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美女?と野獣の異世界建国戦記  作者: とりあえず
51/77

(番外編)ツキガスとビストマルトの将軍たち

 これは、ツキガスがネーストに来る少し前の話。


 サウステン=ツキガス。

 ビストマルトが誇る15将軍の末席に位置する熊獣人。孤児であった彼はオレナ=ビーグロウの勧めで軍に就職。それ以前は傭兵稼業で湖口をしのいでいたが、その腕前は噂になるくらいのものであった。


 もともと才能があったのだろう。彼は自分が思っていた以上に強かった。それこそ、肉体自慢の獣人だらけの軍部において将軍職をつかみ取れるくらいには。

 そう、当然軍部の獣人は肉体自慢ばかりだ。彼らはみな腕っぷしが強く、筋骨隆々とした体躯を誇りに思っている。戦いに関しては我こそはという自信をみなぎらせ、またそれ相応の力を持つ者がひしめいているのだ。


 だからであろう、ツキガスは自らが所属する軍でこのような扱いを受けるのは。


 もちろんツキガスは、それをあまり快くは思っていない。


「だーれがぬいぐるみ将軍だ! 誰が!」


 大股で城を歩きながらツキガスは毒づいた。もっとも、大股というには足の長さが圧倒的に足りないのだが。


 今日の訓練を終え、たまった書類仕事を片付けようと部屋へと向かう彼は見ての通り怒り心頭だ。鎧をガチャガチャと鳴らし、眉を怒らせている。

 顔の真ん中に一文字の傷を持ち、少し長めの前髪が歩くたびに揺れていく。確かに一見して愛らしいようにも見え、威厳がないと言われても仕方のない顔付きをしている。加えて、頬を膨らませている相貌はどう見たってそうであろう。


 ビストマルトの首都ヴァナリア、そこに鎮座する王宮は一見して贅というものがうかがえない。飾り気のない柱に、高い天井には絵が描かれているわけでもない。大きさこそ王宮の名にふさわしいが、芸術性という意味では砦にこそ近い。

 前にオルヴィリアが訪れたノレイムリアの宮殿と比べると華やかさがまるで違う。兵士のための砦、そういう他ない。


 獣人国家として性能を重視する彼らは芸術にあまり理解を介さない。実用性こそ尊ばれるもので、いかにきれいでもすぐ壊れるものなどに価値を見出さないのだ。


 その精神がそのまま肥大化したような王宮で、ツキガスは怒っていた。


「おれは、お前らより立場が上なんだぞ。仮にもビストマルト第15軍将軍! それをなんだ、『今度だっこせてください!』って。おれはぬいぐるみじゃねえってえの!」


 のっしのっしと歩きながら、ぷりぷりと怒り続ける熊獣人。


 実は彼、恐ろしいほどに足が短かったりする。短足が多いとされる熊獣人の中においてさえ、短さが目立つという異質。それに加え、身長もあるわけではない。

 もちろん人間に比べたら十分に大きい方のだが、軍部にいる歴戦の戦士、またはあのオレナ=ビーグロウよりも身長がないのだ。

 それとは逆に、身長がないだけで横幅はかなりある。鍛え上げた体は隆々としており、遠目から見ると縦と横の比率が狂って見えるに違いない。


 そのせいで、ついたあだ名がぬいぐるみ将軍。この国で上から15人目に数えられる武勇の持ち主につけられたとは思えないほどにかわいらしいあだ名だ。


 戦えばだれよりも強いはずなのに、彼は部隊の兵からこのように言われている。もちろん陰で、だが。本人の耳に入ったならすぐさま特別トレーニングの刑に処されてしまう。

 今日もそれで数人の兵の足腰を立たなくしてきた。彼らはみな、配属されたばかりでツキガスの力量を知らなかったのだ。


 ずんぐりむっくりとした体躯ではあまり強そうに見えないのも仕方ない。だが、彼の肩書は軍部における最高クラスのものだ。ツキガスはすぐさま彼我の実力差をわからせ、二度とそのあだ名で呼ばないことを誓わせた。


