*鬼のゴウラン
後ろにはヤクモを百倍いかつくしたようなおっさんが仁王立ちしており、眼力だけで射殺せそうな圧を伴ってこちらをにらんでいるではないか。入口からこちらを睥睨する気迫は、おれの度肝を抜いた。
喉の奥から空気が抜ける音がする。ヒェッとかそんな感じの、美少女がだしたらまずそうなやつ。だって、めっちゃ怖いんだもん。ただでさえ対人に慣れてないコミュ障には無理だよ。
いかにも赤鬼ですよと言わんばかりの角と牙をお持ちのおっさんは、どこからどう見てもヤクモの父親だろう。仁王像顔負けの肉体を着崩した着物で飾っているが、包帯のような布をいたるところに巻いておりそれが痛々しさを醸し出す。
ひょっとして、怪我をしているのだろうか。おれに治せるかな。
「あ、親父……」
案の定ヤクモが言葉を漏らし、おれの推理が確定する。いやいや、なんであなたのお父様激おこになってんの。おれら何もしてないよ。
そんな無言の訴えが届いたのだろうか、ヤクモは尻もちをついていた体勢を勢いよく立て直し、取り繕うようにおれらを紹介してくれた。
「こっちがさっき言ってた人らだよ。ギルドを根城にしたいらしく、他のメンバーは今盗賊退治に行ってる」
「そうか、こいつらが……」
「というか、出歩いたらダメだろうが。まだ怪我が完治してないんだぞ」
「っは、こんなのかすり傷だよ。食って寝てればすぐ治る」
仰々しい包帯を巻いておきながら、意地を張るように吐き捨てる。
どう見ても嘘だとわかるその発言を、ヴァルが詰問するのも仕方ないこと。おれがおびえちゃってるし、醸す雰囲気は明らかに排他的とくれば、友好的な態度をとれはしないだろう。
「馬鹿でもわかる嘘をどうもありがとうございます。やせ我慢は体によくありませんので、おとなしく帰って寝ていることをお勧めしますよ。姫様が怯えていますので、どうかここは尻尾を巻いてお帰りくださいませ」
慇懃無礼とはまさにこいつのためにある言葉なのではないだろうか。よくもまあこんなに丁寧に罵倒できるものだ。
明らかに気は長くないだろう赤鬼が青筋を立てる。わかりきった完全な予定調和となってそれが実現し、部屋の雰囲気が一気に張り詰めた。引きこもりコミュ障には効果抜群で、胃からキリキリとあるはずのない音が幻聴となって聞こえてくるようだ。ただでさえあり得ないことが連続してるのに、これ以上は吐くぞ。
「ああ、姫様、なんとおいたわしい。そこの赤鬼、姫様はこの通り疲労困憊。話があるのなら手短にすませてください。馬鹿が見栄を張ったところで時間の無駄。簡素にするのがよいかと助言しておきます」
「だからなんで、お前はそうあおるかな……」
おれ以外に対してのこいつのコミュ障っぷり結構やばくない? 健全なコミュニケーションって意味を見失いそうなんだけど。
気は進まないが、これはおれが一言添えたほうがいいだろう。ヴァルに任せていたら余計にこじれそうだ。おれは慣れない笑みを必死に形作り、不器用ながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「こんにちは、これからこちらにお世話になろうかと思っているオルヴィリアと申します」
「そいつは丁寧にどうも。でもな、丁寧にしたかったのなら、ギルドを復興させる前にまずは町長のおれに何か一言必要だったんじゃねえのか?」
……ごもっともすぎる。勝手に町に来て勝手にギルドクリスタルを使ったんだから、そりゃいい気分ではないよな。それも町長であればないがしろにされたと怒るのも道理だろう。
あちゃー、それは言い訳のしようもないな。おれらは目先のことばかりに気を取られて、根回しとかすっかり失念してた。だけど、ヴァルはそれが何だと言いたげに鼻息を鳴らすだけ。
「それは失礼しました。でしたら、事後承諾になってしまいますが、今後ここをギルドとして復興させていこうかと思っておりますので、良しなにお願いしたします」
「てめえ、おれから許可をもらおうとすら思ってねえな。なめやがって」
「はて、盗賊退治はこの町にとって急務のはず。断る理由がないように思えますが」
「それでも礼儀ってもんがあるだろうが。あとな、お前らに盗賊が倒せるとは考えられねえ」
「それは侮辱でしょうか。申し訳ありませんが、他者を愚弄する前に曇りきったその眼を洗うことをお勧めいたします。仮に全快だとしても我らの足元にも及ばない塵芥程度の存在が、ずいぶんとなめた口をきくものです」
ヴァルううぅぅぅっ! お願いだからあおらないで! おれは静かに生きたいの!
