*初めましてで帰りたい
目が覚めると知らない場所にいた。
というのならよくある話だ。デスゲーム系の漫画によくある話だし、ひょっとしたら誘拐されてしまったのかもしれない。
目が覚めたら隣に美少女が寝ていた。
これだってよくある話だし、むしろ諸手を上げてウェルカムと言おう。おれだって健全な男子の一員として、そんな状況は喉から手が出るほど羨ましいのだから。
さて、これを踏まえて、今の状況を整理してみよう。
目が覚めたら知らない世界にいて隣にケダモノが寝ていた。
はい。もうよくわからない。なんだよ知らない世界って。いや、知らないから知らない世界なんだよ。少なくとも、おれはこちらを心配そうにのぞきこんでいる奴の顔が狼だか竜の時点で世界の違いを知るには十分すぎるほどの衝撃だ。おれの常識ではこんな姿の生き物は存在していないのだから。
そう、おれの傍にいるのは人ではない。異形な頭を持つ、人ならざる者だ。
「お怪我はありませんか?」
どうやらここは森の中のようだ。漏れ落ちる木漏れ日が新緑を綺麗に彩っており、たびたび聞こえる木々のせせらぎが耳に心地よい。なんてぼんやり現実逃避していると、あたりを見渡したおかげで竜の頭を持つ異形と目が合ってしまい、そいつを引き寄せてしまったのだけど。
おれが目覚めたと知って、気づかうような声音で竜は言う。爬虫類に近い顔は意外に表情豊かで、まなじりを下げた相貌が切に心配だと語っている。
竜。ドラゴン。ゲームとかでよく見るやつ。それが一丁前に鎧を身にまとい、騎士然とした振る舞いでおれに接している。
はた、と、そこでおれはあることに気が付いた。そして、目の前の竜をまじまじと見つめる。
趣向を凝らした鎧は重々しい威光を照りつけているようだが、その威光に勝るとも劣らない立派な角が雄々しく天を突いている。赤いマントも派手というよりかは荘厳な気配すら醸しており、燃えるように赤いたてがみと合わさって威風堂々とした佇まいだ。
おれはこいつを知っている。そして、だからこそ、目の間の状況が一層理解できない。
その混乱を表すかのように震える声音で、おれは問うた。
「……お前、ブレグリズか?」
「さようでございます。貴方様の騎士、竜騎士ブレグリズで相違ありませぬ。私が傍にいるからには、我が主君に忍び寄る害意すべてから守り抜くと誓いましょう」
「うわー……」
おれを安心させようと大仰な言葉づかいで語るブレグリズを前に、間抜けな声しか出せなかった。ぽかんと大口開けた阿呆な表情は、目の前の出来事に対する衝撃と等価だと思ってほしい。
だって、ブレグリズ……いや、通称ブレズといえばおれがとてもよく知っている奴だ。
なぜなら、そいつはおれがゲームの中で作ったNPCキャラなんだ。
じゃあなにか、そこでまだ寝てる人型の虎はハンテルだし、少年のような兎はレートビィか。さっきから何も言わずにおれの後ろに控えている執事服の狼はヴァルデックで、あたりを警戒しているローブ姿の鷲はホリークか。
……まじで?
