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chapter-11 対峙の夕紅



 あおいに異変が起こったのは、時計が三時半を回った頃でした。

 交番の外に出て、未菜と友洋が毛繕いをしてあげていた時のことです。突然、あおいは首を上げ、辺りをぐるぐると見回しました。

 耳もぴんと立っています。何かに警戒しているのでしょうか?

「どうしたの、あおい……」

 言いかけた友洋も、あおいの真似をして視線をきょろきょろと動かします。こうすれば、何かが分かるかもしれません。

 と。交番の前の道をたった今渡り切り、茂みの中へと分け入って行こうとする二人の人影が見えました。

「あ……」

 二人は揃って変な声を上げました。その背中に、能天気な声が投げ掛けられます。

「やっほー、あおい起きてるー?」

 和真たちです。さっきまで、他の数人と遊びに行ってきていたのです。

 何やら緊張した様子の二人と一匹に、和真は眉をひそめます。「どうしたの、二人とも」

「さっき、あの中に人が入っていって……」

 あおいを抱き上げながら未菜が言いました。「あそこって、入っちゃいけないんだよね。いいのかな……」

「人が入っただって?」

 話を聞いていたのでしょう。お巡りさんが交番の外に出てきました。

「本当に見たのか?」

 こくんと頷いてみせると、まずいなとお巡りさんは苦い顔をします。

「何がまずいの?」

「あの中はまだ、野犬駆除をしていないんだ」

「えっ、でも昨日変な車が……」

「あれは、ウチの署の刑事が乗ってただけさ。保健所は土日はお休みだからな」

 なるほど、確かに昨日は土曜日でした。学校があると、どうにも曜日感覚が狂います。

「この前の六頭は確保済みだが、あの中に行かれるのはまだ危険だ。止めに行くか……」

 ちょっと待ってて、と言うとお巡りさんは装備を取りに行きます。和真たちは、不安そうな顔をお互い見合わせました。


 その時です。

 じっとしていたあおいが未菜の腕からぴょんと飛び出し、地面に下りるや否や駆け出したのです。


「あおい!?」

 突然の出来事にびっくりした六人でしたが、すぐに我に返ります。

 あおいを、追わなければ。

 子ネコとは言っても、ネコの走る速度は大変なものです。和真たちは必死で走り出しました。後ろでお巡りさんが何かを叫んだような気がしましたが、そんなことに構ってなどおれません。

 茂みの入り口の前までやって来たあおいは、一瞬立ち止まって中を睨みます。それも束の間、すぐにぱっと足を蹴り飛び込みました。

 追いかける六人も、転びそうになりながら曲がります。


「待ってよ、あおい!」

 背後からかかる制止の呼び掛けに、あおいは全く耳を傾けません。

 どんどん奥へと、入ってゆきます。それは、みんなで建てたあの小屋がある方向です。

 引きずられるように和真たちも奥へ奥へと駆け続けます。あおいとの距離は少しずつではありますが、広がるばかりでした。

「君たち、一体どうした!?」

 後ろから、お巡りさんが追い付きました。最後尾をへとへとになってついて行きながら、優衣が答えます。

「なんか……いきなり……走り出してっ……!」

「…………!?」

 訳が分からないまま、六人──いえ七人はあおいを追いかけ続け、

 小さな広場に出ました。


 そこは、最初に和真があおいを見つけた場所。

 段ボール箱に入れられたあおいが、捨てられていた場所でした。

 そして今まさに、二人の男が一つの大きな箱を手に、何やら笑っているところだったのです。


「……なっ!?」

 二人は突然やって来た七人に驚き、呆然とします。

 そして次の瞬間には恐らく気づいた事でしょう。後ろに立っている男の人が、警察官であることに。

「君たち、いったい何をしている」

 お巡りさんは厳しい声を発しました。「その段ボールの中身、見せてもらおうか」

 言いながら、一歩を踏み出した途端。

 男たちは段ボールを放り出し、ぱっと逃げ出しました。それぞれ別方向に、茂みの中へ!

「しまった!」

 お巡りさんの悔しそうな声が聞こえたのと、逃げた片方の男を追うようにあおいが再び走り出したのは同時でした。

「まっ……待てよあおいーっ!」

 目が覚めたように、和真たちもあおいの後を追いかけます。道なき道を、右へ左へ。羽田空港脇の草っぱらはあまりにも広く、どこに自分がいるのかも分からなくなりそうで────


