マニュアル外の対応もご所望ならば行います。
「つまり、リコリスさんとの間には何もなくて、支部長がうちの支部の利益のために私に嘘を吐いたってことであってる?」
「はい。そういうことになります」
昼過ぎ、受付の業務中ではあるがそもそも昼休みとか設定されていないので人の少ないこの時間に受付の内側で昼食を摂り、イレイスさんに説明をする。
「じゃあ昨日のおうちデートはなにやってたの?」
「え……と、それは……」
リコリスさんが私に魔術の指導を頼んだのは知られたくなかったからだと言うのは本人に確認が取れている。だから言ってはいけない。
一方で、黙ればそれはイレイスさんの中でどう変換されるかわかったものではなく、リコリスさんにも迷惑がかかる。かと言ってなにか適当なことをでっち上げたらイレイスさんは信じるだろうがリコリスさんが来るとなんの話ですかとなりかねない。
八方塞がり、詰み、チェックメイト。そんな言葉が頭をよぎる。でも諦めるにはまだ早いはずだ。八方塞がっているなら上でも下でも逃げればいい。
そう、まず考えみよう。一番目、本当のことを言う。二番目、黙る。この二つはその時点でアウト、三番目の適当なことをでっちあげるならまだ多少の希望は残っているがリコリスさんがギルドに来る前に合流できなきゃアウト。
この中でやるならば三番目しかない。ただリスクは無視できない、リコリスさんはどこか抜けてる気がする。限りなく嘘に近い真実を選ばなければいけない。イレイスさんを騙すこと自体はわけない。だってお菓子に釣られるような人なのだ。
あれ?ふと思う。
「……最近お菓子作りを始めまして、よかったら今度持ってきましょうか?」
「うん。ありがとうシノブ君!」
答えず黙らずでっち上げずイレイスさんの意識をそれから逸らせばいい。
お菓子に限らず料理全般は苦手じゃない。小三の時当時好きだった女の子に調理実習の卵焼きを誉められ、自分で料理できるとかっこいいのかと家庭料理全般に簡単なお菓子を作れるぐらいにはなった。ちなみに得意料理は肉じゃがである。
たかが肉じゃがとなめてはいけない。肉じゃがをベースに汁を増やしルーを入れればカレーにもシチューにもなる、味付けを足して卵でとじご飯に乗せれば即席の丼ものになるし揚げ春巻きの具にするのもいい。そう、様々なアレンジが肉じゃがにはあるのだ。アレンジが豊富と言いつつ全部カレー味になるカレーとはレベルが違う。栄養バランスもいいし素晴らしいの一言に尽きる。肉じゃがを私に教えてくれた兄さんと肉じゃがを開発してくれた旧日本軍の人には足を向けて寝られない。異世界以前に死者だからどうすればいいかわからないけど。
小三の時好きだった子にこの話を熱く二時間ほど語ったら何故か嫌われたらしく距離を取られるようになった。カレー味が好きだったのかもしれない。
「で、リコリスさんとは……」
「イレイスさんはどんなお菓子が好きですか?クッキーぐらいしか作れませんけれど」
とりあえず今日はこれで乗りきろう。
砂糖は高いが蜂蜜なら手が届かない値段でもないのでクッキー作りには問題ない。ざっくり言うと小麦粉とバターと蜂蜜があればいい。バターも高めだがない訳じゃない、無職になるより貯金を減らした方がいい。
「私はどんなクッキーでも大好きだよ。でもナッツが混ざってるのが特に好き」
ナッツも問題は無い、今のうちの主食は小麦粉に水、卵を加えて焼いたなにか生地としか言えないものと、満腹中枢を刺激してくれる上に栄養価も高いナッツ類。食べる時にこれはクレープだと自己暗示をかけるのが美味しく食べるコツだ。
「そうですか、頑張って作りますね」
「うん。えへへへへ……」
クッキーの妄想に囚われだしたイレイスさんから視線を離し、食べ終わった弁当を片付け、机に置かれた資料の整理に入る。
資料は魔物の目撃報告で主に採取や他の魔物の討伐依頼で行った人達によるもの。何件か見たがどうやらゴブリンや草食系のEランク相当の魔物が街の近くで比較的多く見られているらしい。
こういう時はどこかに高ランクの魔物が流れてくるかすでにいる高ランクの魔物が大量発生したりしている事がある。目撃報告から考えるに今回の中心は南にある湖、湖に住んでいる高ランクの魔物の中には時期で出てくる種類のものもいないでもないが今とは時期が違う、もう少し前ですでに終わっている。まぁ流れてきた魔物だろう、すぐいなくなるとは思うが一応報告しておこう。
