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美女?と野獣の異世界建国戦記  作者: とりあえず
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(番外編)ビーグロウ家にて

 大国ビストマルトの首都ヴァナリアで、ひときわ優雅な獅子がお茶を飲んでいた。

 ヴァナリアの富裕層が集まる一角に屋敷を構えるオレナ=ビーグロウは戦火の始まりをおもいながら友人と語らうつもりでいた。豪華な部屋は彼の持つ財を象徴しているかのようで、絢爛ではあるがどこか落ち着いた色を持つのも部屋の持ち主である彼特有のセンスだろう。名門ビーグロウ家の元当主は、今でも我が物顔でこの屋敷を使っている。


「さて、そんなふてくされた顔をしないでくれたまえ。せっかくお茶に招待したのだから、もっと笑顔を見せてくれよ。君の一番素敵な顔は戦っている時だけど、二番目に素敵なのは笑顔なのだからね」

「……あいっかわらず歯が浮くセリフをぺらぺらまくし立てるよなお前って。そのうち痴情のもつれで刺されないか心配だ」

「そうならないように気を配ってはいるのだけどね。でも、心配してくれるのなら守ってくれてもいいのだよ。ベッドの中とか特に危険が多くていけない」

「ベッドの中で一番の危険はお前以外にないだろうに。まったく口の減らない……」


 獅子の向かいでため息をついたのは熊の男。隆々とした体躯を誇るビストマルト第15軍隊長サウステン=ツキガスが、出された紅茶にも手を付けずジト目で獅子をにらみつけていた。


「それで、説明してくれるんだろうな。なぜ呼んだ。もうすぐネーストを攻めるというこの重要な時期に、将軍たるおれを呼ぶからには相当な要件があるんだろうな?」

「なぜと言われても、君に会いたかったからじゃ駄目なのかい?」

「嘘をつくのは恋人だけにしろ、この浮気性」

「ひどいなあ。これでも一途なのだけど。それにしても、君の私への理解が深いのはいいことだ。やはり関係をもって長いからね」

「誤解しか招かないような表現を語るその口を、今すぐ縫い付けてもいいんだが?」


 そう、本来なら今頃ツキガスはネーストを攻める戦争に参加していたはずなのだ。もともとネーストの独立を許したことでツキガスの権威は下がってしまった。なので、それを取り返そうと息巻いていたところに待ったがかかった形となる。それでこの武人はよしとしないだろうこと、付き合いの長いビーグロウは嫌でも知っている。


 カップを置いて、獅子が笑みを作る。表面上だけは親愛にあふれた素晴らしい笑みだと、ツキガスは内心で舌打ちする。この笑みに騙され、どれだけの男が泣きを見たか。案外刺されるのはそう遠くない未来だろうと、ツキガスは思っている。


「なぜ君を外したのかと言われると、これ以上君の顔が泥にまみれるのを見るに忍びないからだね。友人のよしみで、君を助けてあげたんだよ」

「お前が語る友人とか虚偽の塊だろうが。んで、その魂胆は?」

「君も相変わらず私の扱いがひどいな。障害が多いほど燃える性を知ってのことだとしたら、私も積極性を上げるしかないようだね」

「いいから、早く、魂胆を言え!」


 ツキガスがすごむとやれやれとビーグロウが首を振って話し始めた。やれやれと言いたいのはこっちだと、ツキガスはため息を吐いたのを見た後で、だ。


「だから、『どうせ負け戦なのだから上位軍に土をつける絶好の機会』だと思っただけだよ」

「……本気か?」


 本気でこの獅子は、あの小さな町がビストマルトの大軍を打ち負かせると思っているのだろうか。だとするならば、こいつはあの町で何を見たのか。


「本気も本気さ。私が嘘を言うはずないだろ?」

「お前の嘘のせいで、体を売って15将軍の地位を買ったと噂されたおれにそれを聞くか? こぶしで応えてもいいんだぞ?」

「いやーあれは愉快だったねー。君のげっそりとした顔を見るのは私の癒しだったよ」

「そろそろ本気でぶっ殺すぞお前」

「ただ残念ながら、今回ばかりは嘘じゃないよ。嘘だとしたら、彼らの策が意味わからないし」

「策?」

「そうそう、私はねツキガス、彼らの策に乗っかったのさ」


 大国に喧嘩を売ることを策というのか。自殺行為でないとしたら、いったいどんな裏がある。


「私が首都に飛ばされたとき、結構騒ぎになったのを覚えているかい?」

「まあな。『一足飛び(ショートカット)』で他人を飛ばせるなんて世界最高峰の技術だ。それがまさかあんな国とも言えない国の魔法使いが成し遂げたとくれば、そりゃ驚くさ」

