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第十六章

 その部屋には誰もいなかった。

 病院的な白い壁、清潔感ベッドとカーテン。窓から入ってくる適度な光と風が心地よい。

 不思議なほど心地よくて、ここが特別病棟という難病や特殊な病状の人が入院する部屋であるということを忘れてしまいそうになる。


「ここは……」


「あなたが探していた人物、森宮悠樹がいた部屋ね」


「や、やっぱり、ここの病院にいたのか、その森宮って奴は」


「聞きたいことはそんなこと?」


 猫は窓際に設置されたベッドの上に飛び乗ると、光を背にして腰かけた。

 猫の表情が見えない。

 僕の行動に怒っているのか、それとも意外に思っているのか、声色だけでは判断できない。


「いや、そうだ、そんなことじゃないんだ。あの本、あの本に書いてあることは本当なのか?」


 僕の問いを猫はすぐに理解したのか「ええ、そうよ」と頷いた。冷静で、簡潔な返答だった。

 あまりにあっけない返事に僕は肩透かしをくらった気分になり、勢いがそがれてしまう。

 でも、もしも、そうだとしたら、もしも、そうだとしたら……!


「今まで、あの本にサインした奴は、死んだことによって、あそこに書かれているようなことを何とかしたってのか?」


「そうよ」


「じゃあ、僕がもし名前を本当に書かなかったら……?」


「何かが起こるでしょうね。でも、それが何のかはわからない」


 そんな、本当に……? でもそうだとしたら……


「あのなかにサインをした人間で、上屋正三って人がいるだろ?」


 森宮悠樹の前にサインをした人物だ。僕はその人物の内容を記憶していた。


「人間に対して強い毒性を持つ、病原体の蔓延を防いだ……」


「そう書かれていたわね」


「それで、全世界二十億人の感染を防いだって……」


「そうみたいね」


「でも、そんなニュースはなかったぞ、ネットにも、テレビにも、そんな危険性があるとか、感染が拡大しているとか、恐れがあるとか、そういった内容のことは出ていなかった」


「そう」


「そうって、あの内容は……」


 もしそんな病原体が存在しているならば、その可能性があるだけでニュースにはなるものだ。どこかの国で発見された、WHOが警告を出した、日本ではこんな対策をやっている、などだ。

 例え、それらが日本で発症していなくとも何らかのニュースや話題になってもよさそうなものだ。しかし、そんなものは一切なかった。


「あなたまさか、この世のすべての情報があなたの前に開示されているとでも思っているの?」


「それは……」


 僕は言葉を詰まらせた。

 猫の言っている事は一理ある。というか、それは認めざるをえない。

 もし、本当に危険なものは知られないように秘密裡に処理をされている、とでも言われれば、僕のような一般人がネットで少し検索したくらいでは知ることはないだろう。

 淡々とした猫の答えに、僕は話題を変えようと、別の人間の名前を出した。


「か、上屋って人の次、この部屋にいたっていう森宮悠樹って人だけど……」


「ええ……」


「この人の内容はまるで違う」


 僕は森宮悠樹の内容も記憶していた。その内容が上屋正三と対照的だったから、なおさら印象に残っていた。

 内容は事故を未然に防いだらしい。それによって一人の人間が救われている。


「今度はたった一人だって書いてあって……」


「そうね。でも、その一人が将来多くの人間を救ったとしたら?」


「……」


「それにその人物は、彼にとって大事な人間だった。その意味は大きいわ」


 大事な? それって……


「茜ちゃんのこと?」


 口走って思わずハッとした。猫は俺の瞳を覗き込むとスーッと目を細めた。


「茜に会ったのね」


「……」


「今回のことは少し規則違反だけど、こちらの不手際もあったみたいね。忘れてあげるわ」


 猫は立ち上がるとすでに病室から出ていこうと足を向けていた。


「ちょっと待って、茜ちゃんに何かする気なのか!?」


「あなたの知る必要のないことよ」


 猫は振り向きもせずにそれだけ言った。

 猫が行ってしまう。僕は慌てて咄嗟に一番気がかりになっていた事を口にする。


「あの本に名前を書いたら、僕の事をみんな忘れてしまうのか?」


 森宮茜は、森宮悠樹がここにいたことを忘れていた。茜が尋ねたという病院の関係者も僕がさっき尋ねた入院記録もすべてはじめからなかったかのように存在していない。

 森宮悠樹は確かにここにいたはずなのに。


「サインをすれば死んでしまうのよ。それに答える必要があるかしら?」


「……!」


 猫の言葉はすごく当然の事だった。

 確かにそうだ。

 死んでしまえば、自分の事を他の誰かが忘れてしまったとしても、いや例え覚えてくれていたとしても、自分がそれを知るすべがないのだから気にしているほうがおかしいのかもしれない。


「……だけど」


 だけど、僕が死んだ瞬間に、みんなの記憶から、僕という存在が消えてしまうということが僕にはひどく恐ろしい事のように感じ、僕は震えが止まらなかった。


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