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コバルト短編小説新人賞への投稿作

かくれんぼ

作者: 日咲ナオ

 気がついたら真っ暗で、誰もいなかった。みんないなかった。

 怖くて怖くて、何度も涙をぬぐったけど、もう、手も頬もびしょぬれ。

「かくれんぼでもしてたのかい? おかしいねぇ……毎日、帰る前に中を確かめているんだけど……」

 頭をなでてくれる手は、大きくて優しい。でも、寂しくて、悲しくて、怖かった気持ちは、ちっとも消えていかない。

「お家へお帰り。僕が代わりに怒られてあげるからね」

 こくんと、頷けなかった。だって、本当に怒られるべき子を、あたしは知ってるから。

 乾いてても、ツルッとすべっちゃいそう。そんな、いつもピカピカしてる石の階段を、あたしは泣きながらゆっくりと下りる。

 ──帰る時、赤い鳥居をくぐったら、階段を下りきるまで、絶対に振り向いちゃいけないよ。

 いつから、誰が教え始めたのか。誰も知らない、わからない。

 だけど、みんなが必死に守ってること。

 ──振り向いたら……。

『ゆり』

「えっ?」

 いきなり名前を呼ばれて、いろいろなことが頭から吹き飛んで。

 あたしは、階段の途中で、振り向いていた。


        ◇ 


「いーちぃ、にーい……」

 この神社で一番大きな木の幹に、ピタッと額をつけた。しっかり目を閉じて、ゆっくり数を数える。

 みんながあちこちに走っていく楽しそうな声と、砂利を踏むにぎやかな音。

「ごーぉ、ろーぉく……」

 もうみんな、どこかに隠れちゃったんだろうなぁ。だって、何の音も聞こえないもん。

 ……ううん、音はしてる。ちょっとぬるい風が葉っぱをガサガサ揺らして、歌うような鳥のさえずりと蝉の鳴き声。そういうのが、耳を澄まさなくても聞こえるんだから。

 ──なくなったのは、みんなの気配。

「きゅーう、じゅう!」

 約束の数まで数えたから、バッと目を開けた。額を木から離して、くるりと振り返る。

 当たり前だけど、見えるところには誰もいない。

 今、ここにいるのはあたしだけ。広い場所に一人きり。そんな気分になる。

「みんなどこかなぁ?」

 少し大きめの声で呟いてみた。でも、みんなを探すつもりなんてひとかけらもない。

 いつもいつも「一緒に遊ぼう」なんて言うけど、嘘。だってみんな、あたしに意地悪したいだけなんだから。学校でやるだけじゃ足りなくって、こうやって夕方まで、つまんない意地悪ばっかり。

 学区外れの神社まで来てやることは、かくれんぼか鬼ごっこ。あたしは、どっちも嫌いなのに。

 じゃんけんが弱いから、最初の鬼はだいたいあたし。足が遅くて、鬼ごっこは鬼のままで終わっちゃう。かくれんぼも、なかなか見つけられなくて、日が暮れるから帰ろうってみんなが出てくるまで終われない。おかげで、ついたあだ名が『鬼ゆり』だし。

 こんなつまらないことをするなら、本が読みたいのに。でも、家に帰って外に出ないと、お母さんがうるさいし。本を持っていこうとすると、怒られちゃうし。仕方がないから、やりたくもない遊びにつき合ってるんだもん。

 このまま、探すフリをしながら帰っちゃおうかな。あたしが必死に探さなくても、どうせみんなは暗くなったら勝手に出てきて帰るんだし。

 きっぱり決めたら、何だか心がふわっと軽くなった気がする。

「どこかなぁ?」

 もさっとした植え込みの中に、どっしりした大きな木の後ろ。最近直したばかりで、すごくきれいなお社様の周り。

 今までいたことのない場所を、わざとらしく頑張って探すフリ。

 多分みんな、あたしが全然違うとこを探しているのを、こっそり見て笑ってる。あたしが探さずに帰る気でいるなんて、きっと思いもしない。後で気がついて、あたふたするのかな?