「ふふふ、ではもうちょっと深くまで考えてみようか。なぜ、彼らは私を首都に飛ばしたのだろうね」

「そりゃ、早くお前の口から伝えさせるためだろ」

「それもあるけれど、一番の理由は『私に考える時間を与えない』ためだね。これ以上私にうろちょろされると困るので、時間を奪ったのさ。さすがに到着したのに時間をおいてだんまりでは、陛下への忠義が疑われてしまう。おかげで私がちょっとだけ後手に回ってしまう形になった」

「あー……お前に動き回られるとストレスがたまるのはよく知ってる。しょうがないな」

「君はどっちの味方なんだい……おっと、そうだった。向こうにはあの姫君がいたのだったね。私も見たかったよ。君がプロポーズをするところを」


 いつもであったなら、ここでツキガスがうっとおしそうに獅子をあしらうのだけど、今回は少し違った。ツキガスは毛皮を逆立てて視線をさまよわせ、頬に朱をさすその姿は、どう見ても恋をしていた。

 この堅物恋愛不器用がこんな顔をするところをビーグロウは今まで見たことがなく、うっすらと笑う。


「いや、まさか、ほら、胸が苦しいと言うか、おれだってこんな風になるとは思ってなかったんだ。風聞で、見目麗しいとは聞いていたが……」

「一目ぼれとはまあ君らしいけどさ。彼女が綺麗なのはわかっているけれど、君はもっと中身で選ぶと思っていたよ」

「悪かったな。おれだって一匹の雄さ」

「いや、悪く言ったつもりなんてないさ。それに、彼女の中身が悪いだなんて一言も言ってない。どちらかというと、それを見抜いた君の直観を褒めているところもあるんだよ」


 そう、接してきたビーグロウはよく知っている。彼女が王様に向いていないほどやさしいことも、それを自覚しながら強くあろうとしていることも。今でこそやさしさと甘さを混ぜ合わせているものの、きっとこのままいけばいい王様になる。それは彼の経験が教えてくれていた。


 ほほえましい目を向けられてむずがゆくなったのだろう。ツキガスは気を取り直して次をせっつく。どうにもこいつと話すと会話が脱線しやすいと、ツキガスはいつも思っているのに、また繰り返してしまったようだ。


「そうそう、それで私に考える隙を与えずしたことがこれだよ? まさかこのまますんなりやられるとは思えなくてね。きっと、何か策をもって出迎えてくれるはずだよ。あいにく、何をするのかまでは分からなかったから、事後処理のために走り回ろうと思ってね」

「はあ、ようやく最初の質問に帰ってきたな。それでおれをこっちに呼び戻したんだな」


 どのような策を弄するのかは知らないが、きっとビストマルトは痛手を受ける。この獅子はそう考えているのだろう。だからツキガスを戻し、こうして裏工作に精をだしているというわけか。


「それにしても、攻めるまで早かったな。もっと地の利を活かしてじわじわ締め上げてからでもよかったような気がするが」

「いや、それができないからこんなに速攻で攻め立てているんだよ。彼らが私に何を持ちかけたのか考えてごらんよ」

「……あーそうか。なるほどね、確かにそれは策を疑うべきだ」


 ツキガスは何かに思い至り、獅子の意見に首を縦に振るしかできない。

 ポータルの設置と飛び地での国土。それを所持している国をじわじわ攻め落とそうとするのはどう考えても悪手だ。逃げようと思えばいつでも逃げられる手段を持っているのだから、長期戦こそ不利。

 国民のすべてを飛び地に移したのちに町を返されてしまっては、ビストマルトが攻める大義名分がなくなってしまうし、攻めることもできなくなる。そうなる前に、火急に手を打つ必要があった。

