獅子灰塵
というわけで、王宮に逆戻りしたおれらは、ようやく華やかな空気を吸いながらお茶を飲むことができた。メイドがいるにもかかわらずわざわざブレズに入れてもらったお茶はとても安らげる味で、ほっこりした顔のブレズとの合わせ技で効果倍増だ
晩さん会が行われていたホールとは違う客間のような一室には、おれらとビーグロウしかいない。リュシアはハウゼンに連れていかれ、別室へと待機させられているようだ。
まあ、むべなるかな、あの二人は真っ向から対立してるんだ。隔離されても仕方ないだろう。
「ああ実においしいよ。君の入れてくれたお茶を毎日飲みたいくらいだ」
ビーグロウはもう満面の笑みで紅茶を何杯もおかわりしており、リュシアと離されたことを何とも思っていないようだ。
捕らわれの身にしては神経が図太すぎないか?
「ふむ、いやなに、私はこちらにとって大事な生き証人だからね。戦争をしたくないのなら私に手を出すはずもない。私は戦争を起こさなければそれでいいのだから、リュシアに暴露しようがあの糸目のおいしくなさそうな青年に暴露しようがどうでもいいことだ」
そこで獅子はたてがみを払いのけ、小金の風格をあたりにまき散らす。薄笑いを浮かべなおして満ち行くその風格は、自然と背筋を正させる気迫があった。
「それに、この国に確保されるということは私の暗躍がばれてしまうことに等しい。リュシアの話を考えるとあの青年はこっちの味方をしてくれるかもしれないが、過激派に手の内を探られてしまったのは否めない。それなら、ばれてしまったことは承知の上で、正直に話して味方を増やした方がいいだろう?」
リュシアといいビーグロウといい、一体どこまで考えて行動しているんだ。おれなんか何かあるたびに『思考伝達』で作戦会議をしているというのに。
たてがみがなびくたびに器の違いを思い知らせてくるようだ。威風堂々とした体躯に見合うだけの余裕は、今のおれには程遠いものだから。
「ああ、そういえば、イグサ……とかいったな。大体の話は聞いているが、彼をリュシアに渡すのはお勧めできないな。こんなことを言うとリュシアに怒られるだろうけど」
「どうしてだ?」
「あれは彼女の底意地悪い手の一つだからだよ。イグサを、獣人種を引き渡して名声を得るということは仲間を売るのと同義さ。確かに彼は悪人かもしれないが、そんなことをすればビストマルトでの悪評は免れないし、君らがビストマルトへ行くこともできなくなる。それに、禁忌使いをかくまったという実績があるせいで、すでにヨルドシュテインにも居場所はない。結果として連合内しか君らの名声は使えないということになってしまい、リュシアのもとから離れることができなくなるというわけさ」
『おれも同意見だ。なので、まあ、おれはイグサを隠すことをお勧めする。こいつらの言ってることは正しいが、今のところは証拠がないたわごとだ。それが渡した瞬間に事実になっちまうからな。だったら隠し通しておいた方がいい』
ホリークに補強され、目からうろこが落ちていくおれ。ううん、やっぱりおれにはこういう策略事は無理だと思うんだよねえ。はあ、お茶おいしい。
そこで、親しみやすさを前面に押し出したビーグロウがウインクをかます。ああ、これはあれか。将を射んと欲すればまず馬を射よってやつか。ちくしょう、効果抜群じゃねえか。
「私としては、君らがビストマルトにこれなくなるのは困るので告げ口させてもらったよ。これはリュシアには内緒で頼む」
「どうも。難しすぎて、どうしていいのかさっぱりわからないんだ」
「若いときにはよくあることさ。私にだってある」
ああもう。つい口がすべってしまった。こいつらがきちんと自分の利益を見据えて動ける大人だから、それを見せつけられて弱気になってしまった。
「これでも人を見る目はあるつもりだ。だから、君が慣れないことをやろうと精いっぱい背伸びしているのもわかっている。私とリュシアの話し合いで、その意味をかみ砕くのに必死になっている姿を見て、ブレズも応援しているはずさ」
「そうでございますとも。我らのために行動してくださる姫様を前にして、どうして感動しないなんてことができましょう。姫様の導いた結末なら、私たちはどんなものでも受け入れる覚悟があります」
