(番外編)ヴァルデックの宿屋探し
姫様が宿をご所望だ。どこかにいい宿はないものだろうか。
私は慣れない王都の隅々まで目を光らせ、あの麗しい姫君にふさわしい宿を探す。狼の眼光は獲物を求めてさまよい、それらしき建物に狙いを定めていく。
もちろん、視線はさまよわせど田舎者のようなはしたないまねはしない。私は常に姫様にふさわしく毅然とした執事でいなければならないからだ。
あの方に似つかわしい格式高い宿はおそらく城の近くだろう。貴族が集う場所など、雰囲気ですぐわかるものだ。
そう考え王都の中心を目指していた私に声をかける無礼者がいた。
「おう犬っころ、ここから先はお前のような奴がいっていい場所じゃねえんだぞ」
黙れ汚物。貴様がその不快な雑音を話し終えるまでに五回は殺せているぞ。
などと思ってはいるがそんなこと口には出さない。私の失敗は姫様の失敗。こんなところで問題を起こそうものならあの純白に染みができてしまう。そんなこと許せるわけがない。
なので、足を止めて耳障りなノイズを放つ動くごみを視界に入れるとしよう。
ふむ、見たところ衛兵か。支給品らしく粗末な鎧兜を着ている。隙間から窺える顔の品性のなさは野生の猿と言ったところか。猿山ならさぞもてるだろうがあいにくここではその美的センスを理解できるものなどいないだろうな。もちろん私も含めて。
私が何も言わないでいるのを不快に思ったのだろう、名前もわからない猿は警戒した顔つきになり私との距離を詰めていく。そんなに死にたいのだろうか、この猿は。
「ここから先は貴族街だ。お前みたいなケダモノが入れるわけがないだろう」
「ちなみに、この中に宿はあるか?」
「あるにはあるが、お前みたいな奴が入ったら門前払いじゃすまないぞ。最悪衛兵が呼ばれてとっつかまっちまう。悪いことは言わねえから、早く帰りな」
ケダモノだのなんだの口は悪いが、一応心配されているようだ。紛らわしいことこの上ないが、これが人外に対する普通の呼び名なのかもしれない。もし、あの方に対してその呼び名を放ったら、その舌を引っこ抜いて薄くスライスしてバターでいためて野犬の餌にしてやる。
さて、私が姫様に無理を言って単独で行動させてもらった理由はこれだ。こんな無礼者がはびこる町での宿探しなど、あの方を付きあわせるわけにはいかないからな。そういうのは私の仕事だ。
では、まずは情報収集だな。私は胸をそらし自慢の執事服を主張しながら、これ見よがしに問うてみる。
「そこまで悪い身なりではないと思うのだが、金では解決できない問題か?」
「無理だろうな。ってか、お前みたいなケダモノがそんないい服着てることが信じらんねえよ。その態度を見るに、盗んだもんじゃねえのはわかるんだが」
「無論。これは私が敬愛する主よりの賜り物だ。その主のため、今宵の宿を探している」
そこで私は数枚の銀貨を取り出し、猿の前で擦り合わせる。むやみやたらと探すより、この方が効率的だ。
案の定猿は目の色を変え、白銀の輝きをもの欲しそうな目で凝視している。
「さて、そんな私の主にふさわしい宿を、お前は知らないか?」
「……泊まれるとは限らねえぞ?」
「そこまでお前に求めていない。知っているかと聞いているんだ」
金で解決できるのならそれに越したことはない。幸い、依頼料がたまっているんだ、我らが姫様のために使われるのならだれも文句など言うまい。
猿から情報を入手し、早速宿へと向かう。どうやら猿にしてはきちんとした審美眼を持っているようで、その宿はなかなかに豪華な作りをしていた。これでうっそうとした森林だったりしたら、すぐさま戻って四肢を逆方向に折っていたところだ。
全体は悪くない、小さな城のような豪華な作りに手入れの行き届いた壁。やはり高級というだけはある。これなら姫様も納得してくれるだろう。
