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第十八章

 私は上屋と森宮別れたあと、次の本の所持者となる者を探していた。

 二人の話を参考にすると、

 若くて、時間があり、健康状態が良好な者がよいだろう。

 夜の繁華街。眠らぬ街のネオンの紛れながら、私はあてもなく闊歩する。

 ビルの屋上から街を見下ろし、私はその男を見つけたのだった。

 瀬川一。

 年齢は二十半ばを過ぎた辺りだろうか。有名大学を卒業し、一流企業に就職も、一年で退社し、起業。仲間と共に事業を成功させている。

 友人、仲間、恋人に囲まれ、高級な車と広い住まい。上等な服をまとい、豪華な装飾品を身につけていた。

 私はしばらく彼の事を観察さいたあと、彼に接触してみようかと考えた。

 彼はどんな風に考えるのか? この本にサインするのか、しないのか?

 半年ほど観察したあと、私は彼の部屋に忍び込み、いつもの本の説明を行った。

 その時、彼は私にこう言った。


「それは本当の事? 悪いけど、俺は、そんなものにサインはしないよ」


「そう」


 彼の言葉に私はただ頷いた。

 彼は私が自分の家に住むのを許可したものの、本に関してはまるで関心がなかった。彼は仕事に夢中になって、本のことなどまるで信じていなかったのだ。

 そもそも、多忙な彼と話をする機会も私はあまり恵まれなかった。彼の周りには常に仕事仲間、恋人、友人の誰かがいたからだ。

 本の期限はおそらく一年ほどはあっただろうが、きっと、この人間は本当にサインをしない、そう私には思えた。

 私の期待は高まった。 


   ※


 サインするってことは、するってことは。

 僕が死んでしまう、ということ。そして誰かが、助かる……サインをしなければ、僕は死なないかもしれない、そのかわり誰かが、死んでしまう……。

 普通に考えれば、サインなんてしない。

 死にたくないからだ。しなかったとしても、僕はその事をわすれてしまうのだから、後悔にさいなまれることはない。

 それなのに、サインをしないと踏み切れない。そう思えば、胸に罪悪感が腰をおろす。

 でも、サインすれば死ぬ。……でも。

 頭の中で「でも」がくり返しくり返し、回っている。何か答えを出そうとするたびに「でも」がやってきて、答えを引き戻す。

 あの子……。

 あの交通事故の女の子。あんな風に人が倒れて、動かなくなるんだぞ。

 僕の頭の中で、あの女の子の姿に妹が重なる。

 蘭があんな風に倒れたら……。高校の時の友達が、目の前で血を流していたら……。もし園田さんが……。

 何が起きるのかはわからないけれど、何か起きることはわかっている。それを知っているのは僕と猫だけ、そしてそれを何とかできるのも僕だけ……。


「何を考えているの?」


「な、なんでもないよ」


「そう」


 猫はあっさり引き下がる。


「ちょ、ちょっと待てよ、そこは、少し話してみなさいよ、とか聞くところだろ!?」


「何、聞いてほしいの?」


 いつもの昼寝座布団に戻ろうとする猫を僕は慌てて引き留めた。猫は面倒くさそうにテーブルの上に飛び乗り、僕と向かいあうように腰を下ろす。


「で?」


 おい、もう少し興味を示せよ。後ろ脚で首をかくな。

 とはいえ、あらたまると何を話していいのか、わからず言葉が出てこない。

 本の事、事故の事、女の子の事……。


「……蘭、なんだけどさ」


 口が勝手に動いたように僕は妹の話を始めていた。


「あいつ、僕よりも頭が良くてさ、成績もいいんだ。親もさ、僕には全然期待してないけど、蘭には期待してて……」


 親のことなんてすっかり忘れてた、もし、サインしなかったら、母さんや父さんも死んじゃうのかな?

 親が死ぬ。居なくなる。

 僕はしゃべりながら心の中でその事を何度か呟き、繰り返した。けれど、これほど想像しにくいものがあるのかと思うほどうまく想い描くことができなかった。


「蘭の奴、この前きた時、僕と同じ大学に、って言っていただろう? ありえないんだよな」


 僕が予備校行く事になって、家を出る事になって正直親は安心したかもしれない、と僕は思っていた。こんな兄貴がそばにいたら、妹に悪影響が出たら……離れてくれた方がいいって思っていたかもしれない。

 実際、僕はそう思っていた。むしろ、それでも仕方が無いぐらいに思っている。

 蘭は昔からよく出来たし、苦手な事などないかのように何でも卒なくこなしてしまう。容姿だって、兄貴の僕が言うのは何だけど、結構良いほうだと思う。むしろ可愛いほうだ。

 はるか昔、まだ自分に諦めがついていない頃は、そんな妹に対して嫉妬をしたような記憶もある。それはどこかで明らかな羨望にかわり、いつしかそれすら感じないほど遠い存在になってしまった。


「もしもだよ、命の価値みたいなものがあったとしたら……」


 僕は自分でそこまで言って、口を噤んだ。自分なりにわかっていたような事でも、実際に言葉に出すのは抵抗があった。


「……蘭には……」


 蘭の将来の夢とか、あるんだろうな。

 そんなこと、聞いたことないや。

 まるで興味がなかったからだ。自分の将来の夢や希望みたいなものがないのに、妹の将来の夢や希望に興味がもてるはずもない。


「彼女には生きていてほしいのね」


「ああ、蘭には生きていてほしいんだ」


 夢とか、将来への展望とか、僕ができそうな将来やりたい事とか……僕は思いつかない。

 誰かが死んで、誰かが生きるというのなら、僕は蘭に生きていてほしい。

 このまま、ただ生きていたとしても、自分の命の価値がそこまでにあるようにも思えない。


「僕は……」


 もし、妹の命が救えたのなら、園田さんの命が救えたなら……それだけでも十分な気さえしてきていた。


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