(番外編)とある竜のわがままを
「ブレズってわがままとか全く言わないよな」
はて、と私は首を傾げた。目の前ではハンテルが溜息をつきながらのぞき込んでいるのだが、そのようなことを言われる筋合いが全く浮かばない。
ギルドの前をほうきで掃いていただけなのだが、何か気に障ったのだろうか。私は竜の尻尾をくねらせて、それがどうしたのだと問うた。
「いや、人がいいのはいいことさ。同じ姫様に作られたのに、なんでこんなに差がでたのかねえ」
「お前はもう少し自分の欲求を抑えたほうがいいと思うのだが」
「無理! だっておれは姫様に思いっきり撫でられたいし褒められたいし、あわよくば布団になりたい!」
「抑えろ馬鹿者。それでも姫様に仕える盾か」
「そうそう、そういうところな。なんっつうかさ、お前ってわがままを言わないじゃん」
ハンテルが急に真面目なトーンで話し始めたので、本題はここなのだろうと察した。
そして、それには一聴の価値がある。以前も執事修行するときにヴァルに言われたことがあるのだ。お前は問題提起能力に欠けていると。
おそらく、ハンテルが言いたいことも同じところからきているのだろう。だが、それがわかったところで私にはそれをどうすることもできないのだが。
「いや、わかるさ。お前はきちんと道理をわきまえてるし、懐も深い。でも、それは自制できているのか、わがままを持たないだけのか。おれとしては非常に気になるんだ」
「ひょっとして、心配してくれているのか?」
「まあな、これでもおれらは姫様の盾にして剣であり、二人で一振りだ。その相方が突然爆発されたらおれの沽券にもかかわるだろ」
「そういうものか」
「そーいうもんなの。なんで、お試しで今日くらいはわがままになってみてもいいんじゃねえかな。お前のわがままを断る奴なんてたぶんいねえだろ。息抜きだと思ってさ」
ほうきを操る手を止めて、目の前の虎を見つめる。ハンテルはさあこいと言わんばかりに私を見ているが、唐突にわがままを言えなどとねだられてもとっさに思い浮かばない。
私がしたいことは姫様に、ひいては彼らの役に立つことでありそれだけに尽きる。主の命を受け殉ずることこそを美徳とする騎士。それが私なのだ。
なので、わがままと言われても困ってしまう。私はハンテルを困らせたくない。
「おれがいいって言ってんだよ。ほら、どーんとこい、どーんと! 普段から思ってても言えないこととかしてほしいこととかさ、あるだろ」
「う、あーっと……なら、そうだな……」
自我の海を丹念に掬い上げ、ようやく見つかった一かけらの欲求。私はとっさに、それを口に出していた。
「撫でてくれないか?」
「は? おれが、お前を?」
「うむ、お前はいつも姫様に撫でられると嬉しそうだからな。そんなにいいものなのか少し、ほんの少しだが気になっていたんだ」
「掃除を変われだとかもっと他にあると思うんだがなあ。おれに男を撫でる趣味はねえが、ま、何でも言えって言ったのはおれだ。それならかがんでくれよ、頭が高くて満足に撫でられねえ」
巨体をかがめると、執事服が窮屈そうに悲鳴を上げる。赤いたてがみがよく見えるように頭を下げ、ハンテルの手を待った。
「あ、これだけは言っておくが、おれが撫でられて喜ぶのは姫様限定だからな。誰でもいいってわけじゃねえぞ」
そんな前置きをして、ハンテルの手が私のたてがみに沈んだ。
虎とは違う固い頭髪はきちんとすいているとはいえあまりいい手触りではないだろう。それがわかっているからこそ、姫様に頼むなどできるわけがない。それに、こんな機会でもない限り自分から願うなどとありえないことだ。
炎のように逆立つ髪の流れに従って、ハンテルの手つきは流れるように何度も往復する。いたわるように、それでいてしみこむように。
「気分はどうだでかぶつドラゴン。撫でられるのも案外悪いもんじゃねえだろ?」
