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美女?と野獣の異世界建国戦記  作者: とりあえず
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白い決意

「結婚してください」

「お断りします」


 返す言葉で一刀両断してしまったけど、初めて会った人にプロポーズされたらふつう断るだろうが。

 しかし、部分的な甲冑に身を包んだ熊はそれでもめげることなく片膝をついた姿勢のままおれに熱い視線を送り続けている。なんだこいつ。ビーグロウといい、ビストマルトは情熱の国なのか。


 ネーストがビストマルト領になるとハウゼンに告げられた数日後には、もうビストマルトから軍がやってきた。裏で手を引いているとはいっても、さすがに早すぎる。どうやらこの二足歩行する熊が、おれの噂を聞いて一刻でも早く会いたいと駆けつけたせいらしい。


「……噂はかねがね、でも、実物は噂以上に美しい。その、なので……結婚してください!」


 ほかに語彙がないのかお前は。そのセリフさっきから十回以上聞いてるぞ。


 当然のようにヴァルたちから叩きつけられる殺気に臆すことないのは驚嘆に値するけど、盲目になって気づいてないだけっぽいな。

 胴長短足という熊っぽい体形に、いかつい顔。真っ黒の毛皮に胸元に月をあしらった鎧が光沢に満ちている。硬く引き締められて緊張を表す口元が、色恋沙汰に不慣れだと示していた。


「サウステン=ツキガス、ビストマルト第15軍隊長。こたびはここネーストに常駐し、町の発展に尽くすようにと仰せつかっております。ともに力を合わせ、繁栄を極めましょう。結婚してください!」


 面白い語尾をもつギャグキャラと化してきたぞこいつ。あと、そろそろヴァルから首を落とされそうなので、ぜひやめていただきたい。

 というか、おれの噂ってビストマルトにも届いてるんだな。そりゃ、ギルドから招集されるくらいだし、不思議でもないのか。


「えっと、ツキガス様」

「指輪はこちらに!」

「その話じゃねえ……ゴホン。それで、ネーストの発展ということですけど、具体的には何をしに来たのでしょうか?」

「っは、ここを城砦都市とし、きたるヨルドシュテインとの戦争に備えた最前線を構築する予定です」


 そうなるよねー。ノレイムリアが属国になれば、ここは大国二つの唯一の接触面になるんだから。厳重体制を当然のように敷くだろうとも。


 だけど、そうなるとこの町に元から住んでいる人はどうなるんだろうか。ここを城砦都市にする構想はわかるが、あたりは畑や森に囲まれていてそこから生計を立てているものも多い。そもそも、森のモンスター退治はステラがしてくれてるし、畑の改良はホリークがしてくれている。その資源をつぶされると困ってしまうのだけど。


「……それは」


 ここで初めて、ツキガスが言いよどむ。目線がわかりやすく泳ぐこの熊はおそらく嘘がつけないタイプなのだろう。良くも悪くも率直な軍人、そういう評価だ。


「要塞を建てるにあたって、付近の土地はつぶす予定です。これに抗議するものあれば、国に対する反逆とみなしてよいと権限を与えられております」

「つまり、見せしめだと。元ノレイムリアの民から反抗心をそぎ落とすために、あえて悪逆を見せつけると。そういうことでしょうか」

「……国がそのような思惑を持っていることは否定いたしません。ですが、我が国は大国でございます。私も第15軍の隊長として軍部の末席に座すもの。代わりの職は必ず用意できるだけの権力があります。それで怒りを沈めてもらうほか……ありません」

「代わりの職とは言いましたが、それはこの町ではないのでしょう?」

「……この町はビストマルトに組したばかり。我が権力の及ぶところではございませんがゆえに」


 体のいい厄介払いか。畑や森をつぶして経済力を奪い、住民をビストマルトに従順なやつに入れ替える。確かにここは最前線となる場所。結束力を高めるのは急務。


 素直に言えば気に食わないが、おれにどうこうできる問題ではない。ここまで町を育てるのにみんながどれだけ頑張ったか。わかっていても歯がゆい気持ちが止められない。


 だからつい、嫌味は口から漏れてしまう。ツキガスが悪いわけではないのは分かっている。むしろ彼も国に言われてやってきた被害者だ。悪評を被るためだけにきたスケープゴート。だけどそれを理解しているからといって、感情が和らぐわけでないのだ。


