食事会と暗雲
「姫さまー! こんばんはー!」
「こんばんは、ステラ。元気だったかい?」
「もっちろーん! 今日も森でモンスター退治してきたよ!」
ギルドホールで開かれたささやかな晩さん会の席で、ステラが楽しそうに口を開いた。隣ではイグサがおっとりとほほ笑んでおり、よきお父さんとしての本領を発揮している。
「姫様はご存じないかもしれませんが、ステラはもともとが最上級モンスター。それが姫様の加護を経てからさらに力を増やしたようでして、ここら辺のモンスターでステラにかなうものはおりません」
「お父さんと一緒にたくさん訓練してるんだよ!」
いや知ってましたけどね、前にゴウランが誘うところ見てたし。
三対の翼をもつステラの隣で、イグサがニコニコと微笑んでいる。最初に出会った時の、こけた骸骨のような雰囲気は今の彼にはない。世界に恨み言を投げかけていた執念ももはや昔、今は立派な父親としてステラと暮らしている。
しかし、その見た目は以前のハイエナ獣人ではない。今のイグサは灰色の毛皮を持つ狼であり、この町で獣人を見慣れたおれからすると無個性と言ってもいいくらい地味な姿になっている。唯一元の姿を残しているのは、頭上でとがっているたてがみくらいのものだろう。イグサがたてがみをいじる癖があるということで、そこだけは残しておいた。
ヴァルが写本した魔導書に書かれていた呪文によって、今やイグサは全くの別人に変化した。解呪系や探査系の呪文でも影響がないほど強固な呪文らしく、それこそ天級魔法でもない限り解呪など不可能とのこと。
この晩さん会は変化後のイグサをお披露目する意味も含めての物だ。発案者であるブレズはこのためにみんなにお願いして回っていたそうな。
「どうでしょう姫様。ホリーク様のおかげで全くの別人になれました」
「そうだな、言われてもイグサとは気づきそうもない」
もちろん細かい仕草は本人そのものなんだけど、声とか骨格が全くの別物だ。
聞いた話、イグサにかけた『上書きされた設計図』は体そのものを変化させる魔法らしく、骨とかがごりごり変わっていくもののようだ。
骨と骨がごきんごきんと接合と成長を繰り返していくのはかなりの苦痛らしく、遮音の魔法がなかったら町中にイグサの悲鳴が響き渡っていたことだろう。終わってからも丸一日寝込むくらいだ、冗談を装っておれを男に変えてみてとホリークに言ったら、それだけは勘弁してくださいと土下座された。あのホリークがだ。男になりたい気持ちはあるのだが、ちょっとしり込みしてしまったのも否めない。
それくらいの苦痛に耐えたのだと考えると、ねぎらうためには晩さん会くらい開くのも当然だろう。
「お手伝い! お手伝いするね!」
ステラはハンテルに次いでこの中では四番目に大きく、三対の翼も相まってまともな服など着れない体形になっている。だから、今日は裸の上半身にマントのような羽織物だけといった格好だ。
見た目だけなら、紺色の体躯とちりばめられた光の粒を誇る歴戦の猛者だろうが、ひとたび口を開けば無垢な子供に過ぎない。
そんなステラはお行儀よく羽織っていたマントを入り口の置物にかけて、キッチンへと向かった。
「ヴァルー、お手伝いしに来たよ!」
「そうか、ならこれを持って行ってくれ」
「わかった。こぼしたらごめんね!」
「待て、待て。お前はそんな頻繁にこぼすのか」
「一日三回までなら大丈夫だってお父さんが言ってた」
「…………そうか。だとしたらおとなしく座っていてくれ」
あ、追い出された。膨れた顔をしながら、こっちに戻ってきて、踵を返して……おお、再チャレンジか。ガッツあるなあ。
「やっぱり手伝う! これ持っていくね!」
「こぼすなよ。絶対にだ」
「任せて! ……あれ」
「なんで料理を持っていくのに下の土台ごと持ち上げてるんだお前は。ふむ、壁から見事にはがされている。もうこの土台は使えないな。あとでホリークに頼んで修理してもらわないと」
「ごめんなさい……」
「力みすぎだ。人の体はまだ慣れないだろうが、力量の制御ぐらいはできるようになっておけ。そうだな……ならその土台をそのまま持っててくれ、机がないと作業ができない」
「まかせて!」
なんとほほえましいんだ。見てなくとも頬が緩んでしまうぞ。
ここ最近はずっと緊張の連続だったから、こんな空気は久しぶりだ。おれは少しでも堪能しようと肺一杯に吸い込んで、大きな深呼吸をした。
