(番外編)ホリークの一日
朝は苦手だ。寝ぼけ眼をこすって、のそりと目を覚ます。
どうやら机に向かって作業をしていて、そのまま寝てしまったようだ。座ったまま背筋を伸ばし、外を確認する。
朝日はこれでもかと生き物の活動時間を強調し、否が応にも快適な眠りからたたき起こそうとしてきやがる。もっとも、寝ていたらヴァルから起こされるのであまり変わらないが。
「さて、今日は何をするんだったか」
いつも不機嫌そうだと言われる声が寝起きということもあって地の底から響くような声になっている。机の上にあった水を一気に流し込んで、頭を働かせていく。
ヴァルたちが情報収集にいそしんでいる間、おれは道具制作などの裏方を一気に引き受けており、机の上は部品でしっちゃかめっちゃかだ。毎回ヴァルに片付けろと怒られているのだが、めんどうくさいので勘弁してほしい。
ああ、そういえば魔道具を作りかけのまま寝てしまったのだったか。姫様の自衛のために武器の一つでもと思って作り始めたのだが、どうやら興が乗りすぎてしまっている。
「……ふむ、ふむ。これを渡すと確実にヴァルに怒られるな」
机の上に鎮座しているのは作りかけの拳銃。それも超特大な。
マシンガンという概念を姫様から聞いて、いてもたってもいられずに作り始めてしまった。女性でも扱える小型にしようと思っていたのだが、目の前にある部品はどう見てもブレズなどの巨漢用だ。
「これは失敗だな」
むしろ寝る前に気づいてほしかったのだが、没頭するとついつい無駄なものを作ってしまうのがおれの悪い癖だな。まあこれは後でレートビィあたりにでも渡すか。あいつなら難なく使えるだろう。
おれは別に鍛冶屋でも職人でもないので、どうしたって作れるもののランクは低い。完全な魔法使いであるがゆえに、魔法を使うことに特化しすぎている。今のままでも世界基準では十分すぎるのだが、天級魔法を使える身からすると見劣りすることは否めない。
それでも制作スキルをこれだけ詰め込めるのは姫様の奇跡的な御業であり、感謝こそすれ難癖をつけるつもりは一切ない。それに、こうしていじくりまわしていたらスキルが成長してくれるかもしれないからな。
「……ふむ、なら図書館にでも行くかな」
ハンテルと町の改造をするのは午後からの予定だ。おれが絶対に午前中に起きてくることはないだろうと踏んでのことであり、そこら辺の配慮は地味に助かっている。
珍しく早めに起きたのだからハンテルを手伝ってもいいのだが、せっかく時間があるうちに調べ物を済ませておきたい。調べ物というか、勉学か。新しい魔法に触れる機会があるのなら、それを優先させたい。
おっとしまった。朝ご飯がまだだった。おれは別に食べなくてもいいのだが、そうするとブレズあたりがうるさいんだ。これに関しては姫様からも言われているので、しっかりと順守する心づもりでもある。
『せっかくなんだから、一緒に食べればいいのに』
……あー、姫様がそういえばそんなことを言っていたな。なるほど、だからこんな朝に起きれたのか。
椅子から降りて、軽く羽毛をはたいて整える。『思考伝達』でヴァルに確認すると、どうやら今から朝食のようだ。ふむ、自分の体内時計も案外捨てたものではないな。
別におれは味気ない栄養食でもいいんだがなあ。食べている時間がもったいない。
しかし、姫様がお待ちだと言われてしまえば行かざるを得ないだろう。おれはできるだけ羽を整えて部屋から出ることにした。
――――しまった、服を着るのを忘れていた。めんどくさいのでおれだけ全裸でいい法律でも姫様が作ってくれないものか。別に見られて困るものがあるわけでもないのに。
寝巻代わりにとヴァルから押し付けられたローブにそでを通し、今度こそ食堂へと向かう。まあ、前を閉じるのがめんどくさいので本当に羽織っただけだが、別にいいだろう。言われたことはきちんとしている。
……やはり怒られてしまった。
****
イグサという司書が来てくれたのは個人的にありがたい。蔵書目録を作り始めた彼に聞いてみたところ、目当ての本を確認するとどうやらこの町にはないようだ。なれば王都に行くしかないだろう。
おれはすぐさま魔法で飛び、豪華な建物に足を踏み入れることにした。もちろん、きちんとローブを着こんで。