「あっ──!」


 鋭い叫び声と共に、ドサッと音が響きます。

 前をゆく男が、草を踏んで転んだのです。

 あおいはその上を飛び越え、華麗に避けて見せます。しかし、後ろに続く和真たちは避けきれません。

「うわあっ!」

 次々に転んでしまいます。

 その隙に立ち上がった男は、またしても前へ走り出しました。いえ、その先にあるのは道なき道ではありません。

 六人が頑張って小屋を立てた、あの一番奥の野原です。いつの間にか、こんなところまで走ってきていたのでした。

 修理中のまま放置された、壁の壊れた小屋。回り込むように走ると、男は小屋を挟んで起き上がった六人と向かい合います。

 みんな、息が上がっていました。これ以上動くのは、厳しいものがあります。

 そしてあおいは、男の足元まで歩み寄っていました。

「こっちおいで、あおい!」

 友洋が叫びますが、あおいは聞き入れません。両の目でしっかりと、男を見上げています。

 子供たちを睨む男。あおいを見つめる子供たち。男を見上げるあおい。見事な三角関係が、成立してしまいました。


「……何なんだよ、お前ら」

 男は低い声で言いました。六人の目的が、自分だとばかり思っていたからです。

「そっちこそだよ」

 言い返したのは和真です。「お前、誰だよっ」

 その声がやや、震えています。こちらの方が人数は多いとはいえ、強面の大人に強気で接するのはなかなか勇気の要ることでした。

 それを見た男、ニヤリと笑いました。和真が怯えている事に気がついたのです。

これなら、無理矢理この包囲網を突破できるはず。男はじろりと子供たちを睨み付けると、凄んだ声を出します。

「お前ら、道を開けろ。でなきゃ手出しはしない。痛いのは嫌だろ? だったらそこをどけ」

 和真たちは黙っています。

 どきたいのは山々でした。しかし、今ここであおいを逃してしまったらいったいどうなるでしょうか。この男にそのままついていってしまったら、大変なことになります。

 男は口を歪めると、さらに言いました。

「ほら、どけよ。どかないと────うぉわっ!」


 あおいが、男の足にそっと寄り添いました。

 首を何度も擦り付け、すっかり甘えたように振る舞います。

 まるで、最初から知り合いだったかのように。


 子供たちはショックでした。

 この一週間頑張ってお世話をしたのに、あおいは全然知らない別の男になついています。

 六人の誰にも、そんな素振りは見せなかったのに。


「あ……」

 後ろで見ていた未菜が、思わず声を上げました。

 あおいを見ているうち、ふと思い付いた事があったからです。

 確信は持てません。けれどもし正しいなら、未菜がずっと感じていた違和感を打ち消す事が出来ます。

 そう、それは。


 あおいを捨てたのは、この男(・・・)だということ。

 それならば、あおいがずっとこの男を追いかけた理由も理解できるはずです。


「お前……っ、まさかこの前ここに捨てたっ……!」

 男は呻きます。

 その台詞が決定打でした。六人はようやく、事の次第を把握します。

「あおい! こっちに戻ってこい!」

 和真が呼び掛けます。しかし、元の親に再会できたあおいにとって、和真など一時の世話係でしかありません。家族と思っていた男に、甘え続けます。

 堪忍袋の尾が切れたのは男が先でした。

「どけっ!」

 言うが早いか、あおいを蹴り飛ばしたのです。

 ボンッ!

