女の子は動きづらい
一見した感想はでかい狼。ヴァルのような人型ではなくただの畜生動物ではあるのだが、大きさが普通とはかけ離れすぎている。四足歩行だというのにその高さはおれをゆうに超え、銀に近い灰色の毛皮が隠れる気などないと風格で語る。
『森の主ロー』か。確かそこそこ強いモンスターだったはず。初心者の壁としては有名どころだ。……いやーやっぱりまじでここはコーデクリスタなんだな。めっちゃこいつ見たことあるわ。
んー、こいつがここで最高レベルのモンスターなのかな。場所によってはこいつが雑魚として出るマップもあるし、そのパターンだったら人里は結構遠いことになるんだけど。
「ふむ、あまり大したことはなさそうだが、もっと数がいるかもしれん。気を引き締めてかかれ。特にハンテル」
「なんで名指しなんだよー。いいじゃん、こいつ弱そうだし。おれはここで盾を浮かべてスタンばってるよ」
きりりとしたブレズの叱咤に、にへらと軽く応えるハンテル。そのハンテルが指をパチンと鳴らすと、どこからともなく四つの盾が現れた。『至宝陣』と呼ばれるこの白銀にきらめくこの四つの盾を遠隔操作で扱うことがハンテルの性能であり、こいつが守備のかなめと言えるゆえんでもある。
ちなみにかなりのレア装備だ。これを作るためにおれのした苦労を友人に話したら、ドン引きされたことがある。課金額と時間的な意味で。
ゲームなら簡単なコマンド一つで勝手に動いてくれる盾たちだが、どうやらハンテルはすべてを手動で操作しているらしく、的確な間合いをとったまま白銀は静止する。なんだその演算能力。思った以上にこいつ賢いぞ。
「これで姫様たちに危害が行くことはねえぞ。ということで、後はブレズの仕事だ。ファイト!」
脳の回転とは裏腹に、あくまで飄々とした態度を崩さずハンテルは言う。のほほんと虎のひげをなでているあたり、もう動く気はなさそうだ。
ブレズは若干文句のありそうな目をしたが、すぐにため息でごまかした。あの竜の顔でするジト目はなかなか迫力があったな。
「はあ、まあいいだろう。さて、これ以上我らが主に近づこうものなら、一刀のもとに斬り捨てるが覚悟はよいか?」
緩やかにマントをたなびかせながら騎士は威圧する。ローは気圧されたように身を怯ませたが、すぐさま牙をむいて唸り声を上げた。圧倒的な実力差を気合でごまかそうとするその精神は褒めるけど、どうせなら逃げたほうがいいのにね。
所詮は初心者の壁。おれが作った自信作の前には雑魚同前だし、正直時間の無駄感がある。早く終わらせて、町に進みたい。
「グルルルル」
そんなめんどくささなど知るわけもなく、ローは身を沈ませた。その巨体をばねとして飛び掛かる気満々な姿勢であり、命を捨てる覚悟ができたことを物語る。
ブレズも大剣を構え直し、全身の筋肉に力を入れて迎撃の姿勢をとる。平時であればゆらゆらと揺れる尻尾もピンと立ち、わずかな隙も埋めていく。
結果が見えている勝負であるが、一応の確認は必要だ。おれが作ったこいつらは、本当に強いのか。おれの努力の結果を、さあ、見せてくれ。
両者構えは終わり、緊張の一瞬を迎えようとしたその刹那。
――――何かが上から降ってきた。
「グルァ!?」
それはローの上からやってきて、的確に致命傷を与えて命を刈り取った。おれの見立てではおそらく即死系の魔法。飛び降りてすぐ発動させ、森の主を亡き者にしたんだ。
あわれ森の主は見せ場らしい見せ場もなく、何が起こったのかさえわからないままその生涯を終えてしまった。まあ、おれとして確認事項の確認ができたので問題はない。
ローを殺したそいつは、おれの良く知る奴だった。
「邪魔だったから殺したが、なにかまずかったか?」
淡々と語るのはローブ姿の鷲。足元まですっぽりと覆ったローブに、目深にかぶったフードがほの暗い雰囲気を醸し出している。しかし、猛禽類らしい眼光はフードの中からでも爛々と輝き、暗さの中に獰猛さを兼ね備えているように見える。
手に持つ鋭いかぎづめに、魔法石で作った指輪をいくつもはめた魔法使い。完全攻撃特化に魔法を極めたおれの自信作。
ホリークがそこにいた。探索にいっていたはずだが、なにか収穫があったのだろうか。
「いや、問題はない。探索お疲れ様、ホリーク」
闖入者に警戒レベルを引き上げたブレズだったが、降って来たのがホリークだとわかると頬を緩ませて歓迎した。緊張の解けた尻尾がゆらりと揺れていることからも、辺りに脅威はないのだと知る。
ホリークは完璧な後衛のくせにブレズよりわずかに小さいくらい背丈で、ローブよりも鎧が似合いそうな肩幅をしている。そのわりに木の上から颯爽と落ちてきたことから察すると、案外身軽だと思われる。確かに素早さは結構あったはずだし。
「それで、なにか見つけたか?」
「ああ、この近くに町があったぞ。そこまで大きくはないが、休むことならできるはずだ」
「ごめんねホリーク。本当なら探索は僕の仕事だったんだけど」
「気にするな。おれにでもできる仕事だ」
自身の担当をこなせなかったレートビィが申し訳なさそうに顔を伏せるが、ホリークは気にしていないそぶりで切り返す。相変わらず起伏のない口調だが、仲間意識はあるようでちょっと安心した。その眼光の割に、意外と優しいのかもしれない。
