悪意顕現
ノックもなしに開け放たれたドアからは夜に冷やされた外気が流れ込んできた。そこまで寒いわけでもないのになぜか背筋が震えたのは、本能的な嫌悪感のせいだろう。
飛び込んできた闖入者を見て、ヴァルが冷静に声をかける。
「ハウゼン様、そのように荒々しい登場をされてしまいますと、私驚きのあまりその眉間にナイフを投げつけそうになってしまいます。これと似たようなセリフをさきほど吐き捨てたばかりかと思いますが、いかがなされましたか?」
さすがヴァル。控えめながらもしっかりと毒づくことは忘れない。しかし目線は険しく、何か悪い知らせなのだろうと察しているようだ。何が起きてもすぐ対応できるように、四肢の端まで凛とした風格が満ちていく。
「ああもう、最悪の中の最悪だよ。してやられたとしか言いようがない」
ハウゼンのこの慌てようはいやでもフラッシュバックさせる。獅子の悲鳴が聞こえたときも、ハウゼンはこんな顔をしていた。
だけどそこは近衛兵団副隊長。深呼吸一つで気持ちを落ち着けることに成功し、厳かに宣告を下す。ゆるい空気など一切ない、ひっ迫した緊張感が彼を縛り付けていた。
「まずは、王宮に携わるものとして謝るべきなんだろうね。君らの待遇の改善ができないばかりか、このような事態を招いてしまって。そのふがいなさを王宮代表として謝ろう」
きれいに礼をして、そして続きを。この晩さん会の空気を一瞬で凍らせる一言を。
「この町ネーストは今後、ビストマルト領として統治権を移すことが決定した」
聞き間違いなのではないかと思った。だって、それでは前提が違うから。
しかし、ハウゼンは至ってまじめだ。悔しさをにじませて歯を食いしばる表情が、すべて本当だと言っているじゃないか。
一体なぜ、ハウゼンやリュシアは黒幕こそ結論を違えていたけれど、戦争が起きるという点では共通していたはずだ。
「それこそが、間違いだったんだ」
歯がゆさに硬い、ハウゼンの声。
「あいつらはそもそも戦争をする気なんてなかったんだ。ああ、今になってようやく気付いたよ。あいつらが求めていたのはこの国そのものだったんだ」
「詳しくお聞かせ願えないでしょうか。事の顛末を」
ヴァルが代表して問いかけると、糸目の騎士は流れを整理してくれた。
「ビストマルトの官僚が我が国で殺された。これは言い逃れできないことだ。穏健派筆頭を殺された過激派たちが、好機とばかりに攻め込んでくる。そう思っていた」
「それは違ったと、そういうことですか?」
「そうさ。ビストマルトに攻め込まれては我が国では太刀打ちできない。だから、まず始めに連合に助けを求めた。そのための連合だ。だけど、これは断られた」
「ふむ、そういうことですか。それはそうでしょうな、あの色ボケ獅子がこの国で殺されたのならそれはそれは好き勝手に脚色できる。『連合の戦力をかさに着てビストマルトを威嚇』したなどとうそぶくなどたやすいことでしょう」
「……はめられたんだ。ビストマルトが攻めてくると思って、前々から戦争準備をしていたことがあだになった。確かにほかの国から見ればこの国が攻め込もうとしているようにしか見えない。連合もそんな厄介者を助けたくはないだろうね」
「向こうのほうが一枚上手ということですな。ということはヨルドシュテインにも断られたのではないですか」
「あいつらは条件付きで助けてくれるそうだ。『ヨルドシュテインの属国になる』という条件付きでな。認められるわけがないそんなもの」
「大体把握しました。つまり、最初からあなたたちは掌の上ということですか。そのような条件を突きつけるということは、この国がのっぴきならない事態に直面していることに気づいているということ。最初から、承知していたと考えるのが普通でしょう」
「……そこまでもう理解したのか」
「ええ、それはそうでしょう。貴方はヨルドシュテインが黒幕であり、ビストマルトと戦争をすると言った。そういう情報を得ていたということだ。しかし、結果は違った。ヨルドシュテインの出した条件はこの国を目当てとしたものであり、ビストマルトと戦争することが目的ではなかった。だとするならば、あなた方も嘘をつかまされたということでしょう――ヨルドシュテイン側のごみくずに」
……あなた方『も』?
