第二十章
もう三日もゲームに触れていない。ここ半年で新記録だ。何となく落ち着かなくて、ゲームをしている気分になれなかった。
そんな気分のはずなのに、ゲーム漬けできたものだから、ゲームをやらなくなってしまうと今度は何をしていいのかわからない。
それに、何だか積み上げてきたものを失ってしまったかのような喪失感みたいなものが胸の片隅にある。
なんだか何も手につかない三日が気分だけ忙しなくすぎていったように思う。ゲームをしなかったとしても、相変わらず部屋に引きこもっていることには変わりないのであるが。
「あら、ここ片づけたの?」
「まあな、お前が寝ている間に……」
「あらそう、どおりでうるさいと思ったわ」
「……」
あまりにおちつかなくて、テスト期間中の中学生のように部屋の片付けなどしてしまった。下手をすれば、模様替えまでしてしまいそうな勢いだった。
「なあ、俺、ちょっと出かけようと思うんだ」
「そう……」
猫は寝転がりながら面倒くさそうに返事をした。
「たぶん、夜には帰るから」
「ふーん、どこにいくの?」
猫は聞いてあげている、とでも言った口調で聞いてくる。どうやら起きたばかりであまり機嫌がよくないようだ。
「うん、まあ、ちょっと……」
「帰りにどら焼き買ってきてきてね」
僕に注文を出すと猫はサッサッと座布団の上で丸くなって寝てしまった。日の光がまぶしいのか、手で顔を覆い寝ている姿は妙に人間っぽい不思議な毛玉に見えた。
「……」
僕は猫が寝てしまったので、極力物音を立てないように部屋を出た。
時間はまだ十時を回ったあたり。この時間に外に出ているのも珍しい。猫と会う前だったらこの時間は寝ている時の方が多かった。
僕は駅に向かい歩きながら、上着から携帯を取り出して着信がないかを確かめた。
実はあれから何度かあかねちゃんの番号に電話をしたのであるが、電話が繋がることはなかった。もしかしたらと思い、着信がないかと気にしてはいたのだが、それもやはりない。
どこに住んでいるのかもわからなし、アドレスもしらない。電話だけが唯一の連絡手段だったのだ。
連絡がつかないのは、おそらくだが、猫が関係しているのだろう。
彼女の安否はわからないが、無事だということは想像できる。森宮悠樹が命を賭して守ったのがあかねちゃんであれば、猫が彼女を消してしまうような事はないだろう。もちろん記憶が消されている可能性は否めないが。
何を考えているのかはさっぱりわからないが猫はそんなに危険な存在ではない。最近、特にそう思えるようになった。
「生どらとお茶が好きなしゃべる青い猫、か」
改めて口に出して行ってみるとファンタジー過ぎて頭がおかしくなったのかと思える。駅に向かうための人気のない裏道だから呟いたが、誰かに聞かれたら変な目で見られる事は間違いないだろう。
平日であっても駅前には人が多い。僕は人の波を避けるように改札を通り下りホームへと向かっていく。ホームの自動販売機で缶コーヒーを買ってベンチに腰かけた。
冷たいブラックの缶コーヒーを飲みながら、何も考えないようにしながら電車を待った。
やがて電車がやってきて、乗り込むとシートに腰を下ろす。
完全に通勤時間を外した下りの電車の空きようったらない。きっと目的の駅までこの感じだなと予想ができた。
今回の目的地は家。つまり、実家だ。
こちらに引っ越してきてから一度も帰っていない。僕の地元は今の住んでいる所から電車で二時間近くかかるところにある。二回の乗り換えを行い、少しずつ、乗車する人達の服装や雰囲気が変わり、外に見える建物の高さが低くなり、景色の中で空が占める割合が増えていく。
ひしめくように車も走ってはいない。
シャッターの降りた店が目に付く駅前の商店街、さらに行けば古い神社、畑や田んぼが目につくようになる。
「なんだか久しぶりだ」
地元に住んでいる時には、駅まで自転車をつかっていたっけ。駅前に駐輪所があってそこに止めていた。今は当然のことながら自転車などないから家までは歩かねばならない。
僕はふらふらと道草をしながら、なんとなく地元の町を歩いた。
地元と言っても、僕はそんなにこの町に溶け込んでいたような記憶がない。町をあるいても、声をかけられたり、挨拶をされたりなどと言うこともない。当然だ、この時間、同世代はみんな学校か仕事に行っているし、そもそも駅前だって閑散としているのだから。
特に物珍しいものもないが、妙に懐かしさを感じる街を歩いて僕は家へ帰った。
「ただいま……」
「あら、おかえり」
「……うん」
僕は他所の家に来たみたいに、玄関から上がろうかどうか少しだけ躊躇した。自分の家がこんな匂いだったかと思い、少し意外な感じがしていた。
「どうしたの、いきなり。今日は学校は休み?」
なかなか家に上がらなかったので台所にいた母さんが顔を出した。母さんがもっと驚くかと思ったけど、そうでもなかった。
「お昼食べた?」
「いや、まだ」
「じゃあ、一緒に食べようか」
「う、うん」
僕は母さんに促されるままリビングへと入っていった。家具の配置、テキパキと家事をする母さんの動き、当たり前だが何も変わってはいなかった。
僕は学校のことを聞かれたらどうしようかという思いが頭を巡り、妙に姿勢を正してイスに座わりながら両手を握りしめていた。
母さんは手際よく、おそらく昨日の夕食の残りだと思われるものを温めて僕の前に並べた。
なんていうか、見慣れた料理だ。
俺の前に俺の箸を手にとり、口に運んだ。
目の前に母さんが座り、お茶を入れている。
「どう、一人暮らしは?」
「う、うん、まあまあ、かな」
「そう」
急須からお茶が注がれ、僕の前に湯のみが置かれた。
「はい」
「うん」
僕は黙ったまま箸を皿と口の間で往復させた。
「何か、あった?」
「……?」
「何かあったような顔をしてるわよ?」
「何もないよ」
僕は言いたいことがあった。あった気がした。でも、頭の中が真っ白になって何も言えなかった。
「そう、ならいいけど」
母さんはそれ以上僕に聞かなかった。
それからしばらく僕と母さんの間には沈黙が流れた。テレビのワイドショーが何でもない話題と取り上げている。
「あのさ……」
「うん?」
僕はそう切り出した。
「もしもだ、もしもの話なんだけど……僕にしかできないようなすごく重要なことがあって、それをするとたくさんの人が助かるような事があって……でも、それはすごくあぶない事とかだったら、母さんはした方がいいと思う?」
自分で言うのも何だが、とても変な質問だ。勢いにまかせて言ってはみたものの、いいながら少し後悔した。
こんな問いにまともに返す人間などいるだろうか……?
「……そうね。もし、それが太陽にしかできない、とても重要なことだったとしても、母さんはしてほしくない、かな」
「……」
「他の誰かが助かっても、太陽は母さんの子なんだから。あぶないなら、やらないでほしいわ」
母さんはそこまで言葉を区切り、少し考えてから、言葉を継ぎ足した。
「でも、太陽がやりたいんだったら、それはやるべきよ」
「……うん」
僕はただうなづいた。
母さんの飯がうまかった。