黒の初仕事
現在ノレイムリアを統べる王である、第十三代目国王レビデス=ノレイムリアの治世は良くも悪くも平凡といえる。目立って有能というわけでもなく、さりとて暗愚というわけでもない。国を思いやる気持ちがとびぬけているわけでもなければ、嫌っているわけでもない。
彼は王という役割に対し、どこまで行ってもドライであった。自分が王であることを受け入れ、その役割を全うする。そこに熱意がないのは当然だと思っているから。彼はいうなれば、自動機械のような王である。
中庸な意見を多く選び、現状維持を基本とした政策を好む。獣人種が虐げられていても救えなかったのは、彼がひとえに関心を持たなかったせいだろう。
自らの組織に疑問を持たず、与えられた情報を疑うことなく前提として判断を下す。そこに熱意がわずかにでもあったなら、些細な変化に気づけたかもしれないのに。
だが、気づいたときにはもう遅かった。獣人種圧制からの人口流出に加え、政治中枢はすでにヨルドシュテインの息がかかったものが跋扈していた。国王としての機能などお飾りに過ぎないのだと、知るには対価がでかすぎた。
第一王子アーフィム=ノレイムリア。彼の愛する息子の一人が、この件を裏で操っていたのだ。
アーフィムは彼の自慢だった。凡夫と評された自分とは違い、聡明であり武芸にも優れている。ゆくゆくはさぞ立派な王になるだろうと、彼は安心して未来に思いをはせていたのに。
なぜ、と疑問が尽きない。アーフィムはまだ若く、熱意と野望に満ちた性格のはずなのに。属国になるという安全策のようなものを取るような性格をしていないと、彼はずっと思っていた。
「父上」
考え事をしていた王はその声で現実に引き戻される。執務室で一人考え事をしていたとはいえ息子の入室にも気づかぬほど、彼は思い詰めていたのか。
入ってきたのはアーフィムの弟、第二王子ハイファス=ノレイムリア。凛々しい面立ちが特徴で、理知的だがまだ感情を制御しきれないところが王の目に可愛らしく映る青年だ。
武官としての側面が強いアーフィムと違い、黒に近いほど深い青に彩られた知性が涼し気な印象を与える。くせっけのない髪をたなびかせ、ハイファスは強い光を宿した目で父を見る。
「もはや我慢なりません。アーフィムを即刻追い出しましょう」
はやる気持ちが抑えきれないのは若さゆえか。レビデスはしわが目立つ顔をほころばせ息子をたしなめる。
「そうはいっても、あやつは兵を完全に掌握しておる。お前は確かに文官からの覚えはよいが、それでは力が足りぬ」
「しかし、まだこちらには近衛兵がおります。ガングリラの戦力をもってすれば、時と場所さえ選べばなんとか攻め落とせるはずです」
「落ち着くのだ。なぜ奴らがハウゼンのネースト周辺の監視を許可したと思う。近衛の兵力をそぐためであろうが。それにアーフィムは賢い。そんな隙をつくりはしまいよ」
この若い王子はガングリラがまだ味方だと思っているようだ。レビデスはそれを訂正するも起きず、若い衝動が叫ぶままに耳を傾ける。
「では、このまま見ていろというのですか! すでに盤上は最終局面に移り、裏切り者どもはもはや隠す気もありません。あとは兵力さえあれば、奴らをすべて駆逐できるのですよ!」
「何度も言うが、連合は当てにできん。ヨルドシュテインは連合が崩れるのを待ち構えておる。誰かがわしらの救援にきたとしても、その隙をついてヨルドシュテインは連合すべてを巻き込んで戦争を仕掛けるだろう。そして、向かいのビストマルトもそれに便乗するとどうなる? 連合は崩壊する、それだけは避けねばならんのだ」
連合を作る国は小国が多く、兵力に余裕があるわけではない。そのための連合であるのに、わずかな兵を連合内に向けるのは悪手としかいいようだない。もちろん、それはハイファスにもわかっていることだ。