王立図書館はこの国で最も蔵書がある建物だろう。ネーストにあるさびれた図書館などとはわけが違う。ここには過去の魔法も多数収録されており、おれにとっては最高の学び舎だ。
難点といえば、おれが入った瞬間に侮蔑的な視線さらされることか。羽毛もそよがない視線など些事に等しいのでどうでもいいがな。
ここは天井一杯まで本を詰め込んだ棚が所狭しと並び、ヴァルが見たら卒倒しそうなほど乱雑とした空間だ。おれの何倍もの高さを誇る天井に、知識という知識が詰め込まれている。
日光を避けるように作られた穴蔵は、しかし、魔法で作った点々とした光源で成り立っている。いくつもの光源は柔らかな温かさを灯らせ、妖精のようにあたりを浮遊していた。綿毛を思わせる光源を一つつまむと、そのままおれのそばに引っ付いてくる。図書館内でなら自由に使える光源はまるで人懐っこい猫のように、ふわふわと前を照らしてくれた。
脚立に載って本をとるもよし、浮遊するかごを貸し出してもらいそれに乗ってもよし。本当ならおれもかごを使いたいのだが、人外に貸してくれるとは思えない。めんどくさいが脚立を使うとしようか。
おれは入口前のカウンターに行くと、敵意をむき出しにした司書に許可証を見せつける。お世辞にも識字率が高いとは言えない国で、これらの蔵書はまさに英知の結晶だ。当然のように使える人は限られている。
司書はお前ごときがと言わんばかりの目で睥睨しているが、許可証を見せられては文句を言えるわけもない。まあ、これはおれが作った偽物なのだがな。ばれなければいいんだ。別に本なんて減るものでもないのだから。
この程度の魔法証なんて簡単に偽造できる。おれは悠々と奥へ足を踏み入れ、目当ての本を探すとしよう。
「ふむ、前はここまで見たのだったな」
魔法を収めている本棚を前に、おれは呟く。興味ありそうな本を探すのも一苦労なほどの蔵書だ。前は棚を一つや二つ見るだけで時間が来てしまった。
午後までどこまでつぶせるものか。とにかく、いけるところまで行くとしよう。
棚を見る。本をとる。棚を見る。本をとる。
脚立を使い、天井まで余すことなく背表紙を確認する。たまに興味がわいたものを開き、面白そうだったら手に取ることにする。
そうして出来上がったのは小さな本の塔だ。そびえる棚に比べると小さいものだが、しまったな、午後までに読み切れる気がしないぞ。
しょうがないから興味の度合いで優先順位を割り振るか。まずはこれだな、『魔法で成長させた農作物の特色に関する論文』。最近の姫様は町の発展にも尽力している。これで役に立てればいいのだが。
魔法を全く使わずに育てた農作物群と植物魔法によって作物を成長させた群との対象実験の結果がつらつらと並んでおり、おれはそれを脳みそに刻み込んでいく。植物魔法も使えないことはないので、この論文の結果次第ではおれの仕事が一つ増えることだろう。
そんな時だ、おれに声がかけられたのは。
「おいケダモノ、その本はおれが読もうと思っていたんだ」
めんどくさいので無視。あいにくこっちは忙しいんだ、かまってほしければ別の人にしてくれ。
「聞いてるのか!」
「聞こえているが、返事をする価値がないと判断した。もう少しで読み終わる、そのくらい待っていろ」
騒がれると快適な読書に支障が出るので、おれは最低限の言葉を叩きつけて黙らせる。
だが、それが気に食わなかったようで、声の主はさらに音量を上げてなにやら騒いでいる。あいにく言葉を理解するのがめんどくさいから断片だけ拾ったが、どうやら「このケダモノが!」とか「ケダモノの癖にわかるわけないだろ!」とかわめいている。
ふむ、さすがに少しうっとうしいな。
「図書館では静かにするのが礼儀だろう。礼儀のわきまえたケダモノと、礼儀をわきまえない人。どちらが高尚かあえて語るまでもない」
威圧を込めて一瞥すると、声の主はたじろぎじて一歩後退する。そこでその人を視界に入れたのだが、それは男性であるというぐらいしかわからない。ローブを着ているから魔法職かと思うのだが、それにしてはやかましい。
おれににらまれたその男を皮切りに、なぜだが人がぞろぞろと集まってきた。なるほど、我が物顔で図書館を使うケダモノが気に食わなかったので、この機会に追放してしまおうという魂胆か。
「一人を相手に大人げないと思ってもらえると嬉しいのだが。おれは別に悪いことをしているわけではないだろう?」