 技術力と国土を目の前にぶら下げられて、黙っていられるわけがない。だとすると、これは完全に誘われていると考えたほうがいい。飛び地とポータルをちらつかせることで、そこまで思考を誘導したのか。


「おい、お前はそこまでわかっていて、それを陛下に進言したのか?」

「仮に進言したとして、聞いてもらえるはずないだろう。あんな弱小国家に負ける可能性があるから進軍をやめてほしいなどと、誰が信じる。それに、長期戦が不利なのには変わりない。現地の将軍たちの采配を信じるだけだよ。なので進言していない、私は」


 これはまた絶対ろくでもないことを考えている顔だ。ツキガスはめんどくさそうに目の前の獅子をにらみつけた。この知り合い以上友人未満のネコ科は策を練っているときが最も輝いている。そして、それは絶対にろくでもないことなんだ、とツキガスはしみじみ思う。


「それに、もしその策とやらが失敗してあの国が蹂躙されたとしても、君にそんなことできないだろう? あの姫様がいる国を、無慈悲に焼き払えるとは思えない」

「……お前とは長い付き合いだが、そこまで心配されるのは心外だ。おれは陛下に忠誠を誓った身であり、そのような個人の情に流されるほど柔じゃない。やるべきことなら、ためらいなくやるさ」

「無理しなくていいのにね。どうせ、陛下に直談判して怒られるまでが予定調和だと思ってるよ。はあ、でも君のような軍人こそ上部にふさわしい」

「お前まさか、土のついた上位軍を落とすことまで考えてるんじゃないだろうな?」

「え、もちろんそのつもりだけど? 私は君をさらに出世させるつもりだよ。我らが悲願のために、それは君もよく知っていることじゃないか」


 そう言われてツキガスも押し黙る。ビーグロウ家の悲願を知る身としては、そこに異論をはさむことなどできやしない。


 ビーグロウ家はビストマルトの中でも特異的な存在だ。穏健派筆頭というだけではなくその構成すら、他から見ると異質に他ならない。

 ビストマルトの善意とまで言われているビーグロウ家は、孤児院のほかに慈善事業で知らぬ者はいない偉業を果たしている。国民からの覚えも厚く、慈悲と慈愛の心で政治に接しているとされている。

 そんなビーグロウ家当主という冠は代々孤児から最優良の子に与えられる称号である。ビーグロウ家の運営する孤児院から選りすぐりの孤児を選抜し、最もふさわしいものに当主の称号を与えることで、かの家は成り立っているのだ。

 品性方正とうたわれるビーグロウ家の前当主がこんな獅子だとはまさか国民も思っていないだろう。常に清く正しくをモットーとしているビーグロウ家前当主、オレナ=ビーグロウはいろんな意味で型破りな当主でもあった。


 だからこそ彼は当主の看板を背負いながら自分の死などということをやってのけることができる。跡継ぎはすでに決めてあり、彼が失うものなど別にないのだ。

 血筋という考え方を遠ざけた結果、婚姻も意味をなさず、貴族同士のつながりはあまりない。だが、それに縛られない動きができる点で、ビーグロウ家は常に自由に意思を決定してきた。


 この獅子は歴代当主よりずば抜けて優秀だ。それを幼いころから見てきたツキガスはよく知っている。

 彼らは同じ孤児院の出自であり、頭脳を買われてオレナ=ビーグロウは当主に、戦力を買われてサウステン=ツキガスは軍に。ツキガスがこの若さでたたき上げの将軍という地位を得たことは、確実にオレナ=ビーグロウの力によるものが大きい。

 ビーグロウ家はこのように、有能な若者を輩出することで国に貢献してきた。学府の長も務めていたオレナがノレイムリアで大怪我を負ったとき、国中の学校が祈りをささげていたことは記憶に新しい。ビーグロウ家は特異的ではあるが、その影響力は計り知れないものがあるのだ。


 ビーグロウ家の悲願と言われると、もはや反論の余地はない。ツキガスはビーグロウ家に恩を感じており、またその思想に共感しているのだから。断じて、この獅子と仲がいいわけではない。そう自分に言い聞かせたツキガスがため息をついていると、扉が控えめな音を立てて開かれる。隙間から顔をのぞかせるのは線の細い豹の青年であった。


