戦う決意を固める
「ヴァルの代わりにハウゼンに確認を取ったら、もとから反乱を起こすつもりだったんだって!」
兎の幼子がピョンピョンはねながら報告してくれる。ビーグロウとのやり取りですっかり精神的に摩耗したおれは、この純粋さがものすごい癒しだ。ああ、この素直で裏もなさそうな笑顔ってこんなに素晴らしいんだな。
ほっこりしたので頭をなでてやると、レートビィは照れくさそうに身をよじる。うれしいけど素直に出せないませた感じ。ああ、癒しだ。
ビーグロウと別れたあと、おれは自分の部屋で休息をとっていた。疲れた脳みそが悲鳴を上げたので、ヴァルの入れてくれた紅茶が胃だけじゃなくて脳にも染み渡る。
「ヴァルの紅茶は本当に最高だよなあ……」
「もったいないお言葉。姫様のお役に立てたのなら、それだけが褒美であります」
カップの水気を拭いている手を止め、きちんとこちらに一礼して返答する。ビーグロウと話しているときから変わらない顔は全く疲れなど感じさせない。前から思ってるんだけど、こいつらの体力って底なしだよな。
レートビィはヴァルからお茶菓子をもらってもそもそと頬張っていた。行儀が悪いとたしなめられるとちょこんと椅子に座り、それを確認したヴァルが目の前に紅茶を置く。
なんたる癒し空間。見てるだけで微笑ましくてにやけてしまう。ハンテルなんかよりずっと癒し効果高いよこの子。
そんな兎は口の中の物を嚥下してから律儀に話を繰り戻す。
「ごちそうさま、いつもおいしいよヴァル。それで、ハウゼンの計画に協力するよって言ってきちゃったけどいいよね?」
「ああ、恩を売っておくのは大事だからな」
当初の予定通り、このままハウゼンらには主権を取ってもらって、この国と友好的な関係を築かせてもらおう。そうすればおれらがもっと動きやすくなる。
そうだよなヴァル。なんて確認しようと執事の方を振り向くと。
――ヴァルは床に平伏していた。
「は、どうした急に……?」
「姫様に謝らなければなりません。私はあの獅子の思惑を汲み取りきれませんでした」
「え、え、え……?」
なんだ、あの腹黒獅子にはまだ別の思惑があったってことなのか? ヴァルにすら読み切れなかった策略っていったいなんだ……。
「お恥ずかしい話、私もたった今気づきました。姫様、心して聞いてください。我らがハウゼンに肩入れする理由は何ですか?」
「そりゃ、国としての地位を固めるために恩を売って認めてもらうことだけど」
「では、ビストマルトという大国の後ろ盾がある状態で、あの小国の認知は果たして必要でしょうか?」
「――――ああああああああああっ!」
おれもレートビィも持っていたカップを揺らし、お茶を少しこぼしてしまった。
それほど衝撃的だった。確かに、もうおれらは目的を達成している。他国の内乱にかかわるなんて、そんな危ない真似をする必要なんてないじゃないか。
まさかそこまで読まれているなんて信じられなくて、急速に乾いていく口腔から無理矢理舌を引きはがして問う。
「……おれらが内乱を助長しようとしていたことが、ばれた?」
「いえ、さすがにそこまで正確には考えていなかったでしょうが、ビストマルトと対立した時のためにノレイムリアに手を貸すことは容易に想像つくはずです。そして、ノレイムリアが属国でなくなれば、またビストマルトはヨルドシュテインとの接点を失います。おそらく、ビーグロウはそれを危惧して我らを飼い殺そうとしたのです」
「はは、ははは……まじかよ。おれらの動きを制限しにきたよ」
そうなると、どうなる? おれらは国として最高の後ろ盾を得ることができて、外貨獲得のための手段も手に入れた。もう、どこにもノレイムリアに肩入れする必要なんてない。
「さらに付け加えるとするならば、ノレイムリアが属国となりヨルドシュテインとの戦争が起きた場合の戦力として、あの同盟は意義があったのです。我らはすでに、ビストマルトの戦力として――より正確に言うならビーグロウの戦力として計算されております」
「…………」
言葉が出ない。あの獅子はそこまで考えて動いていたのか。
まだ何も決めてないうちから気づけて良かった。一手遅れたらもう致命傷になっていた可能性がある。
「……ヴァル、何か対策はあるか?」
