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美女?と野獣の異世界建国戦記  作者: とりあえず
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灰と親子

 開戦と同時に起動した結界は町を守る生命線だ。その緻密な魔法の構成を見ては、即興で作り上げたものとはとてもじゃないけれど信じられない。イグサも、目の前でくみ上げられなければ一笑にふしていたことだろう。


「……ふぅ、ふぅ」


 幾何学的な魔法陣が描かれた部屋で、イグサは疲労していた。動いていないのに汗が止まらず、灰色の毛皮がじっとりと濡れていく。すでに立つこともできなくなっており、這いつくばるようにして魔力を注ぎ続けていた。

 まさに疲労困憊である狼は自らが死の淵にあることを悟りつつも、命を絞りきる覚悟で結界を維持している。これがなくなると町が戦火に見舞われる。それがけは何としても避けなければならない。


 町一つを覆う結界。その術式を組み立てたこともすごいが、これを維持する前提であったことも正気の沙汰とは思えない。こんなもの、並みの魔法使いなら五分も持たないに違いない。イグサが人より優秀であったからかろうじて保ててはいるものの、次の瞬間には解けていてもおかしくないのだ。


「お父さん、大丈夫……?」

「ああ、大丈夫だよ。だからお前は少し、休んでいなさい」


 隣で心配そうにのぞき込んでいるは彼の息子であり、三対の羽を持つ最上級モンスターマスラステラだ。今は人型形態である彼は、泣きそうな顔でイグサに寄り添っている。


 ステラをつけたのは魔力を供給させるため。だが、そこには一つ誤算がある。

 それはステラがまだ幼いゆえに、魔力の供給をうまく行えないのだ。最上級モンスターンにふさわしい魔力量は途方もなく膨大であるが、だからこそ精密な扱いを求められる。この幼子が本気を出せば、精密に組み上げた結界が壊れてしまうかもしれない。そして、イグサではホリークやオルヴィリアのように、他者から魔力を引き出して扱うのも不得手である。


 もともと他者から魔力を引き出して魔法を起動させるのは、多人数で起動させるのとはわけが違う。彼らがステラを進化させたときの技法は、とんでもなく高度なものだったのだ。


 そして、イグサはそれをすべて承知の上で引き受けた。自分の魔力では足りないであろうことも、ステラがうまく魔力供給を行えないであろうことも。


 そう、彼はここで死ぬ気でいた。命の一片まで燃やし尽くし、この町のため、ステラの恩人のため、自分をなげうってこの役を引き受けた。蘇生してもらえるなど、彼は毛頭思っていない。魔力とは生命を構成する根幹であり、魔力を吸い尽くされた体は灰になって消えてしまう。そこに待っているのはただの死ではなく、絶対的な死なのだ。

 もしステラの魔力でも足りなかった時は、この建物の屋上にいるレートビィに救援を求めることになっている。万の軍勢を把握することに力を注いでいるため、彼にはこの部屋に蝶はいらないと言っておいた。

 もちろんそれも、自分が死に体であることの発見を遅らせるためだ。イグサはできるだけ結界を維持し、そして、死ぬつもりなのだから。


 だが、そろそろ限界のようだ。イグサの視界はかすみ、愛しい我が子の顔も満足にわからない。

 初めから無理だとわかっていた。きちんと頼めば、彼らのうちだれかはここに残ってくれただろう。

 しかし、それだと戦力が減ってしまう。町を守るための人数としては恐ろしいほど少ないのに、わずかな手勢をさらにもらうわけにはいかない。

 イグサは道具にエンチャントを付加することを生業としており、戦うことすら不得手だ。そのため自分にできることはこのくらいしかないという分別を持っており、なんとしてもここを守りたかった。


「ステラ……」


 愛する子を呼ぶ声は儚く、かろうじて聞き取れる音量であった。すぐにステラがイグサの手を取り、その冷たさに驚く。


「そろそろレートビィに伝えてくれないか……もう、結界が……消えそうだと」

「お父さん! しっかりしてよ!」


 ボロボロ涙をこぼすステラを見ながら、満足そうにイグサは微笑んだ。

 これで時間稼ぎは十分できたことだろう。あとはハンテルが国境となる結界を起動できれば、すぐに戻ってきてくれるはずだ。


 『思考伝達(チャット)』が使えない故にその大結界が起動できないことを彼は知らない。けれど、ハンテルが戻ってくると言う点でその予測は正しい。結果として、彼は十分な役割を果たしているのだ。


 すでに体中の魔力は底を尽きかけている。命を維持するために必要な最低量も使い込み、息をするのさえおぼつかない。そろそろ末端が壊死していくころだろう。そんな体に鞭打って、もう少しだと発破をかける。


