ロリババアによる世界情勢講座
ここからめんどくさくなります。
目を覚ましたおれを待っていたのは、後始末という名の地獄だった。
「ほう、つまりお前らの報告をうのみにするならば『マスラステラを追い込めたがあと一歩のところで取り逃した。そして、その竜に乗って主犯も逃亡』と。そう言いたいのか」
ギルドの所長室という最も位の高い部屋に通されたおれを出迎えたのは、幼女の鋭い眼光だった。口は笑っているが目は全く笑っておらず、幼女とは思えない威圧感をばしばし醸し出している。
礼装らしき堅苦しい服ではあるのだがどうやらスカートになっているようで、あの机の向こうには幼女の生足があるのだと思うと幾分か気が楽になる。そんなどうでもいいことを考えていないと、この圧を幼女が出しているという現実についていけない。
幼女――改めギルドマスター・ステイ=リュシアは自身の背丈より高い椅子に腰かけ、大きな机に肘をついておれを見つめている。マスラステラとは違う底知れない光をたたえた目を見ていると、うそを暴かれてしまいそうな不安に襲われてしまう。
しかし、もう後には引けないのだ。おれはさも失態を悔やむような顔を取り繕い、ためらいがちにうなずいた。
視線の拮抗を数刻維持したのち、リュシアは目をほころばせる。これで顔全体が笑ったことになるのだが、猜疑の雰囲気が和らぐ気配はみじんもない。幼女おそるべし。
「そうか、私が送った監視がマスラステラの攻撃を受けて全員記憶がない現状、頼るべきは貴様らの報告だけというわけだ。相当距離を取って望遠していたにも関わらず、皆が皆綺麗に昏倒しておったそうじゃしな」
素知らぬ顔、素知らぬ顔。うろたえるなおれ。証拠はどこにもないんだ。この幼女は推察の確信を得るために、おれがぼろを出すのを期待しているにきまってる。
綱渡りではあったけどそこでリュシアは観念したようで、ため息を吐いてやれやれと首を振った。次に面持ちを上げたときには、詰問しようとする空気が霧散しており、シニカルに口角を持ち上げる年齢不詳の幼女がそこにいた。
「さてさて、本来ならじゃ。行き過ぎた独断先行により任務は失敗ということになり、貴様らの評価がだいぶ下がるわけだが」
人外パーティに下げるべき評価なんてあったもんじゃないだろうに。もともとが最低値だ。見下したければ見下すがいい。
おれらの顔色から読み取ったのか、リュシアはそこでわずかに眉をひそめた。申し訳なさそうな表情を作るその心は、何を思っているのか。
それは、次に語られる。
「……そうなるじゃろうな。それに関しては、私の管理責任じゃ。自由を謳うギルドにあるまじき体たらくに言い訳のしようがないわ。貴様らの活躍が人外に対する評価を改める機会になればと思っておったが、まあ、しかたないの」
その言葉は意外だった。てっきりあの改造モンスターが人外を襲わないからこその釣り餌だと思っていたのだけど。それが本心だとするならば、幼女も結構苦労していそうだ。
「もちろんそれもあるが、ああいう建前でもなければ貴様らをここに呼ぶことすらできなんだぞ。次々とAランクをクリアする有能な冒険者。そいつらを囲むことがギルドのためになるとほかの連中は分かっておらんのだよ。いや、分かっているからこそ、阻止しようとしておるのかもしれんがね」
「……失礼します、姫様」
ヴァルがおれに許可を求めて一礼する。大体それだけで何がしたいか察することはできるので、おれは一言だけ言葉を放つ。
「しゃべっていいぞ、ヴァル」
「ありがとうございます」
いや、本来ならしゃべるくらい許可とかいらないからね。勝手にしてもぜんぜんいいのだけど、いかんせん執事は主からの許可がなければ何もできないらしいのだ。特に、こういうかしこまった場所に関しては。
……その心意気はギルド会議のときにも発揮されててほしかったなあ。あの時とは状況が違うのは分かるけどさ。相手が礼節を持っているのなら、ヴァルもそれにのっとる考えなのだろう。
黒狼は凛とした相貌でリュシアを見据え、気圧されることなく対峙する。