「私は一介の冒険者にすぎません。そんな私がビストマルトの隊長様に口出しする権利などあるはずがないでしょう。どうぞご随意に」


 そう、おれは所詮一介の冒険者。どれだけ強くても、この流れは止められないんだ。


「貴方様の噂はここビストマルトにも届いております。この世の物とは思えぬほどの美貌を持った魔術の鬼才と。どうかそのお力を私にもお貸し願いたい。さすれば被害は最小限にとどめることができましょう」


 おれが協力したからといって、被害が少なくなるわけではないと思うのだけど。砦を建てることが決まっている以上、その場所からは畑が失われるんだから。


『おそらくは』脳裏に響くヴァルの『思考伝達(チャット)』。『姫様がこの町の主要人物とみて、精神的な柱になってほしいと打診しているかと思います。この町の住民が絶望にやけを起こさないように鎮めるのを手伝ってほしい。そういうことかと』


 難儀なものだな。恨みを買うのがわかっていて、それで被害が出るのを防ぎたいだなんて。やはりこういうのって数字が小さくなるほど偉いんだろうか。だとすると、第15軍の隊長なんて汚れ仕事を押し付けられてばかりなのかもしれないな。


「あと、できれば結婚してください」


 さらりと付け足された言葉は完全に無視で。残念ながら男と結婚する趣味はないんだ。美少女だけど。

 確かに、この町がビストマルト領になることが決まってから、みんな不安を募らせている。そもそも事の推移からしてビストマルトにはいい感情を持っていないので、どうしたって不信感しか抱けない。

 そこにきて土地がなくなるとあっては暴動が起きても不思議じゃない状況だ。


 おそらくは急いでいるに違いない。ノレイムリアが属国になる前に、体制を整えてしまいたい。その意図がびんびんに感じられる。ある程度の抵抗は承知の上で、断行しにきているのか。


 このまま進めば町は大きく変わるだろう。たくさんの人がやってきて、兵や冒険者でにぎわう都市になる。それを素直に喜べないのは、おれの居場所がなくなってしまったから。

 これからこの町のギルドを立て直すために人員がやってくると言う。おれらが好き勝手に使っていた場所であるが、本来はギルド職員の物だ。それが元あるべき人らの手に渡る。それだけの話だというのに、やはり胸の内は晴れない。


 ツキガスには残ってほしいと言われたが、そもそも住む家さえなくなってしまうんだ。残ることなどできやしない。愛着がわいてきたとたんにこれだ。感傷に浸ってしまうのも無理ない話。


 おれはいまだに求婚を続けるツキガスと別れを告げ、そそくさと歩き出す。先ほどから殺気を振りまいていたヴァルとブレズを連れて、ギルドへと戻る。


 扉を開けるときれいになったホールが出迎えてくれて、あれだけのぼろ屋をよくここまで整えたものだと改めて感嘆する。おもむろに座ると、いつもよりホールが広く感じられた。


「姫様お疲れー」


 先に帰ってきていたハンテルが席を移動しておれの隣に座る。ふんわりとした毛皮がとても暖かく、居心地がよかったせいで吸い込まれるように少しだけ体重を預けた。虎の細いしっぽがいたわるように背中を撫でてくれるのが、余計に切なさを加速させる。

 いつもなら眉をとがらせるヴァルも今日はおとなしく、おれを預けると厨房へと引っ込んでいく。ブレズはそのままおれの後ろに立ち、いたわるように尻尾を揺らす。


 ハンテルには町の様子を探ってもらいに行っていた。ビストマルトが来て、みんなはどう思っているのか、その確認をお願いしていた。


「やっぱダメだな。ぎすぎすしてるわ。さらに砦を作るなんてことが広まったら、いつ暴動が起きてもおかしくない。兵は思ったより規律が取れてるけど、どうしてもみんな疑心暗鬼になってるからなあ」