ブレズがポットを傾けると空になったコップに温かい紅茶が注がれる。それはとても優しいから、つい甘えてしまいそうになってしまう。
「甘えるといい。君が倒れてしまう前に」
ビーグロウが送る言葉が予想以上に優しかったから、なんとなくそれを信じてみようという気になってしまった。ブレズが着ている執事服の裾を握る。これが今のおれの最大限の譲歩。
ブレズは何も言わずにおれのそばに立ってくれて、こっちに微笑みを降らせてくれる。
あーいやだな。気持ちまで女の子になった気分だ。気づかないうちに、おれは結構神経をすり減らしていたのかもしれない。
「ありがとうございます、ビーグロウ様。私ではうまく言えず姫様の不安を取り除くことができなかったでしょう。そのお気持ちに、感謝いたします」
「いいんだよ。前途有望な若者に手を貸すのは大人の義務みたいなものだからね。何かあったらまた私を頼っていいんだよ」
「はい、姫様も喜んでおられることでしょう」
うん、違う。今完全にあれだ。将を射んと欲すればまず馬を射よ状態だから。婉曲的に狙われてるぞブレズ。
「ふふふ、これで好感度が上がったかな」
「それ口に出したらダメな奴じゃねえか!」
「おっと私としたことが。仕事だとこんなことは絶対にしないのだけど」
やばい。そうやって先回りしておどけることでさらに株を上げていこうとしてやがる。
やり手すぎる。でも、ブレズに限って落とされるなんてこと、ないよな。うん。きっとそう。
「あの、姫様。先ほどからきつく握っておられる様子。お手は大丈夫なのですか?」
「え、ああ、うん。全然平気」
なんだか無性に恥ずかしくなってきたから手を離す。今優しくされると結構くるものがあるな。早く心を休ませないと。
そこで部屋の扉が開いて、むかつくくらいにへらとしたハウゼンが入ってきた。
お供に兵を数人引き連れており、否応なしに緊張が高まっていくのを感じる。ハウゼンのふやけた笑みにも、どこか引き締まったものがうかがえる。これが副隊長なのだと、理解できてしまう。
「ご機嫌麗しゅうオレナ=ビーグロウ様。お体はご無事ですか?」
「おかげさまで。まさか同族に襲われるとは、いやはや、不思議なこともあるものです」
「不思議、ですねえ。その件に関してお話しをうかがってもよろしいでしょうか?」
「もちろん。親善をつかさどる一国民としてできうる限りの協力は惜しみませんよ」
「ありがとうございます。それでは、さっそく……」
「ああ、失礼。先ほどのやり取りで召し物に匂いがまとわりついてしまってな。先に着替えてもよろしいですかな?」
「それは気が回らず申し訳ない。我らよりよほど嗅覚の鋭いあなた方だ、それは考慮すべきでした。でしたら、ビーグロウ様の部屋へまずはお連れしましょう。確かご宿泊予定の部屋にメイドもいらっしゃるはず」
思わず生唾を飲んでしまっていた。ただのあいさつだけのはずなのに、なぜこんなにも緊張感が漂っているのだろう。
ビーグロウに敵対する意思はないはず、ならばこれはハウゼンが相手の出方をうかがっているからなのだろう。ハウゼンはビストマルトよりの立ち位置にいるのだが、そのビストマルトの官僚がリュシアと一緒にいたのだ、当然警戒もする。
それをうまくやり取りをまとめ、身の安全を求めるのがビーグロウの手腕の見せ所か。交渉を専門とするその腕前、見てみたいものだ。
「ごめんね、君たちにも話を聞きたいんだけど、ちょっと待っててくれるかな。僕にも立場っていうものあるんだよねえ。でも、これだけは言わせてね」
などと言っているうちにビーグロウは部屋を出て行ってしまう。ハウゼンはそれを眺めながら、わずかに空いた時間を使っておれらに伝えたいことがあるようだった。
わざわざビーグロウが出て行ったことを確認して、おれらに向き直る。
「あの男は、まあ、戦争反対の立場だろうと予測していた。でも、どうせその動機は『戦争とは交渉が失敗した最終手段だから、自らの失態である』なんて程度のものなんだろうな。油断できない相手だよ。本当にめんどくさい。それがよりによってリュシアとつながってるなんてさあ。あーもー、僕の仕事を増やすのやめてほしいな」