 これは書類作業に入る前に心を落ち着かせる時間をとったほうがいいのかもしれない。お茶を飲んで、お菓子を食べるに限る。甘いものに目がない彼は、紅茶に蜜をたくさん入れるのが好きだ。

 甘い味を口内で想像して気を紛らわせていた時、ツキガスの前に巨大な壁が立ちはだかった。


「どうした、かなりお冠のようだが」

「ああ、おはようございますオルワルト先輩。いえ、別に、ちょっと訓練の興奮がまだ冷めてないだけですよ」

「ぬいぐるみ将軍と言われたと言っていたが」

「聞こえてたんですか……」


 その壁は灰色のサイであった。ツキガスよりも頭二つ分も大きい体躯を誇り、立っているだけでも不動の岩石を思わせる。どっしりとした巨体から放たれる風格は、まさに他の獣人とは一線を画している。


 ツキガスが先輩と呼ぶ彼こそ、ビストマルト第8軍将軍オルワルト=デグリエリ。この国で『岩強なる武人』として数多くの羨望を集める槌使いである。


 オルワルトと呼ばれたサイはまさに岩のようにごつごつとした手をツキガスの肩に置く。身長差のせいで本当にあやされているようにしか見えないなと、ツキガスは心中複雑だ。


「心配するな、お前は立派な愛されキャラクターだ」

「それが嫌なんですよ!」


 これが本心からなのだからたちが悪い。ツキガスは内心で困ったものだとうなりを上げる。

 戦場ではしっかりした状況判断とすべてを薙ぎ払う剛腕を持つ頼れる将軍なのだが、普段は頭のねじが二、三本抜け落ちている残念な天然だったりする。


 ゆえについたあだ名が昼行燈将軍。戦場でない限り役に立たないと周知の評判だ。

 ちなみに戦場での通り名は槌戦鬼。この性格に似合わず、彼はかなりの戦闘狂でもある。強者と戦うことを生きがいにしているなどと、普段の彼を知っているとつい首をかしげてしまうだろう。


「いいではないか。愛されキャラクターとして配下の心をわしづかみにできるぞ?」

「やですよ。おれはもっとかっこよくなりたいんですから」

「しかし、こうしてみると本当にぬいぐるみみたいだな。部屋に飾ってあっても違和感がない」

「話を聞いてくれ!」


 オルワルトはぬいぐるみなどと絶対に言われないであろう体躯で、ツキガスの顎下の毛だまりをもふり始めた。部下からもふりがいがありそうだともっぱらの噂部位であるそこは、オルワルトなどの一部のおもちゃになっている。

 この人は本当に話を聞かないんだよなあ。と、ツキガスはどうしたものかと困り果てた。

 相手は先輩、それに自分より上の将軍だ。無下にしても彼なら怒ることはないだろうが、自分の礼儀に反することはできない。


 なので、やんわりとたしなめてみた。効果はなかった。


「……あのーいい加減手を放してくれると嬉しいのですけど」

「気にするな」

「おれが気にするんです!」

「大丈夫だ、私は自分がもふもふしていないことをそれほど気にしていない」

「話が全くちげえよ!」


 両手の指でわしゃわしゃともふられると、ツキガスとしてはものすごくくすぐったい。いい加減にしてくれないかと、そろそろツキガスの堪忍袋の緒が切れそうになったころ。


 さらにめんどくさいやつが現れた。


「よーっす! 相変わらずかわいがられてるなツキガスちゃん!」

「ヒベクリフ……」

「あ、今思ったことを当ててやろうか? 『うわあ、まためんどくさいやつが来たな』、だろ!」

「そう思うならどこかに消えてくれ。できるだけ迅速に」

「え、え、え、ツキガスちゃんって上司にあたるおれにそんなこと言っちゃうの? 仮にもおれ、ビストマルト第10軍将軍だよ?」

「うぜえ……」


 心底辟易とした顔で出迎えられたのはトカゲの獣人。緑色の体はつるりとした光沢を放っているが、いたるところが傷だらけだ。隠す毛皮がないせいで歴戦の痕が異彩を放つ彼が、自称した通りのビストマルト第10軍将軍ヒベクリフ=デロアである。