え、ちょっと待ってほしい。
おれはたまらず声を上げていた。ホールの視線がすべておれに集まってくるがそんなことに構う余裕はなく、信じられなくて否定を求める声が弱々しく紡ぎ出されていく。
ヴァルはあなた方『も』と言った。それに思い当たるのはひとつしかいない
ビーグロウは言っていた『この国に攻め込んでくる』って。
それが嘘になるというのなら、ビーグロウの死がすべてのきっかけだというのなら。
「そう」
重々しく首を落とすハウゼンの示すは肯定。おれの嘘だと言ってほしい感情を根こそぎ手折っていく言葉が、次に語られてしまう。
「ビーグロウは、すべてを承知の上で殺されたんだ」
愕然と、足元がおぼつかない。あの凄惨な光景こそ、獅子の望みだったというのか。
だとするならば、ビーグロウが連れてきたメイドが最後に火矢を放ったのも、それを承知していたからなのかもしれない。蘇生されたら困ることを重々に承知していたから。
「なかなかにこざかしい手を弄するではありませんか。それなら次に、ビストマルトの望みがここら一体の統治であるなら、ヨルドシュテインは何を求めるのでしょうか?」
「ヨルドシュテインの望み……?」
「ええそうです姫様。今までの話を総合すると、おそらく今回の騒動はすべて『ビストマルトとヨルドシュテインの共謀』によるものかと思います。互いが互いを悪者に仕立て上げ、その実水面下では共謀して混乱を図った。事実リュシアとハウゼンは惑わされて後手に回らざるを得ませんでしたし。そんなものでしょうかね……ああ、なるほど」
ヴァルはにっこりと、それはもう心底くだらないと言いたげな作り物めいた冷たい弧月を浮かべる。話の内容は全く理解できていないであろうステラがおびえすくんでイグサの影に隠れてしまった。
狼は無能をなじるようにハウゼンに微笑み、ぴしゃりと尻尾を振った。
「でしたらヨルドシュテインの取り分はこの国と言うことになりますね。連合に見放されビストマルトの不興を買ったとするならば、属国という提案を飲んで庇護下に入るのは悪いことではありませんから」
「ぐうの音も出ないよ。この国はヨルドシュテインの傘下に入りたがっているとは確信していたけど、まさかこんな手で来るとは思わなかった。獣人差別なんて関係なく、本命の罠は別にあったんだよ。僕はヨルドシュテインを警戒してばかりで、ビストマルトへの対策を怠った。おそらくはリュシアもそうだ。僕らはまんまとはめられたんだ」
見えない悪意がついに姿を現した。今まで息をひそめて進行していた病魔が猛威を振るい、自覚症状が出たときにはすべてが手遅れになっていた。
この国は大国二つをつなぐ橋のような形をしている。ここが落ちるということはビストマルトとヨルドシュテインの一騎打ちに発展できる形となる。
つまり、この町に来ていたビストマルトの者は蜂起を促すためではなく、それを装っただけ。ハウゼンらに警戒させ、目をそらすだけの行為。そんなことをしなくとも、この町はビストマルトのものになるというのに。
でも、そんなことになったら連合もまずいことになるのは目に見えているのではないだろうか。確かに遅れはとったが、ノレイムリアを助けない理由にはならないはずだ。
「姫様のお考えは正しいです……ですが、あまたのごみくずが姫様のように人道に基づいているわけではありません。大国二つが一騎打ちしてくれている間は平和ですから、連合としてもこの国さえ見捨てればつかの間の平穏は訪れます」
「だねー……そのために連合とは関係ないって一蹴したんだろうし、あとはあの二国が戦争している間に力をためて、いざとなったら漁夫の利を狙おうという魂胆もあるよね。そこまで見据えて無血で落とせると踏んで、実際手に入れたのだから大したものだよ」
楽しかった晩さん会の空気ははるか昔、今や戦争前の詰所のような雰囲気に肺が痛い。落ち着こうと深呼吸しても、肺が悲鳴を上げるのだ。
「でしたら、副隊長ともあろうお方がこのようなところで油を売っていて大丈夫なのでしょうか。今頃お城は利益をむさぼろうとうごめく悪鬼たちがひしめいていることかと思いますが」
「そうだね……僕は今からすぐに城へと帰るよ。はぁ、なんだか面倒なことになってきた。いやいや、元から面倒だったんだけど、さらに拍車がかかったっていうか。イグサの痕跡を上げて、君らのアキレス腱をつかめたらよかったんだけど」
「やはりそのためでしたか。ビストマルト勢を追い出すつもりがなさ過ぎると思ったんです」
