第一章
油断した……そうか、もうこんな時間だったのか。
コンビニを出ようと自動ドアの前に立とうとしていた所から、僕は慌てて雑誌売り場に引き返して隠れるように小さくなった。
まもなく自動ドアが開き、小柄な女性が入ってきた。
彼女の名は園田菜ノ葉。
この近所から、僕と同じ大学に通う大学生だ。
予備校で一年過ごした僕とは学年は同じでも年齢は一つ下。科も違うし、大学に行っていたとしても会う機会はほとんどない。
特別格好をしているわけではないのに、歩いているだけで絵になる。目を惹くような魅力のある子だった。
入学式の時に一目見て、その魅力にやられた僕は、勢いあまって、やったこともない同じ運動系のサークルに所属してしまった。
そこでわずかに言葉を交わした時も、第一印象と同じく、いい印象しか受けなかった。
もしかして、これが運命の出会いって奴なのか? と本気で思うほどだった。
「……」
思うほどだった……。
そう、そこから楽しいキャンパスライフが始まるかと思いきや、現実はそうもいかない。
どうやら僕の運命を察知するアンテナは圏外だったらしい。
今や、僕は自主休講常連ニート。
彼女はサークルでも大学内でも人気者だ。
彼女と仲良くなりたくて近づいたにも関わらず、挨拶程度にしか話したことがない上に、学校にもいかずに部屋に籠もっている。そんな負い目と下手に面識がある分気まずさもあって、こんな風に彼女の視線から逃げるようなことをしてしまっている。僕は背中で彼女を見ながら、入れ替わるようにコンビニをあとにした。きっと見つからなかっただろう。
彼女の性格からして、見かけたら声をかけてくるはずだ。
もっとも、彼女の記憶に僕の存在があればの話ではあるが。
「それに……」
声をかけてほしいわけでも、見つけてほしいわけでもない。
けれど、僕は立ち止まって一度、振り返って彼女の姿を探した。
彼女は、さきほど僕が隠れた雑誌コーナーで、視線を下ろしながら歩いている。
「……」
別になにを期待しているわけではないんだ。どうにかなるわけじゃないし……。
ズシリと重く感じるコンビニの袋を手首にかけながら、両手をポケットに入れた。ビニール袋が手首に食い込み、中の荷物が歩くたびに腿にあたりながら、とぼとぼと自分の部屋に足を向けた。
何かあるならもう起きているさ。
それに今は別の問題も起きている。
僕は自分の部屋のドアの前に立って何度か深呼吸をした。
すでに部屋を出てから十五分ほど経っている。
僕は、ゆっくりと部屋のドアを開ける。
「遅い!」
開けた瞬間に鋭い怒声が飛んだ。若い女性か子供のような声であるが、その声色は厳しい。
「いや、あの……」
「いつまで待たせるの? 私はのどが渇いたわ!」
僕のデスクの上で座る真っ青な猫は、声を上げながら不満を表すように長いしっぽで何度もデスクを叩いている。
そう、猫である。青い猫。
だが、二頭身でも、お腹の所にポケットをつけているわけでもない。姿はまるで単なる猫だ。ただ色が普通ではない。南国の鳥、もしくは海のような青。全身が真っ青な毛並みである。しかも、人間の言葉をしゃべっている。
「普段買わないから、探すのに手惑って……」
「いいわけはいいわ、早く入れて。濃い目ね」
やっぱり幻覚ではなかったのか。
じっとこっちを睨んでいる青い猫にわからないように小さくため息をつくと、僕はお湯を沸かしはじめた。
そう、それは、今から十五分ほど前の話だ。