 見た目こそ傷だらけなうえに顔も怖いのだが、話してみるとかなりとっつきやすいのがわかるだろう。配下からの覚えもよく、腕前も立つ彼であるが、ちょっと趣向が変わっているのが特徴だ。


 この時間は訓練を終えた将軍がよくかち合う時間帯だ。こんなことならずらせばよかったなあと、そんなことを思っても後の祭りであるのだが。


 ヒベクリフは当然のようにツキガスより身長が高い。オルワルトには劣るが、この国の平均よりも十分に高い体躯でツキガスをはさむように距離を詰めていく。


「いやーツキガスちゃんって本当に小っちゃくてかわいいな。ツキガス人形でも発売して売りさばけるんじゃねえかな」

「それ以上茶化すとお前の傷跡が一つ増えることになるぞ?」

「オルワルトさんにはもふらせて、おれにはもふらせてくれねえってか。そいつはひどいぜ。おれだってお前の上司なんだから、もふもふする権利ぐらいあるだろ」

「ねえよ。というか誰にもねえよ」


 とかなんとか言ってもこいつはもふるんだろうな、というのをツキガスはいやというほど知っている。ぬいぐるみ将軍などという不名誉極まりないあだ名がついたのも、こいつがツキガスをもふるからなのだ。


 圧倒的な自己治癒能力で怪我を顧みない戦闘をするヒベクリフと圧倒的な防御力で有無を言わさず敵陣を制圧するオルワルト。この二人なら本気で殴っても大丈夫なのではないか、ツキガスはいらだった頭でそう思い始めてきた。


 死にぞこない将軍と揶揄されるほどの治癒スキルを持つヒベクリフは、当然のようにツキガスの両頬をもふりはじめる。こ憎たらしいトカゲの顔がほっこりと緩み、まるで風呂につかったときの第一声にも似た声が喉を震わせる。


「あー……いつ触ってもいいよなあ。体はがちがちの癖に、顔はもっちりだもんなあ。訓練後の癒しだわ」

「そろそろ本気でお前のことが気持ち悪いと思い始めてきたぞ」

「まあまあそう言うなって。どうだ、給料は弾むからおれのぬいぐるみにならねえか?」

「死んでから出直してきてくれ」


 実はこのヒベクリフという男、大のぬいぐるみ好きなことでも有名だ。自身の部屋には多数のぬいぐるみを飾り、ごつい見た目のわりにかわいらしいものが好きという趣味を持つ。そしてそれをはばかることなく公言し、こうしてツキガスにちょっかいをかけているのだ。


 ツキガスにとってはたまったものではない。もともと威厳が足りない体なのに、こうして愛でられるとさらに威厳が減ってしまうではないか。


 ちなみにさっきからオルワルトは無言でツキガスの顎下をもふっている。会話テンポが他人と数歩ずれてるせいで、そもそも入ることをあきらめているようだ。


 ヒベクリフももふる手を休めることなく、楽しそうにしゃべり続けている。ツキガスとしては、そろそろ帰らないと仕事が終わらないことに悲しみを覚え始めていた。


「あとさーツキガスちゃん。前髪は切ったほうがいいって言ってるじゃねえか。そんなんだから子供っぽい顔になるんだぞ」

「これでも整えてるつもりなんだよ。それに、兜をかぶればわかんねえだろう」

「おれが整えてやるって言ってるのにさー」

「お前にもてあそばれるくらいならむしりとったほうがましだ」


 頭をわしゃわしゃと撫でられながら、ツキガスはめんどくさそうに投げ返す。これも公然とした事実であるのだが、ヒベクリフはぬいぐるみ好きが高じて裁縫と散髪の技術を獲得している。あの手この手でツキガスを愛でようと画策されると、本人としては無下にするのもしょうがないというもの。