「確かに悪くはないが、嬉々として求めるかというとそうでもないな」
「冷静すぎかよ。なら、次は顎の下だ。ちなみにここはおれのウィークポイントな。姫様にそれとなく教えてやってくれ」
ハンテルのふかふかした手が今度は顎の下へ。私はハンテルと違ってそこに毛皮はなく、ただつるりとした皮膚があるだけだ。そこを毛むくじゃらの手で触られると、うれしいという感情よりくすぐったさが勝る。
私の身体的特徴はハンテルにとっても目新しいものだったのだろう。虎は考え込むようにうなりながら喉を撫で続けており、たまに喉ぼとけなどを触っては感心するような仕草をする。
「すべすべというか、もっちりしているというか。なるほど、おれがもふもふで攻めて、ブレズがつるつるで攻める。どうだ相棒、おれと一緒に姫様専属のペットにならねえか?」
「残念だが、私は撫でられてもそこまで気分が高揚しないようだ。その話は遠慮させてくれ」
「最後まで冷静かよ。やっぱりお前の心には響かねえか。これならまだヴァルのほうが見どころありそうだな。でも、モフモフが二人分となるとおれとキャラかぶるからなしだな」
曲がっていた背筋を伸ばし、頭と喉に残っていた感触に思いをはせる。
うむ、うむ、やはりそこまでときめかないか。私とハンテルは性能的対称としてペアで作られているところがあった故に、趣向も似たところがあるのではと思っていたのだが。どうやらそんなことはなかったようだ。やはりこれはハンテル個人のアイデンティティなのだろう。
「いや、お前も姫様に撫でられてもらえばわかるって。思わず喉が鳴るから」
「なんでむきになっているんだ……。それに私は喉を鳴らすような特徴はない」
ともあれ、これでわがままをという指令はこなしたはずだ。早く掃除を終わらせてしまわないと。まだ仕事は残っているのだ。
だが、ほうきを握る手に力を込めると同時に、ハンテルとは別の方向から声がかかった。
「ギルドの前でそのような気色の悪い行動は控えてくれるとありがたいのだが。姫様の名に傷がつくだろう」
声のするほうを見ると、ヴァルが買い物から帰ってくるところだった。町で買い込んだ食料と森で狩ってきた成果を両手に抱えているが、涼しげな顔でこちらを見据えていた。
「あ、すまない。まだ掃除が終わっていないんだ」
「構わない。この馬鹿猫の声は無駄に響くから、何があったのかはおおよそ察しがついている」
「馬鹿ってなんだよ馬鹿ってー!」
ハンテルがキャンキャン抗議しているが、そのすべてをヴァルは冷たい瞳で受け流している。しかし、ふっと顔を上げるとその冷たさはなりを潜めており、じっと私から視線を外さない。
こういう言い方はあまりよくないのだが、それはまさに、忠犬を思わせる。揺らぐことのない狼の意志力を、私はとても尊敬しているのだ。彼はその透き通るほど澄んだ意思で、私にこう声をかけてきた。
「それで、私にはないのか?」
「なにをだ?」
「わがままだ。お前はわがままを言わされているのだろう?」
「え?!」
驚いた。まさかヴァルが乗ってくるとは思わなかった。
ハンテルに至っては目を見開きすぎて落ちそうになっているぞ。だが、気持ちは私にもわかる。不要なものはなんであれ切り捨てる男。それがヴァルデックなはずなのだが。
「そこまで驚くことでもあるまい。ブレズの働きを私は評価している。それに見合った対価を要求するのはお前の権利でもあるのだ」
「しかし、私の働きはすべて姫様のため。対価などとおこがましい……」
「だから、私が払おうというのだ。それなら文句あるまい?」
私が困っていると、ハンテルがにやにやしながら口をはさんできた。
「ほらな。言ったとおりだろ。お前のわがままを断る奴なんていねえんだ。たまには甘えてもいいんじゃねえかな」