「あ、ツキガス様、いらしていたのですね。ご無沙汰しております」

「ああ、久しぶりだな。だが、そんなにかしこまらなくてもいいと言っているだろうが。お前はもうこの獅子から次を託されたビーグロウ家当主なのだから」

「いえ、自分などまだ半人前でございます。オレナ様に比べたら、至らないところばかりで……」


 あまたの孤児の中から当主という冠をいただいた豹はしかし、はかなげにほほ笑むのが似合う深窓の美少年でもあった。そこは偉丈夫然としたオレナ=ビーグロウと比べると、正反対の印象を受ける。

 背丈はそれほど低いと言うわけではないのだが、やはりおっとりと浮かべる笑みの儚さがどうしても彼を小さく見せてしまう。だが、庇護欲をそそる見た目をしていても、彼はビーグロウ家の当主なのである。


 イグリス=ビーグロウ、それが新たな当主の名だ。


「イグリス、そんなに謙遜しなくとも、君なら十分当主としてふさわしくやっていけるよ。君を選んだ私やお父様の目を信じなさい」

「はい、ビーグロウ家の名に恥じぬよう、精一杯頑張ります」

「戦火が開かれるということもあって、これから陛下の御前に立つ機会が増えるだろう。しっかりと励みなさい」

「ありがとうございます。あの、機会があれば、また、剣技をおしえてくださいませ。オレナ様やサウステン様から、ぜひ」


 潤んだ目を細めて教えを乞う姿はまさに楚々とした花をほうふつとさせる。たおやかな雰囲気と相まって、とても当主という肩書を乗せているとは思えない。これはまた特殊な人物を当主に据えたものだと、ツキガスは意外に感じていた。


「君はどちらかというと魔法に才があるのだから、無理しなくてもいいとは思うがね」

「いえ、それでもやはり、自分はオレナ様やサウステン様にあこがれがありますので。頼りない細腕ではありますが、僕も自分の身くらいは守れるようになりたいのです」


 礼服の隙間からのぞく腕は確かに細く、剣の重みに耐えられるかはなはだ疑問だ。それに、ビーグロウ家にももちろん剣技をたしなむものがいる中で、イグリスは彼らに教えを乞うた。濡れた目から注がれる視線に含まれる尊敬という感情を察して、ツキガスは気恥ずかしく身をよじる。どうにもこの新当主は、オレナとツキガスに傾倒している節がある。


「それでイグリス、何か用だったのかね?」

「あ、失礼しました。ツキガス様もお見えになっていたので、つい話し込んでしまいました。オレナ様にお客様がいらしております」

「私に客かね。それもイグリスが案内をするほどの。ふうむ、ようやく来たようだね。通してくれて構わんよ」

「なら、ありがたく座らせてもらおうかの」


 イグリスよりも高く幼い声がしたかと思うと、彼の後ろからひょこっと少女が現れた。いたずらを成功させたような意地の悪い笑みは、見た目の年齢にそぐわず老獪だ。

 彼女を見たオレナは仕方ないと肩をすくめ、客人を椅子に通すことにした。


「リュシア、君は案内されるまで待つという芸当ができないのかな。一応ギルドマスターだろうに」

「私の親しい友人がいつまでたっても来ないのでしびれを切らしたのじゃよ。別にトラップなどはしかけておらぬから、安心するがよい」

「安心の基準が相変わらず低いなあ。君、その見た目だからって精神年齢まで低くしなくていいんだよ?」

「やかましい。じゃが、この見た目だとたいていのことは許されるので楽じゃぞ。それで、こっちの足が短い男は誰だ? お前の恋人か、浮気相手か」

「足に短さ以外は一切合切違う。こいつとはただの腐れ縁だ」

「ふふふ、やめてくれよリュシア。そうやって警戒させると寝室までの距離が遠ざかってしまうじゃないか」

「お前も冗談に乗るな!」


 むすっとした顔でツキガスは腕を組み、小さな耳をひくひくと動かした。じろりと少女を観察すると、見た目の華やかさとは裏腹にかなり知恵が回ることがわかる。軍部で様々な人物を見ている彼にとって、彼女の老獪な雰囲気は宮中で何度も見たものに等しい。これは一筋縄ではいかないのだろうと、熊はさらに辟易とした。そういう人物は、オレナ一人で十分なのに。