「対策というよりかは、どちらを選ぶと言ったところかと思います。まだ我らに損害はありません。このまま当初の予定通りノレイムリアと手を組みビストマルトを敵に回すか、そのままビストマルトと手を組み様々な恩恵を受けるか、かと。前者の利点は小国とはいえ対等の関係を築けることであり、欠点は大国二つを敵に回すことです。また、後者の利点は少ない労力で益を得られることですが、欠点はビストマルトにいいように扱われる可能性があるということです」
「どっちにもいい点と悪い点があるよなそりゃ……」
「ビーグロウの同盟を受けるかどうかが分かれ道です。我らは何があろうとも姫様の決断に従います」
つまりはまた選べと言うことか。はあ、人生は選択の連続とはいうけれど、さすがに一つ一つが重いなあ。背負ってるものが国なのだからしょうがないと言えばしょうがない。
ふうとため息をついてお茶を一杯流し込む。この調子だとビーグロウが生きてたショックの方が大きかったかな。どのみちいろいろ手探りなのだから困難にぶつかる予想はしていたさ。
この感覚にも覚えはある。おれがこいつらの主として少し板についてきた時だ。最初ほど決断をすることに嫌気がなくなって、自分でも「ああ慣れたんだなあ」って思った感覚。
人は慣れる生き物で、環境が人を作り上げる。おれはビーグロウの圧倒的な知略にあてられて、逆に冷静になってきた。あのレベルを個人でしているのだから相当の曲者だろう。おれなんていつでもみんなと相談しないと生きていけないのに。
「すげえよなあ……」
紅茶で温まった吐息とともに感嘆が漏れる。敵をたたえてどうすると思われそうだけど、素直にそう思うんだ。
一度表舞台から姿を消したのに、最高のタイミングでやってきた。その嗅覚と利益を見据える目。ううむ、正直智謀で勝てる気がしない。
「暗殺しますか?」
「いや、まあ、それも正直ありなんだけどさあ……」
あいつ一人いないだけでこの戦況は大きく変わってたと思うんだよな。過激派の策通り内部蜂起からの戦争だったら、おれらの武力ですぐさま沈静化できてたのに。そうじゃないから、こんなにたちが悪いんだよなあ。
「ヴァル、どうしたらいいと思う?」
「おそらく、今の彼は死人扱いです。殺されたところで咎められはしないでしょう。しかし、本人もそれを理解しての行動とくれば、対策くらい講じているはずです」
「あ、そっちじゃなくておれがどっちを選ぶかの決断の方ね」
「失礼しました。それでしたら別にどちらを選んでも、私は構わないと思います」
「え、本当に?」
「はい。どちらを選んでも我らの行動を阻害できはしませんから。交易相手さえ見つかればポータル建設一つで好き勝手に交易できますし、ビストマルトを敵に回したとしてもあの結界を超えられるとは到底思えません。かりに向こうの秘密兵器で超えられたとしても、我らがいる限り数の差など誤差の範囲ですので」
ううむ、それもそうだなあ。おれらの子が想像を超えたチート級なので正攻法っていう概念があまり役に立ってないんだな。最悪、本当に全世界を敵に回しても行けるんじゃないかって思うもん。
「しかし、あえてどちらかを選ぶとするならば、ノレイムリアに手を貸すことでしょうか」
「なんで?」
「ノレイムリアを属国から解放することで、大国二つの間に緩衝材としておくことができますから。そうすると、我らの立地があまり重要でなくなります。ここはあくまで、来る大国二つの接点として有用ということですので」
なるほどねえ。そういう観点とか全く持ち合わせてないから、どっちを助けるかっていう視点でしか考えてなかったや。ハウゼンを見殺しにするのはいやだなあってだけ。
それにおれもどちらかというならヴァルの意見に賛成だ。確かにビーグロウの提案な魅力的だが、おれらが独立した理由はそんな思惑に縛られたくないからっていうのもあるんだ。またビーグロウとの智謀勝負で競り負けるくらいなら、いっそのこと完全に決別するのはありだろう。
「いいと思うよ。僕も弓矢で勝てないときは肉弾戦で勝負するし、勝てないフィールドに固執することないなって思うもん!」
つまりは完全な武力での勝負ごとに持ち込むってことか。向こうはこんな小国にそれができるわけないって思ってるからこそ舐めてるんだろうし、ここらで一発やるべきなのかもしれない。
それにしても、レートビィの言ってることは素直に刺さるな。純粋な分まどろっこしいものがないからな。
「いつものおれならさ」