「そういう問題じゃねえんだって。いや、おれはどっちのツキガスちゃんでもかわいいからいいけどよ」

「気持ち悪さに拍車がかかって――」

「おれ、上司ね」

「大変面妖であらせられますねこのくそトカゲ!」

「はっはっはっ! そういう真面目なところもツキガスちゃんのいいところだと思うぞー」


 ヒベクリフは傷だらけの顔を人懐っこそうにほころばせ、面白そうに頬のもふりを再開する。露出が多い鎧から見える地肌は無数の傷が走っており、彼の持つ緑の皮膚に凹凸を加えている。はた目から見たらツキガスがいじめられているようにしか見えないが、これでもじゃれあっているつもりなのである。


「というわけでだ、ツキガスちゃん。おれと勝負しようぜ」

「なんでそうなったのかわかんねえけど、公認でぼこれるなら全然いいぞ」

「よっしゃ! じゃあおれが勝ったらその日一日胸元に赤いリボンな!」

「……殺す気でやるからな」


 これで次の訓練はツキガス軍とヒベクリフ軍との合同練習に決まった。今のところツキガスが負け越しているが、今度こそ殺すと剣呑な目でトカゲをにらみつけている。


 しかし、なぜかヒベクリフはにやにやしながら意に返さない。ツキガスはされるがまま、頬の毛並みを荒らされ続けている。


「ツキガスちゃんはかわいいなー。ねえねえオルワルトさん、おれと配属先交換しません?」

「む? ヒマグリフの監督係は確か、第五席のイゾラ=グーリンガだったか」

「ヒベクリフなんっすけどねおれ。まあ、それは合ってますよ。ほんとさー、うちのとこって癒しっていうものがなくてさ。おれもつらいのよツキガスちゃん」

「知るか死ね」


 ビストマルトの15将軍は上位将軍とされる五将軍と下位将軍とされる十将軍から成り立っている。上位軍がそれぞれ監督係として二人の将軍を配下に持ち、三人一組として体制が整っている。

 ツキガスとオルワルトは同じ上位将軍を監督係に持ち、それゆえ接点も多い。だが、ヒベクリフとは組も違うがゆえに、接点はないはずである。

 それでもトカゲはツキガスに絡みに行くのだ。


 その理由は、ツキガスにとってわからなくはなかった。ヒベクリフの監督係である第5軍将軍イゾラ=グーリンガは野心の塊のような男だ。へまをすれば容赦ない叱責、自分の地位を脅かそうものならすぐさま首を切る。そんな人として器が小さい男でもある。


 自分のところがこんなに和やかなことこそ、異質なのであろう。ツキガスもオルワルトも出世というものにあまり関心がないし、彼らの監督係も権力を広めることに興味は薄い。だから、ヒベクリフの心労もわからなくはない。出世よりも部下と国のことを思う点で、二人は似た者同士だ。

 それでももふられるのは遠慮したいが。

 

「いいなーいいなー。そっちはツキガスちゃんだけじゃなくてシルクちゃんもいるし。今からでもおれをそっちに入れてくれねえかなあ」


 ツキガスの監督係である第三席シルク=スピネリタスをなれなれしく呼んで、ヒベクリフは疲れたようにため息を吐く。なるほど、上司が変わるとこんなにもつらいのか。ツキガスはヒベクリフが思った以上に心労を重ねていることを悟り、まあ今の間だけならもふることを許そうと、心を広く持つことにした。


 だが、それにしてもなぜ、ヒベクリフはツキガスに絡むのだろうか。

 かわいいものが好きなら自分は該当しないはずだ。確かに手足の短さは否定できないが、顔に傷もついているし、なによりすでに大人だ。


 頬をいじられながらのつたない発言でそれを聞くと、ヒベクリフは間延びした声で返事をする。


「ツキガスちゃんのかわいいところか? そりゃ、一見してごついけどよく見ると愛嬌のある顔してるし、だけど戦闘になると突然風格ある顔になるギャップ。体はごついくせに手足は短くてぬいぐるみみたいなんだけど、動くとすばしっこくて的確に相手を殴り倒すところとかさあ」