火花を散らす狼と赤鬼を前に、わたわたとするおれとヤクモ。今回に関してはおれらに非があるのだからおとなしく折れようよ。
「姫様がそうおっしゃるのでしたら」
と言って頭をぺこりと下げる。
しかし当然それだけで赤鬼が収まるわけもなく。おれは取り繕うようにしゃべらざるを得ないのだ。
「すいませんでした。でしたら、今からでも認めていただけないでしょうか。信用がないのは百も承知ですが、必ずや成果を持ち帰って見せましょう」
「……何も姫様がそのようにへりくだることなどありませぬ。我らがいなければ死にゆくだけの町に、法外な慈悲を注ごうというのに」
「おれらが新参なのは事実だろ。いくら強くても礼儀知らずだと思われたくはない」
「かしこまりました。差し出口をはさみ、申し訳ありません」
はぁー、ちょっと強く言わないとこいつは引き下がってくれないんだな。おれを敬いすぎてちょっと傲慢こじらせてるよ。頼むから火に油を注がないでほしい。
おれが丁寧に頭を下げたことで赤鬼もちょっとは考え直すそぶりをしてくれた。その隙を縫って、ヤクモもフォローしてくれる。
「確かに親父のところに挨拶に行かせるべきだった。おれもつい強い人が来てくれて浮かれてた。わるい、親父……」
美少女とショタにこう言われては、さすがの鎮静効果に赤鬼も溜飲を下げてくれたようだ。包帯で飾られた腕を組みなおし、語る言葉からとげが減っている。
「まあ、そこまで言うならな。あの犬が言ってたことも間違いじゃねえし、この町はゆっくりと死んでいってる。お前らが強者だというのなら、本来なら媚びを売ってでも頼み込むべきなんだろう」
犬と言われたことでヴァルさんからにじみ出す殺意が濃くなったけど、そこはどうにか抑えてくれた。というか、おれが思わずびくってなったよね。怖すぎ。
「有能な人材が来てくれるのは大歓迎だ。だが、この町に害をなすと判断したら、すぐさまぶった切るからな」
前の鬼も怖いなあもう。画面越しのホラーゲームですらダメなのにリアル覇気とか吐瀉るよ。
おれは言葉を押さえつけられたまま首を振るしかなくて、それを見てヤクモが申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんな、親父、盗賊にやられてから気がたってるんだ。普段はもっと気さくなんだけど……」
「おれらが得たいの知れないやつらなのは事実だし、まあしょうがないよ」
盗賊にやられっぱなしなのはさすがにかわいそうだし、気持ちはわかる。スケールがだいぶ違うが、おれもゲームで負けっぱなしだったら発狂するし。
というか、さっきから気になってたその怪我。魔法で治したりしないんだろうか。せっかくの魔法が使えるファンタジー、もっと有用に使ったほうがいいと思うんだけど。
「あいにくこの町に治癒術師はいねえよ。魔法を学ぶ環境もねえし、差別されて学べる場所にもいけねえ。昔、優秀な魔法使いがいたんだがなあ。あいつもどうしてることやら」
赤鬼はため息交じりに鬱屈とした感情を吐き出して、床に重い空気を注ぐ。思ったより深刻な世界に来てしまったなあと辟易としてしまうが、それなら話は早い。
おれにならそれを治せると、伝えたらなぜか赤鬼は目を丸くした。あれ、ただ回復できるってだけなんだけど。
「おいおい、これはかすり傷じゃねえんだぞ。後遺症が残る深度のもので、治すには最低中級魔法で根気よく続けていかなきゃいけねえ代物だ」
「黙って話をお聞きなさい。我らが姫様に治せぬものなどありません」
お願いヴァルさんハードルを上げないで。できなかったら申し訳なさ過ぎて死んじゃうから。
でも、まあ、中級でいいのなら何とかなるだろう。おれは杖を振りかざし、魔力を集中させる。
先端の水晶がほのかに光り、赤鬼の体を包み込む。十分な魔力が準備できたことを感じ取り、おれは呪文を口にする。
「『死せる病を救う口づけ』」
加減が分からなかったから、とりあえず強そうな天級呪文にしてみた。これなら大丈夫だろう。ゲームでもたいていこれで何とかなってたし。
もくろみ通り、赤鬼は瞠目しながらも恐る恐る体を動かして、無くなった違和感を探しているようだ。それで完治したことを悟ると、親子そろっておれに視線を注ぐ。
「おれぁそこまで学がねえからわからなかったが、今の中級じゃねえよな?」