「さあ、早くいくんだ。これが消えれば取り返しのつかないことになる……」

「いやだ、いやだよぉ……」


 イグサが死にかけているのがわかるのだろう。ステラは頭を振って、てこでも動こうとしない。ステラは本能的に、ここで目を離したらそれが最後になるとわかっている。泣きじゃくりながらぐったりとしたイグサを抱き寄せ、冷たくなっていく体に熱を渡そうとする。


「大丈夫、だから……ほら、早く……」


 どれだけイグサが頼んでも、ステラは動かない。このままでは結界が消えてしまう。町が、蹂躙される。


 それは最悪の事態であり、ステラすら危険にさらされる行為だ。回避しなければならないと言う危機感が彼に発破をかけ、イグサは持てる力を腹に込めて、息子を叱責しようとした。

 しかし、声になる前にステラが離れる。涙をこぼす顔で浮かべるのは穏やかな笑みで、なぜかイグサの背筋に寒気が走る。

 何をするつもりなのか、それをイグサが問う前に――


 ステラが手首を切った。


「ステラ……!」


 子供にしては太い手首から漏れる血は青い。『高貴なる夜の血』とも称されるマスラステラの血液は、紺色に光の粒を混ぜ込んだ最高の魔術触媒だ。それはすなわち、大量の魔力を含んでいるということになる。


 とめどなく流れる青い血は魔法陣に魔力を与える。だが、それは命そのものを削る行為だ。魔力をひねり出すのとはわけが違う。ステラは、命を結界に与えているのだ。行きつく先はイグサと同じ、灰という絶対的な死。


 当然、そんなこと認められるはずがない。イグサは力ない声でなんとかステラを止めようとするのだが、竜は気丈に笑って返すだけ。


「大丈夫。全然痛くないよ」

「そんなはず、ないだろう……!」

「本当だよ。だって――あの時はもっと痛かったもの」


 イグサの息が止まる。思い当たるのはそう、あの姫君にステラを進化させてもらう前のことだ。

 あの時のステラは不完全な状態だった。一つの体に不純物が混じり、常に泣き叫ぶような咆哮を上げていた。それゆえにあの屋敷には置いておけず、暗い洞窟で縛り付けるしかなかった。


 その時のことを覚えているのだとすれば、それはなんて恐ろしい。


「覚えて……いたのか?」

「うん。僕はずっと痛くて痛くて泣いてた。暗いところで縛り付けられて、暴れることもできなくて。ずっと、ずっと泣いてた」


 手首から血が落ちる。比例してステラの顔から血の気が引いていく。


 その痛みはきっと、手首の傷とは比べ物にならないくらいだろう。体に異物が入り込んで、常に激痛に襲われる。生き地獄というのは、まさにあの時のステラをさすに違いない。

 だが、それでもステラはイグサを父と慕う。イグサがどれほど懸命にステラの痛みを和らげようと努力してのかを知っているがゆえに。痛みでおぼろげになる意識の中で見たイグサは、ただステラのことを案じていた。


 あの白色に言われるまでもなく、イグサはステラのことを愛していたのだ。


「お父さん、楽になった?」


 血が付かないようにと、離れたところでステラは言う。イグサは這うように近づいて、なんとかやめさせようとする。灰色の毛皮で吸収しきれない涙が魔法陣を濡らし、光がわずかににじむ。下半身が崩れていき、すでに彼の足首から下は消えてしまっていた。


「やめてくれ、頼む……」

「心配しないで。僕、魔力はたくさんあるんだよ」


 血液は体の容量分しかないじゃないかと、イグサは涙にぬれた声を漏らす。だけど幼いステラが魔力を供給するにはこれ以外の方法はなく、ステラが魔力を断てばイグサは今度こそ枯れ果てるだろう。それをわかっているからこそ、ステラは血を流す。


 ステラの大きな体がふらりと揺らぎ、貧血を匂わせる。青くなる顔にはまだ笑みが浮かんでいて、立場を逆転したステラが心配ないと気丈にふるまっている。


「人型になってから、ずっと痛くないの。お父さんともしゃべれるし、自分で歩いて遊びにだっていける。とーっても楽しかったよ」


 魔法陣の端で、ようやくイグサがステラに追いついた。縋りつくように抱きしめると、ステラがかがんで抱き返してくれた。もう支える力もないのだと、冷えた体が嘲笑っているようだ。

 先ほどまであんなに温かかったステラから急速に熱が失われていくのがひどく恐ろしい。どれだけつなぎとめようと抱擁を強くしても、手からこぼれていく砂のようにどうすることもできやしない。嗚咽をこぼすイグサを、ステラはただ抱き返す。


「痛くないから全然平気。本当だよ。だから泣かないでお父さん」

「治療を、しないと……早く、お願いだ……」

「大丈夫だって。お父さんはいつも心配しすぎなんだから」


 青白い顔のステラはそれでもまだ父親をたしなめる余裕があるようだ。思えば、ステラは転んでも怪我をしても、いつだって痛くないと笑っていた。激痛の中で生まれた彼にとって、痛みはもう慣れたものなのだ。