ところで家の方は大丈夫だろうか。リコリスさんに見つかっていなければいいけれどもし少しでも家に入られたら真っ先にスズメが騒いだりして見つかりそうな気がする。それにスイカが自分からばらすという可能性も捨てきれない。
今は井戸水で我慢してくれているが元々スイカは何種もの魔物を喰らい魔力を糧にしてきているのだ、リコリスさんと仲良くなって水筒にでも入って討伐に付いて行けるようになればスイカの食生活は大幅に向上する。スイカ経由で食卓に肉が並ぶ可能性も少なくない……案外魅力的だ。だが一歩間違えば勇者一行へ、更に間違えると魔王か魔族として処刑されかねない。
考えるだけで胃が痛むような気がする。胃潰瘍とかだったらどうしよう、魔術薬か下級法術でどうにかなればいいけれどならなかったら結構危ない。普通に法術の治療を受けられるぐらいのお金は溜めてあるがもしかしたら死ぬかもしれない。
ちなみに法術は魔術とはまた違ったもので魔術はエーテルを除き四属性神の系列なのだが、法術は属性とは別にある光明神の系列の術。才能の良し悪しはあっても基本誰でも使える魔術と違い、使える人間は選ばれるし道具に付加することもできない。
法術は主に回復や結界などといったサポート系に有効。加護も法術のそれは四属性のものよりも一段上のレベルで、結界も私がかなりのお金を使った上位魔術道具で張った結界も楽ではないものの比較的簡単にかけられる。そしてその代償はやっぱり魔力。魔術と言っていいような気がするが魔術は分け隔てないとされているため法術は魔術にならない。
ちなみに魔術と法術、両方を中級以上のレベルで使える者は魔法使いと呼ばれ、上級魔術と上級法術が使えるものはさらに賢者と呼ばれ自動的にAランク以上に設定され、一部国家では特権階級になるという。
さらに呪術なんてものもあって三種全てを最上級で使えると術師と言う存在になり国家間での奪い合いが起こることもあるのだが魔法使いぐらいで十分有能だとされ、奪い合いとまではいかないがスカウトされることもあるんだとか。
ちなみに私と個人的な付き合いのある魔法使いは何人かいて、その中で最も関係が良好なのは総合学校の同級生の第六王子、そして悪い関係ではないが不快な関係なのが勇者である。魔法使いとしては残念な部類だがそれでも才能があるのに変わりは無いしその上でチート能力はまた別にある。仲間にも恵まれている。
それで女漁りしかしていないらしいのだから本当にまじめにやって欲しい。怖いから逃げた自分のことは棚に上げるが。すでに四人の女子を侍らせておきながら女漁りとか健全な男子として全く気持ちがわからないわけでもないが。どうせ好きになるならたった一人、理想は初恋のまま結婚して一生を添い遂げる……乙女チックな思考かもしれないが、できれば私はそうでありたい。能力のことを知られたくないというのもあるけど。
リコリスさんお断りな理由はここにもある。もし私がリコリスさんのことを好きでリコリスさんも私を好きならば付き合うことを拒絶する理由は無い。ただ現在少なくとも私にその気は無い、だいたい私みたいなのとでは釣り合わない、釣り合うような世の中は認めない。
なんだか色々と脱線しまくったがとにかくリコリスさんにも誰にもばれてはいけない。美味しい食事とかにほだされて危険地帯に行くことになるのはまっぴら御免こうむる。
私は誰も人が来ないことをいいことに悶々と受け付けの業務をしながら考え事をする。
そんな中でちょっと冒険者が来るには珍しい時間に何とも態度の悪そうな男がギルドに入ってきた。あまり強い人特有の空気を纏っていないにもかかわらず中々高そうなプレートメイルを纏っているところからみるに騎士崩れか何かだろう。リコリスさんのような例外もいるから断言はできないのだけれど。
よくよく見れば無人国騎士団のエンブレムが入っている、騎士崩れで確定だ。
騎士崩れさんは看板を一通り見まわして新人登録カウンターのところに行った。新人登録カウンターはイレイスさんみたいな釣り目の美人ではなくとても穏やかそうなおばちゃんのモールさんが担当しているカウンターだ。モールさんは支部長が言っていたような現役を引退した冒険者で元々はCランクの水属性主体の魔術師だったらしい人で……一部の男性冒険者から妙に恐れられ、一部の女性冒険者には姐さんと呼ばれている。きっと過去の話は聞かない方がいい。掘られたとか知らないし私にはわからない。
新人カウンターで冒険者登録を済ませたらしい騎士崩れさんはもう昼過ぎだというのに依頼版を物色しだし、魔物討伐課含め数種類の依頼受付カウンターに座っている人間を一通り見てから一枚の依頼書を依頼版から剥がして私のカウンターに一直線で歩いてきた。