向かいの席に座ったイグサがまなじりを下げ、萎縮したように頭を垂れた。どうやらステラを人型に強化して以来、こいつからも崇敬に似た感情を向けられてしまっている。
「申し訳ありません、姫様。あとできつく言い聞かせますので、なにとぞご無礼をお許しください」
「え、いやいいよ。あのくらいすぐ直せるし」
「ありがとうございます。それと……」
息子を助けてくれた恩人に、元ハイエナはさらに申し訳なさそうに頭の角度を下げる。下げすぎて机にゴリゴリこすりつけているんだけど、そこは全く気にせずひたすらに陳謝している。
「どうやら私の身の上を巡って、頭を抱えていた様子」
「……そうだな。ハウゼンらに見つからないようにこそこそと、肩身の狭い思いをさせてしまった。悪い」
「私のことはどうでもいいのです。私は罪人です。それが今、こんなに幸せに暮らしている。独り身の私に、あなたは息子を授けてくださった。短い間でしたが、その思い出があれば悔いはありません」
「何が言いたい……?」
そこでイグサはようやく面を上げる。揺るがぬ決意を目に宿し、おれに訴えかけていく。
「これ以上負担はかけられません。もしまた厄介ごとの引き金になったとしたら、どうか、処分なさってください。そうすれば、貴方様は大手を振って町を歩けます」
「そんなことできるわけ――」
「ですが、どうかステラだけはお許しください。あの子に罪はございません。あの通り中身は子供ですが、実力は最上級モンスターそのもの。決して姫様の足はひっぱりません」
「そのために、お前は……」
そのために、ステラにモンスターを狩らせていたのか。役に立つと納得させるために。おれの手元においておけるように。
ドンッ! と机におれのこぶしを打ち付ける。そこまで考えて、おれの頭に言いようのない不快感が湧き上がってきていたのだ。
一気に音が遠のいてしまった空間で、おれが歯をかみしめる音だけが鮮明に聞こえる。イグサはおれが怒ると思っていなかったようで、うろたえながら耳をへこたれさせた。
なんで、どいつもこいつも死にたがるんだ。
おれをかばったブレズだってそうだ、みんなおれのために死にたがる。
脳裏に焼けていく獅子が浮かぶ。おれの目の届かないところで死んだら、もう会えないというのに。この蘇生魔法が意味をなさないまま、もう永久に会うことなどできないというのに。
それでもなお、こいつらは死ぬという。わかったうえで、おれを生かすために。
「それは許さないからな」
もはやおれは自分が美少女だということすら忘れ、長いまつげに縁どられた目でイグサをにらみつけた。
リュシアらとの会合で、おれは自分がなぜ躊躇していたのか分からなかった。
それと同じ感情が、今もこの胸で渦巻いている。ビーグロウが死んでより強固になった感情が、それをいやだと叫ぶ。
「姫様はお優しすぎます。私はいわば、この集落にとっての弱点。戦争前にそのような弱点を抱えていては、誰のいいように操られてしまうでしょう」
「それでもだ! おれは、絶対に許さない!」
優しいわけじゃないんだ。ただ、見たくないだけ。
ステラがあんなに楽しそうに笑っているのに、それを壊すことはできない。壊したくない。そこにはイグサがいないとダメなんだ。
わがままだなんて百も承知している。おれは、自分のまわりを守りたいんだ。
「わがままなんかじゃないだろう」
いつの間にか隣にやってきたホリークが、腰を曲げておれと目線を合わせていた。
「あいつらが戦争をする理由なんて自国のためだろうし、兵たちだって自国を――つまり自分の周りを守りたいだけだろ要するに。姫様にとってそれが、この町、もしくはおれらだってだけで、根本にあるのは何一つ変わらない」
「そうかな……」
「あのなぁ姫様。友達が死ぬのを喜ぶ人なんているわけねえだろ」
「え、友達……いや、でも、会って間もないし、おれはそんなお人よしじゃないし」
「十分お人よしだろうが姫様は。じゃなきゃ、なんでこの町にこだわる。なんで初めからイグサを助けようと思った。自覚してないから言うけどよ、姫様、あんたはかなりのお人よしだ」
ホリークは真摯に訴えかけており、おれの葛藤を洗い流してくれる。
それに追従して、兎がおれの手を握って微笑んだ。無垢ながらもかわいい兎は、こちらを信じ切った笑みでおれを優しいと言ってくれる。
