ニート思い立つ
昨日もニート。今日もニート。たぶん明日もニート。
あれから数日がたって、作業は順調に進んでいる。
ヴァルはレートビィの力を借りて、この国における魔法の最先端である王立魔道研究所の構造を完全に把握した。最上級やら天級やらといった人の手に余る魔法を管理している場所も突き止め、ただいま潜入作戦を練っている最中だ。忍び込むのは簡単だが、本を持ち出すということになると管理が厳重らしい。汎級魔法により管理されており、一冊持ち出すのも大変ということだ。もっとも、そこはホリークの助力で解決しそうだけど。
レートビィは着々と王都に情報網を築き上げている。情報屋である影猫に気に入られているらしく、主要人物の密会などのスケジュールを横流ししてもらっている。そうなるとあとは潜入して盗み聞きするだけなので、レートビィにとっては楽勝だろう。
ただ、聞こえてくる情報に有益なものがあるのかというとそこは難しく。聞こえてくるのは王宮の権力争いだとか王子の結婚相手を探そうだなどといったどうでもいいことが大半だ。やはり、やみくもに探すよりかは誰かに的を絞ったほうがいいということで、リュシアとハウゼンの周囲を洗っている。
ハンテルは、まあ、ものすごく楽しそう。悪乗りしたホリークと一緒にトラップを仕掛けまくってる。どこをどう改造してるのか詳しくは知らないけれど、何も知らずに攻め込んできた敵兵がかわいそうになるのは分かる。
ちなみに、ハンテルの仕掛けたトラップが敵をしとめるたびに一回なでるという変な約束を取り付けられた。あいつのやる気の原動力は間違いなくこれ。
そしてニートのおれは毎日優雅にお茶をたしなんでいるのだった。死にたい。
「いかがでしょう姫様。今日は頑張ってクッキーを焼いてみたのですが」
すっかり執事として板についてきたブレズがポットを持ちながら聞いてくる。机には不格好だが甘い匂いのする焼き菓子が置かれており、食欲に誘われるようにおれは手を伸ばす。
ちなみにこのお菓子の名前はクッキーではないのだけど、最初に食べたときにおれが「このクッキー美味しい」とか言ってしまったせいでクッキーという名前で定着している。
おれが右といえば右になる世界、怖い。でも、本来の作り方にヴァルのアレンジが入っているので、クッキーという名前にしてもいいよな。うん、ファンタジー世界に新しいお菓子を持ち込んだということで。
最初こそ豪華絢爛過ぎて萎縮していたものの、今ではおれの部屋と言えるくらいにはなじんできた部屋で、おれはニートとしての責務に精を出している。
「うん、上達したな。このままいくと晩御飯をブレズが担当する日も遠くないかも」
「ありがとうございます。ヴァルにはまだ及びませんが、私にもできる仕事が増えて喜ばしい限りです」
尻尾を大きく一振りして、ブレズはにっこり笑う。剣を持って戦場に挑んでいる姿とは似ても似つかない温和な表情が、ここ最近最もよく見る姿だ。
執事服にも違和感がなくなってきたし、本来はこういう仕事のほうが合っているのかもしれない。執事に必要ない量の筋肉さえなければ、本職といっても通じるだろう。
「後でステラにもおすそ分けに行こうと思っているのですが、イグサも姫様の負担となっていることに責任を感じているようですので、ここは一緒にお茶でもいかがでしょうか?」
ヴァルなら絶対にしないであろう提案に、おれは二つ返事で頷いた。リュシアらにばれるとまずいので極力外出を控えてもらっているんだ、気分転換には付き合わないと。
ブレズは嬉しそうに竜の口で笑みを作り、隆々とした肉体を和やかに彩った。
「ありがとうございます。あと、どうせでしたら作業中のハンテルやホリークもお呼びしたいのですがどうでしょうか。せっかくなのですし、大人数でテーブルを囲ってみては。そのほうがステラも喜ぶことでしょう」
提案がいちいち大人だなあ。ブレズといると空気が暖かいというか、時間がゆっくり流れていく気がする。
こんな風にのんびり過ごすのも悪くない。どうせおれにできることなどないんだから、ゆっくりしたっていいじゃないか。
ブレズが入れてくれた温かい紅茶を胃に流し込んでみても、奥底でくすぶっている罪悪感は薄れてくれなかった。それは日が経つごとに肥大化して、おれをずっとむしばんでいくんだ。
そう思いたかったけど、ごめんな。やっぱりおれにはお前らにだけ働かせるなんてできそうにないや。
おれの前ではブレグリズがイグサの家にもっていくお茶の用意をしている。バスケットに山盛りに乗せられたクッキーは香ばしい匂いでおれの後ろ髪を引く。
何かするなら、ブレグリズの監視をかいくぐらないといけない。だから逆に、おれはこいつを巻き込むことに決めた。
「ブレグリズ」
「なんでしょうか?」
いつも通りの温和な目におれの決心が少し揺らぐ。
それを飲み込んで、代わりに決意を吐き出した。
「王都に、行きたいんだけど」
「はて、お買い物でしょうか。でしたら、ヴァルかレートビィにお願いすればいいかと思います。あの二人は王都にて情報収集中ですので」
「いや、違う。そうじゃないんだ」
言葉を口腔内でためて、一気に紡ぐ。
「王宮の晩さん会に、呼ばれているんだけど、一緒に行ってくれないか?」
「……それは誰の差し金か、伺ってもよろしいでしょうか?」
「リュシアから、ギルドクリスタル経由で手紙が届いてた。あいつはどうしてもおれらを人外たちの旗頭にしたいらしい」