「ハンテルと意見がかぶることは屈辱だが、おおむねその通りだ。だから早くしてくれ。私にも仕事があるんだ」
「わがままを聞いてやるっていうやつの言葉じゃねえな!」
ヴァルの揺らぎない瞳は、それを嘘ではないと言っている。ああ、困った。わがままなんて何を言ったらいいものか。
「休暇か。それとも晩御飯の献立か。私にできることなら何でも言うがいい」
「えっと、その……あの……」
「やったなブレズ。今ならヴァルが犬の遠吠えでもなんでもしてくれるって――ぐほぉ!」
「黙れ馬鹿猫。蹴るぞ」
「蹴ってから言うなよ!」
欲求なんて、全く思い浮かばない。炎を操る私の頭が熱にやられてしまったようで、黒い狼を見ながら言葉を見失う。
ヴァルがこう言ってくれるのも、ひとえに私なら常識外れのことを言わないからという信頼からきているのだろう。その信頼には応えたいのだが、いかんせんまったくなにも浮かんでこない。
「ちなみに私なら、ハンテルは姫様のそばに近寄るなと言うし、ホリークには部屋を掃除して服を着るように言うし、レートビィにはドアノブを壊さない力加減を身につけろと言うな」
「おれだけひどくねえか! あとそれいつも言ってるじゃねえか」
「お前らがいつも言わせてるんだが?」
出口のない思考をぐるぐると回して、そのまま目を回してしまいそうだ。わがままなどと考えたこともない。私はただ、姫様の剣であり盾であれさえすればよかったのに。
そこまで見ていたヴァルがため息交じりに言葉を吐き出す。いつもならとっくに時間切れで去られてもおかしくなかったのに、今はなぜか私の言葉を待っている。
「以前、開拓したときに姫様も仰っていただろう。お前はわがままを言いなれていないと。欲しいものがあるのなら言えばいい。それがお前の糧になる」
ああ、なるほど。それでヴァルは私に付き合ってくれているのか。
勲章がほしいというのは騎士として当然の欲求に基づいたものだ。だが、今はどうだろう。私は、何を欲しているのか。
私が求めているもの、それは――――
そこまで考えて、ようやく見えてきた一筋の光。それを逃すまいと、私は遮二無二追いかけて口を開く。
「なら、今度は私にヴァルのわがままを聞かせてくれ」
「……そんなことでいいのか?」
「ああ、私はそれで構わない」
「待て。待て待て。さすがにそれは道理がない。お前の欲求はそんなことでいいのか?」
ヴァルが驚いたように言うが、私にとってはこれこそがわがままに他ならない。
私は姫様の剣であり盾だ。そのように作られた。
そのせいかもしれないが、私は誰かを守る、つまるところ甘やかしたくて仕方がない。前にホリークから見上げた奉仕精神だと揶揄されたが、その通り。
私は、頼られ、甘えられることが何よりも好きだ。
なるほど、確かに私はハンテルとは対になるように作られたのだろう。甘え上戸の猫と、甘やかしたい欲求を持つ竜。それこそまさに、剣と盾のように相反している。
だから、これこそが私のわがままなのだ。他人を甘やかしているときこそ、私は満たされるのだから。
そこまで言うとヴァルはジト目でこちらをにらみ、そのまま観念したように尻尾を下げた。
「甘いやつだとは思っていたが、まさかこれほどとは」
「まあでも、甘やかすって言っても精神を腐らせるようなことはしないだろうけどな。ホリークにだって片付けろと結構言ってるし。なるほどなあ、そりゃ確かにおれの片割れだ」
ハンテルも納得したようにうなるが、伝わっただろうか。
やはり私は撫でられるより撫でるほうが、甘えるより甘えられるほうが性に合っている。
「甘えたいときはいつでも言ってくれ。この胸をすぐにでも空けよう」
「残念だが、私がお前に甘えることはない」
「おれも男の胸に飛び込む趣味はねえなあ」
「そうか、残念だ……」