「でもー、さすがにもうそんなこと言ってられなくなったからね。ネタ晴らしってことで一つ許してよ。もうここまで来たら君らがいくら強くても人外ってだけで仲間入りは困難だね。できれば、『落丁した辞書の束』のメンバーだけは連れていきたいんだけど、それも無理かなぁ。最悪僕がビストマルトの間者を疑われて失脚させられそう……なので」
「ええわかっておりますとも。どうぞ好きに置いて行ってください。ただし、不審な動きをしたら、即座に切り捨てるのでご勘弁を」
「ありがとう。確かにここはすぐさま軍事拠点となるだろうけど、そんなことさせられないよ。僕だってリーダーとしてパーティメンバーを危険にはさらせない……ラップスには怒られるだろうけどね」
にへらと笑うハウゼンは、そこで自国の利益よりメンバーの無事を優先した。大事な場面であるはずなのに、それでも彼は仲間の無事を祈るのか。
それをおれは笑えない。気持ちは痛いほどわかるから。
これでハウゼンと会うのは最後かもしれない。結局最後までこの糸目のことは憎めなかった。のらりくらりと動く彼は、誰よりもみんなの無事を祈っていた。
去り際の彼がおれを見る。細い眼光に表れているのは、確かな応援だ。
「それじゃあ姫様。今までありがとうね。これから君も大変だろうけど、それは君が強いからじゃない。やさしいからだということを忘れないでほしい」
お前までおれのことをお人よしだと言うのか。案外気づいてなかったのは本人だけなのかもしれない。
「君は今までずっと、どちらにつくのが正しいのかを探ってきた。その判断基準は利益じゃない、倫理だ。君が利益だけで動く俗物なら、僕らは大枚をはたいて君をすぐに引き込んださ。でも、そうじゃないからたちが悪い。僕とリュシアは、君が納得するだけの正義を示そうと苦心する羽目になった」
……そういえば、おれはどっちにつくのが賢いかを考えず、誰がこんな騒動を引き起こしているのかをずっと探っていた。
見つけてどうするつもりだったのだろう。根源を対処して、平和をばらまきたかったのだろうか。おれは、ひょっとして、やはり馬鹿なお人よしだったのか。
「慈悲と慈愛をつかさどるこの町の姫。さようならだ。できれば君らとともに戦いたかったよ」
やめてくれ、そんな背筋がむずがゆくなる名称。おれはただ、元の世界で培われた倫理観をこっちでも適応しただけに過ぎない。ぬるま湯の世界での価値観を、何も考えずに実行した。ただの暗愚なんだから。
入ってきた面影はなくなっていたが、騎士とは程遠いふ抜けた顔をしたままハウゼンは去っていった。夜が勢力を増した今だからこそ、ハウゼンは去るのだろう。願わくば、無事に王都まで帰ることができるといいんだけど。
結構な時間が経ってしまった。テーブルに置かれたろうそくがどろりと溶けて原型をなくし、温かみのある炎が消えてしまう。沈黙は言葉を圧制して、これから起こる時代の大波に危機感を覚えさせる。
しかし、そんな中でも声を上げる幼子が一人。彼は空気に敏感であるがゆえに、本能で自分が第一声を上げるべきだと感じたのかもしれない。
「ねえ、お話終わった? まだデザート残ってるかな?」
ステラが無垢に笑いながらヴァルにおねだりをしている。先ほどからしゃべらず我慢してきた反動か、今は尻尾や羽をめいめいに動かして文字通り羽を伸ばしている。
「ええ、まだあまりがあると思いますよステラ。さすがに体が大きいとたくさん食べますね」
「おれも食べるぞヴァル! 考え事してたら腹が減ったからな!」
「子供相手にむきになるなよハンテル。まさか余りを全部食べるつもりじゃないだろうな」
「いやいや、全然いけるぞおれは。せっかく作ってくれたのに、残したらもったいないだろう」
「それもそうか。なら、今から全部持ってくる。好きなだけ食べるといいさ」
「サンキューヴァル!」
ハンテルのいやに明るい声でおれは金縛りから解放されていくのがわかる。やはりハンテルの気配りは大したものだと思いつつ、温まった思考回路がこれからを予見させる。
これからきっと、大変なことが起こるのだろう。国が二分されるんだ、当然か。
「……それにしても、生きた心地がしませんでした」
げっそりつぶやくのは元ハイエナ。あからさまの安堵を浮かべながら、ストレスによって攻撃された胃をいたわるように撫でていた。
「さすがにこれだけ見た目が変わったら大丈夫だと思うのですけど、万が一ということもありましたし……。危うく食べたものを戻すところでした」
確かに、イグサのことをすっかり忘れてた。変化させた後で本当によかった。
賑わいを取り戻してきたホールでようやく一息ついていると、目の前にいれたての紅茶が置かれた。鼻孔をくすぐるなじみに香りに、ようやく心が安寧を取り戻す。