 リュシアは小さな体躯でちょこんと椅子に座り、オレナにお茶を要求した。そこでメイドがいないことに気づいたツキガスがいぶかし気に片眉を上げ、どうやらこれは密会の部類らしいとようやく悟った。

 だとすると、この少女はどういう存在なのだろうか。ギルドマスターと言っていたが、獣人でないのだからこの国の者ではないのはずだ。


 イグリスはリュシアにお茶を入れたあと、きれいにお辞儀をして部屋から出て行った。ビーグロウ家当主にさせることではなかったが、イグリスの手つきは慣れたもので、人に奉仕することへの抵抗のなさをうかがわせるものだった。

 どんな意図であの当主をすえたのか。少し考えてみたが、ツキガスはどうせ考えてもわからないのだからと考えるのをやめた。


「紹介するよツキガス。彼女はノレイムリアのギルドマスターだ」

「……なんでそんな奴がここにいるんだ」

「もちろん、私のお友達だからさ」

「だから、お前の友達は虚偽の塊だと言ってるだろうが。どんなやばいことさせてるんだ?」


 ツキガスのジト目がツボに入ったのだろう、リュシアは頬を思いっきり膨らませ、すんでのところでお茶を噴き出すことを抑えていた。この少女は笑い上戸であるらしいと、無駄な情報が一つ増えた。


「くは、人が茶を飲んでいるときに笑わせるでない。お前は本当に信頼がないのだな。私からだけかと思っておったぞ」

「悲しいなあ。これでも一途で清純なのに」

「自死を演出した男の口草ではないのう」

「全く信じてなかったくせに」

「至極当然じゃろう。ビーグロウ家の成り立ちと貴様の性格を知っておれば、信じる方がお人よしをこじらせた馬鹿じゃ。まあ、あの姫君は信じておったようじゃけど」

「彼女は君と違って優しいからね。私も心が痛んだよ」


 巨漢の熊将軍は無言でお茶をすすりながら、内心で帰りたいという欲求を燃え上がらせていた。実直な彼からすると、こんな狸の化かし合いはほとほと嫌気がさすほど苦手なのだ。ひねくれ者同士のあいさつは本人たちにとっては楽しそうだが、彼にとっては勘弁願いたいものである。


 なんでノレイムリアのギルドマスターが、などと思っていたツキガスであったが、オレナの策に思い至ったことでそのつながりが見えた気がした。

 そういえば、ネーストへの同盟にギルドを通じて依頼を送るというものがあったはずだ。あの時はこの国のギルドと通じているだけなのかと思ったが、どうやら彼女を通じて依頼を回すつもりだったようだ。

 なるほど、それであるならばネーストとのつながりは完全にビーグロウにゆだねられることになる。そもそもこの国のギルドマスターでないのだから、依頼するルートに横やりを入れられる心配もない。ギルドは国や種族に組しない単独した集団であるため、他国のギルドマスターとつながっていても表面上の問題はない。

 ネーストが同盟を許諾していたのなら、さらにこの獅子の権力が増していたことだろう。もっとも、それはあの国が依頼するにたる力を持っているという前提に基づいてのことなのだが。


 そう、そこがツキガスにとっての疑問点でもある。なぜ、オレナはあの国をこれほど評価しているのか。過激派の差し向けた刺客を一人で返り討ちにしたとは聞いている。しかし、それだけでそこまで入れ込む理由になるのだろうか。