しゅんと尻尾がしおれてしまった。まあこの二人はメンタルが強いから、誰かに頼ることなどそうそうないだろう。それはそれでいいことなので、私から言うことは何もない。やはり精神も健康が一番だ。
なので、私にとってわがままとは他人のわがままを聞くことで、奉仕活動など苦にならない。むしろ、誰かがすべての作業をこなしてしまうことのほうが辛い。
もちろん、これだけは言わせてもらうが、甘やかすのが好きだからと言ってふぬけた精神を擁護するつもりはない。堕落は精神の敗北であり、明日への希望を曇らせる毒でしかない。私がするのはあくまで保護、自立できる力を養うことこそが本懐なのだ。
「……そうか」
そこでヴァルがなぜだか口角を上げた。はて、これまでの話で何か悪だくみできそうなことなどあっただろうか。
黒狼は、話は済んだと言わんばかりに打ち切ろうとして、最後の言葉を放り投げた。
「それなら私からのわがままをさっそく聞いてもらおう。ホリークを、たくさん『甘やかしてくれ』」
「お前こそそんなわがままでいいのか? 私に望めば何でもするというのに」
「構わない。現状これと言って不満があるわけでもないからな。姫様にお仕えできている今が、すべてにおいて尊いのだ」
ヴァルの言葉に私は胸を打たれてしまった。これほどまでに仲間思いなわがままがあるだろうか。ヴァルは自分が楽をするよりも、仲間を助けることを選んだのだ。
これほどまでに尊いわがままを頼まれてしまうなど、このブレグリズ、全身全霊をもってホリークを甘やかして見せよう!
「……いやいやいやいや、これはそんないい話じゃねえからな?」
「黙れ馬鹿猫。ブレズに余計なことを吹き込むな」
ハンテルが何か言っているが、ヴァルに遮られてしまっている。いつも通り仲がいいことだ。
「では私はこれで失礼する。ブレグリズ、私からのわがままを聞いてもらった礼だ。今日は執事としてではなくブレグリズとして、ホリークを甘やかすといい」
「ああ、任せておけ。時間までもらったのだ、しっかりとホリークを甘やかして立派にして見せよう」
「うわぁ……これ絶対面白くなるだろ。おれはブレズについていこうっと」
私が決意に燃える横で、ヴァルがさっさとギルドに帰ってしまった。尻尾がわずかに揺れているのを見るに、この結果に十分な満足を得ているようだ。
任せてくれ、きっとそのわがままを全うしてみせよう。
私はハンテルを引き連れて、ホリークの部屋へと向かうのであった。
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「やめろ、出ていけ」
ことのあらましを聞いたホリークが開口一番に否定を投げつけた。どうやら作成中だったようで、いつも通り全裸で机に向かって何かを作っていた。
しかし、ここで引くことは騎士の名折れ。私はヴァルからもらったわがままを完遂する義務があるのだ。
私は大きく手を開き、ホリークに向けて胸を空けた。執事服の中心はホリークのことを今か今かと待っているぞ。
「さあ、遠慮せず私に甘えるといい!」
「絶対嫌だ。頼むから帰ってくれ」
心底嫌そうな声を向けられたが、まあホリークは他者に干渉されるのが好きでないのはわかっている。なので、こういう時には行動するしかないのだ。
「なるほどなあ。命令は絶対に遂行する。騎士としての性格がここで出るのか」
ハンテルが分析しながらうなずいているが、邪魔ではないのでこのままでいいだろう。ホリークがしきりに目線を送っているが、笑顔で封殺している。どうやら立場的には私の味方のようだ。
それではこれよりわがままを実行する。
「ホリーク、喉が渇いているかと思ってお茶を持ってきたぞ」
「……お、おう、そうか。そこに置いておいてくれ」
きちんとワゴンにはポッドとお菓子を置いてある。それをホリークの作業机に設置して、ついでにメモやがらくたを整理する。この前ヴァルが掃除したというのに、すでに部屋は元通りゴミだらけだ。