「そうそう、姫様はすんごくいい人なんだよ。仕えてる僕も鼻が高いくらい」
「そうなのかな、レートビィ。おれは、自分を今までいい奴だなんて思ったことなかったんだけど……」
「僕らに任せきりなのが嫌で、自分も役に立ちたいっていつも気を配ってくれている姫様がいい奴じゃないわけないよ。少なくとも、僕にとって姫様はすごく優しい人だよ」
「ありがとう、でも……」
こいつらからするとおれは優しいのだろう。だけど、そのためにこいつらには迷惑をかけている、変身の魔法を見つけてもらったり事件の裏方探しをしてもらったり。
拾わなくていい火中の栗を、おれのために拾い続けてくれている。
「姫様、これだけは何度でも言うぞ」
おれが戸惑っていると、鷲は見たこともないほどに真剣なまなざしをおれに注ぐ。こいつにとって絶対に譲れないものを語るその姿は、平時よりも若く、そして精悍だ。
凛々しい鷲は片膝をついて座っているおれを見上げてくちばしを開く。
「おれらは姫様の物だ。姫様が行くならどこにだって行く。なんだってする。姫様はいつでもおれらに優しい。それでおれらは十分だし、姫様がいてくれるというだけで、おれらにとってはこれ以上ない報酬なんだ。だから、ためらう必要なんてない。姫様が今までしてきたことで、おれらのことをないがしろにすることなんて今まで一度もなかった。おれは、姫様のためなら世界を敵に回してもいい」
それはあまりにも率直すぎて、コミュ障にはまぶしすぎるほど。画面越しの交流しかしてこなかったおれには、その瞳は鋭すぎる。
く、くどかれてるみたいだなこれ……。おれ中身は男なんだけど、さすがに今のはちょっとくるものがあった。ひょっとして、こいつ案外もてるのかもしれない。
「姫様の出した結論に文句を言うやつは、ここに一人もいない。好きなようにしたらいいさ。知恵ならいくらでも貸す」
言いたいことを言い終えたホリークは立ち上がり、ローブを引きずりながら席へと戻っていく。おれは投げかけられた言葉に心が熱くなっていくまま、頬に伝播した熱を持て余していた。
そばで聞いていた虎も竜もそれが当然のようにふるまい、おれの前を整えていく。
おれも何か手伝ったほうがいいんだろうけど、じんわりと温かくなる感情の余韻をかみしめるのに忙しくて、ぼうっとしてしまっていた。
傷心中のおれに一番よく効く特効薬。後ろで支えてくれているんだという安心感が、おれを立ち直らせてくれる。
寂しかったテーブルにどんどん料理が運ばれてくる。それにしたがって、おれの心も賑わいだっていくようだ。装飾品のろうそくに灯った火がいつもより明るく見えるのは、決して気のせいなんかじゃないだろう。
「お待たせしました姫様。支度が整いました。ぜひ、ご賞味ください」
最後にヴァルが沸かしたてのポットを持ってきて、こちらにやってきた。後ろでステラがカートを引いており、そのうえでカップがかちゃかちゃと揺れている。
ポットまで乗せると倒されると思ったんだろうな。ナフキンを持ちながらヴァルはしきりに後ろを気にしている。
大きいテーブルの所狭しと並べられた料理はどれも見目麗しく、出来立ての匂いを漂わせホールを家庭的な温かさで満たしていく。カラカ鳥の丸焼きは七面鳥にとてもよく似てるし、オンプシャーとかいう穀物のポタージュは香辛料が効いていて刺激の強いビシソワーズを思わせる。
どれもこれもヴァルと見習い執事のブレズが丹精込めて作ってくれた料理だ。澄み切ったコンソメ風の煮物の中で、ヴァルが切ったであろうきれいな野菜に交じってブレズが切ったであろう少し不格好な野菜が悪目立ちしている。
まだ慣れてなかったんだろうなと思って竜をちらりとうかがうと、大剣を扱う騎士の袖口に赤いしみがわずかに見えた。傷自体はすぐ治せても、こういうところに努力の跡は残るものなのだろう。おれの視線に気づいたブレズが、照れくさそうに笑って袖口を隠すのもまた、なんともほほえましいものだ。
ああ、ああ、そうだな。本当におれは、いつのまにか、ここが好きになっていたんだな。それこそ、無意識に町のことを案じるくらいには。
おれはみんなの期待を受けて当たり前のように立ち上がる。
立場が人を作るから、今のおれはこいつらの頭だ。おれが音頭を取らないと、みんなが食べられないだろう?