「先ほどからの言葉を拝聴しておりましたが、どうやら貴方様にはこの差別騒動についてなにか思うところがおありの様子。そろそろ本題に入られてはいかがでしょうか?」
「せかしよる。麗しい幼子が会話相手を求めておるのじゃぞ。少しは付き合ってもよかろう?」
「あいにくと、そろそろ姫様のお茶の時間ですので。私としては先の見えているつまらない話に姫様を付き合わせるなど笑止千万。この先何が起ころうと、我々は姫様の決断に従うだけです」
「見上げた忠誠心じゃな。では、その心意気に免じて、本題にいくとしようかの。どうやら、もう察しはついておるようじゃし」
そう、ヴァルからの報告をもとにおれらはある仮説を立てている。もっとも、その組み立てのほとんどにおれは関与していないが。
ヴァルが昏倒させた監視の中には獣人が、つまり人外が含まれていた。おれらに主犯の場所へ向かわせるだけの会議でもめるような連中が、重要な役割である監視を人外に託すなんてあり得るのか。
そこから考えられるのは二つ。
ギルドマスターが人外と懇意にしているか。もしくは、別の勢力が人外を放ったか。
前者ならこの状況にもまだ納得がいく。事情聴取の後にギルドマスター自らがおれらと対面するなどというこの状況がすでに、嫌悪感がないといっているようなものだから。
後者なら、さらにめんどくさくなることが確定といっていい。おれらの知らないところでまだ何かが渦巻いているなんて、もうほっておいてくれとしか言えない。
おれらがリュシアの招待に応じたのは、この点を確かめるためだったりする。
そこまでをかなりマイルドに――具体的にはヴァルが監視を昏倒させたところをぼかして伝えたところ、リュシアは感心したように目を細めた。
「あっぱれあっぱれ、なかなか頭も切れるようではないか。しかし、悲しいかな。この場合は『どちらも正しい』のじゃよ……これ、そんな露骨に顔をしかめるでない。今から私がしっかり説明するので、その顔をするのはしばしまたれい」
これからまだ面倒ごとが続くといわれたならば、こんな顔になるのも無理はないだろうが。おっといかん、辟易とした顔は美少女には似つかわしくないな。にっこり美少女スマイルでもくらえ。
まあ、その説明を聞きに来たのが目的なのだから、教えてくれるというのならありがたい限りだ。おれの後ろでハンテルがあくびをしたが、その気持ちは痛いほどわかるぞ。
そろそろ立つのもつらくなってきたから、ティーセットでも囲って談笑したいところだ。しかし、目の前の幼女が敵か味方か判別ができない以上、背筋を伸ばすしかない。
できれば座りたいのだけど、さすがにそれを言うのは憚られるな。立場的にはおれらは一介の冒険者だし、向こうはその長であるマスターだ。おとなしく立っているしかなさそうだ。
おれらの聞く準備が整ったと見るや、リュシアは淡々と語り口を開く。
「私は人外への差別思想など持っておらんよ。それどころか、獣人種などを積極的にギルドへ引き入れようとしておる。理由は、語るまでもないじゃろ。ギルドの指針は国籍や人種にとらわれない活動じゃ。その組織の一長として、ひいてはこの国の民として、優秀な人材に種族など些末にすぎぬ、人材なくして組織は回らぬからのう」
そこで、リュシアは迫害されている種族への雇用として、裏方仕事を回しているそうだ。あの監視のうち大半はリュシアが手引きしたものであり、おれらに何かあった場合即座に対処するために手配したものだ。
ただの人間ならおれらを救助するわけもないので、この判断に関しては妥当かと思われる。そこで気になるのは残りの監視だ。尋問でもできればよかったのだけど、仮にギルドのメンバーであったなら、確実に軋轢を生むと判断し見逃したんだよなあ。
しゃべり通しで疲れたのだろう、リュシアは机の上に置かれた空のカップを一瞥した後、ベルに手を伸ばし――そこでおれの存在を思い出して仕方なさそうに手をひっこめた。
「ヴァル、紅茶を入れてくれないか」
「かしこまりました。失礼ですが、お湯をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「まことに痛み入る。じゃが、お湯はここにはないのでな、口さみしいが我慢するとしよう。客人にも申し訳ないが、密会故に理解してもらいたい」