ですよねという感じだ。他の受付の人達って見た目は近寄りがたい人が多い。イレイスさんも頭の中は甘いもの一色で馬鹿でも、知的で冷酷にも見える様な美人だからなんだかんだで近寄りがたく、ダンジョン課の担当の元魔術戦士のガロンさんは如何にもな風貌で護身用にと愛用の大剣を背負っている。モールさんが新人受付の担当なのは他の人達が私以外だいたい近寄りがたいからだと言うし。依頼受付系なら私が一番近寄りやすいだろう。
それも私が一番需要が高く、且つ新人冒険者達が一番来る魔物討伐課の受付な理由の一つでもある。
「こちら冒険者ギルド魔物討伐課受付です、本日はどのようなご用件ですか?」
決まりきった台詞と決まりきった笑顔を浮かべて騎士崩れさんを迎える。きっと見た目に反してまじめな人なのだと暗示をかけて笑顔をキープ。まじめな人ならそもそも騎士崩れになるわけがないなんてことは気にしない。
「それぐらい看板見えてんだからわかるっつーの。馬鹿かお前?」
そう言って笑いながら騎士崩れさんが一枚の依頼書を私の前に出す。きっと照れ隠しに違いない、人と接するのが苦手なだけなんだと自己暗示をかける。人と接するのが苦手な人がこんなフランクに悪口を言ってくるわけがないことは気にしない。
「申し訳ありません。依頼書だけでなく水晶の方も一旦預からせていただきたいのですが……」
「はっ、ギルドってめんどくせーのなぁ。くっそくだらねぇ」
騎士崩れさんが水晶をカウンターの上に雑に転がす。新人受付で説明あったのになんでわからないのか理解に苦しみますね、とは言わない。初めてで忘れる人は確かにいるがここまで堂々と忘れた挙句ギルドに文句を言う人はそうそういない。むしろこれはすごいことではないだろうか、尊敬すべき図太さだ。
依頼書を見るとさらに驚き、なんといきなりのCランクである。F、E、D、C、B、A、Sとある内のちょうど真ん中、しかしだいたいの冒険者はCランクで頭打ちになる。そして登録したての冒険者は特例を除き基本Fランク、なのにもかかわらずこの尊敬すべき騎士崩れが持ってきた依頼はCランクである。
一応水晶を金属板にはめ込んでみるが当たり前にFランクである。なんて素晴らしく自信をお持ちなのでしょう、コンナヒトソンケイシナイテハナイネ!
「再度申し訳ありません……こちらの依頼はCランクでして、お客様はまだFランクですからこちらの依頼は受けられません」
「あぁ? ランク? 俺はつい一週間前まで王都で騎士やってたんだぞ? そんな俺がFランクなわけがねぇだろうが、やっぱり受付君は戦いなんてしたことないから形式的なことしかできねえんだろ、全くお前はとっとと受理すればいいんだよ。まともに戦うことすらできねぇんだから」
尊敬すべき騎士崩れさんが私の頭を帽子越しにばしばし叩きつつ罵倒する。
「しかし簡単に例外を作ってしまいますとまじめにFランクから上げている方々に対して申し訳ありませんしギルドの信用も失われてしまいますので……」
「役所じゃねぇのにお役所仕事とかしてんじゃねぇよ愚図が。マニュアル通りにしか行動できないなんてどうせ学も無いんだろ? 王都の騎士学校を卒業してる俺様に従ってお前みたいなポンコツは黙って依頼の受付やってくれよ。まだ死にたくねぇだろ? 首になるのと死ぬのどっちがいいよ?」
騎士崩れが腰の剣をチラつかせる。
「……マニュアル外の対応をお客様はご所望なのですね?」
「そうそう、わかったらとっとと受け付けて無駄に時間を取らせて申し訳ありませんでしたって土下座しな」
これは仕方ないだろう。だってお客様がマニュアル外の対応をお望みなのだ、マニュアルでは支部長か課長を呼ぶところだが仕方がない、マニュアル外の対応をしようじゃないか。
「シノブ君! 駄目だよ!」
「お前は黙ってろ女が男に口出すな」
私に忠告するイレイスさんに剣を向けて騎士崩れはげらげらと嗤う。男尊女卑の傾向もあるらしいこの世界でももはや古い慣習となりかけているというのに昔ながらでとっても素敵な感性をお持ちらしい。口調が子供っぽかったら掌返しも普通じゃあり得ない、判断が早い証拠だ。
「力よ拳に、顎を突き上げろ」
言うと同時にその場で虚空にしょぼくれたアッパーカットをする。私のそれは意味が無くてもそれの軌道のイメージが反対の手の上にエーテルで作った拳を迷いなく正確に社会不適合者の顎へと運んでくれる。そしてぶつかるのは力そのもの、十分に脳を揺らして崩れさせる。
「がふぅっ!?」