 だったら、かくれんぼも悪くないかも。

 そういえば、みんながよく隠れる場所があったっけ。探してるあたしがよく見えて、五人くらいだったら余裕で隠れていられるとこ。

 あたしは探しているフリを続けながら、それとなくそっちに向かう。

 お社様の隣にあって、大人たちが「祟りがあるから絶対に入るな」と言ってるお堂。そんなに大きくないけど、あたしたちだったら、五人くらい入っても平気だし。翔太(しょうた)くんのお父さんは日曜大工が得意らしくて、翔太くんが中から閉めれるように道具とかを持ち出して鍵をつけちゃったって、前に聞いたことがあるんだ。

 でも、いつもは、外からちゃんと南京錠がかかってるんだよね。誰がどうやって外してるのか、あたしは何にも知らないけど。

 思ったとおり、お堂には誰かいるみたい。

 だけどあたしは、あくまで気がついてないフリ。

「みんな、どこに隠れてるのかなぁ? ……あれ? お堂の鍵が外れてる……」

 これはわざと。だって、みんながここにいるのはわかってるから。

「誰か入ってるのかな?」

 中に薄いベニヤ板を打ちつけた、朱塗りの格子戸に手をかける。ガタガタと大きな音を立てて、わざとらしく揺すってみた。

 中からちゃんと鍵をかけてるから、開かないのは予想済み。

 だから、ここからが本番だよ。

 もう、いっそ死にたいって思うくらい、怖い思いをしてもらうから。

「開かないけど誰もいないみたいだし、後で開いちゃって、間違って猫とか小さい子が入ったらいけないから……」

 落ちていた南京錠と鎖を拾う。左右の格子戸に後から取りつけた、太くて長い釘。そこに、細いけど長いチェーンをしっかり、キュッと巻きつけた。端同士の、ゆるまない位置の輪を南京錠に通して、カチッと音がするまで閉める。

 これは、罰だよ。

 満たすために、あの時のあたしと同じ──怖くて寂しくて泣きたい気持ちを、みんなにも味わってもらうから。

「これでよしっと。それにしても、みんなはどこに隠れてるのかな?」

 ふふっ、叫びたいけど叫べないよね。ここで声を出したら、あたしにあっさり見つかっちゃうから。

 あたしが鬼のかくれんぼで見つかったなんて、恥ずかしくてしょうがない。誰かに知られたら、笑い者にされちゃう。

 みんな、いつもそう言ってたよね。

 閉じ込められる怖さより、見つかる方が嫌だなんて。あたしには、これっぽっちも理解できないよ。意外と、一人じゃないから怖くないのかな? あ、それとも、あたしが本気で閉じ込めるって思ってないとか?

 ……本気だよ。もうずっと、出てこなくていいって思ってるくらい、本気。

 ね、近くにあたしがいる間は、みんな声も出せないよね? いる場所、知られたら負けちゃうもんね。

 このまま日が暮れるまで、あたし以外の誰も、この神社に近づかなければいい。

 空がきれいな夕焼け色に染まったら。どんなに楽しくっても、家に帰る約束だから──あたしは帰るよ。

「ねえ、みんな、どこぉ?」

 まだまだ、必死に探すフリをしてあげる。

 あたしからの、最後の慈悲だよ。

「あら、由里(ゆり)ちゃん。今日はかくれんぼ?」

「うん……でも、みんな隠れるの上手で、ちっとも見つからないの……」

 しょんぼりした声で、つま先を見て。砂利をちょっと、蹴るフリをして。

 いつもいつも、あたしが鬼でかくれんぼとか鬼ごっこしてるの、この時間に散歩してるこの人は見てるから。

「早く見つかるといいわね」

 こくん、と頷いておく。

 いつ見ても鬼だなんて鈍くさい子、って思われてるんだろうけど。今日はかえってありがたいかも。

「じゃあ、暗くなる前に帰りなさいね?」

「はーい」

 元気に返事をして、真っ白でふわふわの可愛いわんちゃんと帰っていく背中に、ブンブン手を振った。

 お堂を威嚇してたわんちゃん、意外と鋭いのかな?