これ密会だったのかよ。ギルドのトップが獣人と会合するだけで胡散臭がられるのか。
いや、これから話す内容が結構深刻なものになるから、その配慮ってことか。どちらにせよ、おれらの立場がややこしいことには変わりない。
「いえ、そのように遠慮なさらなくとも結構ですよ。貴方はただ、私にお湯を使う許可をくれればそれでいいのですから」
物静かな執事が淡々と言葉を連ねると、リュシアは興味深そうに笑みを深めた。ヴァルが意味するところを読み取ったのだろう、幼女らしからぬ老獪な表情は、幾分か挑発的な色を帯びているように思える。
「ほう、持ってくると申すか。この差別はびこる密室の内部から。よい、好きにせよ。ただし、私の助けは期待するなよ?」
「もとよりあてになどしておりませんので、ご安心を。では、少々お待ちください……ああ、そういえば、お茶を飲むのに立ちっぱなしというのも難儀な話です。私はお茶をどこにもっていけばよろしいのでしょうか?」
「……この執務室の隣に応接間がある。横の扉の中で待っていよう」
「お心遣い、感謝します」
「よく言いよるわ」
さすがヴァルデック。お茶を用意することで座らせろと要求を通すことに成功してる。そのうえ自分は内部を探索できるとくればいうことなしだ。あいつが見つかるとは全く思えないし、いい情報をつかんできてくれることを祈るばかりか。
それだけ言ってふっと消えるかと思ったが、予想に反して凛々しい狼は普通にドアを開けて出て行ってしまった。厨房の場所とかわかるのかと一瞬危惧したけど、狼の嗅覚をもってすれば余裕に違いないとすぐに納得した。
ヴァルの姿が消えてから、リュシアはにやにやと楽しそうにおれらを見ている。最初と比べて、おれらにどんどん興味がでてきているように感じられた。
「よいの貴様ら。私を相手に物怖じしない態度といい、隠し事をする豪胆さ。ますます手放すには惜しい逸材よ。では、客人として、隣の部屋に移られい」
促されて応接間へ。堅実な内装で飾られた部屋の中心にあるソファーに座らせてもらおう。おれが座ると、当たり前のようにハンテルが隣に座った。
向かいにリュシアが座ってしまうと、全員座れるスペースもなく。他のメンツはいまだ立ちっぱなしを要求されている。一応レートビィが座れる空間ぐらいは空いているので誘ってみたが、大丈夫だと断られた。けなげだ……。
「おれ、もう飽きたし図書館に行っていいか」
「ホリーク、今は大事な話をしているんだ」
「そうはいってもよブレズ、別に全員で聞かなくてもいいだろうが」
だったらまずおれが抜けたいよ。
後ろで聞こえる文句に内心そう呟いてしまった。
「お待たせして申し訳ありません、お茶をお持ちしました」
おれの嘆きが心中で反射していると、予想をぶっちぎる速さで帰ってきたヴァルがカートにお茶を載せて部屋に入ってきた。
これにはさすがにリュシアも驚いて口をあんぐりと開けるものの、すぐさま取り繕ってもとの不敵な顔になった。さすがロリババアはガードが堅い。
「早かったの」
「ごみどもに邪魔されなければこんなものですよ」
ヴァルさんの遠慮ない物言いに、幼女が高らかに笑う。
「くはははっ、言いよるわ童が。さて、ではどこまで話したかの、そうそう、私が差別などしておらぬということまでか。実を言うとな、この風潮には私も困り果てておるのだよ……ふむ、うまいの。同じ茶葉のはずだが、こうも違うか」
ヴァルが入れた紅茶に舌鼓を打ちつつ、それを潤滑油としてさらに言葉を紡ぎだす。
おれにも入れてくれたけど、今は飲む気になれず。リュシアが言いたいことを逃さないので必死だった。
「獣人国家『ビストマルト』、当然知っておろう。我らが見下す人外によって作られた国じゃ。この差別はのぅ、その国家が仕組んでおる一手なのじゃよ」
「……なんのために?」