中に入ってみると、これもまた良きかな。豪華だが決して華美すぎない調度品と全体の雰囲気が綺麗に釣り合っている。成金趣味では決して出せない、品の良さがある。
「……もっとも、中にいる人まで品がいいとは限らないか」
ぶしつけな視線にさらされ、思わず本音が漏れてしまった。いかんいかん、このような私情を漏らすなど、執事として失格だ。私もまだまだ詰めが甘い。
とっさに睨み返してしまいそうになるのをぐっとこらえ、毅然とした面持ちでカウンターまで歩いていく。背筋は曲げず、尻尾は振らず、耳を立て、狼であるこの身を恥じることないように。
赤い絨毯は中央の大階段まで続いているが、カウンターは大階段横に設置されていた。一階はサロンになっていて、そこにたむろっていた人々の視線も私に集中している。豪華な身なりはおそらく貴族だろうし、実用的な装備に身を包んでいるのは冒険者だろう。人数が少ないのは使用できる客が限られている証拠。そんなところに差別対象である人外がいるのはどうしても人目を引いてしまうようだ。
カウンターまでくると、あからさまに嫌そうな顔をした初老の猿と目があった。いかに身なりを整えようと、その性根までは隠せていない。これで客商売などと片腹痛い。
しかし、そんな気持ちなどおくびにも出さず、私は一礼する。私は執事。すべては主の幸せのため。
「こちらの宿の評判を聞き、ぜひ我が主の一晩の宿としたい。いくらだろうか?」
聞いてみても返答はなく、値踏みする視線だけが返ってきた。
私の着ている服や態度から主の姿を見ようとしているのだろう。ここで働いているということはそれなりに目が肥えているはず、一笑にふされないのはそれだけ私の執事としての風格がよかったのだと自画自賛させてくれ。これがハンテルだったらすぐさま追い出されていたはずなのだから。
やがて、猿が提示した値段は事前に衛兵猿に聞いていた物と大差なく、騙されているというわけではないのだと判断する。その程度なら払えない額ではないのだが、どうやらこの猿は別の心配事があるようだ。
「泊まるのは雇い主だけなんだろうな?」
「いや、主と、私を含めその従者五人だ」
「……まさかその従者全員がケダモノだったりするのか?」
「そうだが、それがなにか?」
「だったら別料金だ」
そう言って値段を倍くらいに引き上げられた。金貨一枚の価値を考えると、これだけで一か月は遊んで暮らせるだろう。
別に払えない金額ではないが、私一人の独断で姫様にそのような負担を強いてもいいのだろうか。ハンテルやレートビィは楽しみにしているが、姫様のためならあいつらも引き下がってくれるはず。
まあ、この程度なら予想の範囲内だ。差別があるというのなら、泊まれるだけでもありがたい。そこらへんは私の背後にいる金の匂いのおかげだろうが。
「人外というだけでここまで跳ね上がるものなのか?」
「君がどのくらいの予算で来ているのかは知らんが、君らがまき散らす毛の掃除に、人外を泊めたという風評被害。これだけでも優しいと思ってほしい」
ふむ、やはりひどい世界だな。ああしかし、あのお優しい姫様のことだ、自分だけが泊まるとなると確実にお心を痛めてしまうだろう。私としては姫様さえここに泊まれればよいのだが、やはりここは全員が泊まれるよう交渉すべきだろう。
「二部屋用意してもらいたい。我が主が泊まる部屋と、我ら従者が泊まる部屋だ」
「ふむ、なら、君の主には最上級の部屋を、君らには一番下の部屋を用意しよう。そういうことかな。それなら別料金もそれほどかからないね」
「ありがたい。あと、私は執事として姫様の身の回りのお世話がある、部屋への立ち入りくらいは許可されるのだろう?」
「それも含めての別料金だ、好きにしたらいい」
「意外に話が通じるのだな」
