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chapter-9 不穏の帰路



 用事があって行かれなかった友洋と未菜が、昨日の一件を和真から聞かされたのは翌日のことでした。

 土曜日ですが、授業があります。なぜなら今日は、授業参観の日。後ろから睨み付けてくる視線に、ひたすら耐え続けねばならない日なのです。

 四人の無事の報せに胸を撫で下ろした二人でしたが、その後の話を聞くとやっぱり萎んでしまいます。

「そっか、見つかっちゃったんだ……」

 意気消沈した様子の未菜に、和真は笑います。「でも、あおいは無事だったし、安全な家だって手に入ったんだぞ? そこはほら、ダキョーっていうやつだよ」

「でも僕ら、安全な家を求めてたのかな。どんなに暴風雨に晒されたって、駆けつけてあおいを守るために僕らがいるんじゃない……?」

 友洋の言うことは、確かに一理あります。和真たちはあくまで完全に自分たちだけの手で、あの子を育てる決意をしたのです。お巡りさんの厚意とは言え、住処を与えられてしまったのでは何だか面白くありませんでした。

 しかし、やはり飼えるだけマシなのでしょう。和真たちはみな、そうやって納得してきたのですから。

「……今日は、あおいちゃんの所に行ってあげよう」

 未菜がぽつりと言いました。

 晴れた空のどこかから、飛行機の飛ぶ重い音がしていました。




 ともあれ、参観中も意外とあっさりと授業は進みました。

 当たり前です。子供たちが緊張で固まっているなら、それを見守る親たちは心配や不安でもっとガチガチ。倍の視線に晒されて、先生はさらに輪をかけてガチガチに固まっていたのですから。

 結局、両親に声をかけられることもなくその日は終わりになります。解放されたように、子供たちは学校を飛び出していきました。

 その先頭は言うまでもなく、あの六人です。




「いっちばーん!」

 そう言って交番に駆け込んだのは、健太郎です。

「ずるいぞ! ちょっと待てよー!」

「ケンタ……足、速い……」

 続いて、和真と友洋。唐突な来訪に、書類を纏めていたお巡りさんは驚いて肩を跳ね上げました。

 部屋の隅で丸くなっていたあおいに、三人は飛び付きました。にゃっ、とびっくりしたような声が上がります。

「背中撫でる!」

「あ、そこオレも撫でようと思ってたのにー!」

「しっぽが空いてるよー」

 口々に騒ぎながら、あおいを撫で回す和真たち。迷惑そうに逃げようとしないところを見ると、案外あおいも満更でもないようです。

 そこに、新たな一団が。

「ちょっとあんたたち──って言うかケンタ! 牛乳置いてかないでよ!」

「はぁ……はぁ……走るの、つらいよぅ……」

「あおいちゃん昨日はごめんね! 私昨日は忙しくて!」

 女子勢の騒がしさも中々のものです。六人の小学生に囲まれて、もはやあおいの姿は全く見えません。

 昨日は見かけなかった顔があるのを確認しながら、お巡りさんはやれやれと首を振ります。ただでさえ広くない交番の中がこんなに喧しいことになるとは、思っていなかったのです。もっとも自分が提案したことなので、今さら撤回するのも何だか気が引けてしまうのですが。

 気にしないようにして黙々と事務処理をしているうちに、時間は過ぎてゆきます。ふと、何かを思い立ったのか和真が立ち上がりました。


「お巡りさん、触る?」

 そう訊ねる和真の胸には、あおいが抱かれています。

「俺が?」

「うん。まだ紹介してなかったよね。この子、あおいって言うんだよ」

 よろしくね、と言いながら和真はパペットみたいにあおいの手を合わせます。円らなあおいの瞳が、お巡りさんの顔を艶々と映し出していました。

「あおい……」

 どことなく美しいその響きに惹かれるように、お巡りさんはまっすぐあおいを見つめます。仕事に使うペンはとっくに、机の上へ放り出していました。

 ちょっと触る。あおい、真顔。

 またちょっと触る。あおい、突っつかれているのが分かっているのか身を縮める。

 そんなことを、幾度も繰り返します。まだ幼い子ネコの身体はふにゃふにゃとして柔らかく、快感がこちらにも伝わってきました。

「かわいいでしょ?」

 和真に尋ねられ、小さく頷きます。やった、と笑うと和真はまた小学生の輪の中へと戻って行きました。


「……考えてみれば、立派なもんだな」

 またペンを取りながら、お巡りさんは呟きます。

 昨日、あらかたの事は聞きました。捨てられていたネコを拾い、自分たちで小屋を立てて住まいを作り、お世話係のローテーションを組んで、牛乳やその他のものもぜんぶ自力で調達しているらしい。その行動力は確かに、優れたものと言えるでしょう。