などと言っても聞いてくれるわけもないか。本が汚れるだとか出ていけだとか、めいめいに口汚くののしってくる。
ひとつ言っておくが、おれはめんどくさいことが嫌いだ。せっかくの読書を中断され、罵詈雑言を浴びせられることも当然めんどくさいことに入る。
なので、すべてを無視することにした。
「かまうだけ時間の無駄だ。悪いが、放っておいてくれ」
そこで魔法を使って結界を張り、ゆっくりと本を読むことにした。ハンテルほどではないが、あいつらに超えられるとは思えない。
ご苦労なことだ、結界を叩いても壊れるわけないだろうに。おれは外の騒乱を完全に思考から除外して、本の世界に入り込むことにする。
……驚いた、私が本を読み終わって顔をあげると彼らはまだいるではないか。どれだけ暇なのか、人生の無駄遣いを嘆いたほうがいいと思う。
いや、どうやらそこまで時間がたっているわけでもないようだ。思いのほか熱中して速読になってしまったか。
だがやはりめんどくさいので無視だ。そろそろハンテルとの約束があるからな。
おれは結界を解除して、積みあがった本をそっと撫でてやる。すると、本たちがふわりと浮かび上がり、それぞれ元いた場所に戻っていく。これは蔵書管理と盗難防止も兼ねた便利な魔法だといつも思う。汎級だし、いつか習得しておきたいものだ。
「ああ、そういえばあれを読みたがっていたな。もう好きにしていいぞ」
片づけてから気づいて声をかけたが、その男は興奮冷めやらぬようにおれをまだ罵倒する。ふむ、ふむ、ここまでくるとすごいな。何が彼をそこまで駆り立てるのだろうか。
見下していた人外にこけにされて、怒り心頭といったところか。どうでもいいので無視するが。
だが、そこで無視され続けたローブの男の沸点が臨界を超えたのか、彼は呪文を唱えたかと思うとおれに魔法を放ってきた。
「『火球』!」
たかだか下級魔法一つでおれをどうにかできると思っているのか。おめでたいな。
別に食らってもダメージなどないだろう。おれの魔法防御はハンテルに次ぐのだ。
火球は棚の隙間を縫っておれとの距離を詰めており、さて、どう迎え撃とうか思考する。このままおれが避けたら、本を燃やしたことで罪に問われるだろうに。そのときはおれも同罪になるのは間違いないな。めんどくさいものだ。
しょうがないので打ち消そうと思い、呪文を唱えようとくちばしを開く。
しかしそれよりも早く、どこからか現れた大きな竜が火球を殴りつけた。
こぶしは火球をうがち、あっさりと消える。執事服に身を包んだ筋肉の塊は、おれを見つけると何事もなかったかのように歩み寄ってきた。
「殴りつけても問題ないと判断して消してしまったが、これでよかったか?」
「ああ、別にどうでもいいぞブレズ。それより、よくここがわかったな。何の用だ?」
「レートビィに探知してもらってな。ハンテルがステラの血を手に入れたから魔法用の絵の具を作ってほしいと探していたぞ」
「ああ、もうそんな時間か。わかったすぐ戻る。だが、それなら『思考伝達』でよかっただろうが」
「私が何度呼びかけたと思っている。これでも先ほどからずっと呼びかけていたんだぞ」
「そうか、外の騒音と同じだと思って無視していた。悪かったな」
「集中力が高いのはお前のいいところでもあるがな」
そう言いながらブレズは苦笑して許してくれた。こいつは優しいというか甘いやつなので、おれがどんどん調子に乗るというわけだな。
周りは『一足飛び』で現れた巨大な竜に驚きを隠せていないようで、誰もかれもがあんぐりと口を開けてこちらを見ていた。特にローブの男は魔法をまさかこぶしで消されると思っていなかったようで、畏怖の視線をブレズに注いでいる。
執事服を着た竜は周りの空気が固いことに首をかしげているが、やがて申し訳なさそうに一礼をする。
「失礼しました、図書館で私語は慎むべきでしたね」
「どう考えてもそうじゃないんだが、もうそれでいい。ほら、帰るぞ」
いろんなことがめんどくさくなってきたので、ブレズを引き連れて図書館を後にする。
背中にずっと視線が突き刺さっていたが、特には何も感じなかった。
****
「さて、こんなものかな」
部屋に帰ったおれはハンテルに渡すための絵の具を完成させ、ようやく一息ついた。