「もういい。わかった。わかったからお前はもうしゃべるな」

「えーなんでだよ。あ、ひょっとして照れてるとか」

「死んでくれ頼む。いや、ただかわいいだけなら子供のほうがずっとかわいいだろうと思ってな」

「それはそれ、よ。かわいいだけなら女の子が一番だからな……いやいや待ってツキガスちゃん。『お前女の子に興味あったの?』みたいな顔するのやめてさすがに傷つくから」


 ツキガスとしては、だったら素直に娼館でも行けよ、としか思わない。そろそろもふり料を取るべきなのだろうか。ツキガスは本気で悩み始めてきた。


「おれそういうの詳しくないんだよなあ。ツキガスちゃん、おすすめある?」

「あるわけねえだろ。行こうと思ったことすらねえよ」

「だよなあ、ツキガスちゃんだし。オルワルトさんは……まあ、言わなくてもいいです」


 聞く前から分かり切ったことだったと、ヒベクリフは自分の愚かさを呪った。それでも、だからこそヒベクリフは彼らのことが好きなのだ。


 彼のところの将軍は酒と女と自分の武勇伝しか話さない。監督係にしても、同僚にしても。ヒベクリフはそこら辺の話にあまり興味がなく、また彼らはぬいぐるみなどの話に興味がない。


 ツキガスもオルワルトも興味はないのだが、それでもきちんと話を聞いてくれるし、こうしてスキンシップをとっても許してくれる。同僚よりむしろ友人に近い関係性は、ヒベクリフにとってどれだけ癒しであることか。

 それを噛み締めつつ、トカゲはツキガスに体重をかけるのだ。


「あーツキガスちゃんー。おれを癒してくれよー」

「はいはい。早く恋人でも見つけろよ」

「仕事忙しいから無理ー。だってもうすぐネースト周辺で軍備の強化あるし、新兵の教育しなきゃいけねえから計画作らねえと駄目だし、でもイゾラ君は自分の部隊もおれに全部丸投げするしさあ!」

「……お前、想像以上にやばい環境にいるな」

「そうなんだって。ツキガスちゃんだけが今の癒しなんだって。あーもー、今度酒飲もう、酒! そんで酔った勢いでツキガスちゃんを思いっきりもふろう!」

「酔った勢いで顔中腫物だらけにしてやるよ」

「頼むよー、今のおれにはツキガスちゃんしかいないんだよー。全裸でお酌してくれるだけでいいからさあ」

「はいはい。次オレナみたいなこと言ったらマジで打つからな」


 ヒベクリフのたわごとを適当に受け流し、ツキガスは肩にかかる重みを受け止める。これは本気で疲れているなと察して、酒くらいは付き合おうと内心で決める。


 と、ここまで無言だったオルワルトが唐突に口を開く。彼はいつだって気の向くままにしゃべる男だ。


「だが、ツキガスはネースト周辺への常駐を言い渡されていたはずだが?」

「はあ?! おれのツキガスちゃんが! マジかよ! もう無理、おれは死んだ」

「よかったな、そのまま死んでくれ。あとおれはお前のでは断じてない」

「じゃあもう機会もねえじゃん! 今夜! 今夜にしよう! 今夜おれんちで飲もう!」

「はいはい。オルワルト先輩も来ます?」

「ん、ネーストにはツキガス一人で行くんだぞ?」

「はいオルワルト先輩も追加で」


 すでに天然サイの扱いなど慣れてきている。ツキガスはさっくりとオルワルトを追加して、これで今晩の予定も決まった。


「ツキガスちゃんが気に入りそうな蜂蜜酒をたくさん用意しとくからさ、楽しみにしといてくれよ。オルワルトさんは要望あります?」

「私はこれと言ってないな。おつまみがおいしければそれでいい」

「ほいほいりょーかい。よっしゃ、これで今日も一日頑張れそうだな」


 ヒベクリフが心から嬉しそうに尻尾を揺らし、ようやく会話が一段落つきそうだ。


 さすがにしゃべりすぎだとツキガスは感じている。将軍職たる彼らに文句を言える人などわずかにしかいなのだが、彼は根が真面目なので仕事が待っているとどうしても焦ってしまうのだ。