「そういえば、ツキガスは彼らの戦闘を見たことがなかったのだね」


 ツキガスが聞いてみると、オレナとリュシアはじゃれ合いを止めて彼に目をやった。


「過激派が私に差し向けた『兎角殺翼』の実力は君も知っているだろう。そして、それをあの国の素晴らしい騎士が一人で退けたことも」

「それは聞いている。確かにあの暗殺専門職を一人で退けたのはすごいと思うが、それにしては持ち上げ方が異常だ。ちなみにそいつってあのブレグリズのことだよな」

「ああ、君はネーストにいたのだったね。そうだとも。あの素晴らしい騎士さ」

「……見事なまでに欲望が漏れてるけど、まあ、続けてくれ」


 言われてみれば、あの竜騎士は獅子の好みど真ん中だ。あまりにかわいそうと思い、ツキガスは同情の念を送っておいた。


「なら、これは知っているかな。ヨルドシュテインがノレイムリア――今ではネースト領になっている北方の土地に進軍したこと」

「いや、知らないな。だとしたら、それがここまで話題になってないのはおかしいだろ。おれだって一応軍職だぞ」

「そうだとも。それを知っているのはごく一部、ノレイムリアの上層部だけ。そうだろう、リュシア?」


 少女に話題が振られて初めて、この密会はその報告のためなのだとツキガスは気づいた。そして、それが戻されて文句を言う自分を納得させるためのものでもあったのだと、遅まきながら理解した。

 だが、それは同時にありえない答えへと至らせるものだ。話題にならなかったヨルドシュテインの進軍、オレナの過剰なまでの評価、そして、その土地はネーストの物だということ。


 ――――考えられることはひとつしかない。


「まさか……撃退したとでもいうのか。あの人数で、あの僻地で」


 ありえない。どんな戦力をもってすれば、あの飛び地で大軍を撃破できるのか。ノレイムリアの支援なくば、体制を整えることすらできそうにないというのに。

 いや、いや、そうではない。オレナが持ち掛けられたことに思い至り、ツキガスの背後に寒気が昇る。

 ポータルの設置ができる国であり、『一足飛び(ショートカット)』を他者に対して行える魔法使いがいる国だ。ならば体制を整えるなど朝飯前。しかし、本当に?


 ツキガスの愕然とした視線を受けて、リュシアは神妙にうなずいた。否定ではないということに、熊はさらに驚きを隠せない。


「うむ。どうやら本当のようじゃな。さすがの私も半信半疑じゃったのじゃけどな。進軍したであろう痕跡のある森と、住処を追われたモンスターの死体。人の死体がないことが考えられぬほどの戦禍があの森にあったぞ。私の手勢を行かせたんじゃ、間違いはあるまい」

「それを、ノレイムリアがやったということはないのか?」

「あの国は内乱中でそんな戦力をさく余裕などあるはずもない。それに、面白いことにのう。どうやらヨルドシュテインとつながっている第一王子を暗殺したのはネーストの手勢だといううわさが流れておる。あの状況下ではそんな噂が流れるのも仕方ないことじゃろが、火のない所に煙は立たぬともいう。用心には越したことなかろうて」


 二の句が継げないツキガスは、呆然と言葉を持て余していた。ありえないことだと思いつつ、この知恵者たちがそれを前提に動いているという事実。そんなバカげたこと、それこそ神話の中の話ではないだろうか。単騎に近い軍勢で大軍を打ち破る。それはどこのおとぎ話だと、ツキガスは声を大にして言いたかった。


 しかし、それならば理解できてしまった。オレナがツキガスを手元に戻したのは、必然であり、当然のことであったのだ。

 土がつく、などというものではない。勝てないかもしれない、そうツキガスは思い始めてきた。瞼の裏に映るあの麗しい白色を思い出し、彼女の無事を喜ぶ自分とあまりの強さにおののく自分が競合して責め立てていた。

 ビストマルト秘蔵の兵器を持ってすればあの結界を破れるはずだ。諸外国にみせしめる意味でも、あの神代兵器は間違いなく投入される。それでも無事だろうと、オレナは言っているのだ。確かにあの兵器の連射性は皆無だが、馬鹿にならない性能を持つ。次に撃てるのがいつになるのかはツキガスには分からないが、戦況を変えるならあの一撃だけでも過剰性能だ。


 驚愕に打ち震えるツキガスをしり目に、お茶を飲みほしたリュシアが盛大にため息をつき、恨めしそうにオレナをにらみつけた。


「はぁ、お前が余計なことをしなければ、あの戦力は私と懇意にできたのに。まったく気に食わん。挙句の果てにネーストとつながるという私の利益も水泡に帰したし。本当にお前は役に立たぬ」