あたりには塗料汚れが追加されており、絶対にヴァルに怒られるだろうと今からすでにめんどくさい。少し失敗して爆発させてしまったのが痛かった。やはりステラの魔力結晶はきちんとろ過すべきだったか。
マスラステラの紺色の血液は、空気に触れると固体の魔力結晶が析出する。それが星のようだと評判も高く、観賞用にも出回ることがあるほど。夜空を凝縮したと言われれば納得するが、おれはそこに心を動かされるほど感性は豊かじゃないんだ。
その魔力結晶だが、きれいなものの扱いがめんどくさい。なにせ魔力の塊だ、扱いを間違えると魔力がすぐに暴走してしまう。どうせ後から混ぜるのだから分離するのも面倒だと思ったのが後の祭り、この通り部屋は血だらけになってしまったというわけだ。
「部屋を片付ける汎級魔法の開発が急がれるなあ。特にヴァルに見つかる前に」
「私がなんだって?」
「………………申し訳ないが部屋を汚してしまった。大変すまないと思っている」
「その潔さは認めるが、せめて一言片づけると言え」
音もなく背後に立っていたヴァルからの殺気はおれのくちばしを素直にする。本当にこいつは気配を断つ達人だ。入ってきたことにすら気づかなかった。
狼は底冷えするような目線でおれを見て、そのまま部屋を見渡した。
作りかけの魔道具がごろごろと転がり、読んだ本はそこらへんに散らかったまま。ベッドにはさっきまで着ていたローブが投げ捨てられており、おれ自身も裸体に血が飛び散っている。
あ、ヴァルの下まぶたが少し痙攣した。怒髪天までのカウントダウンが始まったな。
案の定、ヴァルは怒気を立ち昇らせた。これは確実にめんどくさいことになるなと、おれは内心だけで溜息を吐く。
「今日という今日は我慢できん。――――『ブレズ』」
『呼んだか?』
「ホリークを風呂に入れろ。私は部屋を掃除する」
ヴァルが『思考伝達』でブレズに指示を飛ばすと、すぐさま巨漢の竜が部屋に入ってくる。ブレズは部屋の惨状を見てからジト目でおれを糾弾し、鷲の体を抱えあげた。これでもでかいほうなんだが、さすがだな。
「素直に感心するのもいいが、あとでヴァルからの説教は覚悟しておけよ」
「……そうだった。何とかならないか?」
「日頃の行いで考えると難しいだろうな。最悪、姫様の耳に入ると思っておけ」
「それだけは勘弁してくれ……」
姫様に言われたらおれが掃除しないといけなくなってしまうじゃないか。できればここは穏便に済ませてほしい。
願いはすれどもちろんそんなことが起こるはずもなくて、ヴァルは威圧感を前面に押し出した笑みでおれから言葉を奪う。その隙におれはブレズに連れられてお風呂場へ。
あの部屋には不発弾のようなものも結構あるのだけど、まあ、ヴァルなら大丈夫だろう。
お風呂場に着いたとたんにシャワーがぶっかけられ、羽に飛び散った血が洗い流されていく。だけどブレズは満足できないようで、おれをくまなく泡だらけにしてくる。手に持ったスポンジで丁寧に洗われると、おれが何もしなくていいのでものすごく楽だ。
「ほら、羽を広げてくれホリーク」
「ああ。……これは楽でいい。これからもおれを風呂に入れてくれてもいいぞ」
「さすがにそれくらいは自分でしてくれ。血汚れでせっかくの羽が固まるともったいないから、今回は例外だ。あと、ヴァルに頼まれたというのもある」
「めんどくさいんだよなあ。姫様はおれをきれいに作ってくれたから、その気持ちはわからんでもないが」
「だったらもう少し身なりには気を遣え。今度は足だ……おい、爪が伸びているぞ。ついでに切るがいいな」
「はいはい。好きにしてくれ」
腕まくりをした執事にされるがまま、おれは浴槽に体を預けて足を投げ出した。こいつは本当におせっかいだから、執事には向いているのだろう。おれには絶対できない職業だ。
「そういえば、新しい入浴剤を合成したんだった。試しに入れてみるか」
「それはいい、姫様もお喜びになることだろう。しかし、ヴァルが捨ててしまうのではないか?」
「……そうだった。部屋を掃除するとか言っていたが、大事なものまで捨ててねえだろうな」
「文句を言っても遠慮なく捨てられそうだな。これに懲りたら部屋をきれいにしてくれ」
「めんどくさい」