すっかり安定剤となった日常の一部を淹れてくれたのは誰だろうと首をひねると、小さな兎がにっこりと微笑んでいた。
「どうぞ姫様、ヴァルが入れてくれたお茶でございます」
口調を作って執事気分を堪能しているレートビィは恭しく一礼して、手に持ったお盆をくるくると回す。
「ヴァルが僕なら執事に向いてるって言ってくれたから、それらしくしてみたよ」
こんな可愛らしい執事に給仕されてしまっては、チップをあげるのが礼儀というものだろう。おれは手を伸ばし、白くてふわふわした頭をなでてやることにした。
レートビィは人前ということもあってちょっと恥ずかしそうに逡巡したものの、おとなしく目を細めて享受することにしたようだ。くすぐったそうにしながらも、嬉しそうに喉が笑っている。
「あのね、これからいろんなことが起こるだろうけど、僕らは姫様の決めたことに従うから。だから安心してね、僕が守ってあげる!」
「それは頼もしいな。ありがとう、レートビィ」
ああ、やっぱりみんなに心配かけてるんだなあおれは。表情を隠すのが下手だから、今だって不安そうにしていたんだろう。だからヴァルはレートビィにお茶を持っていくよう頼んだのかな。あの狼執事は慰めとか不得手だと自覚してるから。
こんなおれだけど、きちんとついてきてくれる。それはとてもありがたいことだ。
だからせめて、できる範囲で背伸びをしよう。こいつらが胸を張って誇れるように。
何度でも思うけど、こいつらがいてくれてよかった。おれ一人でこんな世界に飛ばされたのなら、とっくに心なんか折れていた。柔らかな毛の感触をかみしめつつ、感謝を込めて撫でていく。
だが、これに納得がいかないのはハンテルだ。さっき立候補しておいて、執事役のおいしいところをレートビィに取られてはふてくされてしまうのも仕方ない。
なので虎はレートビィの反対に陣取って、おれにぴたりと密着する。はばかることなく喉を鳴らすおまえにプライドという文字はないのか。
「おれだって姫様のためになんでもするぞ。姫様がおれを撫でてくれるなら、一騎当千の働きをご覧にいれようって感じで!」
報酬制かよ! ちなみに、一撫ででどれくらい働くんだ?
「頭なら一騎当百、腹なら一騎当千、喉なら一騎当万だな!」
しかも部位別かよ。撫でるだけでその働きなのは安すぎてぼったくられてるので、こいつの頭が心配になるレベル。
「いえ、そのようなことはありません。むしろ、姫様の騎士でありながら不埒な報酬を要求すること自体が不遜なことでございます。この馬鹿には一度、しっかりとお灸をすえるのがよろしいかと」
後ろに表れたヴァルさんから怒気がほとばしってますね。ハンテルがひきつった顔で後ろを振り返ると、大量の料理を乗せたお盆を持つ狼守護神の姿が確認できるだろう。
ヴァルはそのお盆をハンテルの頭の上に遠慮なく落としやがった。虎の首がさらに短くなって毛皮に埋まるのはギャグマンガ表現かと思うぞ。
「ほら、餌だ。食え」
「相変わらず容赦ねえなヴァル……。いいじゃねえか、無償でも当然働くけど、報酬があったほうがやる気出るだろ?」
「姫様の手を煩わせるような報酬以外なら私もここまで怒ったりはしない」
心情としてはハンテルの言う通りなんだよなあ。おれにできることならねぎらいたいって気持ちは当然ある。それに、さっきハンテルを慰めようって決めたばっかりだしな。
なので、怒れるヴァルをなだめ、ハンテルに要望を聞いてみる。お前が求める報酬は何か、と。
「おれはな、姫様のペットになりたいんだ!」
字面の不健全さが半端ねえな! 聞かなきゃよかった!
「姫様の腰かけとして、雰囲気出しの道具にしてほしい。猛獣を従えるボス、みたいな感じで」
あーはいはい、漫画とかで悪女がたまに猛獣に腰かけてるシーンあるよな。いやおまえ完全に人型じゃねえか。おれに何させるつもりだ。
「……殺しますか?」
まってヴァル! 確かにちょっとひいたけど、殺すほどではないから! だからその殺意をしまって、ステラが泣いちゃう!
あまり意味がわからず首をかしげるレートビィに理解される前にこの話題をとっとと打ち切ろう。ハンテルへの褒美は、まあ、何か思いついたらっということで。さすがにそんな恥ずかしい真似はできないぞおれ。
気が付いたら、お茶はすっかり冷めてしまっていた。だけど、それでいいのだ。お茶よりもこいつらのほうがずっと温かいのだから。
目の前のにぎやかな団らんを見ながら、おれはまた一つ決意を固める。
ここを守りたいと、強く。




