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簡単に買収されてしまいます。

「あ、お帰りなさいシノブさん。嬉しそうですね、何かいいことでもあったんですか?」


にっこりとした笑顔で迎えるリコリスさんに私はアハハと乾いた笑いを上げるしかできなかった。なんで帰ってないんだろうこの人、いくらいいと言ったからってこんな遅くまでいるものだろうか。勝手に来て勝手に帰る方が失礼にあたると考えたのかもしれないけど。


「……リコリスさんはどうしたんですか?」


まぁでもそれなりに都合はいい。どこかでリコリスさんとは口裏を合わせなきゃいけないのだし、リコリスさんの方のことを聞いてからそういう話に持っていこう。


「素手でのエーテルボールを確実にできるようになったのでその報告と、お礼にキングサーモンを一匹です」


リコリスさんが軽く掌を私の方に差し出すとその上に渦を巻いたエーテルボールが現れる。サイズは私のそれと変わらないが密度が格段に高いことが見るだけでもわかる。それを無詠唱で発動させ、反対の手に持った大きな袋を私に手渡してくる。つまり片手間でできるぐらいになったということだ。


いとも簡単にやられてそれだけで私のプライドとかはバッキバキのぐっちゃぐちゃなのだが、同時にリコリスさんの持つ袋によって我が家の食卓がこの町に来て以来いつになく充実しそうな予感がして舞い上がる部分がある。


どうしよう、肉じゃがを作りたかったがとりあえずはこのキングサーモンだ。そこまで流通網が発達していないこの世界なのだから獲れたてではなく、生食はあまり適さないだろうからそれはないとして、とりあえず今日の分は簡単に塩焼きにして、明日以降食べる分はとりあえず水魔術で作った氷を使って冷蔵保存。


最悪身は全部スモークサーモンにしてもいい。腐らせるよりはいいしおそらく一か月は保ってくれるだろう。作るのに半月ぐらい必要になるけど。


香辛料の類はあまりないけれど塩や近場で取れる香草の類ぐらいはある。燻製器はこの家の中にあったものがあるし冷燻する事に関しては燻製器から通路を繋げて冷燻用の部分を作り、スイカに頼んで煙を冷やしてもらえばいいだろう。


ちなみに冷燻というのは冷燻製のことで低温の煙で燻す燻製のことでスモークサーモンの他に生ハムなどがあげられる。普通の燻製より大掛かりな装置が必要になり気温とかも気にしないといけず安定して冷やすことができなければいけない。まぁうちには全身水魔術で作られているも同然のスイカがいるので熱を奪うこと自体は全く難しくない。スイカは非常に便利だ。


スモークサーモンと、あとおまけにクッキーも一定のところまで処理をするには買い出しも含めて一日有給休暇を取ればいいだろう。今日の内に切り身に塩や何かを刷り込んで木属性魔術で生み出した紙で包むところまではやっておけば次の日までには水分が抜ける。


よし、とりあえず今の内にギルドに戻って有給休暇を取るための手続きをして来なければいけない。私は踵を返しギルドの方向へと歩き始める。


「……あのー、シノブさん?どこに行くんですか?」


危ない、ついついリコリスさんの存在を忘れるところだった。いや、結構忘れていたような気がする。


「少し動揺してました。しかしすごいですねリコリスさん、こんな短期間で私なんかよりよっぽどできてるじゃないですか」


元々自分がやっていた時のイメージが戻ってきたという感じなのだろう。エーテルボールはもともとこの人は使えていた時期があるのだから使えて当たり前なんだ。そう、だから私が落ち込む必要は無いんだ。私三年間ずっと魔術の勉強してたわけじゃないし、一番力入れてたのは魔生物生態学とか人間種別民族学とかそういった類だし、その類で論文を書いて点数稼ぎをして上位層に食い込んで実技科目のマイナス分取り返して卒業できたぐらいだし。


「いや、そんなことないです、私はまだ多属性使えませんし。ところで……また明日も来ていいですか?」


キングサーモンは受け取ってしまったし返したくない。そしてリコリスさんはお得意様で機嫌を損ねると支部長に首を切られかねない(物理)。やっぱりとても断れる相手ではない。


