最終章 太陽の光
黒田蘭は駅を降りると、駅前のスーパーで買い物をして店を出た。
夕食になる材料とキャットフード。
鼻歌まじりで何度か歩いた道を何の疑問も持つこともなく、その部屋の前までやってきた。
「……?」
あれ?
どうして私、こんなところに来たんだろう?
来たことがないはずのアパート。
来たことがないはずの部屋。
しかし、足が向いていた。
「えっと……」
蘭はふと表札を見た。そこには見たこともない名前が掛けられていた。
黒田太陽。
自分も黒田だが、黒田などよくある苗字だ。
太陽という名前にも記憶がない。
一人っ子の蘭には兄弟の記憶はない。従兄弟にも親戚にもその名前に心当たりはない。
しかし、不思議な事に蘭は引き寄せられるようにドアノブに手を掛けた。
ドアには鍵がかかっていなかった。
「……」
ドアを開く。
ドアを開けたそこには……。
「……」
何もなかった。
まるで空き部屋だった。
家具一つ存在しない。カーテンもかけられていない窓から夕陽が差し込んでいるだけだった。
「あれ?」
蘭の頬を涙が伝った。涙が伝ったことで、蘭は初めて自分が泣いていることに気がついた。
しかしなぜ、自分が泣いているのか? その理由を蘭はわからなかった。
涙があとからあとから溢れ出て来る。
わけもわからずその場に崩れ落ち、そのまま声を上げて泣いた。
声をあげても、誰も応えるものはない。
何を期待しているのか、彼女自身にもわからない。ただ、誰かが来てくれるような気がしてならなかった。こんな風に困った時、悲しい時に、いつも来てくれる人がいたような気がしていた。しかし、誰もやってこなかった。
やがて日が暮れ、蘭は買い物袋をそこにおいて部屋をあとにした。
もしかしたらと願いを込めて。
彼女はもう二度とその部屋を訪れる事はなかった。
風に吹かれる一匹の青い猫が部屋から出て行く黒田蘭の姿を誰もいないビルの屋上から見つめていた。
手元には黒い本。
新たなページにこの世界を救った勇者の名前が刻まれている。
青い猫は少し風に当たりながら勇者の言葉を思い出す。
名前を書かない奴だって?
勇者は猫の質問に彼らしい口調で答えていた。
「そんな奴いるわけない、か……なるほど、興味深い」
笑みを浮かべる猫を心地よい風が過ぎ去って行く。
そうね……。
「まだまだ、人間は滅びそうにないわね」
そう呟くと猫は風と共にどこかへと消え去った。
ここまで闇の住人シリーズ1「誰も知らない勇者の去る日」にお付き合いいただきありがとうございました。今まで読んで下さった方々と感想応援頂いた方々に心より感謝いたします。
最後に描かれています青い猫のイラストは「そして世界に竜はめぐる」の作者・美汐さんから送っていただいたものです。美汐さん、本当にありがとうございました。