……世界観的に天級って言いづらい。ここは上級って言っておこうそうしよう。
赤鬼はそれでもいぶかしげに顎に手を当てて考え込んでいたが、一応は納得してくれたようだ。包帯をほどき現れる赤くたくましい四肢には傷一つなく、動かすことに支障もないだろう。
「……ゴウランだ」
「はい?」
ややあって紡がれた言葉におれは素っ頓狂な声を返す。思わず素が出てしまった。
「おれはこの町の長をやってる、ゴウラン=アサウラ。この町でギルドをするんなら、覚えておけ」
どこかぶっきらぼうだが、それはおれらを認めてくれたということでいいのだろう。おれはほっと胸をなで下ろしたのだが、反対にぞんざいな態度が気に入らなかったヴァルがむっとした顔を作る。
抑えて、抑えて。と目で合図すると不承不承ながらも一応は引き下がってくれた。これ以上ややこしくされたらかなわないからな。
ゴウランは自由になった体をためつすがめつしげしげと眺めて、腰を折る。
「感謝する。まさかこれほどの使い手とは思わなかった。ならば、おれが頼むのがすじってもんだろう。どうか、この村を救ってやってくれ」
「……えらく聞き分けがいいですね」
「ヤクモから話を聞いていたが半信半疑だったんだ。まあ、それは今でも変わってねえが、実力に関しては信頼できると判断した」
つまり、人物的には胡散臭いが、力だけは認めるってことか。うん、まあ妥当。そりゃ、どこの馬の骨ともわからないやつらが天級魔法なんて使ってたらまず目を疑うよな。
それにしても、正直だなこいつ。嘘でも笑顔の一つぐらい取り繕えばいいのに。
いや、この町はずっと差別されて廃れてきているんだ。最初会ったヤクモがそうであったように、きっとゴウランも心がすり減っているんだろう。
それを示すかのように、ゴウランは長いため息を吐く。重荷を乗せたままの肩は、大きいがどこかさみしそうだった。
「こんなおれでも町を守る役目を担っている。それが……ああ、くそ、おれとしたことが」
着物から伸びる手で頭をガシガシ掻いて、ゴウランは忌々し気だ。だが、どこかつきものが落ちたようにそれはのびのびとしていて、おそらくは元となっている剛毅な性格が垣間見えているのだろう。
「まさかこんな魔法を使えるなんて予想外だ。こりゃ、本格的に何とかなるかもって思ってる。本当はおれがなんとかしなくちゃいけねえってのによお」
それが悔しいのだろう、どうにもおれらを素直に受け入れられないようだ。町のことを考えるならおれらが盗賊を退治するのに不都合があるわけもない。でも、こんな得体のしれないおれらに任せてしまうことが、町長としての不足を感じさせてしまうのだろう。
ヴァルはそんな葛藤をくだらなさそうに見下しており、すでに何も言うことはない。おれも新参者としてかける言葉を持っておらず、ただゴウランの気持ちの整理を待つ他なかった。
「いや、お前らが悪いわけじゃねえ。おれがガキなだけさ……盗賊退治がうまくいったらこっちにも報告してくれ。村人にはおれから伝えておく」
きちんと言い切ったものの、赤鬼は複雑な顔をしたまま。そのまま踵を返すと、ヤクモも後に続く。ヤクモは父の葛藤に理解があるようで、眉毛を下げたままこっちに一度頭を下げる。
そして、そのまま二人が出ていくと、残されたおれにどっと疲れが押し寄せた。
ああ、もう。町自体が猜疑に包まれていて、余裕が感じられない。よどんだ雰囲気にのまれ、いろいろ濁ってる。ゲームとは全く違うんだよなあ。
「お疲れさまです姫様。あの石頭も遠からず姫様の素晴らしさを知ることになるでしょう」
そう言って淹れたてのお茶がおかれる。香ばしい匂いに精神がリラックスしていくのを感じ、思わず体から力が抜ける。
ぐでーっと机に身を投げるが、そういえば、この後掃除しなきゃいけないんだった。
「掃除程度なら、私一人でもできますが?」
「いや、さすがにおれも働くから」
一人でぼーっとしてると余計なことまで考えそうだから、ここは体を動かすのが最善だろう。人知を超えた体験に、心身ともに疲れはたまっているがまだ休むには早い。
おれが女の子になってることも含めて頭痛の種は数多いけれど、一つ一つ目先の問題から片付けていきましょうか。
というわけで、おれは掃除を頑張るのです。
まだ番外編を乗せるまで物語が進んでいませんので、土日は本編を連載させていただきます。