にへらと糸目が笑う。
ビーグロウも信用できないというならば、おれが信じるものはなんなのだろう。あーもーと言いたいのはこっちだよまったく。でも、それは分かっている。みんな、自分の利益のために動いてるんだ。
「君も大変だねえ。なまじ強すぎるばっかりにいろんなことに巻き込まれてさあ。考えて考えて、好きな陣営を選ぶといいよ。もっとも、それが僕のところだと嬉しいし、敵に回るなら容赦しないけどさー。だって僕間違ったことしてないし!」
「子供かっ!」
「ふっふっふ、どうやらいろいろ情報を集めているみたいだけどさ。僕が黒だって情報なんて出ないはずでしょ。だって、間違ったことしてないし! そんな僕からさらにプレゼント、あのビーグロウという男、ビストマルトの穏健派筆頭だけど、その実自国の利益のためには汚いことも平気でするって噂だからね、気を付けてねー」
「でも、ビストマルト派なら、お前の味方じゃないのかよ」
「うーん、確かに目的も一緒だしそうとも言えるんだけど、どうやらビストマルトも完全な被害者とは言えない感じなんだよねえ。一応、獣人種の代表としてこの国に文句は言ってるみたいなんだけど、それがどうにも適当というか、一応言っとけ、みたいな? なので、この国の官僚にはヨルドシュテインとつながっている黒幕のほかに、ビストマルトとつながって何事か画策してる人もいるみたいなんだよね。リュシアみたいに」
「ヨルドシュテインが黒幕だって意見は変わらないのか?」
「それは微動だにしてないね。どうやらリュシアの情報源はビーグロウみたいだったけど、僕には僕の信頼できる情報源があるからね」
おかしい。だとするとビーグロウが言った、ビストマルトこそが裏で糸を引いているという言葉が嘘になる。でも、ハウゼンは自分の情報源を信じている。おれなんかより宮廷生活が長いやつだ。それを見抜く力量くらいあるはず。
どういうことだ。誰もかれも、自分が正しいと信じて疑っていない。
うまいこと踊らされているのだろうか。そうだとするならば、こいつらより一段階とびぬけた知恵者がいるということか。だとすると、おれに尻尾がつかめるはずがない。
「うーーん、リュシアは自分の情報源を見せることで君からの信頼を勝ち取ろうとした。なら、僕もそうすべきなんだろうか」
「別におれらにそこまでこだわらなくてもいいだろうが」
「まだそんなこというのー。一応言っておくけど、君らがさっき倒した暗殺者集団、ビストマルトの中でも暗殺に特化した実力者ばかりなんだからね。この王宮でも安心できないって言われてるんだから。それをあっさり返り討ちにした時点で、もう注目不可避って感じ。あ、そういえば、うちのボスからも勧誘して来いって言われてるんだよね。だから、うちにおいでよ。好待遇でお迎えするよ」
「今思い出したかのような、もののついでみたいに言うなよ……」
「そうすれば、僕もギルドメンバーに扮して情報収集しなくて済むしね。リュシアの周りを漁ってもぜんぜんなんもでないしさあ。もう飽きちゃったんだよ。おっかしいんだよなあ……ガングリラが読み間違えるとか珍しい」
「ガングリラ?」
「僕の上司にして近衛兵の隊長さん。そして、僕の情報源」
「さらっと重要情報暴露するのやめろよ……」
ビーグロウやハウゼンといい、ここの世界の重鎮は仕事しないのがデフォなんだろうか。
しかし、リュシアの監視のためにわざわざハウゼンが来たとするならば、先ほど異様に早いタイミングで駆けつけられたのもそのおかげなのだろう。
「そういうこと、そこらへんはきちんと仕事してるって言えるよね。上司命令なんだからさ。それに、腹黒獅子といえど、過激派に狙われてるのなら守らないとね。一応目的は同じなわけだからさ」
「そのガングリラってやつが、黒幕はヨルドシュテインだって言ってたのか?」
「そうそう、あの子は結構頭が回るし、今回の策も読み切ってくれてるはずなんだけど……どうにもおかしいんだ。なので、僕としてもビストマルトが完全な被害者とは言えなくなってるってこと。まあつまりよくわかってないってことだね!」
「威張って言うなよ……」