次に私は炎の魔法で部屋を暖める。ローブを着ない彼が寒くないようにとの配慮だ。
するとハンテルが首をかしげて問うてくる。どうやら私の行動が意外だったらしい。
「あれ、そこは服を着せるとかじゃねえんだ?」
「さすがに自分の部屋なのだから服装くらいは好きにしたらいいだろう。我らが風邪をひくことはないだろうが、温かいほうが指もよく動く」
部屋を快適に保つために、次は掃除だな。さすがにこれは本人にやらせなければ。
「めんどくさい。後でするから放っておいてくれ」
「そうか分かった。それなら私が片付けよう」
「……は?」
ぞんざいに言葉を投げたホリークがなぜだか目を丸くしている。隣のハンテルも、だ。何か変なことを言っただろうか。
「いや、お前が自分で片づけていいの?」
「ホリークは後でするときちんと私と約束した。なので今は私が掃除する」
「え、いいの。それでいいのお前?」
誓いを立てたのだからそれを信じるのが騎士というもの。私はホリークの邪魔になるまいと部屋をてきぱきと片付けていく。前にヴァルがほとんどのものを捨てたとあって、案外簡単に終わってしまった。
そうしたら次は何をしようかと深呼吸。すると、ホリークがまだお茶に手を付けていないことに気が付いた。なるほど、彼は今作業中で両手がふさがっているのか。なら、私が食べさせなければなるまい。
私はホリークの体をひょいと持ち上げて、椅子と彼の間に挟まることにした。鷲は私の太ももにお尻を乗せて、なぜか引き気味にこちらを見ている。
「あんまり聞きたくねえんだけどさ……お前何してるの?」
「お前の手になろうかと思って。これでお菓子が食べられるな」
「……なあハンテル。ひょっとしなくてもこいつ馬鹿なのか?」
「片割れとして言わせてもらうけど、大馬鹿だと思うぞ」
はて、横から食べさせるよりこのほうが効率的にいいと思うのだが。
さっきまで楽しそうにこちらを見ていたハンテルが、なぜだかげっそりした顔つきになっているのが不思議だ。どうしたのだろうか。
「お前の甘やかすをなめてたわ……。まじで堕落一直線じゃねえか」
「そんなことはないぞ。私はホリークの作業を支えているのであって、堕落をくいとどめているんだ。……ほら、口を開けてくれ。このクッキーは渾身の出来だ」
「やめろ、まじでやめてくれ。ハンテル頼む。おれを救ってくれ」
「……わりいが面白いからもうちょっとこのままで」
「後で絶対殺す」
「あとひとつ言わせてもらうけど、全裸のお前がブレズに腰かけてるのめちゃくちゃ面白い光景だからな?」
「記憶が飛ぶまでぶっ叩いてやるから覚悟しとけよ」
ホリークが物騒な言葉を吐き捨てながらも、口に運んだクッキーをついばんでくれる。なれないからだろうか、どこかばつの悪そうな顔になっており、せっかくの精悍な顔が台無しだ。
「誰のせいだ、誰の」
「いやー、おれでもそうなると思うなあ。恥ずかしすぎる。絶対ヴァルが想定してた光景じゃねえなこれ」
ふむ、む。どうやら私は彼らの期待に沿えていないようだ。困った、これではヴァルのわがままを達成することができないではないか。
ならば私に何ができるのか。ホリークに座られながら必死に考える。残念ながら私には制作スキルがないのでホリークの作業は手伝えない。ならば、もっと別のことで役に立たなければ。
「どこか痒い所などはないか? 軽食は必要か? 眠くなったらいつでもベッドに運んでやるぞ?」
「……そうか、ならもう寝るからベッドに運んでくれ。そしてどこかに行ってくれ頼む」
「だそうだハンテル」
「お前だよ」
「私にはホリークを寝かしつける作業が残っている。それとも添い寝のほうがよかったか?」
「なあ、これどっちか選ばなくちゃダメなのか。おれに死ねというのかお前は」