「それはそうだろう。この町を手に入れるためにした策を思えば、到底いい感情など持てまい」

「うわ、ブレズが怒ってるってことは相当だな」

「私だって、怒るときは怒るぞ。この町を満たした嘆きを知ればこそ、悪逆非道な策だと痛感するだろうが」


 息まく竜の感情もわからなくはないが、おれらにはどうすることもできない。ここすら追い出されてしまう身の上で、到底何かをなしえることなど不可能だ。

 あーあ、今おれを満たしているこの鉛のような感情は、ビーグロウを殺されて落ち込んでる時と同じなんだよなあ。何をしても無駄だと思っていて、行動することを恐れている。

 でも、これは二回目だ。しかも立ち直ってすぐということもあって、比較的冷静に受け止められる。なので、おれらに突きつけられている課題に目を背けることなく口火を切ることができた。


「さて、これからどうしようか」


 そういうと、虎も竜も困ったように押し黙ってしまう。ギルドを追い出されたら行く当てなんかないんだ。おれの子に関しての情報もない現状、放浪とするしかなさそうだ。


「しかし、姫様につらい思いをさせてしまいます。またどこか拠点を探して、そこからやり直しましょう」

「そうそう、おれものんびりできる家がほしいからなあ。とにかくどこか落ち着ける場所を探すのが最適じゃん」


 まあそうなるけど、問題はどこの国に行くか、だな。ビストマルトにも噂が届いてるくらいだ、おれらはどこに行ったって注目の的になるだろう。まあ、こんな美少女とチート級の強さを誇る精鋭五人だ。引き込むだけで国力の増強は間違いなし。

 蘇生魔法と禁忌の進化を操るおれを筆頭に、一人いればそれだけで勢力が変わる猛者ばかり。おとなしくしていたとしても絶対また面倒ごとに巻き込まれるのは目に見ている。


 何をするにしても揺り返しは来るのだろう。安穏などない、それがこの世界なのかもしれない。


 だったら……だったらいっそ、おれらだけで、おれらだけの縄張りを持つべきなんだろうか。隠れられないなら、堂々とする。逆転の発想ってやつだ。

 ……ダメだなあ。ヴァルに言われた建国のアイデアが脳にこびりついている。そうなると確実におれが頭首になるのだけど、完全に分不相応な地位だ。ただでさえ、こいつら五人の主をするだけでも無理なのに、何万という人の上に立てるわけがない。


 いっそのこと、どこかの城に仕えるのもいいかもしれない。なにせ力はあるんだ、悪いようにはされないだろう。

 ……いやいや、そんなことしたら絶対おれらはばらばらにされる。一人でも傾国の猛者なのにそれを六人もまとめるわけがないだろう。各自できることも違うし、ばらばらに配置されて飼い殺しにされるのがわかりきっている。そうなると、おれは政略結婚の道具とかにされるんだろうなあ。ツキガスの例を見ても、引く手あまただろうしなあ。


 あーやだー! ブレズやハンテルと離れ離れにされて一人で生きていける気がしない! なにせこっちは装備品がないと戦闘能力皆無だぞ。しかも禁忌の進化使い。ぜったいまともな扱いされないよー。ばれた瞬間処刑されても不思議じゃないんだぞ。


「ブレズーハンテルー、頼むから結婚しないでくれ」


 違った間違えた。どこか行かないでっていうつもりだったんだ。死ぬほど恥ずかしい!