「大義名分と人脈確保のため、といえばわかりやすいかの。こうも獣人種が迫害されておれば、獣人の国として武力介入する口実としては筋が通ろう。そして、人に嫌気がさした人材があの国に流れこんでいく。まったく、回りくどいが厄介な手じゃよ。あの事件の監視はその一手じゃろうな。あわよくば勧誘しようとしていたのかもしれんが、うまくいかなくとも我らが獣人を断罪すれば、いかに禁忌使いとあっても同情は集められる。好きに脚色できることも考えて、まあめんどくさいことにはなるな」
「つまり、ここは戦場になるっていうことか?」
「理解が早くて助かるの小僧。近い未来、獣人の救済を大義名分に攻め込む『ビストマルト』と、人を守るなどとうそぶく聖教国家『ヨルドシュテイン』によって戦火に見舞われるだろうな。……私としては、それは是が非にでも避けたいのじゃよ」
やれやれと嘆息するリュシアの後ろ、壁に掛けられた世界地図を見るとその話が現実味を帯びているということがわかる。両隣にあるでかい国とその間にいくつもの小国を確認できる地図で、ここノレイムリアは縦に大国の間をつなげている国だともわかる。
おれらがいる『ノレイムリア』は土地面積こそ連合の中では大きいほうだが、国力という点ではあまりぱっとせず、ゲームでもそこまで重要な国じゃなかった。ここら辺はそんな小さい国家が集まって連合を作ることで左右の大国、『ビストマルト』と『ヨルドシュテイン』に対抗しているはずだ。この二つの大国からにらまれる形になっていることは、ここら辺の国にとってかわいそうといえるだろう。
そんな連合国家を緩衝材にしながらも、獣人大国『ビストマルト』と聖教国家『ヨルドシュテイン』はたびたび小競り合いを繰り返してきた。
獣人こそ最も優秀な種であると豪語して憚らない『ビストマルト』と、すべては神によって作られておりそこに順序などないと平等を謳う『ヨルドシュテイン』。人外にとっての希望の星が『ビストマルト』なら、『ヨルドシュテイン』もまた、平和を愛する人にとっての希望なのだ。
ゲームをしてたときは正直どっちでもいいなと思ってたんだけど、人外差別の視線にさらされた今となっては、やはり気持ちは『ビストマルト』に傾いている。それが思惑通りということなら、向こうの国はなかなかにやり手だろう。ゲームでは完全な脳筋国家だったのに。
「私はそんな状況を変える一手として、貴様らに目立ってほしかったんじゃよ。獣人種が名声を得られれば、少しは改善するじゃろうてな」
それで緊急クエストにおれらを呼んだというわけか。おれらが思っている以上に、頭を悩ませているんだなあと実感する。
そこでようやく気持ちに一区切りついたのか、ヴァルが入れてくれた紅茶を一口。褐色の液体は芳醇な香りを立てながら、気持ちをなだめてくれた。
「んでさ、なんでそんな話までおれらにしたんだ?」
ハンテルがあくびを噛み殺しながら問うと、幼女はしてやったりと笑う。なんというか、そこからにじみ出ている性格の良さがすごいな。
「なあに、ただの嫌がらせじゃよ。貴様らの実力はある程度分かったんじゃ、今後絶対にビストマルトから使者が来るぞ。『ともに獣人を解放しよう』とな。それがあいつらの自作自演だということを知っておれば、また違った対応ができるじゃろうて。その結果、もう少しこの国にいてくれるなら私としては万々歳というわけじゃ」
性格がとてもよろしいことで。一度聞いてしまえばもう知らなかったことにはできない。たとえそれが嘘であったとしても、おれらにはもう猜疑が植え付けられてしまった。これですんなりビストマルトを信用することはできなくなったと言っていい。それこそ、このロリババアの思惑通りなんだろう。
そして、最後にリュシアは気を付けろ、と言う。打って変わったまじめな声音で、これまでの話を統括するように。
「こんな差別騒動を起こすには、絶対に人間の内通者が必要じゃ。身の回りには十分注意することじゃな。ビストマルトからの使者を断ったら、貴様らが死者になったなんて笑えぬ話よ」
ここで笑みを戻し、さあ笑えと言わんばかりに幼女は締めくくるが、おれらに漂ったのは反応に困ったあいまいでどっちつかずなものだった。
はっきりというと、ロリババアのジョークは、とても、つまらなかった。