「ああ、イグサを盾に脅してたやつだね。あれも悪くないけど、私にも都合があったのでね。それに、彼らがあそこまで強いとは思ってなかったんだ」

「それは私もじゃ。逃した魚は大きいと言うが、あれは魚などではなく龍だな。さて、ではここからどう動こうか。私を呼び出したということは、当然利のある話をしてくれるのじゃろ?」

「もちろん。私は女性へのプレゼントをためらう男ではないのでね。君が金銀財宝に目のない女性だというのは周知のことさ」

「くす、素直な男は嫌いではないぞえ。ノレイムリアも属国を回避したようじゃし、ここからさらに足を延ばすのも悪くない。そして私はおなかが減ったぞ」

「安心してほしい。ツキガスが三人いても食べきれないほどの量を用意してある」

「ちょっと待て、そんなに食うのか彼女は!?」


 含みのある顔で笑う獅子と少女。つっこみはしたが、悪意交じりの話など到底自分は入っていけない。彼は己の性格を考慮しているのだ。さすがに将軍などという地位を持っているのだから、少しはあの悪意を見習うべきなのだろうけど、初心者にあの黒色は重すぎると早々にあきらめることにした。


 ツキガスはぼんやりとカップを手に取り波立つ褐色の液体に自分の顔を浮かべた。いかつい熊の相貌に映るのは確かな安堵。それが彼にとって少し意外だった。相手は敵国であり、心配する意味などまるでないというのに。


「恋かぁ……」


 本でしか知らないものだったのに。どうやら自分は情熱的な部類だと、求婚して初めて知った。これではオレナのことを馬鹿にできまい。それがちょっと悔しい。

 まるで悲劇の主人公だなと苦笑して、ツキガスは紅茶を喉に流し込む。彼は軍人であり、必要であらばなんであれ即座に切り捨てる。恋だの愛だのは、今しばらく胃の下に流し込むことにしよう。


「さて、サウステン」


 オレナがツキガスのことを下の名前で呼ぶときは、いつだって真面目な話をする時だ。

 聞かれることはわかっていた。だから、面持ちを正して獅子と向かい合う。


「これでわかってくれたかと思うのだが、どうだろうか、もう一週間くらい私に家に滞在してみては。評判のことは気にしなくていい。私が何とかしてみせる」

「……ずいぶんと手間をかけるな」

「そりゃ、かわいい君のためだからね」

「ビーグロウ家のためだろうが」


 相も変わらず、抜け目のないことをする。とツキガスは辟易とした感情のまま溜息を吐いた。

 どうやらリュシアを呼び寄せたのは自分を説得させる意味もあったらしい。素直に言えないものなのかねえと、幼馴染のめんどくささを改めて思い知ってしまった。


 ビーグロウ家の息がかかったツキガスが出世することは、この獅子にとってかなりの重要案件のはずだ。穏健派であるビーグロウ家は代々軍部と仲が悪く、ツキガスの存在は得難い駒としての側面も持っている。

 それをみすみす見殺しにするにはもったいない。大方そんなところだろうとツキガスは考えている。そして、そこまで読まれているとわかったうえで、獅子は大仰にふるまうのだ。


 だが、だとするとそんなことでツキガスが止まるはずないというのもわかっているはずだ。軍人としてではなく、彼本人の気性がそれを認められないと叫んでいるのだから。まだ何か切り札があるのだろう、ツキガスを引き留めようとする獅子の手が。


「もちろん見返りは用意してある。ヒベクリフ=デロアの第三席組への移籍を援助しよう……それでどうだろうか?」

「相変わらず耳が早いことで。だが、お前がそこまで軍部への影響力を持っているのか?」

「嘘はつかないよ。スピネリタス君だけでもなせるだろうが、私が手伝うとより盤石だ。そして、私が妨害すれば確実に不可能だ」

「やっぱり脅しかよ」

「持てる富と権力で男を篭絡するのは私の趣味の一つなんだ」

「……知ってるよ畜生」


 やるというにはこの男は確実にやるだろう。第三席シルク=スピネリタスがこの獅子を毛嫌いしているのは、同族嫌悪からだとツキガスは思っている。両者とも目的のためならどんなことをしても成し遂げる意思の強さがある。