 みんな、もしかして、あたしに見つかりたくない、なんてちっぽけなプライドのために、まだまだ頑張るつもり? それってちょっと……ううん、本気で呆れちゃうな。

「……ねえ、みんな、どこに隠れてるの?」

 いる場所はわかってるけど、わざと沈んだ声で呼びかけてみる。返事がなければいい、って願っちゃう。

 やっぱり返事はなくて。逆に、嬉しい。

 砂利を踏んで、さっき探したところをまたのぞき込んでみる。そのたびに「いない……」って呟くのが、何だか楽しい。

 そうしてウロウロしている間に、西の空が赤くなってきた。見上げる真上の空も、赤と青が混ざりきっていない、何となく不安になる不思議な色。

 そろそろここを出ないと、暗くなる前に家に着けなくなりそう。

 あたしは足音を立てないように、お堂が見えないところへ移動する。

 みんなは知らないだろうけど、お社様を挟んで、お堂の反対側からも外に出られる道があるんだよ。

 頑張ってもお堂から出られないってわかった時、みんながどんな声を出して、どんな風に暴れるのか。それが見れないのが、ちょっとだけ残念かな。

 この神社、日が暮れると誰も近寄らないし、近くにお家もないし、ひょっとしたら朝まで気づかれないかも。

 ねえ、知ってる? 夜中には、近くの森でフクロウが鳴くんだよ。ホウホウ、って結構うるさいから、怖くて一晩中寝られないかもね。でも大丈夫。朝になる頃にはカラスが来て、大勢でカアカア鳴いて夜明けを教えてくれるから。

 あ、でも、カラスって、結構大きな羽ばたきの音がするんだよ。眠気が限界でうつらうつらしてる時だと、心臓がびっくりして止まりそうになるかも。

 あたしも、そうだったから。

 あの時、あたしをお堂に閉じ込めてくれたよね。

 どんなにガタガタ揺すっても、全然出られなくて。ずっと泣いて叫んでるのに、誰も気がついてくれなくて。

 怖くて怖くて、あのまま死にたいって思った。

 死んじゃった方がマシだって、ずっと思ってた。

 一人だったから、本当に怖かったんだよ。でも、みんなは五人だもん。なーんにも怖くないでしょ? フクロウが遠くで鳴く声も、カラスが起こしに来てくれる時も。きっと我慢できるよ。

 それとも、聞こえないかな?

 あたしは、これが原因で、もっとひどいことをされても平気。だってもう、怖いものなんて何にもないから。

 夕焼けより鮮やかな色の鳥居をくぐって、十段くらいの階段を駆け下りる。走るのは苦手だけど、家までだから頑張ろうっと。

 じゃあね、みんな。あたしは帰るよ。

 だって、あたしは『鬼』だもん。




 次の日、みんなは学校に来なかった。家に帰ってこなかったんだって、と他の子が話しているのが聞こえた。

 椅子に座って、足をプラプラさせて。あたしは何にも知らないフリを通した。

「神社でかくれんぼをしたけど、夕方になってもみんな出てこなくて……遅くなると怒られるから、あたしは帰るよ、って声をかけて神社を出ました」

 あたしの家が厳しいことは、先生や同学年の子なら誰でも知ってる。ちょっと何かあると、お母さんが出てきてうるさく騒ぐから。

 迷惑だからやめてほしいけど、「あなたのためを思ってしているのに!」って怒鳴られるから、もう諦めてる。

 あの時も、結局、あたしをお堂から出してくれた人がすっごく怒られてた。

 平和に一日を過ごして、家に帰る。

「由里、今日は神社に絶対行っちゃダメよ」

 いつもは「宿題を済ませて遊びに行きなさい」ってうるさいのに。

 みんなが帰ってきてないこと、誰かに聞いたみたい。あたしたちがいつも神社で遊んでることも、お母さんは知ってるから。

 昨日の今日で遊びに行って、帰ってこなかったら、なんて想像しちゃったのかな?

 だいたい、あたしには、あの神社はどこよりも安全な場所なんだよ?


 夕ご飯を作ってるお母さんに見つからないように、あたしは足音を殺して玄関に行く。静かに靴を取って、またお母さんに気をつけて。誰もいないリビングの窓から、こっそり外へ出る。