そんなやり取りをしているうちに、おれの体はくまなくブレズに洗われていく。爪は整えられ、羽毛の隙間まで丁寧に泡が入り込む。なるほど、きれいになるというのも案外悪いものではないな。自分でするのはめんどくさいが。
泡だらけの羽毛は汚れという汚れを徹底的にそぎ落とされ、水を浴びるとつややかな光沢を取り戻していた。水気を熱気で払われると、精悍な鷲の顔に凛々しさが追加される。
自分で言うのもなんだが、おれの造形はかなりいい。姫様がそう作ってくれたというだけの話なんだが、こうして見るとやっぱりかっこいいほうがいいのではないかと思う。
まあ、思うだけなのだが。
「ふう、かなりかっこよくなったな」
おれの仕上がりを見ながらブレズはすがすがしい顔で笑みを作る。他人に奉仕してよくその笑みができるなと感心するばかりだ。おれなら絶対に辟易としている。
「そうか。お前が言うならそうなんだろうな」
「なんだその意味ありげな笑みは」
ブレズが微笑ましいものを見るかのように柔らかい顔でこちらを見るのが不思議だ。
「いやなに、ヴァルたちから頼まれごとをしているときなど、私から見て辟易としているようには見えなかったというだけだ」
「……気のせいだろ。おれは基本的にはめんどくさがりで怠け者だ」
「そう思っているのはお前だけだと思うがね」
勝手にそう思っていろ。おれが動くのは常に姫様のために、だ。そのためだけの道具なのだからな。
などと言ってもブレズは微笑を崩さない。こいつは甘くておせっかいだが、時々ヴァル以上に扱いに困ることがある。まるでおれがあやされているみたいじゃないか。勘弁してくれ。
ブレズがてきぱきと風呂場を片付ける間に体は完全に乾ききり、タイミングよくヴァルも掃除を終わらせたと『思考伝達』が飛んできた。
あーあ、どれだけ捨てられていることやら。また作るのもめんどくさいのだがなあ。
そんなおれの苦悩など知るわけもなく、ブレズは弾んだ声を出す。仕事中毒のこいつは一つ片付けるたびに喜びを感じているのだろう。
「さて、それでは戻るか。そろそろ晩御飯の準備もしなくてはならないからな」
しかし、そこで竜は何かに気が付いたようだ。
ちっ、とおれは舌打ちをする。全裸で浴槽に突っ込まれたのだから今のおれは当然のように裸だ。ばれなければこのまま帰ったんだけどな。
「おっとそうか、私は部屋にローブを取りに行くから少しだけ待っていてくれ」
さすがに仕事が早い。ブレズはさっそく部屋を飛び出して行ってしまった。っま、持ってきてくれるならそれに越したことはない。だらだら待つとするか。
などと思いながら台に腰かけてようやく一人の時間を手に入れた。……この台は姫様を寝かせてマッサージするために作ったんだが、肝心の姫様はそういうのをお気に召さないらしい。せっかくオイルまで合成したのに無駄になってしまった。
作ったからには効果のほどが知りたい。おれというやつは骨の髄まで研究者気質なんだ。
「使ってくれねえかな」
肌に効果がありそうなものを突っ込んで、魔法による活性化もかけた。肌は絶対にすべすべになるはずなんだ。だめならブレズに試してもらうか。おれらは毛皮があるんで全く参考にならん。
その時ガチャリとドアノブが回る音がして、おれはようやくブレズが帰ってきたのかと思って首をそちらに向けた。
ドアから顔をのぞかせたのは、他でもない我らが姫様だった。彼女はいつも通り芸術品を思わせる白い顔にわずかな驚きを乗せて、おれを視界に入れた。
「あれ、ホリークがここにいるなんて珍しいな」
「ちょっと汚してしまって、さっきまでブレズに丸洗いされてたんだ」
「お前は洗濯物かよ。それで裸なんだな。でも、確かにきれいになった。うんかっこいい」
「……そうか、それはどうも。んで、姫様はどうしてここに?」
「クッキーのジャムが手にかかってな。セッケンを借りに来たんだ」
そういいながら洗面台の前まで姫様は歩いていく。言いつければヴァルあたりがすぐにでもはせ参じるのに、わざわざこんなところまで歩いてこなくてもとは思う。この人はたいていのことはすぐ自分でやろうとするんだ。
と、そこでおれはあることを思いついた。棚から特製の橙色オイルを手に取って、姫様に近寄る。頭一つ以上低い彼女は澄み切った青い目におれを映し、頭に疑問符を浮かべていた。
「せっかくだ、おれが洗おう」