執事服を着て立ったままの二人以外は、みんな席について今か今かと待っている。浮足立った虎のしっぽが踊り、兎はティーカップに口をつけていいものかどうか悩んで水面の自分とにらめっこ。
自然とこぼれた笑みのまま、おれは口を開く。
「みんな、今日はありがとう。豪華な料理を作ってくれたヴァルデックとブレグリズ、材料を集めてくれたハンテル、ホリーク。掃除と飾りつけをしてくれたレートビィ。そして――」
紺色の星空を持つ竜はキラキラと目を輝かせており、両手にフォークとスプーンを持って待ち焦がれている。せわしなく動く三対の羽に合わせて、テーブルクロスがふらふら揺れた。
イグサは緊張に身を固くして、灰色に変わったたてがみが崩れていないかしきりに気にしている。先ほどまであった決意も覚悟もなく、この暖かな雰囲気を毛先までのすべてで堪能しているようだ。
「ステラもイグサも、来てくれてありがとう。大したもてなしはできないかもしれないが、存分に楽しんでほしい」
お前は何もしてないだろ、なんて突っ込みはもう聞こえない。慣れてきたせいなのか、主が板についてきたせいなのか。どっちにしろ、こいつらにとってそれはありがたいことのはずだ。
そのままおれらは食卓を囲み、和やかな雰囲気でそれを彩った。ハンテルがする馬鹿をヴァルがたしなめ、ホリークがちまちま食べる横でレートビィがもっと食べたほうがいいと山を載せた取り皿を押し付けている。しゃがみこんだブレズは苦い顔をしながらも好き嫌いを克服したステラを誉めたたえ、それをイグサが我がごとのように喜んでいた。
まるで写真を切り取ったかのような団らん。おれにとって今まで縁のなかった、幸せの形。
おれの胸から、温かい感情があふれ出て止まらない。
わけのわからないままいろんなものに流されてここまで来てしまったけど、目の前の団らんは尊いもので、かけがえのない風景を守りたいと素直に思う。
おれなんてただゲームばかりしてた社会不適応者だし、ここに来てからもまともに役立ってないし、やることなすこと失敗だらけでみんなにいらぬ心配をさせちゃうし。
だけど、報われた気になってしまうのはなんでだろうな。
「あまり手が進んでおりませんが、お口に合わなかったでしょうか」
「いや、そんなことないよヴァル。おいしい……うん、とてもおいしいよ」
とっさに浮かべた表情がどんなものになっていたのか分からなかったが、ヴァルがわずかに身を固くしたところを見るといつも通りとは言えなかったみたいだ。
ヴァルは考え込むように目線をそらした後、ステラに付き添って料理を取り分けているブレズに近寄っていく。その後二、三言葉を交わしたのちに、ブレズとともに戻ってきた。
「いかがなさいました、姫様。何やら思うところがおありの様子ですが?」
「気のせい気のせい。おれはヴァルにおいしいと素直に伝えただけだよ」
一つ言葉を交わしただけで、ブレズにはなにか合点がいったようだ。竜の口から漏らすため息には安堵が多分に含まれている気がした。
「どうやらそのようですな。憑き物が落ちたお顔をしていらっしゃる」
「お騒がせして申し訳ありません。私はどうにも人の感情に疎いようでして。こうしてブレズに確認してもらいました。今宵の晩さん会は姫様を励まそうとブレズが企画したもの、お力になれたのならブレズも喜ぶことでしょう」
「……どうしてお前はばらしてしまうんだ。姫様に余計な気をつかわせるんじゃない」
「別に隠すこともないと思うがね。姫様のために我らが気をもむのは当然のことだろうに」
「だからお前はこうしていちいち私に確認しないと姫様の感情がわからないんだ。あれはどう見ても、そんな気を使わせて申し訳ないという表情だぞ」
恥ずかしいからブレズもそんなふうに顔を読まないでくれるかな!
