chapter-2 騒動の教室
翌朝が来ました。
「よ、カズ!」
前を歩く友人の姿に、眼鏡の少年──鳥居友洋は声をかけます。和真が振り返りました。
変です、何だか顔が青いです。
「なんだ……トモか」
「なんだって何だよー」
訝しげに尋ねる友洋。「元気ないね。どうしたの?」
「その…………」
和真が控えめな声で答えようとした途端。
「にゃあ」
ランドセルの中から声が!
「うわわっ!? なに!?」
友洋は思わず和真のランドセルから飛び退きます。やや苦い顔をして、和真は白状しました。
「昨日、拾ったんだ。うちで飼いたかったんだけど……うちの母さんがダメだって」
「捨てネコだったのかな」
抱く疑問は友洋も優衣と同じようです。「カズのお母さん、そんなに怖いの?」
「怒るとすげー怖い」
思い出したくもないのか、和真は地面を睨みながら言いました。背中のランドセルがまた、和真の言葉を肯定するようにガタガタと音を立てています。
「どうするの」
「どうしよう」
「元の場所に戻してきたら?」
和真は首を横に振りました。
「ダメだよ、あんな所じゃ可哀想すぎるよ」
「……どこで拾ったのさ」
言いかけて、はっとしたように友洋は付け加えました。
「もしかして、あの空港の近くの野原?」
うん、と頷く和真。友洋も何度か一緒に遊びに行ったことがあったので、よく知っていたのです。
確かに、あそこではかわいそうかもしれない。周りに家もないし、飛行機飛んでくるし。
思案する友洋を前に、和真は告げます。
「とりあえず、学校に連れて行こうかなって思ってさ。やばいかな?」
聞くまでもありません。やばいに決まっています。
「……ぼくも、匿うの助けるよ」
そう言うしかない、友洋でした。
授業が始まっても、優衣は気が気ではありません。
昨日の夜、学校に連れて行く旨は電話で和真から知らされていました。いま、優衣のすぐ後ろの棚の中にあるランドセルから、カサカサ音がしています。優衣ほどの近さでなければ気がつきませんが、心配でならないのです。
どうか、どうか先生がこっちに来ませんように! あと、大きな音とか立てないでくれますように!
そんなことばかり考えているのですから、当然のごとく先生の話は右から左へ抜けていきます。何やら緊張で引き攣ったその顔を、隣の少女は不思議そうに見つめました。
「……ユイ?」
「はっ、はいっ!!」
電気ショックでも喰らったかのように優衣は跳ねました。声の主がすぐ横の少女──矢口未菜だと気づいた瞬間、ほっとしたように顔を崩します。
「なに? 顔芸でもやってたの?」
「へっ!? あ、ううん違うんだけど……」
「……?」
しどろもどろな返事しか出せない優衣。よっぽど気になったのでしょう、未菜は顔を寄せてきます。「教えて」の意思表示でしょうか。
未菜には言ってもいいだろうか。一瞬迷った優衣でしたが、
ミナちゃんなら、大丈夫かな。仲いいし。
と、思い直しました。
「あのね────」
「こら森ヶ崎さん! 授業聞きなさい!」
ああ、見つかった……。
先生の怒号が飛んできました。怒ると声の大きくなる先生のこと、それは優衣と未菜の耳にガンガン反響して────、
あおいが、鳴き出しました。
優衣も鳴きました。
「にゃ……にゃぁーお!!」
鳴き声がバレたら一大事。全身が火照るのを感じながら、優衣はなんと自分の声であおいの声を隠しにかかったのです。
「ちょっとユイ、何やって────」
「にゃあ!! にゃにゃおー!!」
「……も……森ヶ崎さん…………」
「にゃおにゃあ!! フーーッ!!」
唖然とする先生を前に、クラスはたちまち笑いに包まれます。いや、たった一人だけ目を見開いて優衣を見ている顔がありました。和真です。
──ああ……もうやだ……! もうやだよ……!
涙を浮かべながらもネコの真似をし続ける優衣。これはあおいちゃんのため、あおいちゃんのため、あおいちゃんのため……!!