 そういうところがみんなにからかわれる一因でもあり、同時に愛される一因でもある。誰に対しても実直であり、礼節を忘れない。それがサウステン=ツキガスという男なのだ。


 しかしタイミングというのはいつだって極端なもの。話もまとまりかけたその時、今度はここで彼らに文句を言える数少ない例外がやってきた。

 それはぶち模様を持つ猫の少年だ。ツキガスよりも小さい体は華奢で、長いまつげが大きな目を形よく縁取っている。見た目だけなら最年少だが、その実ツキガスよりも年上である。耳の間にキャスケットをかぶった少年は手に持った鞭をヒュンヒュンと鳴らしながら、不機嫌そうに彼らに言葉を投げかける。


「なんでそれに僕が呼ばれてないわけ? あと、お前らサボりすぎ。とっとと仕事して、仕事」

「自分が呼ばれなかったからってふてくされないでくださいよシルク先輩。今から参加したいって言えばいいじゃないですか」

「別に参加したいわけじゃないし。でも、呼ばれたら行くってだけだからね」

「……この人もこの人でめんどくさいんだよなあ。いてっ!」


 ぼやいたツキガスに鞭の一撃が下る。寸分たがわず鎧から露出した部分に当てる技術はやはり素晴らしいものがある。


 そんな彼こそツキガスたちの監督係にしてビストマルト軍第三席。シルク=スピネリタスだ。


 シルクを見かけるとヒベクリフはそちらの方へ駆けていた。かわいいもの好きの彼にとって、シルクはツキガスと並んで大好きな人物でもある。


「シルクちゃーん!」

「うざい。後、僕のことはシルク様と呼ぶように」


 当然のように鞭を叩きつけられ、小気味のいい音とともにヒベクリフがひるむ。そのまま泣きながらツキガスのもとに戻り、またもふりを再開する。


「やっぱおれにはツキガスちゃんしかいねえわ……」

「おれもそろそろこいつを殴るべきなのかもしれん……」


 ごつい男に抱き着かれてもツキガスは何一つうれしくない。しかも訓練後なので一層暑苦しい。ヒベクリフに毛皮がないのがまだ救いだろう。これ以上暑苦しいのはごめんだと、ツキガスは溜息を吐いた。


 まあ、それはそれとして、来たいというのなら誘ったほうがいいだろう。ツキガスは素直にそう感じて、シルクを誘うことにする。

 だが、ツキガスが口を開くより早く、オルワルトが言葉を発した。


「スピネリタス、我々は今夜ベベクリフの家で酒盛りをするのだが、よかった一緒にどうだ?」

「だから僕のことはシルク様と呼べって何度も言ってるでしょうが。ねえ、聞いてる? その頭にはおがくずしか詰まってないのかなあ?」

「だからおれはヒベクリフなんですって……」

「収拾つかなくないかこれ」


 相変わらず敬語と名前の概念が抜け落ちているオルワルトに何発も鞭をくれてやるシルク。防御力重視の彼に鞭はあまり効果がないようで、乾いた音が何発も響いているが本人は涼しい顔だ。

 本気を出せばシルクもオルワルトに怪我をさせることなどたやすいのだが、結局はなれ合いに近い行為だ。鞭の痕を顔中に作っても平然としていられる天然サイならではのコミュニケーションだが、これはこれで仲が良いのであろう。


 そんな二人にヒベクリフはうらやましそうな目線を注いでいて、彼がこちらに来たいと言ったのは本心からなのだとツキガスも悟る。将軍の入れ替えが最も激しい第五席の組は、やはり話以上に過酷な環境であるようだ。