仕事は完璧だが感情に疎いヴァルと、仕事は発展途上だが感情に敏いブレズか。あんがいいいコンビなのかもしれないな。
だけど、どちらも不器用であることに変わりない。ヴァルが良かれと思って進言したのは、これがブレズの手柄だと強調するために違いないのだから。
それならおれは応える必要がある。ブレズに視線を合わせて、感謝の言葉を投げかけよう。
「ありがとうブレズ。王宮の事件からずっと、おれのことを心配してくれていたんだよな」
「姫様の嘆きは我が身のことと同じ、当然のことをしたまでです」
とか何とか言いつつ、その尻尾は嬉しそうにのたうっているぞ。本当に感情を隠すのが難しい種族だ。
そのことを指摘してやろうと思ってにやりと笑っていたら、横から不機嫌面したハンテルがずずいっと割り込んできた。
「ブレズばっかりずるい! おれも姫様と宮中ロマンスに明け暮れて、かっこよく敵を迎撃しておなかとか撫でてもらいたかったんだぞ!」
「私はお前と違って撫でられて喜ぶ趣味はない。今回は姫様の慈悲によるところが大きく、お前も仕事をきちんとこなせばいずれ機会も訪れるはずだ」
「あーあ、こんなことならおれも執事修行しとけばよかったなあ。今からでも遅くない、どうだヴァル! ここに入門希望者がいるぞ」
「お前は絶望的に向いていないから断固拒否だ。まずはその品性のない顔を作り変えてから出直して来い」
「さらりとえげつないこと言うのやめろよ!」
言われてみれば、最近はハンテルともなかなかコミュニケーションが取れてなかったな。おれが王都に行くと決まってからはヴァルからマナーを教わるのに忙しく、帰ってからは傷心状態で気が乗らなかった。
その間ハンテルが撫でてと言ってくることもなかったし、なんだか申し訳なくなってくる。みんなには、結構気を使わせていたようだ。
ならば、今日ぐらいはいいだろう。手を伸ばしてハンテルの腹に手を当てる。さすがに頭には届かなかったので、腹をぽんぽんとするだけで許してくれ。
服越しではあるが布の下にもふもふした感触が感じられる。きちんと毎日手入れしている毛皮は、さぞかしやわらかいのだろう。
まあこれでいいか。おれは十分量だと判断したのだけど、どうやらハンテルからすれば物足りなかったみたいだ。服を思いっきりまくしたて、ファサァとおなかの白い毛をさらけ出してきやがった。
「姫様、どうぞ!」
いやどうぞじゃねえよ。いくらお前がネコ科だろうと、おれには成人男性を撫でて喜ぶ趣味なんて持ち合わせてねえんだよ。こんなことなら素直に頭にしとけばよかった。
なんて感情が露骨に出てたのだろう、ブレズとヴァルが即座にハンテルを抱えて裏方に引きずっていく。その絵面は完璧に連行される犯罪者だ。セクハラという点では何一つ間違っていないし、おとなしく逮捕されてくれ。
うるさいのがいなくなると、今までの賑わいが嘘のように一気に凪いでしまった。それはそれでさみしいなと思っていた矢先に、今度はホリークがげっそりした顔で助けを求めてきた。
「頼む姫様。レビィになんとか言ってやってくれ。こいつ、食べても食べてもおれの皿にものを乗せてくるんだ」
「だって、ホリークってば最近全く食べてないんだよ。魔法習得に忙しいだとか、ハンテルの手伝いで暇がないとか言ってさ。姫様からも何とか言ってよ」
「お前の見てないところできちんと食べてるんだよ。気にしないでくれ」
「嘘はよくないよ。誰も見てないのをいいことに、好き嫌いばっかりしてるじゃないか。ちゃんと食べないと大きくなれないよ」
「お前より十分大きいだろうが……」
ホリークががっくり肩を落としながら言うけれど、確かに好き嫌いはよくないな。それに、最近ホリークも忙しかったのだから、レートビィの言う通りに食べないとダメだ。ただでさえ、ホリークは熱中するといろんなものをすっとばすんだから。
それを伝えると、鷲は絶望にまみれた顔になってこの世に救いなどないことを知ってしまった。いやいや、そんな顔するほどのことじゃなくない?