「……は? どうした姫様急に。そんなことありえないだろ」

「そうです、我らが姫様を置いて結婚するなどとあるはずがありません。なにを考えられたのかはわかりませんが、ご安心ください」


 ごめん今の忘れて。恥ずかしい死ぬ。これじゃあまるでおれがダメな子みたいじゃ、っていうかダメな子だわ。うう、情けない主ですまない。


 これでおれが心底弱っていることが証明されたようなものじゃないか。ハンテルがでかい手であやすように背中を撫でてくるし、ブレズが急いでお茶を淹れようと動き出す。また気を使わせてしまって、おれという男は……。


 顔から火が出るとはまさにこのこと。誰でもいいからこの場の雰囲気を変えてくれとおれは強く願った。厨房で茶菓子を作っているヴァル、町に張った魔法の点検に行っているホリーク、軍部の諜報にいってるレートビィ。誰でもいい、この空気を変えてくれ。


 その願いが通じたのだろう、救いは予想もしないところから現れた。


 ホールに飛び込んできたのは赤い体躯。子供ながらがっしりとした体つきの赤鬼、ヤクモだ。彼は今にも泣きだしそうな様相をしており、不安に震える声で何とかこう紡ぎ出す。


「姫様……ここを出て行くって本当か……?」


 おそらくハンテルが情報収集時に伝えたのだろう、別に隠すようなことでもないのでおれはしっかりとうなずいて返答してやった。

 ヤクモはませているがしっかりした子だ。それがこんな不安をあらわにするなんて珍しい。人というのは不思議なもので、自分より取り乱している奴を見るとなぜか冷静になれるんだ。


 なので、おれはヤクモに近づいて、目線を合わせて視線を受け止めることができる。潤む眼球には、おれの白色がはっきりと映し出されていた。


「ギルドをここまで立て直したのは姫様のおかげなのに……どうして……」

「大丈夫だヤクモ。今度は本物のギルド職員が来る。そしたらもっと繁栄するかもしれないじゃないか」

「でも、姫様はどっか行っちまうんだろ!? ……ごめん、おれ、今取り乱してる」


 大人びているから、自分を客観的に見れるのはいいところでもあり悪いところでもある。ヤクモは言いたいことを胸に詰まらせて遠慮している状態だ。

 それを柔らかく解きほぐし、しっかりと聞いてやる。次に会えるかもわからないんだ、言いたいことは言っておくといい。


 なんてヤクモの頭を撫でながら諭すと、赤鬼はぼろぼろと泣き崩れてしまった。最初会った時よりずっと感情豊かになったこの子を見て、もう大丈夫だなんて場違いな感動を覚えてしまう。


「姫様、行かないでくれよ……。姫様がいなくなったら、この町はどうなるんだよ」

「この町はおれらの物じゃない。みんなの物だろ。ヤクモたちがこれから頑張って発展させていくんだ」

「だって、姫様がいないとこの町は食い物にされちまう。おれ、聞いたんだ。このあたりをつぶして砦を建てるって」

「……聞いたのか」

「せっかく土壌が肥えて、水だってきれいになってようやく町が明るくなってきたのに……畑がなくなったらみんなどうすればいいんだ。家畜だって、姫様が手なずけてくれたものばかりじゃないか」


 ぼろり、ぼろりとこぼれていく大粒の涙。こんなに純度の高い感情を前にして、おれは言葉に詰まってしまった。おれらは――最も小さなレートビィですら感情を押し殺すことができるから、自分の気持ちを見ないふりでごまかすことができる。

 だけど、こんなに素直な気持ちを見てしまっては、押さえていたものが共鳴して騒ぎ出してしまう。つられて泣きださないだけで精いっぱいだ。


「無理、言ってるのは、わかってるんだ……。姫様がここにいたら、きっとみんな姫様を求めて騒ぎ出す。でも、ここにいてほしいんだ……」


 そうだな、おれだってここにいたいよ。この世界に飛ばされて初めてたどり着いたこの町に、ずいぶんと愛着がわいてしまっている。


 考えがまとまらないままに口が勝手に開いていく。ここにいたい感情と、それが無理だという理性が溶け合って言語化を妨げる。ようやく出てきたのは、信じられない言葉。

 何も考えてない言葉は、完全な願望だけで構成されていた。


「おれがここを国にしたいって言ったら……どうする?」

「……え?」


 もうその方法しか思いつかなかった。おれがそれを口にしたとたん、ハンテルとブレズの雰囲気が一気に固くなる。きっと、おれが言いだすのを待っていたのだろう。驚きもなく、騎士は宣託に耳をそばだてる。


