八話
ガチャリ、と音がして体が震えた。
リズが帰ってきたのだと思って、本を元の場所に直した。
音を立てないように、部屋のドアを閉めた。
「お、おかえり。リズ。」
「ただいま。」
いつも通りの笑顔を見て、気付いていないことが分かり、安堵の声を漏らす。
リズは何を知っているのだろう。
「大丈夫だった?」
「うん。平気! 今日の夕食は何にしようかなーと思って、これを買ってきたの。」
そう言って見せたのは、大きな鹿肉だった。
僕は吐き気を抑えた。頭がグラリと揺れる。
「空太……? どうしたの?」
「いや、初めて見たから少し……。」
「あ、ごめんね。グロイでしょう?
新鮮さを保つために、血を落としていないの。今から落とすね。」
それはリズの言う通り、グロテスクだ。
鮮明な血が肉片に絡み合っていた。
捕ったばかりの鹿肉。
これからこれを食べるのか、と思うとまた吐き気がした。
こういうのには見慣れていない。
自然の中で暮らすという事は、こういう事なのだろう。
何も知らずに生きてきた僕は案外幸せだったのかもしれないと思った。
それよりも、リズはこの鹿肉をどこからか買ってきた、と言った。
誰から? 誰もいないはずなのではないか?
「リズ……?」
台所に立ったリズに、僕は問いかける。
決して不審に思われぬように。
「リズは、この森で僕以外に会っていないって言ったよね?」
「えぇ。」
動かす手を止めずに、リズは短く返事をした。
僕はさらにリズに問いかける。
「じゃあその鹿肉は誰から買ったの?」
人間はいないんじゃないの?という言葉を放とうとした瞬間に体が震えた。
リズの手が止まり、一瞬、体がピクリと動いた気がした。
「そうね。」
リズは振り向き、こちらへ向かってくる。
その手には包丁が握られている。
ヤバイ、と初めて思った。
とてつもない殺気を感じた。
僕は殺される。
ここで一生を終える。
そんな妄想が頭を過ぎる。
そんなの、妄想だけにしてほしい。僕は死にたくない。
体は心と反対に、全く動かなかった。
金縛りにあったような感覚に囚われて、動けない。
体の震えが止まらない。
「何を知ってるの? ねぇ、空太。」
リズの甘い声も、今の僕には悪魔の囁きのように聞こえた。
「な、何も知らないよ! ただ気になっただけ……。」
ここで本当のことを言ってしまえば、確実に死の世界が待っていると思った。
「そう。ならいい。」
何事もなかったかのように、リズは元いた所へ戻っていった。
僕は心臓が飛び出そうなほどの緊張から解放されたが、その場から動けなかった。