「………………」
ランドセルが沈黙しました。まだ少しがさがさと音を立ててはいますが、あおいもおさまったようです。
優衣はやっと声真似から解放されました。
「…………森ヶ崎、さん」
夢から覚めたように、ぼんやりした口調の先生。我に返った優衣は、もはや笑いすら通り越してクラス全員が驚嘆の眼差しを向けてきていることに気づきました。
「…………ね、……ネコ語で、謝ってみました……」
今にも霧散してしまいそうに細い声が、教室を漂いました。
「ネコ!?」
放課後。いつもの帰路を辿りながら、出雲健太郎は大声を出してしまいました。和真は頷いて、ランドセルの蓋を開きます。
あおいが顔を出しました。
「わ、ホントにネコだ!! 可愛いー!」
和真のランドセルに飛びつく未菜。あごの下をなでなですると、あおいは満足げに喉を鳴らします。
さぞ窮屈だったに違いありません。
「ごめんね、あおい。お前を教室で外に出すわけに行かなくてさ」
申し訳なさそうに和真は小さく頭を下げました。分かってるよ、とでも言いたげにあおいは和真の頭に腕を伸ばします。
「……それ、ユイにも言ってあげなよ」
脇から未菜が言いました。
優衣はというと、一行の遥か後ろを項垂れながらとぼとぼついてきています。今日一日さんざん笑い者にされ晒し者にされた挙げ句「ゆいにゃん」の称号まで戴き、もう泣きそうでした。ただ、あおいを守りたかっただけなのに。
「そっかー、ユイはネコの鳴き声を遮りたくてあんなことしてたんだ。なんかすげえひらめいた気分!」
なぐさめに行った和真を目で追いながら、健太郎は笑います。「オレも触りたいなー」
「いいんじゃない?」と友洋。やったと声を上げながら健太郎はあおいを受け取りました。
「あおい、かあ。なんかネコっぽくない名前だね」
そう言ったのは、健太郎の後ろを歩いていた長髪の少女・糀谷紗耶香です。あおいを後ろから覗き込みながら、笑います。
「でもなんか人っぽくて好きかも」
「だろだろー?」
別にそんな効果を狙ってつけた名前ではありませんが、追い付いてきた和真は得意気です。人間、誰だって自分の関わってる事を褒められたら嬉しいのです。
「でもさ、ホントにこれからどうしようね。あの野原に戻しちゃうのは怖いし……」
健太郎が話を本題に戻しました。「オレ、マンションだから動物飼えないんだよね……」
「私もー」
「ぼくはお母さんがネコ嫌いで……」
「私の家も動物連れ込むなって言われてるんだ……」
嫌な間が空きました。
「…………あの野原で飼えたらなー、って思うんだけど」
自分が何か言わなければいけないような気がして、和真は答えました。
しかし途端、
「野原で飼うって、どうやってやんのよ?」
「小屋建てたりするの?」
「世話はカズが?」
矢継ぎ早に質問が飛んで来ます。和真は何も答えられません、そんなことまで考えていなかったのです。
「どうしよう……」
呟く和真の横で、
黙っていた優衣がボソリ。
「…………お家作って、みんなで一緒にお世話出来ないかな」
「それいいね!」
賛同の声を上げたのは友洋でした。「ぼくたちみんなで、えっと────あおい! あおいの世話すればいいじゃん!」
「!!」
他の四人も、興味を示しました。事情を抱えているとは言え、紗耶香も未菜も健太郎もネコは可愛いのです。出来ることなら飼いたい。まさに渡りに船ではありませんか。
「ほら、小屋は図工の時間に作れるよ。ちょっとの量の牛乳ならみんな用意出来るし。やれそうじゃない?」
「オレもそうしたい!」
「私も! ってか手伝わせて!」
賛同の声がいくつも上がります。
「みんな…………」
一同を見渡した和真は、とても嬉しくなりました。あおいは早くも、みんなに愛されている。そんな気がしたのです。
当の本人はまるで無自覚ですが。ごろごろと気持ち良さそうに喉を鳴らしながら、紗耶香の腕の中で丸くなろうとしています。
「よっしゃ、そうと決まったら早くあの野原に行こうぜー!」
「あ、待ってよケンタ!」
健太郎と友洋が駆け出しました。行く先はもちろん、あの野原です。「ちょっと、どこ行くのよー!」と野原を知らない未菜と紗耶香が続きます。せっかく確保した寝場所を失って、ぴょんと紗耶香を飛び降りたあおいが後ろへ駆けてきました。
和真と優衣だけが、取り残されました。
あおいを捕まえて抱き上げ、ほっとしたような穏やかな表情を浮かべる優衣に、和真は笑いかけます。
「これでもう、ユイだけが鳴き真似しなくてもすむな!」
「もうぜったいしないもん!」
顔を真っ赤にして怒鳴り返す優衣なのでした。