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キングサーモンが誘惑してきます。

「すみません、待ち合わせ場所とか時間とかちゃんと伝えてなくて……」


「大丈夫ですよ。わざわざ家まで来て下さったわけですし」


来なければよかったのに。そう思ったけど口には出さない、お得意様で冒険者ギルドリーク支部として怒らせるわけにはいかない人だ。


今、私はある宿屋に併設された大衆食堂に来ている。とてもデートの雰囲気ではないからエルムに言ったのは冗談だったのだろう、とりあえず斧を持ちながらデートだなんて聞いたことない。一般的な魔術師なら常に折り畳みの簡易杖ぐらい持ってるかもしれないし、細身の剣やナイフぐらいなら見た目もそこまでではないだろう。


だがリコリスさんが持っているのは身の丈程もある斧である。魔獣の皮製のカバーを付けても凄惨さが無くなるだけで野暮ったさは変わらず絶望的に白のワンピースだかチュニックだかと合わない。


「しかし、今日は一体どうしたんですか?何かギルドでは相談できないような内容ですか?」


リコリスさんが私に用事があるとすればやっぱりそういう内容だろう。私達の関係はあくまで受付と利用者で、リコリスさんは親しみやすい冒険者ではあるがこれまでプライベートでの付き合いは一度もない。


「そうですけど……私はシノブさんともう少しデートごっこしていたいです」


わざわざエルムさんに服選んでもらいましたしとリコリスさんは続ける。ただエルムは間違いなくその服に斧を組み合わせることは想定していない筈だし、その斧が常に傍らにある以上絵面はどうやったとしてもデートとには見えない。


「……じゃあとりあえずは食事を楽しみましょうか」


「はい!」


注文した料理もさっきテーブルに届いたところだ。この世界の料理はなんとなくだが地球よりも美味しい気がする。同じような生物でも少しづつ生態が違ったり魔力があることが関係しているのだろう。生命力が満ちている感じがする。


ちなみに私が注文したのはあまりお金に余裕が無いので満腹中枢を刺激してくれそうなキャベツ炒め定食。この国の一般的な主食はパンだけど米を主食にする文化もあり、味噌汁がついていないぐらいで日本のものとあまり変わらないから舌にも合う。


一方でリコリスさんが注文したのはこの食堂にしては値が張るキングサーモンのムニエルセットである。パンとスープ、そしてキングサーモンのムニエルとなかなかに充実した内容だ。


なお、キングサーモンと言うのはもちろん地球の一般的なキングサーモン、マスノスケとは一致しない。


この世界のサケは海に出て川に戻るまでは一緒なのだが地球のものに比べて寿命が非常に長く、戻ってきた後そこに国と呼ばれる群れを作る。国の中で最も大きく強いサケがキングサーモンと呼ばれ、キングサーモンを中心としてメスを囲みこみハーレムを形成し、海から戻ってくるサケたちを迎え撃つ。戻ってくるサケたちの先頭に立つものがプリンスサーモンと呼ばれ先代のキングを倒すことができればそのプリンスがキングとなる。


そんなキングサーモンは魔物ではないのに捕獲するには最低条件がCランク以上の冒険者で三人以上のパーティでとなっている。それに他のサケに比べ希少なのでキングサーモンの値段は高い。大衆食堂でよく仕入れられたものだと思う。


ついでに言うとごく稀にメスが王になる事がありそれはクイーンサーモンと呼ばれキングの数十倍の値が付く。子持ちのクイーンサーモンともなればさらにその数倍、貴族でもなかなか食べられない。


さてそんなキングサーモンのムニエルが目の前にあるのだが、なんて美しい色なのだろうか。新米職員で薄給なのに三体の魔物(スイカは基本食事は井戸水なので除く)の胃袋を抱える我が家では普通のサケさえ手が出ないというのにこれは拷問か?


「……食べます?」


「大丈夫です。私は屈しません」


「……?」


しかし食べるわけにはいかない。推定年収が私と比べ物にならないリコリスさんが相手とはいえ、人の物は無闇やたらと欲しがるものではない。


もし目の前にいるのが勇者補正のチート能力持ちで功績より浮いた話の方がわんさか出てくる勇者ならいざ知らず、戦災孤児だったらしいのに努力を重ね五年ほどでAランク冒険者になり、かといって驕らず命がけで稼いでいるリコリスさんから搾取するなど許される訳がない。


そうだ、そもそも私のように凡庸で残念でチート能力を持ったのに危険から目を背け、安定しているからとギルド職員になり、戦闘力もせいぜいDランク、加護と盾、初級属性攻撃ぐらいしかできないやつがどうしてCランク以上の人達が怪我しながらも取ってきただろうキングサーモンを食える?いや食えまい、食らっていいはずがない。


「あ、あのー……」


「ところで今日は一体どうしたんですか?」


「え!? さっきとりあえず食事を楽しみましょうって……」


「そうでしたね。では美味しくいただきましょう」


私はキングサーモンの誘惑を打ち破り意識をひたすらキャベツに注ぐ。このキャベツだってキングサーモンに値段でこそ劣るものの味が劣ると誰が決めた。


しゃきしゃきとしていて噛むと甘みがあり、甘辛いたれのおかげでご飯にも合う。いくらキングサーモンが高級とてキャベツにはキャベツのよさがあり、この味はキャベツだから出せる味でキングサーモンはこの味を持っていない。しかし裏を返せばキングサーモンはキャベツには無い味を持っているわけで……


