第十五章
次の日、猫が散歩に出かけたのを見送り、僕は急いで服を着替え、ネットで調べておいた病院の地図を片手に家を出た。
病院の場所は、駅を三つほど行った所だった。茜が猫を見かけたのは、彼女の学校がここから近かったためだろう。
その駅の周辺は人通りが多く、夕方にでもなればストリートミュージシャンでも出てきそうな雰囲気だ。
僕は電車を降りると病院前につくバスに乗った。こんな時間に外に出て、それも見知らぬところを移動しているなんて、なんだか不思議な気分だ。
ゲームの中の綺麗な絵の中を歩くのもいいが、たまには外を歩くのだって悪くはないかもしれない……。
いや、あくまでも、たまにはの話だが。
「……」
そんなことを考えてしまうのは、慣れないバスになんかに乗って、変なテンションになってしまっているからに違いない。
実際に外を歩けば疲れるし、紫外線が何となく体に悪い気もする。それに、そう、交通量も多いし、空気もよくない気がするな。
僕は何かと文句をつけながら一人納得する。
「……」
何で現実世界にはモンスターとかいないのかな? 倒したらお金が出てくる奴とかいればいいのに……。もしくは、素材とか獲れるとか。
ギルドとかあって、仲間とダンジョン行ったり、魔法とか使ったりできたら、すごい活躍できる自信があるんだけど、って言うか、そんな世界だったら、なんか頑張れる気がするんだよな……。と、バスから外を眺めながら、僕はボンヤリと考えた。
見知らぬ景色がどんどん流れていく。見知らぬ通行人の頭上を追い越していく。
平和なんだよな……。
平和がダメって事じゃない。でも、輪の中から外れた人間が戻るくらいの事件が起きてほしいくらいには思う。できれば華々しく活躍できるような役目を押し付けられたい。そしたら、今よりも頑張れる気がするんだ。
「……」
だけど外の世界は本当に何も起きない。起きる要素もない。もし起きたとしても、僕などは完全に蚊帳の外になるような事ばかりだろう。
学生は学校に行き、社会人は会社に行く。
今、スーツも着ないで歩いている奴らは、仕事は休みなのか? 休みなんだろうな……普段は会社に行って、仕事して、給料もらって。
一般的な社会生活を送って、誰かを好きになって結ばれて、家族を作って……。そんな生活に追われて、現実世界で充実した時間を過ごしているんだろうな。
僕は視線を上げ、立ち並ぶマンションに目をやった。
生活感のあるベランダ、窓が開いていたり、洗濯物がほしてあったり、向うの方に見える高級そうなマンションにもきっと同じように人いるのだろう。
あの一つ一つに人がいて、生活をしているのか……。
僕はそんな当たり前のことを考えながら、ふと自分の生活のことを考えそうになって頭の隅においやった。考えようとしなくとも頭のどこかで腫れ物のようにジンジンしている。
猫が現れて、何か変わるかもしれないと思った。変わってほしいと本当は願っていた。
でも、変わらなかった。それこそ異世界にでも飛ばしてくれないかぎりは、現状からどうにかなるなんて思えない。
「……次か」
バスが病院前へと停車し、料金を払ってバスを降りた。さすがに病院前というだけあって、本当に病院の目に前だ。
「しかし、ずいぶんでかいな……」
総合病院というだけあってかなりの大きさだった。外来受付の場所と別棟で入院病棟があり、さらに別にリハビリ施設、看護寮などもある。どうやらここら辺一帯が病院の敷地らしく、色々な病院施設が立ち並んでいる。
ひとまず受付のところで話を聞こうと足を進めた。
「あの、すみません……」
友人と称して「森宮悠樹」の病室を聞いた。
患者の多さに疲れているのだろう。やけに事務的な対応で、二十代半ばの受付嬢はカウンターの向こう側でこちらに目を合わせる事もなくパソコンの画面に目を向けている。
平日の昼間だと言うのに、ずいぶんと患者がいる。歩いているスタッフも若いのが多い。
医師ではなく、看護士などの医療スタッフであろうが、下手をしたら、僕とほとんど年齢がかわらないようなのもいる。
僕は、なんだか場違いな感じがしてきて、少しうつむきながら受付嬢の返答を待った。
「もう一度、お名前をよろしいですか?」
「森宮悠樹」
こうなってくると事務的な感じの方が、むしろ気が楽だ。
「森宮悠樹様という方は入院されていませんね」
「そうですか……」
もう少し気のきいた反応をすべきだったかもしれない。一瞬、受付の女性の顔が怪訝にくもった。しかし、それにはかまわず僕はそこから逃げるように離れた。
息が詰まる感じがする。
僕は人込みから逃げるように病院を出て、少し離れた公園近くで一息ついた。
脱力感と疲労感が押し寄せてくる。心がざわついているのを抑えるのにしばらくかかった。
僕と同じ年くらいの奴が、僕よりも年下の奴が、しっかりと働いているんだ。……いや、そんなの全然関係ない。そんなの大した差じゃない、いつでも取り返せるんだ。少しやる気になりさえすれば……。
「はあ……」
深呼吸すると、腹のそこで淀んだようなもやもやした感情が湧き上がり、それをどこかで吐き出したくなった。
僕は気持ちを切り替えようと、ここに来た目的に目を向けた。
森宮悠樹はいないって、言っていたな……。
本にサインをしたのだから、すでに死んでいるってことか?
僕は茜の言葉を思い出していた。
「入院施設、病室……って言ってたな」
面会時間の今なら中には入れるはずだ。
入院期間長かったとすれば、森宮悠樹の入院仲間がいるかもしれない。その中には、森宮悠樹を覚えている人物がいるかもしれない。
今出てきた入口から入るのはさすがに抵抗があったので、別棟になっている特別病棟の方へと歩いていく。そこはさっきの所よりも人が少なく、妙に安心するような不思議な場所だった。
面会時間が記された掛札のついた入り口を抜け、病棟内を歩く。
外観からしても不思議な所だったが、中はもっと不思議な所だった。妙に清涼感があって心地いい。病院特有の重苦しき感じがしない。
もしかしたら人があまりいないせいかもしれないな……。さっきの事もあったので、僕は一人納得する。
一階には中庭があり、廊下から出ることが出来る。芝生と数本の植物、四人が並んで坐れるベンチが三台設置されていた。
ここの入院患者なのか、白いワンピースを着た黒髪の女の子が何故かベンチの上でしゃがみこんでいる。そのとなりには黒いシャツを来た小柄でおとなしそうな女性が腰かけていた。
親子かと思うような年の差だが、不思議とそんな印象は受けない。たぶん、友達なのだろう。
僕は彼女らを横目に階段を上がった。茜はこの病棟の三階にひっかかるものがあったと言っていた。この階のどこかに……
「森宮悠樹の部屋があった……」
「そうね。でも、そのことを知って、どうするつもり?」
「!?」
その声に全身から汗が噴出した。振り返ると病院内だというのに黒猫が一匹。
「く、クロ!? ……どうしてここに!?」
「……少し話しをしましょうか。それと……」
「……?」
「その名前で呼ばないでくれる?」