 まるで、神社の鳥居みたいね。夕暮れが迫る空は、赤くてきれい。

 うきうきと弾んでしまう足取りに、勝手にゆるんじゃう頬。

 やっと、会えるの。あの時からずっとずっと、会いたくてたまらなかった人に。




 あたしは風と一緒になって走る。

 道を歩く人も、犬と散歩する人も。親子連れも、おじいちゃんもおばあちゃんも。誰も何も、あたしに気づかない。

 東の空が暗くなる頃、あたしは神社の階段の一番下に足をかけていた。

「おーにの、はなよめ、だーぁれ」

 歌いながら階段を上る。

「おーにの、はなよめ、ふりむいた」

『ゆり、来たか』

 あの日、あたしの名前を呼んだ声が、また聞こえた。低くて、お腹に響いて、くすぐったい声。

 トクン、と心臓が飛び跳ねて、動きを少しだけ速くする。

和悠(わゆう)さん、来たよ」

『待っていたぞ』

 声と同時に、あたしの目の前の景色がグラグラ揺れた。

 夕闇も、神社も鳥居も、階段も。全部グニャグニャになって、真っ黒になる。

「あたしも、今日を待ってたよ」

 笑顔で言ったら、和悠さんは額に冷たいキスをくれた。

 和悠さんは、いつもひんやりしているの。

『相変わらず、ゆりは温かいな。溶けてしまいそうだ』

「ふふっ。でも、和悠さんが溶けちゃったらギュウってできなくなるから、あたしは絶対このままがいい!」

『ああ、そうだな。では、溶けない程度に触れるとしよう』

 簡単に壊れてしまう、ガラス細工みたいに。そっと、優しく、扱ってくれる。

 怖々と触れる指の冷たさは、あっという間に気にならなくなって。代わりに、胸の辺りからじわじわーっと、温かくて気持ちいい感覚が広がっていくの。

『本当に、ゆりは温かいな』

「和悠さんは、冷たくて気持ちいいよ」

 向き合っていた形から、和悠さんがどっかり座り込んだ。すぐに、和悠さんはあたしの腕を引っ張って、膝の上に乗せてくれた。

 背中に、和悠さんの冷たさが伝わってくる。

「そういえば、昨日の子たちはどうだった?」

『あいつらか……なかなかよかったぞ。みっともないくらいに泣きわめき、叫び、命乞いをしてくれたからな……うまかった』

「よかったぁ……」

 翔太くんも、恵理(えり)ちゃんも、(ゆい)ちゃんも、陽斗(はると)くんも、晴樹(はるき)くんも。ちゃんとおいしくなるように、いっぱい騒いでくれたんだね。

 あたしをギュッと抱き締めてる和悠さんの腕に、あたしの両手をしっかりかける。

『それにしても、不思議なやつらだな。以前、たった一人のゆりに、同じような思いをさせたんだろう? 五人もいたくせに、一人ずつバラバラにしなくともうまいとは……』

「あ、それはきっと、いつもの場所からいきなり、全然知らない場所に来たからじゃないかな? それに、他人には平気でできても、自分がされるとダメって人なら、たくさんいると思うよ」

『それこそ、ゆりは一人で何ともなかったことだろうに』

 和悠さんが楽しそうに笑って、振動が背中から伝わってくる。

 この瞬間が、あたしはたまらなく幸せ。

『気まぐれに声をかけたら、ゆりは振り向いた。ここへ呼んだら、ちょこちょこやってきて、平然と居座っていたな』

「あの時は、嫌なことばかりだったから……」

 慰めるように、慈しむように。和悠さんは頭をゆっくりなでてくれる。

 大きくて冷たい手のひらが、好き。大好き。

「和悠さんは触ると冷たいけど、心は誰よりも温かいよ?」

『そう、か……?』

 困った感じの声が、急に黙り込む。

 こういう時は、和悠さんにべったりもたれるのが一番。

 真下から顔をのぞき込んで、ニコッと笑う。そしたら、和悠さんも笑ってくれるから。

「ねえ、和悠さん」

『どうした?』

「……あたし、いつまで、いてもいいの?」

 今日、この場所に。

 そんな問いじゃないこと、わかってくれてるかな?

 あたしが知りたい『いつまで』を、和悠さんはわかってくれる?

