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chapter-1 邂逅の草原


 そんな頃。


 『天空橋』と名札のついた近くの橋の上を、空港のあるこちらへ向かって歩いてくる二人の人影がありました。

 無論、あの二人の男ではありません。背丈が違いすぎます。そう、ちょうど小学生くらいでしょうか。

 二人は仲良く話しながら、何も知らずに草っぱらの方へと歩いていたのです。


「ホントだって、あの野原に散らばってるんだよ。壊れた本棚が」

 男の子が言いました。

「バラして使えば図工の木工製作にぜったい役に立つよ!」

「えー、でももう壊れてるんでしょ? それにきっとさっきの雨で濡れちゃってるだろうし……。カズが使うのはいいけど、私やだー」

 女の子はやや半信半疑のようです。カズと呼ばれた男の子──萩中(はぎなか)和真(かずま)は、それでもまだ諦めません。

「うっさいな。じゃあオレだけ使うよ、ユイが材料足りないって泣いても知らないから」

「泣かないもん」

 ムスッとするその女の子の名前は、森ヶ崎(もりがさき)優衣(ゆい)。ちょっぴり肩を震わせています。寒いのでしょうか。要らないと言ったにもかかわらず、律儀に和真の後を追って歩きます。

「……こっち、あんまり来たことないなあ」

 背負ったランドセルの紐を握り締めながら優衣が言うと、和真は振り返りました。「マジ? こっち、すっごい景色いいんだよ!」

「でも、アレがいるし……」

 小さな声で優衣が返した途端。

 草っぱらの向こうで物凄い音が響き始めたのです。

「来た……!」

 たちどころに真っ青になる優衣。そうです、優衣は飛行機が苦手なのです。

 正確には、飛行機の音が。あの腹に響く重低音が、どうしても好きになれないのです。

 対して和真は、まるでへっちゃらでした。いつもここで遊んでいるのですから、音なんかには慣れっこなのです。ここでもない、あそこでもないと呟きながら、ずんずん奥へと入って行ってしまいます。こんなところで置き去りにされたら堪りません、優衣も仕方なくついて歩きました。

「おかしいなー、この辺りのはずなんだけど」

 辺りを見渡しつつ、和真が首を捻った時。

 ゴォオォオオオオオオオオオ────!!

 恐ろしい音を周囲に撒き散らし、目の前の空を銀色に輝くボディーが飛んで行きました。可哀想に、優衣は泣きそうに目を潤ませて耳を必死に押さえています。

「あった!」

 爆音の中、和真は叫びました。踏み荒らされた草むらの下に、隠れるように落ちていたのです。いい感じに壊れ、手頃な大きさになった木製の本棚。水が染み込んで重くなっているとは言え、持って帰れない量ではありません。

「早く帰ろうよ……」

 消えそうな声で主張する優衣を無視して、和真はそれを拾い集め始めました。こんな良さそうなモノ、使わないなんてもったいなさすぎます。材料は幾らあっても足りないのです。


 その手が、ふと止まりました。

「…………なんだろ、この段ボール」

 和真の前に、昨日にはなかった大きな段ボールが落ちています。しかも、何やら音までします。

 優衣は早々と目を背けてしゃがみこんでしまいました。

「……開けるの?」

 こくん、と頷く和真。ちょっと怖いけど、まさか爆弾ではないだろうし。和真は恐る恐る、段ボールの口に手をかけて、ゆっくりと蓋を開きました。



「……みゃあ…………」



「!?」

 和真は尻餅をついてしまいました。まさか動物だなんて、予想だにしていなかったのです。しかも、ネコ。

「ネコちゃん……?」

 まだ少し怖いのか、優衣は距離を保ちながら近寄ってきます。

「……みたい」

 そう返しながら、落ち着きを取り戻した和真は子ネコを抱き上げました。

 灰色のトラネコです。オスメスの種類は分かりませんが、これまでそんなにいい生活を送ってこなかったであろう事は、素人目にも明らかでした。

「捨てネコかな」

 子ネコを胸の前へ持ってくると、和真は優しくその頭を撫でました。元気がないように見えます。心なしか、痩せているようでしたし、毛の艶もありません。

 横から覗き込んだ優衣が、はっと息を呑みました。

「お腹すいてるんじゃないかな? 私、何か取ってくる!」

「あ、うん」

 その返事を聞くや、優衣は一目散に駆け出しました。

 一刻も早くこの場所を離れたい。和真の向こうでまたさらに一機の飛行機が離陸の準備を始めていたのが、さっきからずっと見えていたのです。


「……どうしたんだろ、ユイ」

 変なの、と首を傾げると和真は子ネコを両手に持ち、空高く掲げてみました。

「お前、ずっとひとりぼっちだったの?」

 そう問いかけます。不思議そうな目で和真を見る子ネコ。やっぱり人間の言葉では、伝わらないのでしょうか。

「寂しかった?」

 和真はもう一度尋ねました。子ネコはやっぱり、黙っています。

 ふいに背後で轟音が響き渡りました。振り返ると、こちらへ向かって一直線に延びる滑走路に乗った飛行機が、今まさに滑走を始めたところでした。

 空気がビリビリ揺れるほどの音と共に、飛行機は和真の頭上を駆け抜けて行きました。白く輝くその羽根に、子ネコを重ね合わせた和真は思わず呟きました。


「…………お前にも、あんな羽根があったらよかったのにね」


 羽根。

 それは持つ者を地上の全てから解き放ち、限りない自由の空間を与える事の出来るモノ。

 そしたら、段ボールの中なんかでじっとしてることなんてなかっただろうに。おなかが空いたって寂しかったって、自分で何とかすることが出来ただろうに。

 和真はそう思ったのです。子ネコは、小さく「にゃぉ」と鳴きました。




 もしも。


 もしもその背中に、空のように蒼い翼が生えていたなら。

 この子はいったい、どんな姿になるのだろう。

 どんな未来を、生きているのだろう?