 ヤクモにも言いたいことは理解できているはずだ、それでもこの子は涙目に残った決意をかき集め、しっかりとうなずいた。それが示す困難を把握したうえで、この子は受け入れたのだ。


 自分で口にしたとたん、決意が固まってくるのを感じる。おれらが求めていたものは、戦わなければ手に入らないのだ。逃げてばかりいては、何も得られない。


 それでヤクモは泣き止んでくれたようだ。代わりに、困難に立ち向かう毅然とした顔になる。これは将来いい男になるな。

 おれは後ろの二人に振り向いて、申し訳なさそうに眉を下げて笑う。おれはいつだってお前らに迷惑をかける。


「唐突でいつも済まないな」

「いえ、姫様が決めたのであれば、それに全力を尽くす。いつでもそれは変わりません」

「姫様はさ、もっと自分に自信を持てばいいと思うぞ。領土を守るって意味では、性格的にはかなり向いてるからな。攻めるのは、まあ、おれとブレズに任せればいいさ」


 どうせおれは引きこもりの受動的人間でしたよ。それで忙しさが増したとしても、こいつらは文句の一つも言わないんだろう。ああ、もう。借りを作ってばかりだな。


 ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちが半々で笑みがいびつになったとき、兎の声が『思考伝達(チャット)』で響いてきた。軍部にいるレートビィの報告なんて、絶対にろくなものじゃない。それを分かったうえで、おれは臆すことなく問いかえす。


『姫様』

『どうしたレートビィ』

『あまりよくないお知らせだよ。この町に軍隊が向かってる』

『はあ?!』


 なんでどうして。ここに軍を送る理由なんてどこにもないだろうが。

 おれのとどまることを知らない疑問があふれ出てくるが、お構いなしに混乱は加速する。


『率いているのは――ハウゼンだよ』

『それは本当か?!』

『うん、見間違いなんかじゃないよ。ハウゼンが軍を率いてこっちに向かってきてて、町が騒然となってる』


 騎士二人が警戒態勢をとる中で、おれは混沌に縫い付けられていた。

 ハウゼンは近衛兵であり、命令するのは君主かそれに近いものに限られる。こいつの主は元から騒動の裏方を探らせていた。なれば、この結果に納得がいかないのもわかる。

 わかるのだが、なぜ、ハウゼンが攻めてくる必要があるんだ。


『ヴァル、ヴァル……頼む説明してくれ』

『御意。そんなに難しいことではありません。ハウゼンはただ一石を投じにきただけ。属国にならない派閥もいるという意思を、示しに来たにすぎません』

『つまり、ビーグロウみたいに死にに来たってことか……?』

『そうですね。しかし、無駄な手ではないでしょう。ハウゼンの立場が攻めにきたということはおそらく両者にとって痛手のはず。ノレイムリアが属国になるにしても、ビストマルトへ絶好の口実を与えることになります。こちらにツキガスがいることを考えて、攻めるならビストマルトが有利。そんな状況では結託していたヨルドシュテインでも対応を考えざるを得ません。また、後手に回ってしまった連合にとっても、ここで時間を稼げれば逆転の手が出せます。彼は、命をかけて時間を稼ぎに来たのです』

『そうか……』


 どうして……どうしてどいつもこいつも死にたがるんだ。そうしなければならないという使命感なんて、おれの世界ではだれも持ってないぞ。


 くそ、このままいけば、ビストマルトの軍と激突する。最悪町にまで戦火が及ぶ。

 だけど、おれにできることなんてあるはずがない。こちとらただの一般人だぞ。軍所属ですらないんだ。

 それに国を作るにはこっそりした根回しとかいるんじゃないのか。ここで目立ったらすべて水の泡だろ。


 方針は立てたものの、どうしていいかわからないおれはただ茫然とするだけ。

 そこで、涙をぬぐったヤクモが、何かに気づいたようだ。はっとした顔で後ろを振り向いて、扉を凝視する。


「姫様……何か来る」


 ヤクモの言葉を待つことなく扉は開き、数人の獣人が流れ込む。鮮やかな肌、牙、ツノ。狼やイノシシから進化した人型の生き物、獣人と呼ばれるなじみの種族だけではなく、鬼種やエルフまでそろっている。