 たかがネコ一匹相手に、そこまでのことをしてあげられるのが子供なのです。

 五時を回り、子供たちがさようならと言い残して帰っていったあとも、お巡りさんはしばらく考え込んでいました。




「あれ、何だろうあの車」

 帰り際、声を上げたのは未菜でした。「来る時、あんな所に車なんていなかったのに」

 つられてみんなは、あの茂みへの入り口を見ます。

 長いフェンスに沿うように、道路に白いバンが止まっています。屋根の上には赤色灯が烏帽子のようについています。。未菜の言う通り、行きには見かけなかったものです。

「あれじゃない? ホケンジョが来て何かするって言ってたし、きっとあの車がそれなんだよ」

 和真が答えると、そこにまた健太郎が問いを重ねます。「それ、何するところなんだ?」

 六人の間に、沈黙が流れ込みます。そう言えば誰一人、保健所が何をする機関なのかを知らないのです。

 やっと口を開いたのは、友洋でした。

「……うちのお母さんが、言ってた気がする。確か、野良犬とか野良ネコを捕まえて集めて、殺しちゃうんだって」

 穏やかではないその言葉に、みんなは一斉に友洋を振り返ります。明るい夕陽に照らされた友洋の表情はしかし、仄かに暗いものでした。

「動物が町に溢れると危ないから、とかじゃないかなぁ」

「そんな理由で殺しちゃうの?ひどい!」

 憤慨する紗耶香の後ろで、優衣はほっとため息を吐きました。もし、和真があおいを見つけていなければ。もし、誰も飼えなくて元の場所へ返していたら。あおいの命は今頃、なかったのかもしれません。

「あの中で、何をしてるんだろう……」

 立ち止まった和真は、茂みの入り口をいつまでも眺めていました。何となく、気になってしまうのです。

 重低音を轟かせながら、オレンジに輝く飛行機の胴体が六人の頭上を通過して行きました。





 この日。

「ただいまー」

 そう言って玄関を開けた和真を、仁王立ちになって待ち受けている人がいました。

 お母さんです。

「お帰り」

 妙に低いその声に、和真は危機感を感じます。お母さんは怒ると、こんな語調になるのです。

 咄嗟に授業参観での事を言われるのかと思いましたが、違うような気もします。授業中ずっといい子にしていた和真に終了後、お母さんはにっこりと微笑んでいたのですから。

 だとしたら、考えられるのはネコの件くらいでしょうか。


 悪い予感は当たりました。

「最近、牛乳の減りが異様に早い気がするんだけど」

 お母さんは紙パックを振って見せます。「あんたいつから、こんなに飲むようになったの?」

「え? うーんと……一週間くらい前」

「なんで突然そんなに牛乳が好きになったのよ。前は好きこのんで飲んでる様子もなかったじゃない」

「え、えっと、クラスに背の高い転校生が来たから……抜かしたくなって」

「転校生が来ただなんて誰からも聞いてないわよ。今日だっていなかったじゃないの」

 ごり押しは、無理か。言い返せない和真に、お母さんは一歩、近づきます。

「今日、よそのお母さんたちと話してて、聞いたのよ。あんたの友達の家でも近頃、似たような事になってるそうね。一体何をしているの?」

 失敗した。和真は思いました。

 やっぱり、牛乳はお小遣いで買えば良かったのです。家から持ち出したりしなければ、こうして露見することもなかったろうに。

 しかし今となっては、後悔など後の祭りです。

「大方、予想はつくのよね」

 一方の腕を頭の後ろへやりながら、お母さんは続けます。「ここ一週間、あんたの行動は何か変だったし。やたらコソコソ動き回ったり、不自然なタイミングで出掛けたり。明日もそうやって、どこかへ行くつもりなんでしょう?」

「それは……」

「別に構わないけど、お母さんが怪しんでるってことは自覚しなさい」

 だめ押しの一言を残し、お母さんは奥へと消えてゆきました。

 和真は玄関土間に、しばらく立ち尽くしていました。


 もしも、こっそり飼っていることが明らかになってしまったら。

 きっとこのまま飼い続けることは難しくなるに相違ありません。

 けれど、どうしたら秘密のままで通すことができるでしょう。必死に考えますが、いい案などちっとも浮かびません。


「どうしよう……」

 途方に暮れた和真の声が、玄関で乱反射します。





 同じ頃。

 和真同様に、とりとめもなく考え事に耽っている者がいました。

 未菜です。

 牛乳やその他を持ち出しているのは未菜の家でも変わらなかったため、未菜もさっきまでは問い質されていたところでした。しかし、未菜はもとよりそんなものを真正面から受け取るような子ではありません。適当に切り抜けると、さっさと自分の部屋に行ってベッドに飛び乗ってしまいました。

 そのまま、今に至ります。


「……なんか、懐いてくれないんだよね……」

 布団越しに、未菜はもがもがと独り言を言います。

 気になっているのはあおいのことです。今日──いや、それよりずっと前から、思っていた事が、未菜にはありました。

 飼い主になって、今日ではや一週間。しかしあおいは、みんなが撫でたり触れたりしても嫌がりこそしませんが、自分からじゃれついたりは決してしてくれません。

 好かれていないのでしょうか。そこまではいかないとしても、まだ家族みたいにはなれないのでしょうか。まださほど月日が経っていないのですから、当たり前と言ってしまえばそれまでなのですが、未菜は少し不安なのです。


 たとえば。

 昔は飼い主がいて、その人のことが忘れられないとか。


「……ないない」

 ふっと笑うと、未菜は布団をぎゅっと抱きしめます。

 温かなあおいの身体は、どんな立派な羽毛布団だって表現しきれません。今はまだ無理だとしても、いつかは家でネコを飼ってみたい。それも出来たら、あおいがいいのですが。


 静かに思いを巡らせながら眠る、六人の子供たち。

 深夜の羽田の空を、いくつものライトが点滅しながら飛び去って行きました。







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