ切ったのか覚えておらず、ただただ死体を作り上げることしか眼中にない。返り血で染まった体は、元の赤なのか血の赤なのか判別がつかないほどに汚れ、悪鬼然とした風格を纏わせている。
彼の体に傷はない。こまめにかけられる回復魔法によって、そのコンディションはつねに最高の物へと仕立て上げられていた。
「『豪刀“猪突”』!」
剣圧で敵を幾人も吹き飛ばしながら、ゴウランの口角が不敵に上がる。魔力は減ってきているが、体調はすこぶるよかった。この調子ならまだ戦える、それがこの戦闘狂にとってはうれしいこと。
それもこれも彼の後ろにいる姫君のおかげだ。彼女のバフ効果のおかげで、ゴウランの戦闘能力は数倍にも膨れ上がっている。さらに四肢をもがれても回復魔法で治してくれるとくれば、彼女ほどの魔法使いなんてめったにいない。
白く美しい彼女は折れそうで折れない意思の強さを感じさせる光を目に宿し、ゴウランの動きをしっかりと見据えていた。
(意外にやるじゃねえか。もっと早めに撤退すると思っていたが)
ゴウランの彼女に対しての印象は、良くも悪くも素直ということだ。あの猛者どもにかわいがられ、籠の中の鳥として大事に扱われている小鳥。優しくて聡明だろうが、世間知らずで世の中の醜いところを知らない。ゴウランは彼女をそう見ていた。
それでも、今は吐きながらも懸命にゴウランについてきており、状況判断能力も悪くない。ほしいと思った時に回復してくれて、補助魔法が切れそうなときにはすぐさま重ね掛けしてくれる。まるで何度もこんな戦闘をこなしているかのように。
すべてはゲームで鍛えた状況判断能力なのだが、それを知らないゴウランは彼女に対しての評価を一段階上げた。なるほど、これは確かに王にふさわしいかもしれない。と、彼に思わせるだけの必死さがあった。
彼女に迫る敵兵を一人切り伏せ、返す刃で斬撃を飛ばしてまた一人切り伏せる。いつも以上に体が軽く、縦横無尽に刀を振るうことができる。
「ゴウラン、どこか痛いところはないか?」
「全然平気。ってか、姫さんは自分を回復しろよ。傷だらけじゃねえか」
「全部かすり傷だから、問題ない」
芸術品を思わせる柔肌に、いくつもの裂傷が刻まれている。確かに致命傷ではないが、痛むものは痛むはずだ。こんな痛々しい姿をヴァルたちが見たら、卒倒してしまうに違いない。
「お前に全部注ぎ込むから、節約しないとな。さすがに魔力が減ってきたのを感じるし」
「今まであんだけ魔法を使っておいて、まだ余裕そうなのか。すげえな」
それに自分のけがを厭う様子もない。状況に応じて魔法を使い分けているのは、ゴウラン的に高評価だ。むやみやたらに使ってはすぐに枯渇するところを、彼女は適切なタイミングで使い分けているようだ。
だが、ここら辺が潮時だろうとゴウランは思っている。逃げる労力を考えると、余裕があるうちがいい。じりじり後退し続けて、町まであと少し。一回包囲網を突破できれば逃げ帰れるはずだ。
ほかの誰が犠牲になっても、姫君だけは逃がさなければならない。ヴァルたちに言われたわけではないが、ゴウランもその意見には同意している。
圧倒的な回復魔法に加え、王という立場。この町はもう彼女を中心に回り始めている。その柱を失うわけにはいかない。ゴウランは自分の使命をしっかりと見据えていた。
「んーでもな、姫さんはいいだろうけど、おれはもう魔力が尽きてきてな。剣技をあまりつかえねえんだ。なので、そろそろ撤退しようと思うんだが?」
「そうか、ならしょうがない。一度町まで戻って体勢を立て直そう。ヴァルたちにはおれから連絡しておく」
端正な顔に男勝りな言葉で、彼女はあっさりと提案を受け入れた。引きべきところは引く。潔さもなかなかだ。
(状況が見えてやがる。あんなに震えてるくせして、おれがきわどいことも見逃さねえのか。こりゃ、ますますおもしれえ)
ゴウランは気分よく刀を振るい、肉片を増やす。彼らが担ぎ上げているのは見た目だけの姫かと思ったが、なかなかどうして前途有望じゃないか。町が危なくなったら白い首を切り落とそうかと思っていたが、その考えを改めることにした。
「んじゃ、最後に適当に蹴散らして撤退するか!」
町の入り口に陣取っていたとしても、戦闘を始めるとどうしても動いてしまうものだ。目視できる範囲にはあるのだが、いかんせん兵隊の群れが邪魔だ。だから町へと続く方向に、ゴウランは飛び込んでいく。刀を振るい、邪魔なものを切り捨てて進む。
「『進刀“蝶々”』! 前にいると切り殺されるぜ!」