「は? いいよ別に、そのくらい自分でできるって……ちょっと!」
遠慮する姫様の手を取って、まずは水洗い。陶磁を思わせるほどきめ細かく白い肌を水で流し、スポンジで表面を撫でるようにこする。
「お前そんなキャラじゃないだろうが。頭でも打ったのか?」
「散々な物言いだが、おれは姫様にこのオイルを使ってもらいたいんだ」
「……ああそれ。だからこんなに積極的なのか。でもさすがに手ぐらいは自分で洗えるぞ」
「そんなことをさせたら、またヴァルに怒られるだろう。それに……」
「それに?」
「こうして点数を稼いでおけば、ヴァルの怒りも収まると思ってな」
「また怒られてるのかよ……」
おれがヴァルに怒られていることなんて日常茶飯事なので、姫様は苦笑しながらしょうがないとあきらめてくれた。ハンテルほどではないが、おれもかなり叱られているんだ。
洗い終わった腕をタオルでふき、軽く水気をとる。ほんのり桃色に色づいた肌はとてもみずみずしく、羽毛とは違った弾力を見せてくれる。
そこにおれ特製のオイルを垂らして、まんべんなく塗りたくる。花の蜜を思わせる甘い匂いが薄く広がり、肌になじんでいく。
「匂いはどうだ姫様?」
「うん、結構好きだ」
「なるほど、なら次の入浴剤は花の蜜をモチーフにしよう」
橙色の蜜を広げて、おれの羽毛は腕を上がっていく。二の腕まででいいと姫様に言われたので、そこまでを隙間なく塗っていくことにしよう。
「おれは手を洗いに来たはずなんだけどなあ」
「まあ少しだけ我慢してくれ」
「これって勝手に乾いたりしないのか?」
「いや、洗い流すしかないな」
そうか、勝手に乾いてくれれば使いやすさが向上し、姫様がもっと使いやすくなるな。その意見は参考にさせてもらおう。
姫様の腕が疲れるといけないので、おれが持って固定する。後はオイルが肌にしみこむまで待機して、洗い流して終わりだ。きっと肌の光沢が増していることだろう。効果がよければ、このレシピをもとに改良していこうか。さすがにあのヴァルが姫様のためのオイルレシピを捨てるとは思えないしな。
腕を持っているためおれと姫様がかなり近寄った構図になっている。姫様はおれを見ると嬉しそうに、まるでさっきのブレズと同じ笑みを咲かせるのだ。
おれはそれが気になって、ついくちばしを開いてしまった。
「どうした?」
「いや、なんか楽しそうだなって」
「そうだな……自分の作ったものを確かめるのは嫌いじゃない。めんどくさがりで怠け者のおれだが、好きなことくらいはあるんだ。さてそろそろか、洗い流すぞ」
姫様の手に付いたオイルを水で流して、先ほどと同じように水気をとる。
すると、陶磁を思わせる肌がまた一段と輝きを増したように思う。
「どうだ姫様、自分で触ってみて違いがわかるか?」
「うわ、すげえ。うまく言えないけどさっきよりずっとよくなってる」
「そうか、喜んでもらえてよかった」
ふむふむ、なら基本コンセプトはこのままでいいということか。あとは姫様が使いやすくなるような工夫だな。やはり、第一案は自然乾燥することを目標にしてみよう。そうすると風呂場に行かなくても部屋でやりやすい、これならヴァルたちにもできる。姫様はどうしてもおれらを浴室に入れてくれないから、このコンセプトで問題ないはずだ。
「おーい、ホリーク?」
「わるい、考え事をしていた。なら、これは姫様のお気に召したということでいいか?」
「そうだな、さすがホリークだ。おれは普段から化粧水なんてつけないから、こんなにも変わるんだってびっくりしてる。せっかく作ってくれたんだから、もっと早く使ってやればよかったな」
「そうか、だったら次はブレズあたりに頼んで全身に塗ってもらうといい」
「さすがにそれは断るかな!」
改めて言われなくてもわかる。今のおれは楽しそうにしているのだろう。
他の奴に奉仕することなんてごめんだが、姫様のために身を粉にするのは全く苦労を感じない。
「あとさ、お前って口癖はめんどくさいだけど、絶対怠け者じゃないよな」
「それはさっきブレズにも言われたな。なんでそう思うんだ?」
「だってさ――」
すっかり乾いた両手を輝かせ、姫様は笑う。
「みんなに頼まれてるときのお前、なんだかうれしそうだし」
なるほど、自分のことを怠惰だと思っていたのは、どうやらおれだけだったようだ。