 どこかで見た顔、それもそのはず。彼らは皆、『落丁した辞書の束(ユスレショナル)』のメンバーだ。


「何用だ、内容によっては今ここで打ち払うぞ」


 即座に対応したブレズが堅い声を上げるが、彼らに敵意はない。ホールになだれ込んできた彼らは、おれに向けて一気に頭を下げた。

 彼らの代表として、青みがかった灰色の毛皮を持つ狼が感情を押し殺した声を出す。


「ご無理を承知でお願いにまいりました。どうか、我らが主、ハウゼン=ミューレットをお救いください」


 おれに、なぜ?

 思考が追い付かない。どうしてみんな、おれを担ぎ上げるんだ。


「貴方様しかお頼みできる方はおりません。国ははるか遠く、援軍を待つ時間さえ惜しい。この状況を打破できるとすれば、それこそ一騎当千の実力を持つ――星邪竜 マスラステラを撃退した貴方様しかおりません」

「あいつが死にに来たということを知って、それでもなお頼みにきたのか?」

「はい。ハウゼン様は我らに情けをかけてくださいました。差別される我らに職を提供し、住むところまで用意していただいた恩義があります。地位あるご身分だというのに、我らのために冒険者の身分に扮して指揮をとってくださいました。ハウゼン様率いる近衛兵団は隊長が持つ兵団とは分岐した集団。すなわち、我らのためにあの方が独自に作り上げた集団でございます」

「それで、おれに何をしろと?」

「ハウゼン様をお助けください。加勢などおこがましい頼みではありません。ただ、死にゆくあの方に慈悲を、命だけでもお助けくだされば、我らはそれで十分にございます」

「……それは、おれがツキガスに口添えをしろということか。ただの冒険者であるおれが、ビストマルトの将軍に」

「貴方様のご威光ならば、きっとあの方も耳を傾けることでしょう」


 ここで恩を売られれば、おれらはこの町を離れられなくなる。それを理解したうえで、こいつらは無理を頼んでいる。ツキガスがおれにお熱なのを知ってのことだろう。確かにおれが口添えすれば、あの熊は聞いてくれるに違いない。


 それに腹を立てたのは後ろの二人だ。おれを人身御供にして自らの主を助けようなどと、当然の帰結であると言える。ブレズは体中から熱気をほとばしらせ、覇気を叩きつける一喝を持って応えた。


「貴様! 我らが主にその身を売れと申すか!」

「失礼は重々承知。気に食わぬなら、この首をささげましょう。我らの首で(あがな)えるなら、いくらでもお持ちください」

「そのような冒涜、許されるわけがない! 主を思うその心は認めよう。だが――」

「――――ブレグリズ」


 静かに澄んだ声が、おれの喉からまろびでた。竜はすぐさま口を閉じ、先走った無礼を謝罪する。

 心臓がこれ以上ないほど脈打ってやかましい。ひと一人の命が、おれの判断にかかっている。ああ、一人だけでこれなら、一国の主になったときはどんなプレッシャーなんだろう。


 だけど、おれは凛とする。かかとをならし、硬い音で自分を鼓舞する。『落丁した辞書の束(ユスレショナル)』だけじゃない、ヤクモも見ているんだ。いくつもの視線が、おれに無理をさせていく。


 その音に呼応するように一つの案が浮かび上がってきた。思考の水底から上昇する気泡のようにとりとめのない考えを、おれは必死に掬おうとした。


『みんな』


 『思考伝達(チャット)』で全員へと放つ。つたない策だが、もうこれで行くしかない。


 おれは深呼吸を一つ。そして、今後の未来を決める一言を言い放つ。


『全部、敵に回そう』


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