さて、近くに町があったということはおそらくローより強いモンスターはあまりいないということだろう。人里付近に強いモンスターはいないはずだし、それなら早いところ町に行ってしまいたい。
どうやら全員の思考は同じところに収束したらしく、即座に次の目的地が決まった。日が落ちる前には屋根のあるところにたどり着けるだろう。
「オルヴィリア様。よろしければ私が抱えて移動しましょうか?」
ブレズが進言してくれるが、その気持ちは複雑だ。
ありがたいけど恥ずかしい。質素ながらも上品なローブはドレスのようにいくつかのフリルで飾られており、ホリークのものと比べるとなかなかに華美である。派手さはないが、その分清楚な花弁を思わせる控えめな魅力に満ちていると我ながら思う。
そして、残念なことに服も白いのだ。防御力なら自信があるけど、汚れ耐性に関しては全くの未知数だ。髪などに合わせて、全体的に白くコーディネートしちゃったしなあ。
森を歩くどころか、冒険に全く向いてない服装だなこれ。ゲームだからこそ許されている服なのに、現実に持ってくるのはやめていただきたい。
なので、できればブレズの好意に甘えたい。だけど、男としてそれはさすがに恥ずかしい。まだ体力がある段階で、おんぶなんてされるのは男としてのプライドが許してくれないんだ。
結果として、おれは困った顔のまま固まるしかできず、そのせいでヴァルの不機嫌が加速してしまった。何を勘違いしたのやら、黒狼は背中越しにでもわかる怒気を膨れ上がらせ、唸るように吐き捨てた。
「もしや貴様、やましい気持ちがあるとかではないだろうな?」
「んなっ! 何を言うか! 私はただオルヴィリア様がその装いでは不便なのではないかと思い、臣下として当たり前のことを進言したまで! そのような言いがかり、やめてもらおうか!」
「はいはーい! なら、やましい気持ちが全くないことに定評があるこのハンテル様が姫様をハグ……グハァ!」
どうやらハンテルは問題外らしく、ヴァルの放ったとび蹴りに思いっきり吹っ飛ばされた。そのまま木にぶつかったけど本人にダメージはまるでないな。むしろ木の方が折れたというのに、ぴんぴんしてる。さすが我らが守備隊長。
狼と竜が睨みをきかせているところで、おれはあることに気が付いた。
……うわ、おれの靴ってヒールじゃん。かかとはそこまで高くないけど、ヒールなんてはいたことないぞ。それで森を踏破するのはさすがに難しそうだなあ。
というわけで、おれはしぶしぶ、本当に残念だけど、ブレズの好意を受けることにした。
「かしこまりました。それではこのブレグリズが、貴方様を無事に町までお送りいたしましょう」
「うん、よろしく。疲れたら自分で歩くから、遠慮なくいってくれ」
「いえいえ、私が普段振り回している大剣に比べたら、姫様など羽根のように軽いかと思います。お気を煩わせることなどありませんよ」
確かに、あの大剣と比べたらそりゃそうだろうな。どうやらいらぬ心配だったみたいだ。
それではブレズの背中にお邪魔しようかと思っていたのだけど、いつまでたってもブレズは背中を見せてくれない。あれ、と思ったその瞬間には、おれの体は抱えあげられていた。
――――お姫様だっこの形で。
「うえええええっ!?」
「いかがいたしました?」
「え、うん、いや、なんにも……」
そっかー、そういうパターンで来るかー。これは思った以上に恥ずかしいぞ。
鎧に加えて、ひと一人の重さを抱えているにもかかわらず、ブレズに苦悶の陰りは見られない。前衛型パワータイプの性能を見せつけられた気がする。
「落ちないよう、しっかりとおつかまりください」
どこにだよ。角とかつかむぞこの野郎、恥ずかしいんだよ。
でも、後ろのヴァルが「落としたら殺す」と言わんばかりのオーラを放っているので、ここでおれが落ちようものならまじで惨劇が起こると思う。おとなしくしておこう。それにしても、この体勢を恥ずかしいと思わないあたり、このドラゴン、なかなかの天然だぞ。
「それでいいなら早く行こう。おれは疲れた」
おれらの馬鹿騒ぎを見ていたホリークが気だるげにつぶやき、先行しようとする。それにレートビィがやる気に満ちた顔で並び、小さい体でぴょんぴょんと跳ねる。
「先頭は任せて! 今度はしっかりと働くからね!」
ダンジョン探索用に作り、盗賊職を極めているレートビィがいるなら安全は確保されたようなものだろう。それに「お願いするよ」と言うと、「任せて!」と頼もしい返事をもらった。
それにしても、一体どうするかなあこの先。ゲームの世界なんてそれこそ、漫画やアニメじゃあるまいし。いざその立場になってみて、何をしていいのかさっぱりわからない。
ブレズの腕の中、ぼんやりと思考に耽る。途中何度かモンスターに出会ったようだけど、意にも返すことなく進んでいるようだ。まあ、この辺のモンスターなんて雑魚もいいところだし。
わからないことを考えていてもしょうがない。気がめいるだけだ。そんなことは、落ち着いてから考えることにしよう。何にしても、情報がないのだから。
目先のこととしては、ヒールに慣れたほうがいいのかもしれない。もしくは新しい靴を探すか。
前途多難だなあと、こっそりとため息を吐く。町に着くまで、おれはそんなとりとめのない思考で遊び、時間を潰す。そして、町に着いたおれはこの世界のことを誤解していたのだと知るのだ。
それがめんどくさいことを引き起こすことになるとは、さすがに気付けなかったけど。