後は帰るだけとなったので、惜しげもなく魔力を消費しても問題ないはずだ。彼はそう判断して、いくつもの斬撃を前方に投げつける。
バフによって強化された視界では、誰もかれもがゆっくりに見え、赤鬼の進行を止められるものなどいやしない。
刀を振るい進む鬼神と化したゴウランであるが、その心中は無心とはいいがたかった。
ブレグリズが見抜き、オルヴィリアに心配されていたように、彼は今、自身の虚無と戦っているのだ。
いくら敵を切り伏せても心のどこかでは冷めている。これも白い彼女がかけてくれたバフのおかげ、そう思えてならない。
彼は自分の力に絶対の自信を持っていた。これまでの人生でも死地を潜り抜け、刀一つで切り開いてきた。そのかいあって、この町の長に任命されるほどに。
しかし、町が盗賊に襲われ、数の暴力に屈したときから、彼の心はずっと曇天だ。
鍛えた力が役に立たないばかりか、後からやってきた姫様一行にすべての見せ場を持っていかれてしまった。盗賊を壊滅させ、卓越した魔法スキルで町までも復興させてしまった。
そんな力量を間近で見せつけられて、自らの無力さを突き付けられた気になってしまうのも仕方ないこと。自分は今まで何をしてきたのか、強くなったなどと思い上がり、彼らの足元にも及んでいないではないか。
あの時から、彼は刀を振るうことにどこか後ろめたい感情が付きまとっている。いくら雑魚を切り捨てても高みへはいけない。自分の力はすでに頭打ちだ。そんな感情が常に渦を巻いている。
町の恩人である彼らは基本的に善良だ。ゆえに、彼はその憤りをぶつけるわけにもいかず、ただただ己の無力さに歯噛みするしかなかった。努力の否定は彼の人生そのものの否定に他ならない。それでもあの優しい彼女に当たってしまうのもまた、彼が自己嫌悪に陥ってしまう原因の一つである。
だから彼は刀を振るう。もはや自分などこの町にとっていらないのではないかという猜疑が、投げやりな色をまとわせて。せめてここで散ってしまえばこれ以上自分のみじめさを見なくて済むのに。そんなことすら考えて。
そんな感情が顕在してしまったのだろうか、血塗られた戦場に飛び散った液体が彼の足をすくい取ってしまい、進撃が途切れてしまった。
「おわっ、まじかよっ!」
こけるとまではいかないが、一瞬体勢が崩れた。剛毅な肉体がぐらりとかしぎ、攻撃の手が止まってしまった。
もちろん絶好の機会が見逃されるはずなく、いくつもの武器が赤鬼の体に襲い掛かる。無数の武器によって身が引き裂かれ、赤くたくましい体躯に自身の赤が上塗りされる。
いくらバフをかけてあるとはいえ、これにはさすがのゴウランの体力もすぐさま底を尽き。彼は死をもって戦闘不能となってしまう。肉の裂け目から鮮血を噴きだしながら、力を失った体が崩れていく
「『神への一歩』!」
だが、白い彼女が呪文を唱えると、倒れそうな赤鬼の目が見開かれる。崩れゆく体を自身の足でしっかりと支え、落とした刀を拾って即座に切り込んでいく。蘇生した赤鬼を見て周囲に走る驚愕を利用して、彼は一気に切り捨てた。
何の準備もなく呪文一言で蘇生を行うなど、まさに神業であり、人が行えるものではない。そんな常識を持つビストマルトの兵からすれば、目の前の白色は天の使いのようなものに見えるだろう。
一度死んだことによってバフが切れたゴウランは周囲を威嚇するしかできず、姫君の下に舞い戻ってきた。
「わりぃ、また死んじまった」
「もうあまり魔力もないんだ。気を付けてくれ。何度も死なれるとおれの心臓に悪い」
「わかってるって。しっかし、こんなホイホイ蘇生されると、生死の感覚がマヒしそうになるな」
「お前の心が壊れないことを願うよ」
「その点は心配ねえよ。おれはあんまり細かいことを考えねえから」
「……前村長の肩書が泣くぞ」
バフをかけなおしてもらい、襲い掛かる武器を跳ね返しながらゴウランが笑う。よくこの状況で笑えるものだと、白い彼女は感心するばかり。死ぬほどの痛みを何度も味わっているのに、その口はいまだに好戦的な笑みを消さないのだ。侍の虚無を知らない彼女からすると、それはただの戦闘狂に見えることだろう。
もっともそれも今に限るなら好都合だ。絶望的状況の中、痛みに心が折れてしまうより。
話をそこに限るなら、彼女の方が折れそうであろう。戦場などという精神に莫大な負荷のかかる場所で、ゴウランの生死を握っているのだから無理もない。
だが、それでも彼女はまだ立っている。嘔吐しながらも涙しながらも、決して膝は折っていない。