 所属部門こそ違えど、この二人は似た者同士だ。違いを上げるとするならば、オレナはシルクより甘くないということ。


 だから、ツキガスがここで誘いを断れば、ヒベクリフが第三席組に来ることは絶対になくなる。


「ふふふ、そんな怖い顔しなくてもいいじゃないか。第三席組が力を増せば、君が出世しやすくなる。戦争を一つ逃したところで、すぐに挽回できるよ」

「お前が策をもってでしか人付き合いできないのは知ってるけど、なにもおれにまでしなくてもいいじゃねえか」

「もはや趣味と実益を兼ねているからね。あと、君の困り顔を見ると心がとても晴れやかになるんだ」

「やっぱぶっ殺しておくべきかなあ……」


 こうしてちょっかいをかけるのは小さいころから変わらない。それをツキガスは知っているから、怒ることなく対応できる。


 だから、決意が曲がることもない。


「おれは行くぞ。今回の作戦にはオルワルト先輩もヒベクリフもいる。おれだけ逃げるなんてできるわけがないだろうが」

「その結果ヒベクリフは君の組に来ないけどいいのかい?」

「そこはシルク先輩が何とかするさ。おれは、自分の仕事をするだけだ」


 力を込めて獅子の相貌を見据えて、ツキガスは言い切った。普段は童顔だとからかわれているが、気迫を込めると将軍の名に恥じない凛々しい表情を見せてくれる。背丈の低さなど気にさせない気迫、強者だと本能で感じさせる威圧感をもって彼は腹を決めた。


 獅子は肩をすくめてしょうがないなあと溜息を吐く。わかっていたくせにと、ツキガスはジト目でにらむ。


「君に死なれたら困るんだけどねえ」

「まあネーストとの同盟も断られた今、お前の立場も悪くなっておることじゃろうし。手ごまが減るのは痛いの」

「ねえリュシア、私は今感情に訴えかけよう作戦中なんだ、そんな野暮なこと言わないでくれないか」

「だったら無理やり監禁するなり薬で無力化なりすればいいじゃろうが。なんなら私が手伝ってもいいぞ?」

「そんなことしたらツキガスが使い物にならなくなるじゃないか」

「待て、お前ら何するつもりだ!」


 リュシアは会話しながら料理を胃袋に放り込み続けていた。目の前のあった料理が瞬く間に消失していく現象を前に、ツキガスが目を見張っている。放り込んでいるとしか表現しようもないくらい、その手は早い。


「めーんどくさい連中じゃなあ。仲がいいのだったら泣きながら『私のために戦争に行かないで!』とかやればいいじゃろうが。そっちの方が私も退屈せんし」

「食べながらしゃべるのはお行儀が悪いと思ってほしいな。それに、横やり防止のために料理を持ってきたのをわかってるくせに」

「お前はそんなプライドない真似できんだろうがなあ。見たいなー、とっても見たいなー。普段すました顔した獅子が泣きながら足元に縋りつく光景がとっても見たいなー」

「……おかしいな、料理の中に眠り薬を盛っておいたはずなんだが」

「おい今何と言った?」


 獅子と幼女が食えない会話をしている間、ツキガスは思いをかみしめていた。


 普段の彼であっても、戦場に出向くだろう。彼は生真面目で、国の利益のために働くことを惜しまない。傭兵出身とは思えないほど忠義にあふれたこの性格は、ビーグロウ家の教育によるものだとも理解している。


 しかし、今のツキガスはいつも以上に決意を持っていた。負けるかもしれないと、あのオレナにくぎを刺された戦争を前にしてもなお、燦然と輝く決意の塊。


 負けるつもりなんて毛頭ない。だが、もし勝ってしまったら、あの白い姫君はどうなる。

 世界有数の魔法使いであり、神が使わせた美貌を持つ彼女。その采配を決める権利を勝ち取るには、戦争で功績を上げるほかないのだ。


 彼女のやさしさは知っている。それを守るのは自分の役目だと、ツキガスは信じて疑わない。

 恋おぼれる愚直さゆえに、それを自覚してもなお止まらない感情を糧に。


 ツキガスは戦場に戻ることを決めた。


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