「ヴァル」
「こちらに」
ためしに呼んでみると、凛とした声が返ってきた。真っ黒な毛皮の狼は恭しく一礼すると、長い口唇をわずかに開いた。
「差し出がましい真似かと存じますが、僭越ながら現状の整理をさせていただきます。主君はここ、『コーデクリスタ』の地において顕現なされました。それは我らに同じことが言え、原因は不明。現在、その異常を探知すべく、ホリークが辺りを警戒しております」
「『コーデクリスタ』……」
それこそまさにゲームの舞台そのものだ。異郷世界『コーデクリスタ』。穴が開くほど眺めたマップの全体像がすぐさま脳裏に浮かび上がるほど、おれはこの世界を見慣れている。
だが、かといって、この森の木々が本当にゲームのものだったかなんて覚えているはずもなく、ただぼんやりと日本では見ない木だなあとしか思わない。
やはりおれはゲームの世界に来てしまったのか。だけど、そんなことが本当に起こりえるものだろうか。いや、目の前では確かにおれが作ったNPCであるキャラがしゃべっているんだ。信じるしかない。
言葉を失い現状への理解を放棄しかけているおれを見て、ヴァルとブリズは何を思ったのか。身を正しておれへと向かい合うその顔は、どこまでも真摯だ。
「ああ、このような場所でわけもわからず昏倒なされ、心細いお気持ちは痛いほどわかります。このヴァルデック、貴方様の執事としてその憂いを取り除けないことを心底恥じるとともに、名誉挽回の機会をいただけることを切に願う所存であります。何卒、その憂いを取り除く機会を。貴方様の笑顔のため、このヴァルデックが命を賭して現状の打破に努めましょう」
「ブレグリズもその意を同じとする所であります。この剣に誓い、必ずや貴方様に安寧を」
話し方めんどくせえなこいつら。もっと普通に話せないのか。
確かにヴァルデックは隠密型の執事として、ブレグリズは前衛型の騎士として設定したが、いざその忠義を向けられるとめんどくさいの一言に尽きる。好意があるのはわかったから、もっとフランクに接してほしい。こちとらただの一般人なんだからさ。
と、おれが苦笑しながらなんと返していいか考えあぐねていると、どうやら残りの二人も目を覚ましたようだ。虎のハンテルは大きく欠伸をすると、あたりをきょろきょろと見渡した。
「ふあー、よく寝た。あれ、なんでこんなところで寝てるんだっけ。おれらってピクニックでもしてたか?」
「んー、僕もよくわかんないな。でも、みんなでお昼寝すると気持ちいいよね」
ああよかった。どうやらあの二人はフランクな部類のようだ。みんながみんな堅苦しい話し方だったら、すぐに息が詰まってしまう。
ハンテルはすらりとしながらもしっかりと筋肉を付けた腕をこちらに振って、にこにこと笑っている。兎のレートビィもおれを見ると朗らかな笑みを浮かべてくれた。なんだかそれだけで気持ちが休まるようだ。
どうやらハンテルは魔法騎士という設定の割には砕けた性格のようで、縞模様の尻尾をくねらせながら視界をさまよわせ、おれを見つけると破顔して近づいてきた。
「おお、そうだ。姫様だ。姫様、姫様……あ、無事そうでよかった。でも、そんなところで寝転んでると豪華なドレスに土がつくんじゃねえの?」
……は?
今なんて言った? 姫様? 誰が?
その言葉を聞いた瞬間、最悪の想像がおれの脳裏を走り抜けた。
待て、待て待て、待ってほしい。そうだ、このゲームにおいて、おれの使っていたアバターはどんな姿をしていた?
そういえば、おれの声、なんか高くなっている気がする。そういえば、おれの髪、なんか長くなっている気がする。
思い至ってしまったのは絶望的な結論で、それを否定してほしい気持ちを前面に押し出して、おれは喉を震わせる。
「……誰か、鏡とか、持ってるやつはいないか?」
「こちらに」
執事を自認するヴァルがさっとおれに鏡を向けてきた。どこに持ってたんだ、なんてつっこみをしてる余裕など今はない。
ヴァルが持つ鏡の中、おれの目を真正面から穿つのは、ああ、やはりそうなるのか。
それは雪を固めて作られた彫刻のようだ。色素を極限まで減らしたような肌と髪は新雪より白く、無機質な美を描き出している。しかし、頬に淡く色づく紅が命を感じさせ、それがまた一層繊細さを際立たせているようだ。
透き通るような水色の瞳はどんな宝石をしてもあたうことができないほど生命の輝きを詰め込んでいて、ふっくらとした唇があでやかにうるんでいる。
ものすごい美少女がいた。鏡の中に。
これ、おれか。おれだよな。だっておれのアバターこれだったもん。
瞬きするたびに光の粉が舞ってるんじゃないかと思うほど、色がないまつげは透明に近い。ためしに首を振ってみると、絹のような髪がさらさらと流れていく。そして、それもまた光を反射するガラス細工のようだ。
現実を認めるのに時間がかかった。
だって、おれが美少女だぞ。おれじゃなかったら速攻恋に落ちてもおかしくない美少女だぞ!
ゲームの世界だとか、自立するNPCだとかなんてどこかに吹っ飛んでしまった。それだけ、この出来事は強烈だ。
おれは一呼吸して、そして、二度、三度と気の済むまで息を吸い込んで。
ついに、現状の意味わからなさを大声で叫ぶことに成功した。
「嘘だあああああああああああああああっ!」
のんびりと始めさせていただきます。
楽しんでいただければ幸いです。