「とりあえず、牛乳持ってきたよ」

 ちょっと息切れ気味に優衣が戻ってくると、和真は子ネコを地面に下ろしました。一緒に持ってきたお皿に牛乳を注ぐと、子ネコは飛び付くように牛乳を飲み始めます。

「やっぱり、お腹すいてたんだね。取りに行ってよかった」

 ややホッとした様子で、そうこぼした優衣。隣で見ていた和真が、言いました。

「オレ、こいつのことアオイって呼ぼうかなって思うんだけど」

「アオイ?」

「うん。“蒼”って字を書いて、“あおい”って読ませたいなって」

「えー、なんかネコっぽくないよその名前……」

 優衣の反論は、確かにもっともです。

「普通の名前がいいよー。そ、それに……ここじゃなくてどっか別の所に行かない……?」

「なんで?」

 和真は精一杯の優衣の抵抗を一言で返してしまいました。ああ、ダメだ。そう思ったのか早くも耳を塞ごうとしている優衣を前に、子ネコを空へと翳します。

「いまはもう夕焼けだけど、ここっていっつもすげー蒼い空が見えるんだよ。ここで見つけたから、“あおい”! な、いいだろ?」

 子ネコの背中の向こうに飛行機の白銀の翼を見つけてしまった優衣は、それどころではありません。もう何でもいい、頷いてカズが移動させてくれるなら何でも構わない。そう思って、こくこくと何度も顔を縦に振ります。

「よっしゃ決まり!」

 和真は嬉しそうです。やっと逃げられる、と優衣は次の言葉を待ちます。

が、

「じゃあさ、こいつどうしよう」

 想定外でした。あろうことか和真は次の話題に移ってしまったのです。

──もういい!

「カズ!!」

 優衣は和真の手を引っ張りました。そのまま、後も振り返らずに一目散、近くの道路まで猛ダッシュ。

 あと少し、あと少し、あと────!!

 あんまり走るのに夢中で、後ろから飛行機が追いかけて来たことに優衣は気がつきません。車通りの多い道に出た途端、もうだいぶ高度を上げた飛行機が遥か上を飛び去って行きました。

「よかった…………」

 へなへなと道端に座り込む優衣に、息を切らしながら和真は尋ねます。

「何すんだよー、転んであおいがケガしたらどーすんだよ。ランドセルもお皿も置いてきちゃったし……」

 ちょっと怒っているようです。渋々、優衣は白状しました。

「……だって、飛行機が怖かったから」

「…………」

 怖がってたんなら責められない……。まだ小学四年の和真にも、そのくらいは分かりました。だから何も言いません。言わずに、優衣の隣に座りました。

「…………可愛いね」

 おっかなびっくり、優衣はあおいの頭を触ります。ああ、あったかい。生き物ってこんなに温かいんだ。そう思えるくらいに、あおいの身体はまだ温まっていました。

「でもちょっと、怖いかも…………」

 和真が返事しました。

「ほんと、ユイって怖がりだよな」

「…………」

 言い返せません。

 唇を噛む優衣を見て、和真はふと手を伸ばしました。優衣の手を取り、あおいのあごの下に当てます。

 ごろごろごろ。

 喉を鳴らし、あおいは優衣の身体にぴょんと飛び乗ったのです。

「ひぁ……!?」

 びっくりした優衣がはね除けようとするのを、和真は手で制しました。あおいはそのまま、優衣の膝の上で丸くなります。

 たったそれだけで、ネコに対する優衣の抵抗は吹き飛びました。

「……カワイイ……! 可愛いよカズ……!」

 もはや目がハートマークです。ニッと笑いかけると、和真は独り言のように言いました。

「こいつ、どうしよ。あそこに置いとく訳にもいかないし、オレの家で飼おうかな」

 さすがにユイは無理だろう。そう言おうとしましたが、あおいに完璧に惚れ込んだのか満面笑顔で身体を触りまくっている優衣を見た瞬間、その思いは消えました。一応、聞いてみよう。

「ユイ、あおい飼える?」

 言った途端、優衣の肩が跳ね上がりました。

「む……無理無理無理無理! 私が動物飼うなんて無理っ!!」

 やっぱりまだ少し怖いのです。飼い方も分からないし。案の定か、と和真は思いました。

「じゃ、オレが預かるよ」

 ようやく決まった。伸びをすると、和真もあおいに手を出します。気持ち良さそうにあおいは瞼を閉じています。


「あおい、かあ」

 優衣がふいに呟きました。

「悪くないかも」




 (あおい)


 そう名付けられた、まだ一歳にもなっていない文字通りの子ネコと、10歳の子供二人は、高い高い空を見上げました。


 新しい生活を、ふわふわと漂う雲に思い描きながら。







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