内心思うだけにするつもりだったのに、つい言葉が漏れてしまった。
「絶対ビーグロウの方に乗ってたと思うんだよね。おれは事なかれ主義者で、大事な子を守りたいって思ってるだけだから」
この世界に来てからの行動は全部それに基づいている。派手な魔法を控えてひっそりと情報収集に励もうという指針をだしたり、目立たないように禁忌を使わなかったり。
引きこもりの廃人はめんどくさいことが大嫌いだ。権力争いみたいなめんどくさいことにかかわりたくない。それが嘘偽りない本音だ。
だから、ビーグロウが道を整えてくれるなら、それでもいいと思っていたはずだ。
「でも、それだけじゃダメなんだってもう気づいちゃったんだよなあ」
その結果、後手に回って半強制的な独立を強いられたし、ハウゼンも死にかけた。国境線は動き、おれらも争いに巻き込まれた。
「おれはダメな主だ」
何か言おうとする二人を制し、そのまま続ける。それは変わらない事実だし、自分への戒めとさせてくれ。
「独立して結界で守るだけで何とかなるなんて甘えたことを考えて、やっぱりどうにもならなかった」
ああ、ああ、今でも人の死が怖いさ。モンスターを倒すのだって慣れない。このままこぢんまりとした町でのんびりできたらどんなにいいことだろう。こいつらという圧倒的実力者に囲まれて、安穏とした日々を過ごしつつ帰るすべを探せたなら。
だけどそのためには、戦わないといけない。おれになかった決意で満たさないといけない。
……嫌だ嫌だと心が叫んでいるのはわかっている。ただの引きこもりには身に余る負担。何人もの命を乗せた重みにおれがつぶれてしまうのはもう時間の問題だ。
一体いつまで耐えられる? なんでおれがこんなことをしなくちゃいけないんだ。
リュシアに絡めとられそうになってから幾度となく繰り返した自問。平和な国で張り付けただけの薄っぺらい道徳心が邪魔をして、ここまで来てしまった。
口を開くのが怖かった。おれの決意が、また争いを生んでしまうのが分かっているから。
二の句が継げなくなったおれをヴァルが心配そうにのぞき込んでおり、瞳の奥で渦巻く暗澹たる感情を汲み取ろうとしているようだ。
それから逃げるために、おれは唇を開くしかない。
「戦おう。ハウゼンを助けて対等な関係を築き、おれらの国としての力を見せつけるんだ。何か問題があったら言ってくれ」
「問題などあるはずがありません。我らの主がお決めになったことになんの問題がありましょうか。おごり高ぶる大国に目にものを見せ、姫様の威光を知らしめる必要があるのは当然でございます」
「ヴァルデックに同じ。お優しい姫様をそこまで追い詰めるのは僕も許せないと思うんだ」
「……ありがとう。お前らがいてくれて、本当によかった」
「逆でございます。貴方様がいてくれて救われているのは私どもの方でございます。貴方様がいない世界に価値などなく、その望みをかなえることこそ本望というもの。どうか我らをご自由にお使いください。貴方様の手足となることが、すなわち褒美でございますゆえに」
重すぎる恭順はそのままおれの心への負担だ。決断を下すという責任の重さがこんなにきついだなんて。
反論はなく、沈黙だけが肌をさす。おれが戦えと言うのなら、こいつらは迷うことなく死地に向かうだろう。それをいやというほど知っているけれど、押し付けることだけはしたくなかった。
だけどやはり、こいつらは受け入れる。おれが選んだのなら、全力で従ってくれるのか。
おれなんかの命令にそこまでの価値なんてないのに。
曖昧な表情は彼らの目にどう映ったのだろうか。狼は一段と引き締めた顔でおれの前に膝をつき、恭しく頭をたれる。
「ご心配は無用でございます。我らは姫様に作られた最強のしもべ。いかなる要望にも最善を尽くして御覧に入れましょう」
「うん、僕も頑張るからさ、そんな悲しい顔しないで姫様」
二人の真摯な慰めにおれはなんとか口角を上げて応えことができた。弱った心に鞭を打ち、なんとかだ。
すっかり笑顔が癖になってしまった。元の世界では画面の前でほほ笑むなんてなかったのに。立場が人を作るのは、まずしぐさからなのだろう。これがしみこむまで、もう少しかかりそうだ。
ノレイムリアを開放し、ビストマルトに与しないと主張する。やはりここからが正念場になるのだろう。
それまで、おれが持てばいいんだけどな。