「これでも長いことここにいるからね。君を見ただけで主の品の良さがわかるよ。だから、これはサービスみたいなものだ。今後ともごひいきにってね」
猿にしては話が分かるようでなによりだ。猿から人に昇格させてやろう。
料金は前払いだというので、金貨の詰まった袋をためらいなく渡しこれで契約は成立だ。それでは先に部屋を見ておいて、姫様の為に整えておかねば。いくら高級とはいえ、どの程度のサービスなのかは未知数だからな。
ああ、しまった。姫様の為に茶菓子を購入しておかねば。茶葉はどうすべきか。せっかくなのだから、王都で仕入れるのがいいだろう。寝間着の準備もそうだが、風呂場はどうなっているのかも見ておく必要があるぞ。姫様にふさわしい石鹸や香水があるか確かめねば。っく、宿をとることばかりに夢中になって、備品の整備を忘れるとは、なんたる不覚。
「おい、ここでは茶菓子もサービスか?」
「そうだね、頼めば準備させていただくよ。もっとも……」
「わかっている。これだけあれば足りるだろ」
「十分だね。それなら晩御飯はうちのシェフが腕によりをかけて作らせてもらおう」
なるほど、部屋代と料理は別か。この世界のことについてよく知らないが、目の前のほくそ笑んだ顔を見ればそれが不条理に基づいているとわかる。人に昇格するのはやめだ。タヌキだなこいつは。
のらりくらりと要求を呑むふりをして、むしれるだけむしろうという魂胆か。大方、私が言わなくても前払いを受け取った後に切り出すつもりだったんだろう。口惜しいがいたしかたない、社会勉強だと割り切ろう。
これで姫様も気兼ねなく王都を堪能できる。外には出さないように胸をなでおろし、一息ついた。だが、対照的に受付の人間はにんまりとした目を私の背後に向け息を吐いた。それにつられて視界を反転させると、不愉快極まりない畜生どもが私に敵意を向けているのが見えた。
実をいうとずっと気づいてはいたのだが、向こうが手を出してない以上、私としては構うだけ時間の無駄だと思い無視をしていた。冒険者風の身なりの男が三人。なるほど、猿以下だな。塵芥の塊とでも称そうか。
「あれもサービスの一環なのか。ずいぶん礼儀知らずなのだな」
「まさか。ただ、当店はお客様同士のいざこざには関与しない。そこらへんは何とかしてくれ」
「まったく、ひどい宿屋もあったものだ」
「取り消すなら今の内だよ。もっとも、返金はうちでは取り扱ってないサービスなんでね」
ふむ、むしれるだけむしり取った後に、人外を快く思わない者をけしかけて金だけ奪い取る。すがすがしいほど腐った算段だな。すんなりと進んでいることにもっと不信感を抱くべきだったか。
普段なら、だまされたことに怒り心頭して怒鳴り散らすものなのかもしれない。この宿がやったことは明らかな不当行為であり、このままおめおめと引き下がろうものなら主からの叱責は免れない。
だが、私の心に浮かんでいるのは明らかな嘲笑であり、愚行をしでかした汚物に対し怒りなどといった高尚な感情など湧くわけがない。馬鹿は馬鹿を露呈させるから馬鹿なのであり、己の品性のなさを見せびらかして悦に浸るなど私には恥ずかしくてとてもできない芸当だ。
狼のすらりとした顎に手を当て、私は考え込む。さて、どうしたものか。ここでこいつらを皆殺しにしてもいいのだが、そうすると後始末が面倒だ。死体を消すぐらい造作もないが、疑いの目は確実に姫様に向けられる。言い逃れはできるにしても、姫様のお手を煩わせるのはいただけない。
「一つ聞きたいのだが。私に何の用だ?」
「迷子のわんちゃんが来たもんで、ここは犬小屋じゃねえぞって教えに来たのさ」
「はて、犬小屋に帰るべきは貴様らの方だと思うのだが。見るからに知性のない顔つきをしている貴様らにはお似合いの文化水準じゃないか」