「……ギルド員への恐喝は冒険者資格剥奪、武具の没収と引き換えに騎士へと突き出されることなくギルド内で処理されます」
剣を取り上げ盾を取り上げ縛り上げて意識が無いそのまま正座させる。
「シノブ君……その警告は先にするルールだよ」
「マニュアル外の対応を求められたのでそうしただけです。大丈夫です、ここからはマニュアル通りにやりますので」
イレイスさんにそっけなく応対してエーテルボール、ウォーターボールと作る。ちなみにちゃんと起きてくれるように冷水である。
多分イメージだから少し実際に体験した時よりも冷たい筈だ。少なくとも井戸水よりは冷たい、氷の様な冷水になっている筈だ。
「ぅう……あ?てめぇ、何しやがった!?」
「マニュアル外の対応をご所望でしたので個人的感情に則り魔術による攻撃をさせていただきました」
起きた社会不適合者に懇切丁寧に説明をしてあげる。我ながらなんと優しいのだろう、紳士的で泣けてくるほどだ。
「あぁ!? ふざけてんのか!!?」
「お客様がご所望なさったことです。尚、武具に関しましては騎士に突き出さない代わりに没収しました」
「この、学も何もねぇくせにふざけたことしやがって!! 俺が誰だかわかってんのか!?」
何とも鼻につくようなことを言う社会不適合者だ。イレイスさんが私の隣で頭を抱える気持ちがよくわかる。
「私は王都の総合学校で第百三十四期生として第十九位の成績で卒業していますのでおそらくお客様よりは学があるかと思われます。そして、お客様が誰かと言われましても初対面ですからわかりません。また、私はせいぜいDランク程の実力ですからその私にこうもあっさりと捕縛されるお客様は失礼ですがCランクの依頼はやはり多少荷が重かったかと思います」
ちなみに、学校に通っているのはだいたい貴族で卒業するまでに九割方の人は卒業できない。それは家の問題も無い訳ではないがそのほとんどは学力不足、私達の代で卒業したのは確か四十人ほどだったか、私の一つ下が第六王子でよく魔物生態学についての討論に花を咲かせたものだった。残るのが高貴なお身分な方々が多いのは若干手心が加えられている感が否めない点はとりあえず無視する。
つまるところ、総合学校の卒業生というのはそれなりのご身分の方か、少なくともそういった方々と個人的にお知り合いであるはずなのだ。そういった方々に仕える立場の騎士を育成する学校の方々、その上層の中には大貴族もいるかもしれないがこうやって追放されてくるような奴がそんなご身分とは思えない。
「……」
「今後あなたはこのギルドには出入り禁止、他のギルドでも冒険者登録はできなくなり、冒険者資格と武具を剥奪されました」
お帰り下さいますね? と笑いかけながら縄をほどいて差し上げると社会不適合者は青ざめた顔のままギルドから飛び出していった。
「シノブ君。とりあえず支部長にはクッキーで黙っといてあげるけど課長にはちゃんと報告してね」
私は適当に生返事して武具を鑑定課の人達のところで換金してもらい、報告書に水晶をつけて課長に提出、私はその日の業務終了後少し暖かくなった懐を押さえながら帰路についた。
やっぱり王都で騎士に支給されているものはそれなりのものだった。フル装備ならさらに値が付いたらしいけれどまぁ仕方ない、私はマニュアルは破っても規則は破らない人間だ。うん。
これだけのお金があれば夢が広がる。たまには肉じゃがを作ってみようか、カケルにも肉をやれるしスイカにも魔法薬を飲ませられる、カイトにもちょっと高めのナッツを買えるしスズメにも……まぁ機嫌がいいから何かよさげなのを用意しよう。
久しぶりの肉じゃが、何の肉を使おうか。でもちゃんと飼育された牛肉や豚肉ははっきり言って手が届かない、野ウサギか猪か、ブラックウルフの討伐報告があったから明日には切り分けが終わって売られているかもしれない。多少下処理は面倒だけどスイカの溶解液に付ければその手間も格段に削減される、これで行こう。明日は朝一で肉屋に行って取って置いてもらおう。ジャガイモに白滝は無いから諦めるとして人参、玉ねぎも欠かせない……
あぁ夢が広がる。不快な思いをさせられたが今はそんなもの関係ない、幸せだ。
そんなことを思っていると家の前になんだか歪なシルエットの人影が立っている、そう、まるで身の丈ほどの斧でも背負っているようなそんな歪なシルエットの人影が。
「あ、お帰りなさい。シノブさん。何かいいことでもあったんですか?」
人影は私の姿を捉えるとにっこりと笑ってそう言った。
……リコリスさんが家にいること忘れてた。