第四章
猫の言葉を理解するのに、僕は数十秒ほど費やした。猫はそんな僕をじっと見つめながら僕からの返答を待っている。
言葉はゆっくりとじんわりと僕の中に浸透し、僕の脳は急速に動き出した。
なんだ、それ……!? えっ? いや、えっ? もしかして、これって、勇者的な? 選ばれし者的な? 僕が?
一瞬の内に、脳裏に様々なマンガやゲームの設定が浮かんできた。
いやいや……。
「いやいやいや……」
僕は思わず口元が緩んでしまいそうなのを必死に抑えつつ、それを否定しようと勤めてみた。
しかし、このしゃべる猫に、猫が今手を置いている謎のアイテム。とんでもなく非日常的な展開であることに間違いはない。
マジか? マジなんか? こんなことが起きるなんて……。
「どうなの?」
「も、もちろん、救いたいさ」
それはそうだ、そう答えるのが普通だろ。危機的状況なんだし、それに……。
「ところで、危機的状況ってどんなことが起きるんだ? 何か攻めてくるとか? 悪い組織の陰謀とか? 邪悪な何かが目覚めるとか?」
「……さあ?」
「……? さあ? って」
猫は僕の言ったことには不思議そうに首を傾げた。
「じゃ、じゃあ、僕は何をすればいいんだ?」
「そうね、この本にあなた自身で自分の名前をサインする」
「なるほど、そうするとどうなるんだ?」
この展開なら、何かと契約して特殊な相棒を得るとか、特別な乗り物が現れるとか、不思議な力に目覚めるとか、もしくはいきなり異世界に飛ばされるとか!
僕は期待に胸を膨らませつつ、ゴクリと唾を飲んだ。
すると、猫は一言こう言った。
「人類の危機的状況が回避されるわ」
……。
「……いきなり?」
「そうよ」
「ということはもしかして……」
名前を書くだけかと思いきや、簡単には書けないのか!? 何かを集めるとか、どこかにいくとか、もしくは……。
「ただし……」
「うんうん、ただし!?」
「名前を書けば、書いてから十二時間以内にあなたは死ぬけどね」
「……?」
この本にはルールがある。
一、本人のみ、自分の名前を書くことができる。
二、名前を書いた人間は十二時間以内に死んでしまう。その代償としてこれから起こるだろう人類の危機的状況を一回だけ回避することができる。
三、この本の事を他人にもらしてはならない。
四、今後、人類に危機的状況が陥るだろう出来事をどのような形にしろ、他人に明示してはならない。
五、サインすることもしないことも本人の意思に委ねられる。
「あと、六として、人類にどのようなことが起きるのか、それをあなたが事前に知ることはない。もしサインしたならばあなたは死んでしまう、つまり知る必要はないから」
猫は淡々と本の説明をした。
僕は呆然とその説明を聞いていたが、思わず猫の言葉を遮った。
「ちょっと、待って……」
「なに?」
「死んじゃうってどういうこと?」
猫は首を傾げた。
「そこから説明が必要なの? 生命活動が停止するということよ。つまり……」
「いや、そうじゃなくて」
「うん? 何で死ぬかってこと? それはその時によって……」
「いやいや、死因の話じゃないんだよ! そもそも何で死ななきゃならないんだ!?」
命をかけて戦うって言うのなら燃える展開っぽいけど、それもなくいきなり死んじゃうってことは、努力でどうにかして困難を乗り越えるという話ではないし、いろいろ頼りになる仲間や途中で会うかもしれない女の子とのイチャイチャとかないわけだし、誰にも知られてはいけないってことは周りの人間からの賞賛や感謝もない。
つまり、もし、本当にこの本に名前を書いたことによって僕が死んでしまうというのならば、僕から見ればただ死ぬだけ。
何かものすごい存在に選ばれて導かれて、たいした努力もしないで活躍して、感謝されて、女の子にモテモテで、っていう、そんな勇者的なポジションでは……
「誰も知らない、報酬もない、誰一人としてあなたに感謝だってしないし御礼も言わない。たった一人で人類を護るっていう、つまり、さしずめ勇者的なポジションかしらね」
「……」