「ふう」と一息ついてシルクは言う。「ヒベクリフね、こっちに来たいというのなら別にいいよ。僕に鞭うたれる覚悟があるのなら、だけど」

「あるある、超ある。シルクちゃんの鞭なら全然オッケーだから」

「ふーん、じゃあ今度の軍議にかけてみようかな」

「え、まじでいいの。三人一組の体勢が崩れるし、仕事量も増えるんだけど」

「別に僕は一人増えたぐらいで狼狽するほど無能じゃないし。それよりもイゾラに一泡吹かせてやれる」


 にやりと人の悪そうな表情を浮かべて、かわいいはずの猫は笑う。

 だがそれは体制に疑問を投げかける行為で、かなり破天荒なのではないだろうか。少なくとも、一朝一夕で認められるとは思えない。


 同じ組としてオルワルトは何も言う気配がない。なら、自分しかないだろう。ツキガスはそう感じて口火を切る。


「いいんですか? 第一席と第二席が黙ってないと思うんですけど」

「いいのいいの、あいつらならやりようがある。まあ確かにちょっとめんどくさいけど」

「そこまでしてやる価値があります? ……言い方が悪かったヒベクリフ。だから泣きながらもふるのは勘弁してくれ」


 そこでシルクの笑みがさらに深まったのを見てツキガスはもうあきらめた。この猫がこういう表情をするときは、どんな手を使っても成し遂げるからだ。少なくとも、狡猾なこの猫が思い立って、失敗したことはあまりない。


 しかし、なんでそこまでして。ツキガスは疑問に思い、そして聞いてみた。


「それは僕がね、イゾラの奴が大っ嫌いだからだよ」


 凄惨で、他を圧倒する気迫。将軍職の三人が本能的に身構えるほどの気迫が吹き荒れて、シルクはにっこりと笑う。


「あのくそ雑魚は自分の力量すら把握せずこっちにちょっかいをかけてくるんだ。僕より弱いくせに、自分が上に立てると思いあがっている無能。僕らがその気になればすぐにでも暗殺できる程度の小物の癖に、それに気づかないんだ」

「あのーシルクちゃん、さすがにそれは聞かれたらまずいんじゃないかなあ……」

「いいのいいの。ここら辺に僕らしかいないのは探知済みだし。だからね、イゾラの手足をもげるのだと思うと、僕はすごくうれしいんだ。安心して任せてほしい、イゾラの奴に泣きを見せるためなら、国家制度すら超えてみせるよ」

「うわあ……おれの上司人気ねえ……知ってたけど」


 そこでシルクが笑みの質を一転させ、見た目相応の朗らかなものへと変わる。もちろん、圧倒された後で見ても空々しいことこの上ないのだが。


「僕ねえ、馬鹿って嫌いなんだ。特に声だけがでかい雑魚とか」


 ビストマルト第五席を雑魚扱いするだけの力を持つシルクが楽しそうに言い捨てた。これに突っ込むと痛い目を見ると全員理解して、沈黙を通すことにしたのは英断である。このような権謀術数渦巻く場所において、むやみやたらと敵を作るのは得策ではない。彼らはそれをいやというほど知っている。


 それができるのはシルクほどの力と権力を持つものくらいだろう。それをわかったうえで、シルクは第五席を貶すのだ。


「というわけで、ヒベクリフは楽しみにしておくように。でも、後から後悔しても遅いからね」

「絶対後悔しない。シルクちゃんやツキガスちゃんと毎日会えるって考えたら天国じゃん」

「こいつ思ったより気持ち悪いな……」

「シルクちゃんひどい!」


 上司にあたるシルクが決めたのなら、ツキガスもオルワルトも文句を言う筋はない。彼らはシルクに信頼を置いているし、ヒベクリフが来るのなら願ってもないことだからだ。

 そこら辺の信頼において、彼らは他の組より数倍強い。本人たちは無自覚だが、ヒベクリフから見ると羨望を抱くほどに。


 そこで話がようやく一区切りして、シルクは本題を切り出すことにした。


「さて、ツキガス。君はこれからネーストに行って軍備を整える仕事があるのだけど――」

「え、まさかここで拝命ですか。もうちょっと場所を選びません? ……痛いっ!」

「めんどくさいからここでいいの。それで君に頼みたいのは、この女のことなんだ」

「誰ですか?」


 シルクが差し出したのは一枚の紙。ツキガスは何の気なしにそれを見て。


 ――――瞬間恋に落ちた。


「なんでも世界有数の魔法の使い手らしいよ。まあオレナのいうことだからどこまで本当かわからないけど。ツキガスにはこの女を勧誘しに行ってほしいんだってさ」


 シルクの言葉が熊の耳を素通りしていく。きれいという言葉には収まりきらない美を前に、ツキガスは初めての感情におぼれていた。


 絵というものはどうしたって主観が入るものだ。しかし、これがおそらくオレナの発注だとすると、女の子に毛ほどの興味もないあの獅子がここまできれいに描かせたという事実がすでに恐ろしい。