対照的に、レートビィはそれみたことかと自信をにじませて、さらにホリークに詰め寄った。
「ほら、姫様もそういってるんだからさ。せめて野菜ぐらいは食べようよ」
「野菜なんて食べなくても、おれは自分で栄養剤を合成できるからな。それを摂取するからいいだろ、姫様?」
「好き嫌いは感心しないぞホリーク。いかなる時でも姫様のために万全を期すには、日ごろの体調管理が大事なのだから」
「ブレズまで来たのか……」
追い打ちの加勢を確認して、ホリークは退路が断たれたことを感じ取った。このまじめ極まりない二人を相手にするには、自分はあまりにも不利なのだと理解している。
これが無関心の塊であるヴァルや食欲の塊であるハンテルなら楽にあしらえるのだが、善意とおせっかいの塊のようなこの二人を相手取るには、ホリークでは分が悪すぎた。
最後の救いを、と思いおれに助けを乞う視線を送るのだが、残念だったな、おれは好き嫌いなどないのだよ。廃人生活は偏食極まりないだけで、食べれないものはないのだ。
なので、ちゃんと食べなきゃだめだよ、と無言で語る美少女スマイルを発動。こんなにかわいい笑顔を見ながらも、ホリークはなぜだか喉からひきつった声を漏らすじゃないか。裏に潜む好奇心に感づかれたか。
「うぅ……くそう……」
文句を言いながらもホリークさんはコンソメ風の煮物料理から野菜を掬い取って口へと向かわせる。手に持つスプーンが拒否反応で震えているが、おれらの視線が圧力となって止まることを許してくれない。
見た目からしていかにも子供が嫌いそうな緑色の野菜をくちばしでほおばって、ホリークの舌はその味を正確に脳へと伝えた。大嫌いな苦みと青臭さが嫌悪を想起させ、きれいな羽が一気に逆立った。
「うぐぅぅぅぅぅ……」
おお、けだるげな表情がデフォなホリークさんが、涙目でうめいていらっしゃる。本当に嫌いなんだな……。なんだか悪いことをしてしまった気になる。
猫背だが長身の部類に入る鷲が、野菜一つで死にかけている。HPが見える世界だったのなら、どのくらい減っているのかが見えたのになあ。
拒否反応を起こす味蕾と格闘すること数分。呑み込めばいいのにそれができないつらさを延々と味わったホリークは、ついに嚥下して勝利を収めることに成功した。
胃に叩き落した後、あたかも長距離を走った後のように荒い息を吐いて苦労を如実に物語る。うんうん、よくやった。ご苦労様。
「やった! やったねホリーク! 君は今大きな一歩を踏み出したんだ!」
「うむ、私も仲間として誇らしいぞ。これで君は新たな血肉を手に入れたのだ」
「……ぜえ、ぜえ……お前ら、大げさすぎるだろ……なんでこんなまずいものが食べ物として認知されているのか不思議で仕方がない。これは絶対にどこかの陰謀だ。犯人を見つけたら消し炭にしてやる……」
おおう、負の波動がほとばしっていらっしゃる。よほど腹に据えかねたんだな。
闇堕ち寸前のホリークは普段より三割増しに剣呑な眼光を振りまいていたが、幼いステラにそんなことがわかるはずもなく。仲間を見つけた喜びを浮かべたまま、無邪気に思いを伝えるのだ。
「あ、ホリークもそれ嫌いなんだね。でも、僕はもう三つも食べれるようになったからね」
「あー……そうか、それは、まあ、えらいな」
「ふふん!」
だからなんだと言いたげな鷲だったが、胸を張るステラを前にしてはあいまいに言葉を濁すだけにしたようだ。今の彼に他人を気遣う余裕などまったくなさそう。
あれ、ブレズは戻ってきたけど、そういえばほかの二人は?
「ハンテルはヴァルに説教を受けているようですね。私としてはそこまで怒らなくとも、とは言ったのですけど」
うむ、確かにいつものハンテルなのでおれはそこまで気にしていないけど、あれはどう見てもセクハラだしなあ。調子に乗るとあっさり下も脱ぎだしそうなのは怖い。でもさすがにかわいそうなので、後でこっそり慰めておこう。もとはと言えばおれが気を使わせてしまったのが原因だし。
そんなこんなでつつがなく朗らかに晩さん会は進み、夜の星がきらめきを強くしたことでそろそろお開きかと思われたその時だった。
――――嫌な知らせが飛び込んできたのは。