こういうどうしようもない時はポジティブに考えてみよう。リコリスさんの魔術の習得ペースは異常なまでに早い、どう間違っても一か月以内に五属性の中級ぐらいまでなら習得するだろう。それを手伝ってリコリスさんがより早く習得できるようにすればいいじゃないか。上級は知識しか持ってないから役に立たないと言えばきっともう私に教えてくれとくることはなくなる筈だ。


「……どうぞ」


「ありがとうございます!」


リコリスさんはパァッと明るい表情で笑っても頭を下げた。こういう笑顔とか態度も断りにくい理由の一つだ。一部の勘違い冒険者みたいに自分達はギルド職員よりも圧倒的に偉いのが当たり前だという態度を取ってくれればいいのにこちらを伺うようにお願いして、そしてそれを聞いてもらえると本気で喜ぶ。


「ところでリコリスさん。リコリスさんは属性魔術が使えないこと、知られたくないんですよね?」


「はい、ポンコツってバレちゃいますから」


ポンコツの意味は考えない。改めて心がバッキバキのぐっちゃぐちゃになるだけだ。仮にも不死鳥のスズメならともかく、何のとりえも無い普通の人間にはきつい。


「……だったら何かここにいる理由を別につけないといけないと思いませんか?」


イレイスさんはだいたいお菓子で何とかなるだろうけど支部長は何も言わないと探ってくるだろうし、エルムも前回のをデートだと思っている筈だからもし何をやっているのか言わなければきっと恋愛関係だと考えるだろう。


「そうですね……どうしましょう」


どうしましょうと言われてもこっち側からどうしようという感じだ。あくまで私は頼まれた側、こういうフォローを考えるのは本来リコリスさんの役目、でいい筈だ。


「難しいですよね……」


だから私は適当に相槌を打ってリコリスさんからアイディアが出るのを待つ。それぐらいのことはしたっていい筈だ、付き合わされている立場なんだし。


「あ、そうだ。エルムさんにデートって言っちゃったんで付き合っているということにしてしまえば……」


「それはやめましょう。終わった後に交流が減ったら、リコリスさんと別れたのでは?と噂になってなんか気まずいんじゃないかと変な気を回されて私が受け付けの業務から外されるのが目に見えるようです」


恋愛方面には持っていきたくない。恋愛として成功しても失敗しても精神的、経済面的ダメージは小さくないし、Aランク冒険者と付き合っているギルド職員なんて支部長とか課長クラスじゃなければいると思えない。やっぱり自分で考えよう。


「……魔物の図鑑を読みに来ているというのはどうですか?魔物の詳細な図鑑は学生か学者でもなければ読めませんし、私が持っているのは写本ですが、これも教授の許可があって初めて写させてもらったものです。家から持ち出したくないぐらいの価値はあると思います」


ちなみに手書きで写したわけではない、私は字も汚ければ絵も汚い、模写なんてしたならそれはきっと子供の落書き以下になるのは間違いない。そんなわけでコピー機のような魔術道具を教授に貸してもらって写した。その際に使う魔術道具はエーテル魔術師しか使えず、教授はエーテル魔術が使えなかったので、学生に代わりにやらせることがままあった。


死ぬギリギリとまではいかないが疲労困憊になるぐらいまで魔力を酷使させる教授に毎日自分から使われに行ってやっと写本の許可を得た。あの時の私は図鑑をカラーで写本するのがモノクロに比べて数倍の魔力を使うなんて知らず、やっと写本できると勇んで魔力枯渇で倒れ、写本のために生死の境をさ迷った。偶然居合わせた第六王子の法術による魔力譲渡が無ければきっと私は死んでいたのだろう。


まぁ今となってはいい思い出だ。たった二年半前のことだが。


「それってどんなものか見せてもらっていいですか? ほら、見たことないと上手く話を合わせられないかもしれないじゃないですか」


できれば家に上がって欲しくはなかったのだが少しなら問題ない。図鑑は私の寝室に置いたままだし、行ってはいけないのは地下室、台所、井戸の三ヶ所。玄関から寝室までの間で通るところはない。台所の戸が少々開いていても見えないはずだし、見えてもちゃんとひき肉になっていてくれれば問題ない筈だ。