 写実的であるこれが真実であるなら、これほどまでに美しい女性が存在していることになる。ツキガスはそこまで思考して、一目見てみたいと胸の高鳴りと抑えきれなかった。


「ネーストの独自に発展した魔法技術の噂が本当だったら、それも納得なんだけどね。なんでもビニール栽培とかいう結界栽培方法も確立してるらしいよ。本当ならその技術だけで村を掌握するには十分すぎる」


 孤児として育ち、冒険者として世界を渡り歩いてきた。


 その中にはあまたの女性との出会いがあったはずだ。だが、ここまで目を奪われたことがあっただろうか。生きることと鍛錬することで精いっぱいだった熊の、遅すぎる初恋がここに咲いたのである。


「っていうか、それならお前が言えよとは思うよねえ。ツキガスと仲がいいんだし、わざわざ僕経由で命令させなくてもさ。でも、ツキガスはまじめだから、本物の命令じゃないと駄目だと思ったんだろうなあ。そのためにめんどくさい根回しまでするなんて暇人かよ。まあ、気楽にやっていいよ。どうせおまけみたいなものだし……って、聞いてる?」


 シルクがいぶかしげな声を投げかけても、ツキガスは茫然としたまま。上気した顔が毛皮を明るく彩り、食い入るように紙を見つめている。


 そこまでくると各自思い至るのも自然なことで、みんながツキガスを見ながら驚きをあらわにする。愚直で女遊びなどしたことがないようなこいつが、とうとう恋に落ちたのかと。


「え、ほんとに? ツキガスちゃんにもついに春が!」

「うわまじかあ。これはツキガスじゃなくてオルワルトを送ったほうがいいかも」

「まあまあスピネリタス。せっかくなんだ、行かせてもいいだろう。勧誘も兼ねているのだから悪いことではあるまい」

「お前に正論を言われるとすっごくむかつくな……あと呼び捨てだし。でもネーストは重要な拠点にするんだからね。手は抜かないでよ?」

「聞いてないな」


 今ならヒベクリフがもふる手も、シルクの鞭も気にならない。この感情を消化するのに忙しすぎて、すべての機能が止まってしまっている。


 恋? 彼らはそう言ったのか?


 ツキガスは、自分が戦場で死ななければ流れで結婚するのだろうと思っていた。オレナあたりに政略結婚の道具にされることを、半ばあきらめの境地で受け入れていた。恋などとは無縁だったため、家督を守る以上の重要性を理解していなかったのだ。


 恩あるビーグロウ家に仕え、その家督のために引退する。それでも十分すぎるほどだと思っていたのに。


 こんな感情を知ってしまっては、そんなことできやしないじゃないか。


「よっしゃ! 今日の飲み会はいつも以上にぱーっとしようぜ! ツキガスちゃんの成功を祈ってさ! ……あああーっ! おれのツキガスちゃんじゃなくなっちまうのがすんげえ寂しいけど! シルクちゃーん! おれのツキガスちゃんがお嫁に行っちまうよー!」

「……こいつ本当に気持ち悪いんだけど。イゾラに嫌がらせできるからって早まったかなあ」

「まあまあスピネリタス。嫌がらせしようという気持ちがそもそも不純なのだからしょうがない」

「お前ってほんっとに腹立つ奴だよねえ」


 一刻も早く会いたい。一目見たい。


 ああ確かに。これが恋でなくて何なのだろうか。


 サウステン=ツキガス。

 ビストマルトが誇る15将軍の末席に位置する熊獣人。孤児であった彼はオレナ=ビーグロウの勧めで軍に就職。それ以前は傭兵稼業で湖口をしのいでいたが、その腕前は噂になるくらいのものであった。

 

 そして今、初めての恋を知る。


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