左右に散った彼らの働きで、兵の数はだいぶ減ったはずだ。敵将はすべてレートビィが撃ち落としているだろうし、このまま籠城しても問題はない。
オルヴィリアはそう判断して、撤退に賛成した。ゴウランの刀もすでに限界を迎え始めており、凛とした光によどみが浮かび始めている。退けるときに退かないと、帰れなくなる。
道を開こうとゴウランが突撃をかけ、その後ろを彼女が追う。たまに迫る武器を杖で払落し、できる限り鬼の邪魔にならないように努めている。
ゲーム内でのレベルを考えると、防御力もそこそこあったはず。この世界にどれほど通用するか不明だが、あまりダメージがないことから全くの無駄というわけでもないらしい。それが彼女を支えており、今まで死ぬことなく進んでこられた秘密だ。
それでも、袋叩きに合えばさすがに死ぬだろう。柔肌についたいくつもの傷跡が、所詮は人肌であることを物語っているのだから。
だから彼女は常に真剣に行動してきた。針に糸を通すような精密な動きを、ずっと意識している。ゴウランの間合いに入らないように、だけど、敵兵にも捕まらない距離を。
ゴウランが気兼ねなく刀を振るえるのはその努力の成果が大きい。ゲーム内での回復ポジションとして、間合いの把握は得意であった。しかし、それがこの世界でも活かせるなんて、彼女は想定していなかった。これはうれしい誤算だ。
銀の一閃が瞬き、血が踊り。戦場に怒号が満ちていく。数にしてみれば、たかが四人。それが倒せないのだから身の毛もよだつと言うのも無理はない。将も見当たらないビストマルトの兵たちは、恐慌とした状態で剣を振るうしかできないのだ。
左右では狼と鷲が猛威を振るっており、凄惨という言葉すら生ぬるい地獄を作り上げていた。
ボロボロになった白と赤とは違い、彼らに怪我らしい怪我はない。ひとたび力を振るうだけで、周囲には死が満ちるのだから。
『姫様!』
『どうした、レートビィ』
飛び込んできた幼子の声に、彼女は冷静に反応する。視線は赤鬼から外れておらず、思考の一部で平行に処理する。
『前方に敵将が一人! ごめん、仕留めきれなかった!』
『珍しい、お前が仕留めきれないほどの敵か?』
『……ううん、そうじゃないんだけど……えっと……』
煮え切らないレートビィの声に嫌な予感が彼女の胸をかすめた。よく聞くとその声は少しかすれており、涙声に近いものがあるではないか。
『すまねえ、姫様。でも、レビィを責めないでやってくれないか』
『ハンテルか。もう町に着いたんだな』
『レビィは膨大な情報を処理しなきゃいけねえんだけど、その分精神に乱れが出ると脆い。落ち着いたらまた狙撃させるから、少しだけ時間をくれ』
『……つまり、そっちでレートビィが動揺するようなことがあったんだな』
『まあな、ちょっと魔力供給のためにつけたイグサ親子がやばいことになってる。……こんなこと言うのは申し訳ねえんだけど、姫様にしか治せない。プレッシャーをかけてるわけじゃなくてまじで』
『了解。やっぱり死ねないなおれは』
『今は姫様の周り索敵させるだけにしてる。ナビゲート程度なら問題ないはずだ』
『ごめんね姫様僕がもっと早く気づけばよかったんだけど……でも、そのくらいならまかせて!』
どうやら町は町で大変なことになっており、このままではハンテルの増援は期待できないだろう。
そう結論付けても彼女に怒りの感情はない。幼子が無理をしながらも気丈にふるまっているのが分かり、いたわる感情しか出てこない。
『ありがとう姫様。だけど僕だって立派な従者だからね、このくらい、全然、全然大丈夫だから!』
『はいはい、そうだなお前は強いよ。だからまず鼻水をふけ。ほら、ちーんしろちーん』
『ちょっとハンテル! 『思考伝達』中にそんなこと言うのやめてよ!』
慌てたレビィに通信を打ち切られて、彼女はゴウランに声を上げる。怒号飛び交う中で綺麗な声音はよく響き、それを受けて鬼がまた楽しそうに笑う。
「おっしゃ、任せろ! おれの刀の錆にしてくれる!」
(うわ、リアルでそんなこというんだ。そりゃそうか、ファンタジーだもんな。ちょっと感動した)
「あ、なんだ変な顔して。心配すんな。今のおれは姫さんのおかげで百人力だからよ」
別に不安に思っていたわけではないのだけれど、本心を言うわけにもいかず彼女はあいまいな笑みでごまかした。
そして、町の入り口へとあと少しというところで、それはいた。彼女より大きな熊の男。一目あったときから求婚をし続けた、ビストマルトの将軍。
彼は町の入り口の結界前で、悠然と待ち構えていた。