 自分は愚かだったのだと、イグサの涙が止まらない。妻も息子も失って、息子の遺物だけどうにか手に入れることができた。それでしたことが激痛の中に放り込むことだったなど、どうして認めることができようか。姫君に言われなければ、今も彼はそれを認められずにいたことだろう。


 イグサは涙で崩れた相貌で無理矢理笑みを整えて、ステラの頭を撫でてやる。意識が混濁してきたステラはどこか呆けた顔で、それでも嬉しそうに目を細めてくれた。


「お前がいつでも無茶をするからだろう……これが終わったら、姫様に治してもらおう。きっと……きっとすぐによくなる」


 互いに立つこともできない状況で、信じられるのはあの白色しかなくなった。イグサの魔力は底を尽きかけ、回復をする余裕など当然ない。ステラはもう、血を流しすぎている。


 灰になるのが先か、治療を受けられるのが先か。いつの間にか、ステラは血液を介して魔法陣へと回路をつなげていた。これで貧血をこじらせて意識をなくしたとしても、灰になるまで魔力を注ぎ続けるだろう。本能的にそれができる技量を察知して、イグサはさすが自分の息子だと誇らしくなった。

 だとするなら、イグサのすることは決まっていた。彼は自分の指先を少し切り、ステラとは違う真っ赤な血を玉にして浮かべる。


「お父さん、それは……」

「いいんだ」


 ステラを押しとどめ、イグサは赤い血を一滴、青に混ぜ込んだ。ステラと同じように、彼もまた、魔法陣へと回路をつなげた。

 これで、彼らは魔法陣の上からどかない限り死ぬまで魔力を吸われ続けることになった。蘇生不可能な死を前に、親子は柔らかく笑う。


「姫様、勝つかな?」

「あたりまえさ。お前を進化させるほどの力だからね」

「姫様なら、お父さんも治せるよね?」

「当然だろう。姫様なら蘇生魔法だって使えるはずだ」


 すでに、イグサは腰までが崩れていた。魔力の残滓が塵となり、イグサという個人を形作ることもできなくなっていく。

 お前は結界を守りなさい、とイグサは言う。笑いながら泣くステラは任せてとそれに応えた。普通であればステラの魔力だけでも当分持つはずだが、彼は命を流しすぎた。生存本能で回路をつなげる技術を習得するのがもう少し早ければ、とイグサは悔しく思う。

 もっと節約して魔力を注げていれば、ステラだけはこんなことにはならなかったはずなのに。


 二人は知らないことだが、ハンテルが町へと向かっている。間に合うかどうかが、彼らの命の境目だ。


 ひっそりと静まり返った部屋で、ついにイグサの意識は落ちた。むしろ、ここまで魔力を吸い取られながら今まで保てていたことの方が驚きであった。腹まで崩壊が進んだその体は、元の半分くらいまで小さくなっていた。


「お父さん……お父さん?」


 ステラの呼びかけにもイグサは応えない。弱々しく動く胸部が、かろうじて生きていることを伝えるのみだ。


 そこまでを確認して、ステラはイグサを魔法陣からどかした。半分にまで崩壊した体は驚くほど軽かった。だけど、これでイグサが死ぬことはなくなったはずだ。


 ステラはよろめきながら立ち上がり、魔法陣の中心へと移動する。足先が壊死していく感覚がするけれど、まだ崩壊までは時間がありそうだ。彼は冷静にそれを判断した。


「お父さん、姫様、レビィ、ヴァル、ブレズ」


 中心で魔力を吸い取られながら、瞼の裏に親しい人の顔を思い描く。

 痛みで暴れていた自分を救ってくれた人。彼の恩人たち。


「ホリーク、ハンテル、ヤクモ、ゴウランのおじちゃん」


 自分が危ないモンスターだというのに、みんな自分と遊んでくれた。

 灰になるのはとっても怖い。だけど、それでも彼の父は自らを奮い立たせていた。


 すでに末端器官として、彼の自慢だった三対の羽はぼろぼろと崩れていっている。血を流しすぎたなあと、ステラはちょっと後悔した。こんなことなら、魔法のことをもっと勉強しておくんだった。姫様に治してもらえたら、次はまじめになろうと決意する。


 本当のことを言うと、彼はイグサの嘘に気づいていた。灰になったらもう戻れない。そんなこと当然のことだから。


 その後もステラは遊んでくれた町の人の名前を呼んだ。この町にいる人。大好きなステラの友達。


 尻尾の先の感覚が消えていくのがわかる。攻撃が激しさを増すたびに、奪われる魔力量も増えていく。


「みんな、みんな」


 幸せだった。この町に来てから、とても。


 たとえ自分が灰になろうとも、ここは守り通す。その意思は、彼に純粋な笑みを与えた。

 柔らかくて優しい、透き通るような透明な笑みで。


 彼は宣言する。


「――――僕が守るよ」


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