「シノブさん? やっぱり食べたいんじゃ……」


「大丈夫です。私にも譲れないものがあります」


「……じゃあ少し交換しますか?私からお願いする立場ですから気にしなくていいですよ」


なんと甘美な誘惑なのだろうか。この瞬間、私にはリコリスさんの手によって大義名分が出来上がった。


でも駄目だろう、交換してしまったらもはやお願いとやらを拒否することは不可能になるし、家にいる健気な魔物達のことを考えろ。スイカは井戸水と私達の垢とかだけで我慢してくれているし、カイトは家の中に害虫やネズミが湧かない様にしてくれている、カケルもぶっちゃけあまり役に立たないけれど最初に私に付いて来てくれた心のオアシス、スズメは……役に立たないし朝うるさいし見た目グロいし案外大食らいで……大食らいで……


「じゃあ……いただきます」


カケルやカイト、スイカには悪いが仕方ない。スズメのことを思いだしたら自分も少しぐらい好き勝手してもいいような気がする。それに大義名分も存在するわけだし何も問題ない。


キングサーモンは美味しかった。味のボキャブラリーの無い私にはそうとしか言いようがないが食べる人が食べればそれはそれは美味しそうな言葉を並べ立ててくれるに違いない。感激に涙を流さなかったのが不思議なぐらいに美味しかった。世界が一瞬輝いて見える程に美味しかった。一度だけ会ったひいおばあちゃんがどこかの河原で手を振っているのが見える。


「……で、お願いなんですけど」


「あ、はい。それはギルドの窓口では伺えないような内容ということですか?」


一瞬頭の中がどこかの川にまで飛んだようだったがなんとか戻ってこれた。大丈夫、私はここにいる。


「そうなんです」


普通に考えれば取り立てて仲のいいわけでないギルドの職員をプライベートで呼び出す理由はない。となると何かを知りたいとか教えて欲しいとかギルドで保持している情報になるだろう。ギルドでは話せない内容とすると内容によっては協力できないが多少の秘匿事項なら言ってしまっても問題は無い。それより機嫌を損ねて魔物討伐専門のAランク冒険者を失うことの方がギルドの痛手だ。


他の支部に移られたらこの街の支部に魔物討伐専門のAランク冒険者はいなくなる。すると高ランクの魔物の討伐依頼はほとんどが王都の支部に取られうちの支部に入る仲介料は本来の仲介料の二割にまで減る。素材も王都に取られるため査定料も代わりに取引する手数料も王都に取られる。そうなると利益は減り、魔物討伐課の担当職員はもちろん私も含めて減給確実。スズメの飯を抜くしか……そうか、スズメの飯を抜けばいいのか。どうせ死なないし。


いやいや、給料は多い方がいい。明日からスズメの飯を抜く分は貯金していくことにしよう。それが一番家計に優しい。


さて、いったいどんな内容なのだろう。戦闘力も経済力も信頼も持っているリコリスさんが私にお願いする内容なんて具体的な想像がさらさらできない。


私は冒険者ギルドリーク支部魔物討伐課の職員で秘匿している情報なんてほとんど無い、だって窓口だから経理とも関わりは無いし近隣の魔物の情報はすぐ公開する。私が使える魔術は加護と守護と初級属性攻撃のみ、学校を卒業していて魔物の生態はそこそこ詳しい方だと自負しているが魔物の生態はやはり秘匿されていない。そして魔物と意志疎通できる能力は誰にも知らせてない。あくまで新米のギルド職員相当の情報しか持っていない。


リコリスさんはAランク冒険者でエーテル魔術師、だいたいのエーテル魔術師の人は全属性の魔術を使えるからきっとそうだろう。それでいてリコリスさんは基本的に前衛で戦う攻撃的な魔術師、もう魔術戦士と言ってもいいかもしれない。本人曰く学はないらしいが読み書き計算はできるようだしそんなにバカっぽい人ではない。


やはりギルド関係とするのが妥当……でも私が何も情報を持っていないことがわかっているなら、プライベートな内容もあり得なくはない。第三者の目で見て欲しいならギルド職員と冒険者という距離感は最適でなくても悪くないだろう。


「どんな内容なんですか……?」


たとえどんな内容であってもリコリスさんの機嫌を損ねるわけにはいかない。スズメの飯を抜いた分のプラスをチャラにしたくはない。


「その……実はです、ね」


リコリスさんの頬にほんのり赤みが差し恥ずかしそうに視線を逸らす。プライベートな方か? プライベートな方であってしまうのか?


だとすると私に何ができる? 努力はするけど学校でもあまり友達いないし、いても学校の性質が性質だけに疎遠だし、最近はギルドの同僚か家の魔物達としか交流が無いのに女子のプライベートの相談をさばくとか難易度があまりに高すぎやしませんか?


「その……属性魔術を教えて欲しいんです」


「え?」


「いや、その……恥ずかしいんですけど他の属性の使い方がわからなくて……」


本当に恥ずかしいのだろう真っ赤になったリコリスさんを見て私は困惑した。

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