だが、このままノレイムリアが抜ければどうあがいてもじり貧だ。連合はそのままじわじわと削られていくだろう。
もともと大国二つに挟まれた不条理な立地。何か一つ転べば、こうなることは分かりきっていた。だからこそ、すべての国が足並みをそろえる必要があったと言うのに。
「アーフィムめ、欲に目がくらんだ愚か者」
ハイファスの悲痛な声が残された者たちの総意だろう。アーフィムは属国とはいえ一国の王で居続けられるという悪魔のささやきに負けてしまったのだ。大国二つに挟まれた緊張感が、彼からプライドを奪ってしまった。
しかし口惜しいかな、すでに戦力はアーフィムに掌握されており、近衛の中にも見切りをつけて脱走するものがいる始末。ハウゼンが時間を稼いでいる間にハイファスが奔放しているが、やはり結果は思わしくない。
せっかくネーストが独立という時間稼ぎができたのに、このままでは結末を変えることなどできやしない。この結末を変えることができるのは、それこそ神だけだろうと、レビデスはわらにもすがる思いで祈るしかできないのだ。
――――そして、その祈りは聞き届けられることになる。
「こんばんは、ご機嫌麗しゅう」
「誰だ!」
人の気配などまったくなかった室内で、突然声がした。ハイファスが腰につけた剣に手を当てつつ目線を動かすと、そこには漆黒の狼が恭しく一礼をしていた。
仮にもここは王城だ。守りは硬く外には見張りもいる。いつアーフィムに寝首をかかれるかわからない現状、守りだけは気を配っていたのに。
それでもこの黒狼は、何事もなかったかのようにそこに立っているではないか。
「ネーストで姫様に仕える従順な臣下、執事のヴァルデックと申します。此度は緊急ということで無礼を承知で上がらせていただきました。事後承諾となりますがご了承いただけると幸いです」
「ネースト……あの独立したという」
「左様でございます。我らが主は貴方がたと対等な関係を築きたいとご所望です。つきましては、援助になればと私が派遣された次第です」
「援助、お前ひとりがか?」
「はい。これでも私、暗殺は得意ですので。今回は姫様から許可をいただきましたから、存分に腕を振るえるというわけです」
ハイファスもレビデスも、呆然と黒狼を見やるしかできなかった。この執事服に身を包んだ狼一人が、援助だと言うのか。確かにこの洗礼された一挙一動を見ればただものではないことくらいは分かる。この部屋へ誰にも気づかれずに侵入した手腕といい、腕が経つことも理解させられた。
だが、一人だ。一人で何ができる。アーフィムは常時護衛をつけて備えているというのに。
二人はにわかに信じられなかった。たった一人を救援と称して送るなんて、どの歴史書にもない珍事だ。その意味をかみ砕くには、彼らの常識は厚すぎる。
「ハウゼンより事情は聴いております。アーフィムを亡き者にすれば、勢力を取り戻せるだそうで。よろしければ、私にお任せ願えないでしょうか」
「なにが望みだ」
レビデスが重い声で問いかける。おそらくこの狼はやりきるだろう。それは彼の人としての本能が悲鳴のような警鐘でそう訴えているのだから、信じるしかない。
だとするなら、ネーストを率いている姫という人物は何を目的にそんなことをするのか。この黒狼の力があれば、ビストマルト相手にでも渡り合えるかもしれないのに。
「望み、ですか。少し無理難題に聞こえるかもしれませんが、属国になるよりかはましかと思います」
黒狼は睥睨するような鋭さでレビデスを見、そして口を開く。黒狼のいうことは確かに高くつくものであった。しかし確かに、このまま王位を簒奪され、搾取される国になり下がることに比べたら安くはある。
黒い口がさらに言葉を紡いでその理由を説明すると、レビデスも観念したように首を縦に振った。それがもしうまくいくのなら、願ってもないことだからだ。