「どうぞ、斧は一回下ろした方がいいと思いますけど……」


ドアを開け、リコリスさんに一旦斧をこちらに渡すように促す。いくら私とは次元の違う強さを持っていたとしても相手はお客様である。荷物ぐらい持つべきだと思う。


「あ、すみません。でも……重いですよ?」


リコリスさんが背中から斧を軽々と外して私に渡す。


受け取った瞬間わかる重さ。なんでこれを背負いながら普通に過ごせるのか訳が分からない重さ。手から腕へと落とされた訳でもないのに衝撃として伝わる異様な重さ。


落第ギリギリではあったけれど魔力操作術の授業を受けて置いてよかった。もし受けてなかったら私の腕はきっと斧に潰され、スズメのように無残でハンバーグを作りたくなるような姿になっていたことだろう。なんと恐ろしい。


「あ、やっぱり重いですよね。竜種の鱗も砕けるぐらいにかなり重くて丈夫な素材使ってるので……」


少し恥ずかしそうに笑うリコリスさん。昨日のものに似たワンピースを着たその姿は、斧がなくなったために平時であったならばエルムグッジョブと言いたくなる程に可愛らしく美しい、ただ斧を持ちながらだとこの顔でこんなもんもってやがったのか……という感想しか浮かばない。なんかそう、怖い。


「だ、大丈夫ですよ。一応魔力操作術も使えるので、少しだけですけど」


筋肉痛を覚悟しながらなんとか持ち上げて玄関に置く。


『おかえりなさい、みんなにはもう一度隠れるように言っておきました』


カイトの声が私の耳に届く。私にしか聞こえないはずだとわかっていても少しぎょっとする。しかしリコリスさんはやっぱり重いんじゃないですかと全く関係ない方で声をかけてきたので聞こえてないのだろう。流石にリコリスさんもちゃんと無人種だったらしい。


「大丈夫です。ただ、あまり廊下が広くないので斧はここに置いていってください」


「……ちょっと不安ですけど、わかりました」


リコリスさんが少し不安そうに胸の前で両手を合わせる。素でやっているのだろうけど斧を持ってしまうとそれはパンチを放つ前の予備動作なんじゃないかという気しかしない。ジャブでも一撃KO、そのまま起き上がることなく天に召されること間違いなしだ。


「ここは町の中ですし、魔物は襲ってきませんよ?」


もし仮に魔物が襲ってきてもBランクまでだったら普通に殴り倒せそうだ。逆に考えればスイカに戦ってもらえばここでリコリスさんを亡きものにすることも……いや、無理。何故かスイカが死ぬ未来が見える。それに人を殺すなんて考えただけで身震いする。意思疎通が可能な相手なのだ、殺す理由なんてない。


「でもシノブさんも紳士的ですけど男の人ですし……疑っているわけじゃないですけど、ね?」


確かにそれはそうかもしれない。ただそれはリコリスさんが普通に見た目通りにかわいらしいだけの馬鹿みたいに重い斧を軽々振り回さない人で、ここにスライムやラピッドウルフやマウスやひき肉がいなくて本当に二人っきりだったならの話だ。


「そんなことしたら死んじゃいますからやりませんよ」


「そうですよね、死んじゃいますもんね」


私は半ば冗談交じりで殴られて死ぬと言っていたのだがリコリスさんのこの反応はそんなことしたら本当に殴り殺すぞという意思表示なのだろうか。何もする気はないが少しでも手が触れただけで殺されるとかだったら本当に洒落にならないのだが。


壁のスイッチに魔力を流し込み廊下のランタンに明かりを点ける。電灯に近いぐらいに明るくなるが色は橙なので温かみがあり落ち着くことができる。リコリスさんがいなければ。


慌てることはない、私がリコリスさんに触る理由なんてない。


私は慎重に歩みを進めて一番不安なキッチンの前を通過、無事寝室についたところで廊下の明かりを消し部屋の明かりを点けた。部屋に元から設置されていた本棚、その全てを埋め尽くす百何十巻もある本。それが私の写した魔物の図鑑だ。これを王都からこの街まで運ぶのは本当に骨だった。馬車を用意するのもお金がかかったし、物件探しもこれを入れた上でカケル達と暮らせる広さが必要だった。