策が進んでいくにしたがって、いろんな齟齬が生じているってところか。これは本格的にどうなっているのかわからなくなってきたな。一体裏で何が進行してるんだろう。
おそらく、ビーグロウは先ほどと同じ話をハウゼンにもするだろう。そのとき、こいつがどうするのか興味がある。
腹黒獅子、ねえ。ブレズにでれでれのあの様子からはとても想像つかないけど、曲がりなりにもビストマルトの官僚だ。一応、油断しないようにしておこう。
やがて、話過ぎたと思ったのだろう、ハウゼンは困ったように頭をかいて踵を返した。
「おっとっと、長話しちゃった。またボスに怒られちゃう。じゃあね、また後で。次は君らの話を聞かせてもらうからね」
そう言って、ハウゼンが手を上げたときだった。
――――野太い悲鳴が王宮に響き渡った。
「この声は……っ!」
「あーりゃりゃ、しまった、なあ!」
ハウゼンは苦い顔をしながら、一目散に廊下をかけていった。
今の声……聞き間違いでないのなら……。
おれはいてもたってもいられなくなって部屋を飛び出した。こけそうになるヒールを動かして、ハウゼンの後を追う。
「姫様、お覚悟のほどは、よろしいでしょうか」
後ろからきっちりついてきたブレズが問うてくる。
その意味を考えたくなかったけれど、答えはどんどんと近づいていった。
ハウゼンが足を止めた部屋で、おれらも止まる。いや、止まらざるを得なかったんだ。その部屋から漂う雰囲気が、おれの心を竦めさせてしまった。
鼻をくすぐる臭いは赤い液体のそれであり、慣れたと思っていた鉄臭い赤が放つものだ。
客間であろう一室はその豪華さを赤によって上書きされ、凄惨な現場と化していた。原色が放つ命のきらめきはそれが体外に漏れてしまったことで死という現実を容赦なくつきつけ、見る者の生理的嫌悪を引き釣り出す。
見たことある服装。見たことあるたてがみ。
それが真っ赤に染まっていた。先ほどまで動いていた人だったものが、こと切れて横たわっている。
「ビーグロウ……」
名前を呼んでも返事があるはずもなく、ただただ鉄の臭いにおぼれそうになる。無残に転がっている現実は、目をそらすことのできない重みで眼球に突き刺さる。
獅子は、死んでいた。メイド数人とともにこの部屋の赤い絵の具として、その体を無造作に横たえている。動くことはもうないのだと、理解した瞬間足から力が抜ける。
「姫様!」
ブレズが支えてくれるけど、その言葉は耳を素通りしていってしまう。
死には触れてきたつもりだった。
ギルドの依頼でモンスターの死に。先ほどの暗殺事件でアサシンの死に。
でも、交流を交わした人の、親しくなった人の死は初めてだ。おれらの子は強すぎてそれがとても遠いものだったから、こうして死体になるなんて想像できなかったんだ。
頭が殴られたように思考が飛び散っていってしまった。動かない、死体は動かない。もう、話すこともできないんだ。
嘔吐しなかったのが奇跡だ。それほどおれの顔は青白く、目の前の現実に衝撃を受けていた。
慣れただなんてとんだ思い上がり。でも、こんなものに慣れたくなんてない。素直にそう思う。
「くそぅ、やられたなあ。厳戒態勢を敷いて! 獣人種をこの城から出すな! それと呪いの解除を早く!」
ハウゼンがおれを気遣うように目線を送り、ブレズにここから離れるように言う。そばではビーグロウに使えていたであろう生き残ったメイドたちが青い顔をして立ちすくんでおり、次は自分かとおびえた目であたりを警戒していた。
まだアサシンたちがいないとも限らない。そんな危うい場所で、呆然自失しているおれを守りながらではさすがのブレズも気をもんでしまうに違いない。だからここから遠ざけるためにブレズがおれを抱え上げようとしたが、おれはそれにあらがった。
待って。待ってほしい。
声にならないかすれた音で、懇願する。腕を伸ばしてビーグロウに狙いを定め、魔力を練る。
「いやー、気落ちは分かるけど、死者蘇生魔法はさすがの君も無理でしょ。回復でどうにかなるものじゃない。それに、今から司祭を手配して儀式の準備をしても、もう間に合わない。向こうもそれは計算してるはずだし、おそらくこれから、彼は燃える」
無理じゃない。おれなら、蘇生魔法だって使える。
おれならできるのに。おれなら。
……燃える?