少し挑発してやると怒気が膨れ上がるのがわかる。それぞれが持つ得物は、剣が二本と槍か。いくら広いとはいえ、ホールで振り回していいものではないだろうが。失敬、それがわかるのならもっとましな顔つきをしているはずだな。
「すまない。賢くないのはわかるのだが、お前らは強いのか?」
「ここに泊まれるの一流冒険者の証なんだよいぬっころ。んなことも知らねえで来たのなら尻尾まいて帰りな」
「それは申し訳ないことを聞いた。貴様ら程度が一流を名乗れるなんて、さすが愚物は世界が狭い。井の中の蛙に大海の広さを聞くなんて我ながら野暮なことした。今のは忘れてくれ」
「てめえ調子にのりやがって!」
息巻くのは勝手だが、そろそろ本気で煩わしくなってきた。私としては姫様の宿さえ確保できればどうでもいいことであり、こいつらの差別意識なんて心底興味がない。
しかしよく見るとそれなりにいい装備であることがわかり、一流とはいかないが二流はいっているのかもしれない。もっとも、よさそうな装備品をただ集めたという印象で、コーディネートがちぐはぐだ。オーダーメイドで一式そろえるといかないあたり、そこら辺がこいつらの限界なのだろう。やはり蛆虫以下の雑魚という認識を変えるには至らないか。
「ここで私を殺すとさすがに張りぼてとはいえ名声に傷がつくのではないか?」
「はん、人外を殺したところで適当な言い訳さえしとけば何とでもなるんだよこの世間知らずが。お前が泣いて助けを求めたって、捕まるのはお前の方だ。ここはそういう国なんだよ」
「なるほど、それで貴様らを倒すと私が捕まると……ふむ、それは困ったな」
まったく、法が機能していないのかこの国は。でかいだけの猿山に秩序を求めた私が愚かだというのだろうか。これで文明人気取りなのだから始末に負えない。
仕方ない。あまり遅れると姫様に心配をかけてしまう。
私はつかつかと無礼者どもに歩み寄り、とっとと終わらせてしまおうと力を込める。
「では、この場を切り抜ける解決法として『自分らは今日何も見ていないし何も知らない。私たちとは一切関わりがない』と言わせることだと思うのだが、どうだろうか?」
「言うと思うかよ。お前らと同じ宿なんて吐き気がする」
「だから、言わせるんだ。姫様のため、この場をなんとかするのは私の仕事だ」
「ケダモノの姫様ねえ。きっとてめえと同じくらい獣臭いんだろうな。ここは牧場じゃねえんだよ。今すぐ豚小屋にでも予約を入れな」
「――――あ?」
私の中の堪忍袋がぷつんと切れてしまったのがわかる。できるだけ穏便に済まそうと思っていた私は、たった今死んだ。
常に冷静沈着を心がけていた私の口元から牙がのぞく。毛が逆立ち尻尾が倍以上に膨れ上がる。目の前の木っ端共とは比べ物にならないほどの怒気がホールを包み、音をねじ伏せ緊張が糸を張る。
うなるように、威嚇するかのように、私は低く声を出す。
「我らが姫様を貴様程度の俗物が愚弄するとは、万死に値する所業だと知れ。あの高貴で麗しくこの世界において最も貴きお方を何と心得るか。姫様は優しいが故貴様を許すだろう。しかし、この私は断じて許さない。我らが主、貴きお方。その威光を足蹴にする愚行を嘆いて地に落ちろ、この愚かな猿が」
なんというなんというなんという。あんな塵芥にも届かない生きているだけで他人を不快にさせる汚物の塊が、儚い純白の化身でありその気高さたるや唯一無二であるオルヴィリア様を罵るか。なんという愚か、なんという救いようのないごみ。
もはや一刻の猶予もならない。このような衆愚をのさばらせておくのは執事として目に余る職務怠慢だ。私の仕事はオルヴィリア様の身の回りのお世話であり、汚物を掃除すること。あのような不快極まりない下劣な猿を火急に処分しなければ。