「確かにもし姫様が地位を得れば、差別は緩和するでしょう。しかし、それは危険を伴います。まだ背後にいるのが誰なのかわからない状況で、目立つのは危ないです」
「その誰かをあぶりだすのに、おれを使ってほしいと言っているんだ」
その誰かがわかれば、おれらの身のふるまいも方向性が決まる。ヴァルが魔法探しにいそしんでいる間、どうしても情報収集に遅れが生じてしまう。だから、余っている人手は活用したい。それだけのことなんだ。
だけど、ブレグリズは膝をついておれに頭を垂れる。先ほどの執事然とした雰囲気は霧散し、張り詰めるような騎士としての風格が部屋を満たしていく。
「考え直していただけないでしょうか。我らの仕事が遅いことは認めます。ですが、貴方様がそのような苦役に身を投じる必要などございません。我らが一層身を粉にして働きます。ですので、どうか今しばらく辛抱してください」
「……おれが、お前らばかりを働かせるのが好きじゃないことぐらい、もう知っているはずだろう?」
「もちろんでございます。姫様のお優しい心根にどれだけ救われていることか。しかしながら、もし貴方様の身に何かが起こったとしたら、我ら一同、明日への導を見失ってしまいます。姫様は我らの主にして神であります。なにとぞ、お願いでございます。我らに姫様を守らせてくださいませ。貴方様を危険にさらしたくない一同の気持ちを、どうか汲み取っていただけないでしょうか」
おそらくこいつらは、おれのことを宝物のように思っている。危険な目に合わせることを忌避し、ただただ厳重に守りたいと願っている。
このままおれが手をこまねいて事態が悪化しても、おれだけ逃がせればいいと思っているふしがある。おれのことを最優先しすぎている反動で、その他のことがおざなりだ。
そして、おれはその考えがとても嫌いだ。
「ブレグリズ」
きれいな少女の声はどこまでも澄んでいて、まるで鈴が転がるかのような音を立てる。引き締まった声を受けて、騎士の肩がわずかに揺れる。
「おれがお前らの主であり神であるというのなら、おれにもお前らを守る義務がある」
「姫様……」
「おれは、お前らの力になりたい。戦う力はないけれど、それでも、おれにできることをしたいんだ」
騎士の前で身を屈めると、竜の面持ちが上がって目があう。おれのことが心底心配だと言わずとも語るその眼光に向けて、おれは優しく微笑んだ。
「おれは死なない。お前らの前からいなくならない。決して」
そのためにも、お前らの役に立ちたいんだ。
「だから、行かせてくれないか?」
実を言うと、このやり取りは『思考伝達』で全員に配信中だ。
こっそり行ってもよかったのだけど、そうなると確実に全員が大混乱するし、独断行動は信用にかかわる。
ということでみんなの了承をもらおうとした途端、いつもやかましい守備隊長がひときわやかましい声を脳裏に響かせた。
『姫様がおれのために働きたいって! なあ聞いたかホリーク! おれのためにって言ったぞ、なあ、なあ!』
『うるさいハンテル。まあ、姫様がそこまで言うならいいんじゃないか。おれの仕事が減るのはいいことだし。もちろん、姫様になにかあったらブレズは灰にするけどな』
『同意。姫様のその気高い心意気にこのヴァルデックは胸を打たれました。そのような慈悲をいただいては、断ることこそ失礼に当たりましょう。しかし、姫様に何かあったらブレズは殺す。何があっても殺す』
『もーヴァルってば怖いよ。素直に姫様のことをよろしくお願いします、でいいじゃん。あ、僕も賛成だよ。姫様に手伝ってもらえれば百人力だしね! 僕もお仕事頑張るから、一緒に頑張ろうね!』
三者三様の返事をもらい、これでおれも動くことができる。ブレズへのプレッシャーが半端ないことになってしまったが、そこは我らが竜騎士、決意に満ちた声でこう切り返してくれた。
『ご安心を。私がいるからには姫様に指一本ふれさせるものか。私を誰だと心得る。姫様の盾にして剣、竜騎士ブレグリズだぞ。もし姫様の身に何かあろうものなら、我が配下の竜をすべて呼び寄せ、あたりを焼野原に変えることも辞さない覚悟である』
ごめんそこはちょっと自重してほしいなあ……。
ひょっとして、おれって無自覚な爆弾なのではないだろうか。おれに何かあると、こいつら全員の魔法が周囲を無差別にぶっ飛ばす。……あれ、おとなしくしてるのが世界のためなのでは?
ま、まあ、今更後には引けないし、おれが気を付けて安全に物事を進めればいいだけの話だよな。そうすれば世界は平和なはずだ。
「頼りにしているぞ、ブレグリズ」
「っは! この命に代えても、姫様をお守りします!」
まるで宣託を拝命された騎士さながらの気迫で、ブレグリズは膝をついたまま堅く声を上げた。騎士の誓いはゆるぎなく、彼の持つ気迫が澄み切った色になって立ち上る。愚直なまでの忠誠心が、彼を鋭くも美しい武人に仕立て上げている。
しかし、次にブレズが顔を上げたとき、彼の醸す鋭利な雰囲気はそこにはなく。こちらを安心させる温かい彼本来の味がにじみ出ていた。
ああ、そういえばクッキーをおすそ分けに行く予定だったな。と、おれはそれを思考の片隅から拾い上げることに成功した。さすがにステラをこれ以上待たせるのはかわいそうだ。
おれらの意思が同じ方向を向いたとき、騎士から執事に変わったブレズはこう締めくくった。
「それでは、お茶にまいりましょうか」