『ゆりがいたいだけ、いればいい。……先に言っておくが、俺は手放す気はないぞ』

「……ありがと」

 わかってくれたことが、くれた返事が、嬉しくて。

 心がゆるゆると震えて、和悠さんに笑いかけたくなった。

『……泣くな』

 ボソッと呟いて、和悠さんの冷たい手のひらが、あたしの頬をグイッとなでていく。

『まったく……ゆりは泣いても心が折れないと思いきや、笑いながら泣くから、不思議でかなわん』

「あのね、和悠さん。人間はね、すっごく嬉しい時、ニコニコ笑ってても泣いちゃうことがあるんだよ」

『……今が、そうなのか?』

「うん。和悠さんの言葉が、嬉しかったの」

 頷いて、背中をギュウって和悠さんに押しつける。腕にかけた手も、もっとしっかりつかまって。

 何があっても絶対に、離れたりしないように。

「……やっと、一緒にいられるね」

『そうだな』

 ひんやりした唇が、あたしの口に触って逃げていった。

 また、和悠さんのお腹が空くまで。

 あたしはここで、和悠さんと、溶けたり冷えたりしながら過ごすよ。


        ◇ 


「ねえ、知ってる?」

「聞いた聞いた。『鬼の花嫁』の話でしょ?」

 セーラー服を着たお姉さんたちが話してる。あたしはすぐそばで、誰にも気づかれないで、お姉さんたちの話をこっそり聞けちゃうの。

『おーにの、はなよめ、だーぁれ』

 歌ってても、お姉さんたちは気づかない。

「花嫁神社からの帰り道、鳥居をくぐったら振り返っちゃダメ。振り返ると鬼の花嫁にされちゃうよ、って話よね」

 あたしの右側にいるお姉さんが、両腕で自分の腕をつかんで小さく身震いした。

「そうそう、それ! あれってね、続きっていうか、ちょっと違う話もあってね」

 左側にいるお姉さんは、興奮してるみたいで、両手をブンブン、上下に振ってる。

「鬼の花嫁になれるのは、鬼に声をかけられて振り返った子だけなんだって。それ以外の子は、鬼に食べられちゃうんだって!」

 あれ? まだ間違ってるけど……まあ、いっか。

 和悠さんの花嫁は、あたし一人。

 他の誰も、あの人の花嫁になんてさせない。

『……おーにの、はなよめ、ふりむいた』

 急に真っ暗になったからかな。お姉さんたち、キョロキョロしてる。

「こんにちは」

「きゃっ! ……え? 女の子?」

「えっ? あれ? ここって、どこ?」

 声をかけたら驚かれちゃった。でも、しょうがないよね。

 このままだと、すっごくまずいんだって。だから、いっぱい驚いて、怖がって、不安になって、取り乱して……お家に帰りたいって、泣き叫んでもらわなきゃ。

『ゆり、後は任せろ』

「はーい。じゃあね、お姉さんたち」

 ヒラヒラ手を振って、あたしは闇の中に消える。

 もう、誰の声も聞こえない。あたしが走ってる、足音だけが聞こえてる。

 和悠さんは久しぶりのご飯だし、二人だと、ちょっと足りないかな? もうちょっと、探しておかなくっちゃ。

 あんまりいっぱいいると追いかけるのが大変だし、逆に少ないと物足りないかもしれないし。

「……あたしも、早く大人にならないかな」

 そうしたら、今よりもっともっと、和悠さんと幸せになれるのに。


        ◇ 


 あたしはあの日、神社の鳥居をくぐって階段を下りている途中で、和悠さんに呼ばれて振り向いた。

 冬の青空みたいな色の、浴衣を着て。短い黒髪と、ちょっと怖そうな目の、寂しそうな大人の男の人。

 髪の毛の中に、白っぽい小さな角があって。爪がすっごく長くって。ニィって笑った時、刺さりそうなくらいとがった犬歯が見えて。少しだけ、怖かった。

 手招きされるままに歩いたら、いつの間にか真っ暗なところにいて、あたしは和悠さんといろんな話をしてた。

『……なあ、ゆり。俺の嫁に、なるか?』

「……和悠さんの、お嫁さん?」

『ああ。なるか?』

「うん、なるよ」

 そう言った時の、和悠さんの笑顔。あたしは、忘れられない。

 この人に、ずっと笑っていてほしいって思った。

『腹が減ったら、誰かをここに引き込んで、恐怖で死ぬ寸前まで追いつめてから食らう鬼でも、か?』

「うん。和悠さんは、あたしに優しくしてくれるから、怖くないもん。怖いのは、集まって意地悪してくる、みんなの方……」

 和悠さんは黙って聞いてくれた。だから、もっと好きになった。

『ならば、神社へ連れてこい。小さなお堂があるだろう? あそこへ閉じ込めたら、俺がここへ引っ張り込んで食ってやる』

「ホント? じゃあ、連れてくるね。そしたら、またここへ来てもいい?」

『当たり前だろう。ゆりは俺の嫁だからな』

 あたしを、あたしとして見てくれたのは、和悠さんだけ。

 だからあたしは、闇の中から獲物を探す。大好きな和悠さんがお腹を空かせて、死んじゃったら悲しいから。

 あたしは歌う。夜より暗い場所で。




『おーにの、はなよめ、ふりむいた』

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