「安心してくれ。抱き枕でも膝枕でも腕枕でも、お前が望む通りにふるまおう」
「そろそろ本気できれるけどいいか、いいよな」
ホリークがどんどん剣呑な目つきになっていく。確かに並大抵のものならおびえすくむほどの覇気だが、私に効果があるはずもない。そばではハンテルが笑い転げているが、何がそんなに面白いのだろうか。まあ、楽しんでもらえているのなら何よりだ。
それではさっそく裸のホリークを持ち上げて、ベッドに行くとしよう。寝巻は着せたほうがいいのか悩むところだが、あったほうがいいだろう。ホリークを寝かせたら見繕って着せてやらねば。
「結局何も作業出来てねえ……」
「そういう日もある。そんなときはぐっすり休むのが一番だ」
「お前のせいでしかねえんだよなあ……」
すでに抵抗をあきらめたホリークが私の腕の中でぐったりしている。これは相当疲れている様子。至急寝かしつけたほうがいいな。
と、その時だった、部屋のドアが控えめに開いて誰かが恐る恐るこちらをのぞき込んできたのは。
「えーっと、何してるんだこれ」
控えめで楚々とした声音。透き通る鈴を思わせる美声を放ったのは我らの主にして生命を進化させる禁忌の使い手。
今日も今日とて白が美しい我らが姫様だった。
姫様は私と腕の中にいるホリークを見比べて、困ったように眉を下げる。ハンテルは腹を抱えだし、ホリークはなぜだか真っ青になっている。ふむ、部屋が寒かったのだろうか。
「にぎやかだなあって思って覗きに来たんだけど、ひょっとしてお邪魔だったかな」
「いや、待ってくれ姫様。違う。これは違うんだ」
ホリークが慌てて弁明するが、別にやましいことをしてるわけではないだろうに。
だから、私は誰はばかることなく宣言することができる。今の私はホリークを甘やかしている最中なのだと。
「あ、そう、甘やかすね……そうか……」
「はい。姫様も、私に甘えたいときはいつでも遠慮なく申し付けてください。この体すべてをもって、貴方様を甘やかしましょう」
「いや、おれは別にいいかな……」
姫様は慎み深いお方だ。私に遠慮などしなくても、いつでもこの体を使ってくれていいというのに。
そこでさらに軽い足音が廊下から響いてきた。我らの中で一番小柄とくれば、レートビィしかいないだろう。
「ねえねえ姫様、みんなそこにいるの? さっきから誰も見ないんだけど」
「いいんだレートビィ。彼らは今取り込み中だから。遊び相手ならおれが変わるから、あいつらはそっとしておこう」
姫様は私が仕事中だと知ると、レートビィを引き連れて踵を返してくれた。相変わらずなんとお優しい。それにハンテルがにこやかな顔で後に続き、躊躇もなく部屋を出ていった。
「あ、おれは全然こいつらと関係ないからさ。おれも混ぜてくれよ姫様ー」
すると、部屋には私とホリークだけになる。静かになったところで、さあ、ホリークを寝かしつけよう。
「…………はあ、姫様に絶対誤解されたな。おれは甘やかしなんて一つも求めてねえんだけど」
ホリークの目が死んだ魚のようだ。どうやら今日のやる気はすべて使い切ってしまったのだろう。さっそくベッドに移し、寝巻を着せてやる。
「もう好きにしてくれ。おれは寝るぞ」
ゴロンとホリークが転がり、これで私の仕事は終わりか。どこかふてくされているようにも見えるのだが、気のせいだろうか。枕は必要ないと言われてしまったし、そろそろ執事の仕事に戻るとしよう。
甘えたいのならいつでも言ってほしい。私は全身全霊でそれを受け入れよう。
それこそが、剣であり盾であり、甘え上戸な虎の片割れとして形作られた私のアイデンティティなのだから。
自己満足だと分かっているが、確かな満足感が私の胸を占めている。誰かの支えになれた、それだけで嬉しいのだ。
さあみんな。
――――もっと私を使ってくれ。




