第二十四章
「……」
猫はふふんと試すような笑みを浮かべた。
園田さんの姿を想像して急に怖気づいた。それを猫に悟られまいと何でもない顔をしながら言い訳を頭の中で組み立てようとしていた。
「べ、別に、こ、告白ぐらいできるさ」
というセリフの時間稼ぎで、頭の中では、決意と言い訳がせめぎ合っている。
「そう」
猫は笑みを浮かべるように意地悪に目を細め、しっぽを揺らす。猫の挑発に僕は毅然としたつもりで胸を張った。
「できるに決まっているじゃないか」
だって、これで終わりなんだから、これでもう逢えないかもしれないんだから。最後に一言ぐらい言えるさ。
「だけど……」
だけど、告白できない理由がある。
そもそも、僕は彼女の連絡先を知らないし、会う機会だってあるわけじゃない。
確かにこの道を歩いて行く彼女の姿を見てはいるが、いくら何でも街中で告白なんて、ドラマじゃあるまいし……。
「まあ、せめて園田さんに会えればね……」
「会えるわよ。私、彼女の家を知っているもの」
……。
「えっ?」
「私、彼女の家を知っているの」
「な、なんで?」
「調べたから」
「ど、どうしてそんな事を!?」
「興味があったからよ」
……。
しれっと言う猫に、僕は全身の毛孔から汗が噴き出たような気がした。言い訳の退路を塞がれ、僕の心は急にざわつき始めた。
何かしらの理由をつけてやり過ごそうとしていた僕を見透かしたかのように猫は言った。
「いいの? 彼女に言わなくて?」
「……」
「言わなければ何も伝わらないし、始まる事もない。ただ、言えば良くも悪くも何かが変化してしまうわ」
猫は顔を洗いながら僕の言葉を待つ。
「わかってるよ、わかってる……」
本当は僕にもわかっていた。猫に言われなくたってわかっていた。
言わなかったら後悔してしまうのは、たぶん僕なんだから。
「どうするの? 行くの? 行かないの?」
「い、今から!?」
猫は「当然でしょう」とでも言いたげに首を傾げる。確かに猫の言う通り、今行くのも明日行くのも大した変わりはない。むしろ、猫に言われた今がチャンスなのかしれない。
僕はしばらく考えていたが、意を決して猫に案内を頼む事にした。
たった一言じゃないか、一言言ってくればそれでいい。
僕は猫に連れられ、彼女の家へと向かう事にした。猫に先導されてというのが、なんとも間抜けだが、この際仕方がない。
彼女は実家暮らしだという話を微かに記憶の片隅に残っていた。彼女の歩いて行く方向から考えると、僕の部屋から歩いて商店街を抜け、閑静な高級住宅街の方だ。
「お、おいおい、まだ行くのかよ?」
「ええ」
外にいるせいか、人気が少なくなって来ても猫の返事はいつにも増して短い。
普段こちらの方には来る事はなかったが、商店街と駅から離れるとこんなに景観が変わるのか驚いてしまう。僕は不審者の如く、辺りをキョロキョロと見回しながら広く綺麗な道を猫のあと追って歩いていた。
ドラマか何かにでも出てきそうな街並みだ。
庭付きの一戸建て、見るからに高そうなピカピカ車が並ぶ。生憎、車には詳しくないが、高い車だという事だけは何となくわかる。
この街にこんな場所があるなんて知らなかった。引っ越してきてから商店街と駅前の一部だけで生活のすべてをしている僕からしてみれば、やっと慣れてきたはずのいつもの街の空気とは違い、どこか落ち着かない。
「ここよ」
「ここ……?」
高級住宅街の中でも一際大きい門。家の大きさを見ても、僕の実家の何倍あるかわからない。
「……」
「ここで、待っていれば、彼女に会うことができるわよ」
「っていうかさ」
なんだ、ここ? 何、僕の場違い感。
「どうしたの? もう怖気づいたの?」
「まあ、ね」
「まだ彼女の姿も見ていないのに?」
猫は珍しく呆れたように言った。
確かにまだ彼女が帰ってくるには少しばかり時間があるし、彼女の姿が見えたわけでもない。
それなのに、僕はこの雰囲気に飲み込まれてしまっていた。
「あのぉ……」
「……!?」
突然声を掛けられ僕はビクッと体を震わせた。
慌てて振り返ると、声の主は僕の事を怪訝な顔で見つめる制服姿の女の子だった。
碧緑のブレザーと膝下まであるスカート、チェックのリボンはこの辺でも有名な私立高校のものだ。確か、かなりのお嬢様学校であったと思う。
「……えっと」
「あの、うちに何か用ですか?」
「え? うち?」
僕は警戒している彼女と園田さん家を見て、もう一度彼女を見た。そう言われてみれば、彼女はどことなく園田さんに似ている感じがする。特に、目元と顎のラインが近い、ふっくらとした柔らかそうな感じとあどけなさを残す印象が彼女をより愛らしく見せているようだった。
とはいえ、今はその頬は警戒心で赤らんでいるのだが。
「あの、えっと、園田さん? 園田菜ノ葉さんの妹さん、かな?」
「お姉ちゃんの知り合い?」
園田さんの名前を出すと少し警戒を解いたのか、彼女は表情が緩んだが、その目は不審者に向ける目である事には変わりない。
「僕は、黒田太陽っていうんだ。大学で一緒のサークルで一緒でさ。あの、お姉さん、今、家にいるかな?」
「いえ、たぶん、まだ……」
そうだろうな。まだこの時間なら彼女は帰っていないはずだ。
僕はわかっていて質問していた。
彼女の不審者のイメージから少しでも脱しようと思い、言ってみたものの、あまり効果はなかった。それはそうだ。僕が彼女の立場でも怪しいと思うだろう。
「姉に何かようですか?」
「ああ、うん……」