私の殺意に火が付いたことで、周りのごみ共も臨戦態勢を取る。得物を構える姿からは確かにそこそこ戦えることがうかがえた。
だが、私に比べれば遅い。
瞬時に後ろへ回り込み魔法を発動する。もちろん威勢だけしかとりえのない暗愚どもが付いてこられるわけもなく、私は悠々と魔法を発動することができた。
「『汝と切り離せない黒』」
三馬鹿の足元にできた影から鎖が伸び、彼らを拘束する。簡単な拘束呪文だが、こいつらにそれを打破できる力などないだろう。何とか脱出しようとあがく姿は水たまりで溺れるアリのようでとても無様だ。
「なんだ、この魔法……! てめえ魔法使いかっ!」
「私は執事だ。それ以外の何物でもない」
何を当たり前のことを聞くのかこの猿どもは。何度も言っているではないか。まあ、初級魔法ですら重宝される世界なのだから、その認識に至るのは当然なのかもしれないがな。
だったら、お前らは知らないのだろう。これから私がお前らにかける魔法を。
「あっけなく終わってしまったが、これが一流冒険者でいいものだろうか。貴様らこそ、犬小屋からやり直したらどうだ?」
「くそ、舐めやがって。ぶっ殺してやる!『剛腕』」!」
リーダー格らしき剣士が自己強化スキルで脱出をはかるが、まあ、徒労にしかならない。だいたい、そのスキルにしたってブレズのそれとは雲泥の差があるのだ。猿がちょっと力を付けたぐらいで檻を壊せるわけないだろう。
無駄なあがきをする塵芥どもを冷めた目で眺め少しの時間を与えてやる。貴様ら程度ではどうにもできないということを体感し、絶望に泣け。
さあ、ここからが見せしめだ。カウンターで目を見開いている狸や、馬鹿面を下げた野次馬、そいつらも黙らせ姫様の不都合をすべて掃除するのだ。
「誰でもいい、衛兵を呼べ! あの畜生を牢獄に放りこんでやる!」
「勝てないとわかるとすぐに人頼みか。猿の群れは結束が強くて微笑ましいな」
だが――――
「私がさせると思うか?」
隠密に特化し、暗殺を得意とする私の魔法。姫様が与えてくれた私を形作るスキルの一端をつまびらかにしてあげようではないか。我らが主を侮辱した罪に震えて朽ちろ。
「『沈黙は泥なり』」
対象の魔法を封印するスキルだが、この場合はごみ共からいらない機能をそぎ落とすことに使った。そう、声を封じたのだ。
おかげで耳障りだった音が消え、幾分か気持ちがすっきりした。これで姫様を罵倒する言葉も放てないだろう。他にも何一つしゃべれなくなってしまったが、こんな猿の鳴き声など不快なだけだからな。社会貢献も兼ねていると考えよう。
突然声を失ってしまったことで、さすがに馬鹿どもがおびえたような顔になるがもう遅すぎる。姫様を罵倒した時点で、貴様らに勝利などあるわけがない。
「これで衛兵を呼ぶ手段がなくなってしまったな。さて、誰かほかに衛兵を呼びたい奴はいるかな?」
当然誰も声を上げない。さすがに自己防衛本能くらいは備わっているようだ。私も無駄なMPを使わずに済む。
私がかかとを鳴らすと、おびえすくんだ三対の目が降り注ぐ。ふむ、毛皮が揺れるそよ風程度に何も感じないな。あいにく私は虫けらにも優しい博愛主義者ではないのでね。
声を奪っただけでは見せしめのショーとしてはまだ迫力不足だろう。ごみ共を有効活用して、姫様にたてつく気など刈り取ってしまわねば。それでは、次だ。
「『暗黙の領海』、『痺れかぶれ』」
今度は視界を暗闇状態にしたうえ、麻痺も与えてやった。これで目も見えず話せもせず動けもしない猿の完成だ。
本来ならここで拷問にでもかけて姫様のすばらしさについて身に刻んでやりたいところだが、時間も押しているし、姫様がつかう宿を血で汚すなどありえないことだ。この程度にしておこう。