「……もしかして、これ全部図鑑ですか?」


「はい。あまり人に触らせたくないものですがリコリスさんがいないとリークの街は魔物被害に怯えるわけですし少しなら、どうぞ」


「じゃあちょっとだけ……」


図鑑は大体分類別に分けられている。一般に魔物と呼ばれている魔力保有生物はその中で大きく九種類に分けられている。虫類、植物類、爬虫類、哺乳類、両生類、魚類、鳥類、自然物類、死霊類だ。個人的には植物類はもう少し細かく分けて欲しいし死霊類は生物なのか疑問なのだがまぁ仕方ない。


ただリコリスさんが取ったのはその分類別に分けられている図鑑ではない。一冊だけ赤い表紙の分類を越えた竜種の図鑑だ。


竜種は生態系の頂点にいてそのほとんどが理性も備えていると言われる魔物達だ。爬虫類や両生類、魚類、鳥類、哺乳類に分類されるものもいてバラエティーに富んでいる。まだイメージに近い方の種類なので内容を詳しく覚えてこそないが研究対象に選んだこともある。


「やっぱり違う……ここが……」


総じてSランク相当の竜種の図鑑を見ながらリコリスさんは何かぶつぶつと呟いている。倒すためのイメージトレーニングだろうか?ここ百数十年リークでは竜種の目撃報告はないがやはり高いランクの冒険者は意識も高いのかもしれない。


この喰いつき具合だと次からも見せてくださいと言って来そうだがまぁいいだろう。このまま静かに終わってくれれば。


『なぁ、シノブ。飯はいつになったら……』


声に反応するとドアの隙間からこっちに向けて無駄に長い舌をちらちらさせながらアピールするスズメがいた。


「ちょっとすみませんリコリスさん。このキングサーモン、傷む前に保管してきますね」


「あ、はい」


私は魔力操作術も使い全力で扉を開ける。


『ギャァッ!?』


ここの扉は外開きなので思いっきり開けることによって扉と壁の間にスズメを挟むことができる。魔力操作術を使ったので多少扉が痛んでいるかもしれないがそれぐらいどうでもいい。私の人生がかかっているのに軽く済ませていいわけがない。


「ちょっと強く開けすぎました。多分すぐに戻ってきますから」


反動でまた閉まろうとしてる扉を止めて廊下に出る。


『グェッ!!?』


扉の一部となっているスズメにつま先を抉りこみ扉を閉める。


手に何か赤くて生暖かい液体が付くが気にせずにスズメを扉から引き剥がし連れて行く。この程度なら血液もスズメの元に戻るから後でリコリスさんが扉を見ても気づかれることはない。


『シノブ!突然何を……』


「ちょっと黙れ。私は今怒ってるぞ?」


リコリスさんに聞こえないように小声で言う。逆玉の輿させようと狙っているスイカですら様子を見ているというのにスズメは飯のために私の人生を狂わせる気なのだろうか。


「力、やすりのようになり、渦を巻いて抉れ」


指の先に無理しない程度の魔力をぎりぎりまで圧縮して高速回転させたエーテルボールを生み出す。


『ちょっ……ギャァアアア……』


それをスズメの腹に当て、皮膚を抉りつつ内臓まで押し込んでそこに設置して止める。体の中ではきっと抉れて治って抉れて治ってというサイクルが起こっていることだろう。我ながらえぐいと思うがスズメは死なないのだ。こっちの方が死ぬよりもつらいと思う人もいるだろうが不死鳥は痛みを感じにくい。人間の十分の一も感じないらしい。死なないから痛覚が退化したのだろう。だから痛いが痛くないのだ。


従ってこれはそこまでひどい行動ではない。ただの制裁行為だ。私はその状態のままのスズメを井戸に投げ込みスイカに念入りにお仕置きして置くように頼んでから水を汲んで台所に行った。


この世界に電気の冷蔵庫はない。汲んだ水と魔術で作った水を混ぜて魔術で凍らせて氷にしそれを使って冷やすしかない。数段になった木の冷蔵庫は表面が水魔術を扱う魔物の皮で覆われていて温度を保持してくれ、氷の持ちを良くする。


キングサーモンをしまい、私はリコリスさんを家まで送ってからギルドに行って有給を取り、家に帰った。スズメの飯はもちろん抜きにした。

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