 予想もしていなかったのでしょう。あおいは避けることもあたわず、キックを胴に食らって吹っ飛びます。砂煙が上がり、苦痛の鳴き声が聞こえました。

「あおいちゃんっ!」

 優衣が飛び出しました。

 あおいの元へと駆け寄った優衣は、その身体を抱き上げ必死に呼び掛けます。「大丈夫!? あおいちゃん、痛くない!?」

 揺すっても、あおいは目を覚ましません。優衣の腕に触れたその場所から、どんどん熱が放出されてゆくような気がします。

 嫌だ。こんなところで、あおいを失いたくない。優衣は泣きそうになりながら、動かないあおいに向かって叫び続けます。

「あおいちゃん、しっかりして! 死んじゃ……ダメだよっ……!」


 その時、優衣の胸の中に渦巻く気持ちはいったい何だったでしょうか。

 それは、悲しみや絶望、後悔、そして怒りだったことでしょう。ありとあらゆる負の感情が衝動となり、優衣の身体を突き動かしていたのです。

 そしてそれは、残りの五人だって同じでした。

「よくもあおいを蹴ったなっ!」

 健太郎が怒鳴りました。

 呆気に取られたように優衣を眺めていた男は、ようやく気づきます。自分を睨み付ける子供たちの目に宿った、強い怒りの炎に。

 しかし、逃げ出したい男も必死です。

「うるせえ! さっさとどかねえからこうなるんだ!」

 誰よりも大きく恐ろしいその声に、しかしみんなは決して怯みません。男の進路を塞ぐように、立ちはだかります。

「……ああ? お前ら、やんのか?」

 男の口調は相変わらず喧嘩腰でしたが、落ち着いて見れば身体が震えているのが一目瞭然でした。

「謝りなよ」

 強い憤りを目に爛々と輝かせ、紗耶香は真っ直ぐに男を見上げます。「あおいに謝りなさいよ! 蹴ってごめんなさいって!」

「知るかよ! つーか、さっきからあおいあおいって一体何なんだ! 飼いネコかっての!」

 和真が割り込みます。「飼いネコだよ」

「あ?」

「オレたちがここで飼ってるんだよ!」

 ふん、と男は鼻を鳴らしました。

「バカも休み休み言え。ここでどうやって飼ってるってんだ?」

「そこの小屋に布団とか置いて、住まわせてたんだ」

 今は、違うけど。そう言うと、和真は俯きます。

 男には俄に信じられない事でした。この子供たちは自分の捨てた子ネコを拾い、ここで育てていたというのです。

 大人の常識で考えれば、信じられないのは当たり前でしょう。ですが現に目の前に小屋はあり、修理を重ねた跡もあります。布団や毛布が中に置いてあるのも見えました。

 一刻も早く、ここから抜け出したい。そんな思いが一層強くなりました。それはただ危機を脱したいからだけではありません。目の前の子供たちが、急に恐ろしくなったからでした。


「ねえ」

 尋ねたのは、未菜です。

「どうして、あおいちゃんを捨てたりしたの?」


「……それは、っ……」

 男が答えに詰まった時でした。

 優衣の腕の中で、あおいの身体がぴくっと動いたのです。

「……あ」

 優衣が気づいた時にはもうすでに、あおいは目を開けていました。

 ひらり、とあおいは優衣の腕を抜け、地面に降り立ちます。よろっとしましたが、その目は男を捉えたまま動じません。


 “ボクにも教えてよ”。


 そう、訴えかけているようでした。



「……何でもいいだろうが!」

 もう駄目です。視線に、見えない怒りの声に、耐えきれません。

 男は吹っ切れたように喚きました。「今度こそそこをどけ! 今度は容赦しねえぞ!」

 そして、小屋を軽々と腕で持ち上げると、頭上に翳して見せます。あんなものをぶつけられたら怪我は免れられないでしょう、子供たちの瞳に一様に動揺が生じます。

 今しかチャンスはありません。男は元来た茂みを見据えると、走り出そうとしました。



 あおいが、前に飛び出しました。

 男はすぐに気がつきました。その目付きが、明らかに変わっていました。小屋を頭上に掲げる男に、あおいは先ほどの甘えん坊の目を向けてはいなかったのです。

 どうして、急に。さっき蹴ったからか。いや、今持っているこの小屋のせいか。男には訳が分かりません。

「フーッ!!」

 あおいは全身の毛を逆立て、男を威嚇します。それでも男が動かないのを見るや、足に飛びかかり囓りつきます!

「うわぁっ、痛えっ! この野郎!」

 激痛に耐え切れず、男は倒れました。転げ回りながらあおいを振り払おうとしますが、あおいは離れません。必死に食らいつき、その力を強めます。

「──っ! 、ぁあっ……!」

 男の叫び声は、原っぱ中に響き渡りました。

呆気に取られてそれを見守る六人の背後が、突如ガサガサと鳴ります。

「……!」

 六人はぎょっとしました。

 誰でしょうか。警戒する和真たちの前に姿を表したのは、あのお巡りさんでした。

「動くなッ!」

 お巡りさんは怒鳴りました。頃合いを見計らったように、あおいは噛みつくのをやめます。六人の横をすり抜けたお巡りさんは男に駆け寄り、慣れた手付きで手錠を取り出します。夕陽に晒された本物の手錠は、まるで「もう逃がさないぞ」とでも言わんばかりに黒光りしています。

「なっ……!」

 言葉を失う男に、お巡りさんは宣告しました。

「もう一人の仲間が罪状を吐いたぞ。不法投棄(・・)の現行犯により、逮捕する」

 のし掛かられた男は凄むお巡りさんを前に、観念したようでした。ぐったりと項垂れ、大人しくなります。お巡りさんは迷うことなく手錠を手首に回し、男を捕まえてしまいました。


「か……格好いい……」

 健太郎が呟きました。

 六人の前に、ちょこちょことあおいが歩いてきます。和真の前で止まると、あおいはそこに座りました。尻尾を振っています。


 “ボク、がんばったよ”。


 そんな声が聞こえてきそうでした。

 和真は恐る恐る、腕を広げました。あおいはそこに、ぴょんと飛び乗ります。少しの間だけ和真を見上げていましたが、すぐにくるりと身体を丸めて眠りに入ってしまいました。




「何だったんだろう……」


 優衣の疑問には、その場の誰もが答えることができませんでした。










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