違和感を拾えないおぼろげな思考のまま、魔法を構築する。確実に蘇生させるんだ。おれにはできるから。
魔法式の構築を完了。精神の不調からだいぶ崩れているけれど問題はない。
そして、魔法のトリガーとなる呪文を口にしようとしたとき。
「『物言わぬ死体を灰に』!」
おれがブレズに抱きかかえられた直後、鉄の臭いを切り裂くように放たれた呪文が、ビーグロウのいる部屋に響き渡る。呪文は獅子の死体に染み渡ったかと思うと、そのまま燃え上がり存在を灰へと変えてしまう。
「……なんで、ビーグロウ」
そばでハウゼンが何やらわめいているようだが、そんなものはおれの耳には入らない。メイドの一人がその場でひっとらえられる光景も、眼前の炎の前では些末でしかない。
おれの蘇生魔法は灰になっても効くんだろうか。おそらくダメなんだろう。だからこそ、燃やしたのだ。
思考を放棄しながらも、わずかに残った冷静な部分がそう結論付ける。それによって、獅子の死が確たるものへとなった。
だけどおれは、それを認められなかった。涙をぬぐうこともせず、まっすぐ灰を見て。ただ弱々しく言葉を紡いだ。
「『神への一歩』……」
ああやはり、獅子は蘇らない。何のための能力なんだ。こんな……こんな肝心な時に役に立たないなんて。
「姫様……私は彼女が怪しいとあたりをつけておりました。目つきが胡乱であり、何かしでかすかもしれないと」
「なんで今更そんなこと言うんだよ……なんで……お前も悲しいのか」
「当然でございます。誰であろうと、目の前での死に心痛まぬものはおりますまい。ましてや、ここから戦乱が訪れるとなればなおのこと。私は貴方様の安全を、この国の民より優先したのです」
竜の手に抱えられたまま、おれはその首筋に顔をうずめる。
わかってる。冷静になってきた頭で、ブレズが悪くないんだって理解している。
混沌とした場ではさしものブレズと言えどおれを守り通すことは困難だったはずだ。蘇生魔法がある世界なんだから、暗殺した相手が蘇生されないように対策するのは当然で、そのために暗殺者がその場に残っている確率はかなり高かった。
もちろんハウゼンもそれを警戒していたのだろうけど、武器などなくてもスキルでなんとかなるファンタジーだ、すべてを警戒するには人手が足りない。
そんな中で蘇生らしきものを施そうとするおれがいたとしたならば、捨て身で殺される可能性があった。おれが死んだら、誰も蘇生魔法を使えない。おれを生き返らせることのできる人はいなくなる。ブレズはそれを危惧した。
わかってる、わかってるんだ。
おれ、言ったもんな、お前らの前から決していなくならないって。だから、これは仕方のないことなんだ。おれが危険にさらされるなんて、こいつらからしたらあってはならないことだから。
「姫様……」
震えるおれの細い肩を騎士はごつい手で支えてくれる。
もしあの暗殺者がおれに飛んでいたら、もしもの可能性を捨てきれなかった。
MPがあるのはわかるけど、果たしてこの世界にHPはあるのか。おれの世界と同じように、打ち所が悪ければ死んでしまうような世界なのか。マスラステラの必殺技を受け止めて確かめていないおれにはわからないことだ。そしてそれは、分が悪い賭けでもある。
最後に放たれたあの呪文、『物言わぬ死体を灰に』はゲームでは蘇生不可能状態にする呪いだったはず。HPが尽きたキャラクターにかけることで、強制的に排除することが可能な魔法。なるほど、この世界では灰にする魔法なのか。そして、灰になったもう戻れない。
騒然としてきた宮中で、おれはブレズに体を預けてすすり泣いた。硬い体はとても暖かく、生きているのだと感じられる。それが余計に落差を際立たせて悲しい。もう、獅子は形すら残っていないのだ。
「恨むのでしたら、ご自分ではなく私を。暗殺者が姫様を襲うと判断した私の失態です。ですので、どうか、どうかご自分を責めるのだけはおやめください」
きっとこの竜は自分の失態を本心から悔やんでいる。灰にするまでが暗殺なら、きっとあのメイドはまだ途中だったんだ。そこを止めることができていたなら、ビーグロウは死なずに済んだ。
だが、そんなこと知らなかったのだから、止めようがない。それでも竜はそれを悔いている。
そして、悲嘆にくれるおれの感情を引き受けようと、こうして自分が悪いのだと言いつのる。遠慮せずなじることができるように、ずっと自分が悪いのだとおれに聞かせていく。
そんなことはわかっている――それが理解できるくらいにはこいつらと過ごしてきたから。
「ブレズ……」
「なんでしょう姫様」
「助かった……ありがとう」
ブレズの体が驚きで硬直したが、すぐさま表情が変わる。痛ましいものをこらえているような、見るに堪えないと案じているような。そんな顔へと。
おれはブレズに顔をくっつけてすすり泣くので忙しかったからあいにくと見れなかったが、それは確かに、おれのことを心配している表情だった。
だけど、騎士はそれを問うことはせず、ただ感謝を述べた。
「ありがたき、お言葉」
こうして騎士が浮かべている案など今のおれには全く理解できぬまま、おれの脱ニート作戦は幕を閉じた。
結果は、大失敗に終わってしまった。