「正気なのか……あのビストマルトと正面切って戦うことになるのだぞ」
「ええ、当然でございます。しかし何が起ころうと、私たちがいる限り姫様には指一本触れさせません。私の望みはただ一つ。あの方がこの世界に見切りをつけてしまわぬようにすることです。あのお優しい方が心を痛めて閉じこもることのないように、最善を尽くさねばなりません。あの方がこの世界からいなくなるなどと考えただけで、ああ、もはや生など無価値になり下がります」
それは狂信の域に入る宣言だ。まっすぐすぎる目線は恐ろしいほどに鋭く、主のためならどんな悪逆もいとわない覚悟がこの狼には備わっている。
二人は国の頂点に立つ身分ゆえに、その恐ろしさも十分に理解していた。すぎたる狂信は毒にも薬にもなる。その姫という人が少し気まぐれを起こすだけで、自分らの首はとっくになくなっていたのだから。
そう思うと、二人の背筋にぞっとしたものが走る。
だが、彼らの救いはもうここにしかないのだ。この狼を頼るしか、希望は。
「ですので、姫様から仰せつかったことではありませんが、ひとつ釘をさしておきましょう」
黒狼が威圧するだけで、世界が黒に塗りつぶされるような気がした。
その黒から放たれる殺気のなんとまがまがしいことか。邪気を煮詰めた窯のふたが開いていくような、そんな恐ろしい気配が室内を満たしていく。ハイファスは蒼白な顔で口をパクパクとさせ、眼前の黒をただただ畏怖して身を固くする。
果たしてこれは人なのか。自分は、悪魔と契約をしてしまったのではないか。レビデスがそう感じるのも無理はなく。今自分が生きていること自体が奇跡なのだと思えてしまうほど、その邪悪は命を震え上がらせる。
「姫様を失望させないでくださいませ。無様な真似をすれば、即座に首を刈り取りにまいりますので。それだけはお忘れなきようお願いします」
そんな重圧の中でさえなんとか口を開くことができたのは、恐怖から逃れたいという本能なのか。威厳もかなぐり捨てた乾いた音だったが、話せることができただけで称賛に値するだろう。
「わかった……成功したのなら、考えよう」
「ありがとうございます。私の成果は姫様の成果。ぜひとも、あの麗しいお方のご威光をご覧ください。それでは、み首級はこちらにお持ちすればよろしいでしょうか?」
「いや……捨て置いてくれて構わんよ。死んだという事実さえあればいい」
「かしこまりました。これから長い付き合いになるかと思いますが、くれぐれも、姫様を失望させないようお願いいたします。私と同じ程度の猛者を、あの方はあと四人抱えておいでです。この意味を留意されるとよろしいかと思います。それでは、失礼いたします」
そして、音もなく狼は消えた。それこそ痕跡一つ残さずに。先ほどまでいたのは何かの幻影だったと言われても、疑問に思わないくらいにさっぱりと存在だけ消えてしまった。
あと四人いると言っていた。あの邪悪と肩を並べる猛者など、それこそ我が国一の武勇を誇ると言われている近衛兵団団長ガングリラでも及ばないに違いない。
そんなものが合計五人もいるだなんて、その事実が足元から這い上がってくる悪寒がする。
「父上……」
ハイファスの不安そうな声にレビデスは何も答えられなかった。
ひょっとして、自分たちはとんでもない相手と契約してしまったのではないだろうか。口に出さずとも、互いにそう感じているのがわかる。
だが、もう賽は投げられてしまった。
凡夫と謳われる自分がこんな災難を対処するには、悪魔にでも魂を売るしかなかったのだ。それが何を招くかわからないが、今の時点ではこれが最良だった。
彼は、必死に自分へそう言い聞かせるしかできない。
夜を深める執務室は、まるで地獄の入り口のようだ。
邪悪にあてられた室内で、レビデスはそう思う。
おそらくこの地獄は、アーフィムのところまで続いているのだろう。