鎖から解放すると床の上で小さく震える三つの肉塊。それにしても、いくら突発的な戦闘とはいえ、状態異常対策が何もないとは。脳みそまで筋肉なのではないだろうなこの阿呆共。
少し脅す程度にしてやろうと思ったのに余計な手間を取らせてくれた。姫様を罵倒した罪、このくらいでは生ぬるいのだが騒ぎを大きくするのは本意ではない。
さて、後はこの不愉快なオブジェを路上に捨てておしまいだ。この調子だと状態異常が解除されるのは三日後といったところか。まあ、別に死んでもいいのだが死にはしないだろう、そのご自慢の装備品は盗まれているかもしれないが知ったことではない。冒険者として再起できたのなら、またこの宿で会おう。
一仕事終わらせて念を押すようにカウンターの狸を見ると、そいつはびくりと肩を震わせた。
「客同士のいざこざは店では関与しない、そうだったな?」
「……ああ、そうだ」
「だったら、もし誰かが何かの間違いで衛兵に連絡したとして、そいつが翌朝物言わぬ肉塊になっていたとしても問題はないわけだ」
「それはうちの店に泥が……」
「なら、連絡しなければいい。そういうことだ」
私が証拠を残すような仕事をするわけがないが、印象だけで犯人されかねないからな。釘は刺しておかないと。
では、このくらいでいいだろう。すでに戦意はどこにもなく、おびえすくんだ空気が豪華なホールに影を差している。ここまでやって逆らうものがいたとしたら、そいつは度が過ぎた阿呆だな。敬意を表してとびきりの拷問でもてなそう。
最後にこの肉塊共をどうするかだが、私は黒い鼻をすんと動かして、おびえを宿す群衆から目当ての者を探し出した。
「貴様、こいつらと同じパーティだろ?」
「え、はい……そう、ですけど。なんで……?」
「見てのとおり、私は鼻がいいのだ。では、このごみを捨ててきてくれないか、できる限りかなり遠くまで」
同じ匂いのする者はフードを着た明らかな後衛職が二人。さすがに前衛職だけで一流は名乗れないと踏んだのだが、見事当たり、群衆に紛れて難を逃れようとしていた。
猿の顔を区別する趣味は残念ながらないので性別もよくわからないが、非力な二人にごつい三人を運ばせるのは酷なことだろう。知ったことではないが。
あまりにもその二人がまごまごするもので私としては今すぐ蹴り飛ばしたくなる気持ちになってしまうものの、さすがにそんな品のないことはできない。なので、別のことで発破をかけるとしよう。
「『火の無いところに煙を立たせる』」
遠隔爆破魔法を三つの肉塊にかけてやると、黒い靄が肉塊にまとわりつき始めた。これはどんな魔法か知っているらしく、後衛職の猿二人は青ざめて震えだした。
「知ってのとおり、私が起爆すればこの肉塊は木っ端みじんだ。有効範囲は、そうだな、この町から出ればさすがに起爆もできなくなるだろう」
大嘘だがね。こんな町程度の距離を離れたからといって私から逃れられるわけがないだろうに。どうやら起爆できる距離は術者の能力に依存するらしく、後衛猿の一人が「そんなに遠くまで……」とつぶやいた。なるほど、本来ならもっと短い距離でしか把握できないのか。次以降参考にさせてもらおう。
本来ならこっそりとかけ、離れたところで起爆するのがセオリーだが今回は脅し目的なので問題ない。解除もしやすく移し替えも容易な魔法ゆえにいかに気づかれないかが重要であり、隠密担当の腕が問われる魔法となっている。
懸命に汚物を引きずって消えていく猿の団体を見送って、私も去ることにしよう。
出口まで来て最後に一礼を。私は姫様の執事であり、姫様の顔でもある。いついかなる時も優雅で、姫様の品格を損なうことのないふるまいが求められるのだ。
たとえ畏怖が雨として降り注ぐ中であっても、それは揺るがないこと。宿を後にし、姫様と合流せねば。退室の挨拶をして、私はドアへ手をかけた。
「それでは、失礼いたします」